【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第9局の1▲丸山忠久九段△羽生善治王座〕難しい年回り」関浩さん【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第9局の4▲丸山忠久九段△羽生善治王座〕グレーゾーンの戦い」関浩さん

2011年09月11日

【講演】「いま、一人ひとりができること 東日本復興に寄せて」 谷川浩司九段

(前略)

今から16年前の1995年の1月17日、5時46分。
阪神淡路大震災が起きた。
当時、私は32才で、六甲アイランドのマンションに住んでいた。
六甲アイランドは新しい町で、被害は少なかった。
だが、ガス漏れが起こり、半日間だけ避難所生活を経験した。

3日後の20日に大阪の将棋会館で対局があり、2日後の19日に妻の運転で向かうことにした。
六甲アイランドを出て、神戸の町が壊れてしまったのがわかった。
家が道路のそばでグシャッと倒れていた。
生き埋めになっている人が居た。
こんな中、自分が将棋を指しに大阪へ行くのが本当に良いのものかと考えた。
しかし、当時、私は王将戦(※タイトル戦)を戦っていた。
仮に、20日の対局を延期してもらったとしても、他の対局に影響してしまう。
それに、こういう時に活躍できるのは消防士や自衛官で、私のような将棋指しは足手まといになるだけだ。
結果、「自分が今できることをするしかない」と考え、「自分は将棋を指すしかない」と本能的に対局に臨んだ。

20日の対局は勝利した。
その後、二ヶ月位好調が続いた。
羽生善治さんに七冠獲得を目指して挑戦された王将位も、防衛できた。
好調の理由の一つに、楽観があった。
普段は悲観的になりがちな形勢判断が、この時は楽観的だった。
今回東日本大震災を被災なさった人も直後はそうだったと思うが、「皆等しく悲惨な思いをした」という連帯感と、「この状況を何とかしなければ」という高揚感があり、妙に元気だった。
それに、中学でプロになり、好きな将棋を一生の職業にできた時は嬉しかったが、時間が経ち、勝負の厳しさを思い知る内に、好きな将棋が指せることの嬉しさ、初心を忘れていた。
しかし、未曾有の天災に遭い、普段当たり前にしていたことができることの有難さ、嬉しさを痛感した。
将棋が指せるだけで嬉しかった。
負けることが怖くなかった。
たしかに、この間、ホテル住まいや妻の実家暮らしを強いられた。
だが、対局している時は、辛さや心配事の一切を忘れた。
また、自分が神戸を代表しているような意識もあった。

しかし、羽生さんは、翌年も七冠獲得を目指し、再度王将位に挑戦してきた。
そして、今度は、前年とは異なり、全く勝負にならず、ストレート負けを喫した。
一年前、私だけではなくみんなが、「羽生さんの七冠獲得のチャンスは潰えた」と思っていた。
一年間、六つものタイトルを防衛するのは、至難の業だからだ。
けれども、羽生さんは、これをやり遂げた。
他方、この一年、自分は何をしていたかというと、王将位以外のタイトルを一つも狙えない有り様だった。
現実の生活を取り戻す人と取り戻せない人の各々が出始め、震災直後に感じた連帯感と高揚感、ひいては、楽観は無くなった。
換わりに、それらの疲労感が出、調子も良くなかった。
羽生さんと戦う前から、勝負は見えていた。

羽生さんにこの時負けたのは気持ちの問題が大きかった。
20代の時は、中原(誠)さんや米長(邦雄)さんといった先輩との争いだった。
しかし、その後は、後輩との争いになり、なかなか成績が残せなかった。
当時、羽生さんには一年半で七連敗していた。
負けが込み、この時は、対局そのものに前向きでなかった
対局に際し大事なのは、普段不断に研究し、自分の力を100パーセント出すことだ。
けれども、この時は、「どうしたら羽生さんに勝てるのか?」に重きを置き過ぎてしまった。
結果、自分のスタイルを崩し、長所を失ってしまった。

