【NHK教育】「NHK杯テレビ将棋トーナメント」畠山鎮七段【フジ】「ボクらの時代」六角精児さん

2011年09月19日

【野球】「野村克也解体新書」江本孟紀さん

P107
守備位置によって野球の見方は変わる。
それは引退後、監督やコーチに向いているかどうかというところにまで影響を及ぼす。

(中略)

やっぱり、いちばん向いているのがキャッチャーである。

(中略)

配球とは、ピッチャーの調子や得意な球だけで決めるのではなく、相手の采配や試合の流れなど、すべての状況を考えて決めるもの。

例えば、バントのサインが出ていると察する。
バントをさせたほうがいいと思えばまっすぐを要求する。
バントをさせてはいけないと判断した場合、右バッターが一塁側に転がそうとしているならインコースに投げさせる。
三塁側に転がそうとしているならアウトコースを要求する。

このように相手の作戦を読みながら、状況を考えて試合を組み立てるのがキャッチャーなのだ。

この”読む”という仕事だが、それはすべて猜疑心で行なうものだ。
バッターの微妙な動きから「次はバントだ」と勘ぐる。
とにかく疑うことがキャッチャーの仕事。

ようするにキャッチャーは、「ここに投げれば打たれないだろう」というマイナスの発想で投球を組み立てる。
このマイナス思考が監督と同じなのだ。
だからキャッチャーは監督に向いているのだ。

それに対して、ピッチャーは「ここに投げたら打たれない」と思って投げる。
「打たれないだろう」とは思っていない。
あくまでも打たれないと思って投げる。

そこがキャッチャーとピッチャーの決定的に違うところ。
ひるがえっていうとこのプラス思考とマイナス思考がうまく合致すると名バッテリーになる

だから古田と城島の強気な性格は、キャッチャーにも監督にも向いていない。
彼らはピッチャー向きだからだ。

「名バッテリーは、ポジティブ思考のピッチャーとネガティブ思考のキャッチャーの調和である」との考えは、成る程だ。

たしかに、野球に代表される勝負事は、「悲観の上の楽観」が不可欠かつ最善だ。
各々は、「水と油」の思考&行動習性であり、一人格が全うするのは困難かつ基本無理だ。
「悲観の上の楽観」を別人格で調和するのは合理かつ賢明であり、だからこそ、それを高次に叶えたピッチャーとキャッチャーは「名バッテリー」として称えられるのだ。

人生は勝負事が不可避だ。
私たちは、名ピッチャーか名キャッチャーのいずれか、即ち、楽観論者か悲観論者のいずれかの極み、にならなければいけない。







kimio_memo at 07:13│Comments(0) 書籍 

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