気持ちの問題が一番大きかったのは、震災の二ヶ月前の棋聖戦の挑戦者決定戦の時だ。
羽生棋聖に挑戦する権利を得たにもかかわらず、嬉しくない、滅入っている自分が居た。
相手が羽生さんだったからだ。
これでは、勝てるはずがない。
今考えれば、勝てない理由は簡単にわかる。
しかし、不調やスランプにハマっている時は、全くわからない。
不調やスランプは、いざ脱出できると、「こんなものか!」である。
けれども、ハマッている時は真逆で、結果、なかなか脱出できない。

羽生さんに王将位は奪取されたが、秋に竜王位を奪取した。
そして、翌年には、名人位も奪取した。
復活へ向けやった努力そのものは、それまでとさほど変わらない。
気持ちの問題がクリアされたのが大きい。
羽生さんに対して負けが込み過ぎて、以前ほど勝負(結果)を気にしなくなった。
また、当時、羽生さんは結婚を控え、連日ワイドショーに出るなど、将棋界とは異なる別世界の人に見えるようになった。

(中略)

棋士は、幸いにも、スポーツ選手とは異なり、40才、50才になっても現役で居られる。
しかし、現役を長く続けても初心を忘れないようにする、常に新しい気持ちで将棋に向かい合うのは、簡単なようで難しい。
だから、研究の方法にしても、詰め将棋をやるとか、研究会に参加するとか、複数の引き出しを持ち、状況により自然に選ぶのがいいと思っている。
「努力する」とか「頑張る」という言葉は、できる限り使わないようにしている。
何か嫌々やっているように感じられるからだ。
それらは、自然にできるのがいい。
朝起きて、朝、昼、晩と三食食べるのと同様、自然に将棋を指す、自然に研究するのがいいと思っている。

(中略)

私が将棋を始めた頃とは異なり、今は、将棋を指す子供が増えている。
インターネットもあり、強くなる環境が整備されている。
当時は、子供がアマ四段位になると、プロ(になる資質)を見込まれたものだが、今は本当は将棋に向いていない子供でも、比較的簡単にアマ四段位にはなれる。
そして、プロを目指してしまい、結果頓挫する不幸なケースが見受けられる。

(後略)

講演を拝聴し、谷川浩司九段は、ポジティブな意味において、「古き良き日本人」だと直感した。
努力を当然事と考え、自分より、他者や社会の心情の機微を斟酌、優先なさるよう伺えたからだ。
かねてから谷川さんのことは人格者だと思っていたが確信に至った。

とりわけ聞き入ったお話は、阪神淡路大震災を罹災なさった前後の、羽生善治さんとのタイトル争いにおける心情変化だ。
谷川さんは、大山康晴さん、中原誠さんに続く永世名人で(十七世名人)、後世に残る実績者だ。
その谷川さんをしても、時間が経ち、外部環境(特に主要競合者)が変わると、初心を維持しあぐねた。
不成功が立て続き「気持ちの問題」が宿り、努力のプロセスが偏りのあるものに変容した。
結果、不成功のスパイラルに、いわゆる、不調、スランプに入り込んでしまった。
未曾有の天災がインセンティブとなって初心を取り戻したが、一過性かつ他律ゆえ、長続きしなかった。
そこで、不成功を開き直り、初心を自律的に維持する思考、行動を模索し、努め、復調を果たした。
「いかに、初心を維持することが難しいか」。
「いかに、不成功の主因の所在を自分(⇔競合者)に求めることが難しいか」。
「いかに、未曾有かつ他律的なインセンティブの効用は、強力であるも短いか」。
「いかに、開き直ることが正攻法的には難しいか」。
「いかに、初心を自律的に維持する試みが成功に効くか」。
とりわけ以上の事項を痛感した。



★2011年9月2日赤羽会館にて催行
※1:上記内容は意訳。
※2:聞き手は中村雅子さん
http://blog.livedoor.jp/wag22687/archives/3899182.html



集中力 (角川oneテーマ21 (C-3))
谷川 浩司
角川書店
2000-12-01



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