2011年08月29日
【将棋】「小池重明実戦集―実録・伝説の真剣師」宮崎国夫さん
P37
小池(重明)と奨励会員達は金を賭けて真剣に将棋を指しているものの、とても仲がよくいっしょに酒を飲みに行ったり、麻雀を打ったり、と親密な交際をしていた。
「賭け将棋」という言葉を耳にしただけで、真剣、血なまぐさい殺伐とした勝負と思い込み目くじらを立てて「罪悪視」している者からすれば、ふだん将棋を指して金をやり取りしている者同士が盤を離れたら仲が良いなんで信じられないかもしれないが事実なのだ。
むしろ賭け将棋は仲が悪い者同士がやることのほうが少なく、仲が良い者、ライバル同士が小遣い銭を賭けて強くなるためにやる場合が多い。
「大阪将軍」の異名を持つ沖元ニ(アマ名人二回、読売アマ実力日本一)は真剣について次のように言う。
私はね、真剣という言葉おかしいと思う。
真剣というのは誤解を招く言葉や。
これまで真剣を取り扱った小説なんかの影響もあるかも知れんが、一般には、だまして金を取るというイメージがまだあるようや。
私は賭事は大嫌い。
いままで競輪、競馬とか、そういうたぐいの賭事はいっさいしたことはない。
将棋は賭事と思っていないからやるんや。
また我々のように上になってくると、特に大阪の人はなにがしか乗せないと将棋しないわけやね。
お互い罰則というわけ。
お金がいかんなら食事の奢り合いでもええんやないかな。
負けた方が勝った方に指導料払うぐらいの気持ちを持つことは必要やと思う。
無料(ただ)の将棋を勝っても負けても、ただ指しているだけという人よりはずっと将棋を大事に指すはずや。
お金をどうのこうのをいうよりは将棋を大事に指すということが一番必要なことで、上達の近道と私は思っている。
プロもおかしなことを言う。
アマには賭け将棋やったらだめといいながら、自分らは奨励会時代、強くなるためにほとんどの人がやっとるんや。
奨励会員が賭け将棋をやっているのを見て、やってはいかんと注意するプロはまずおらんのと違うかな。
つまりプロ棋士は一局百円とか千円で指しているのを見ても賭け事と思っていないはずや。
強くなるために、将棋を一生懸命指す手段をしてやっているので当然のことと思っているはずや。
今の世の中、千円、二千円は大したことない。
これを賭け将棋とは言わん。
そんなわずかなもんは賭けたうちに入らんと私は思っている。
「真剣」の本質は、刹那の金銭授受ではなく、「将棋を大事に(真剣に)指す」インセンティブである、という沖元ニ元アマ名人のお考えは、成る程かつ同感だ。
人が物事を大事に行なう、それも、毎回大事に行なうのは、容易ではない。
物事を、それも上達を希求する物事を、「大事に行なうといい理由」、ないし、「大事に行なわないといけない(困る)理由」を能動的に設けるのは、合理的かつ有効だ。
物事に長けている人は必ず、物事を大事に(真剣に)行い続けるインセンティブを設け、受容している。
P113
ニ局目は序盤早々互いに工夫して指し手争いをしたが定跡形に落ち着く。
このあと、定跡を知らない小池はまたも不利になる。
だが、ここからが小池の真骨頂だ。
次々と歩を自陣に打ちおろし「小池流」の我慢、辛抱の連続だ。
これに惑わされた大鷲(将人)は優勢を意識し過ぎて一気に決めにいけばよいところを、フルえたか、安全に、安全に、と指し回す。
必勝形なだけに、安全に手堅く勝ちたい、誰もが持つ実戦心理である。
ところが、誰にもある事だが、勝ちを読み切って安全勝ちを目指すなら、なんら問題はないが、なんとなく怖いから安全に指そう、これが危険で、どうやら大鷲は後者のパターンにはまったらしい。
安全勝ちと逆転負けは背中合わせである。
「安全勝ちと逆転負けは背中合わせである」という言葉が胸に残った。
たしかに、安全勝ちを希求する心情は、油断と緩手を生み、相手に逆転の機会を与える。
安全勝ちを希求する心情は、概して、優勢の安直な自覚から生まれる。
そもそも、優勢と劣勢は紙一重だ。
優勢の自覚には、慎重さと過小さが十二分に必要だ。
P386
小池、加部(康晴)戦終了後、数人で始まった打ち上げの会も一軒、二軒と梯子するうち、気が付くと小池さんと私(美馬和夫)の二人きりになっていた。
「アマチュアの強豪って、たいていの人が強くなるために仕事や家庭を何らかの形で犠牲にして、それでも得られるものは大したことないもんなあ」
今まではしゃいでいた小池さんが急に静かな口調で語りだした。
(中略)
びっくりするような顔で、ずっと何も言わず、話に耳を傾けていた私に、小池さんは少しトーンを上げてこう言った。
「オレが将棋を勝ちたいを思うのは、単に負けず嫌いだからじゃないよ。オレも将棋でかなりのものを犠牲にした男だからな。命を賭けるっていうと大袈裟かなあ。そう、勝つことのみが自分の存在価値を示すって感じだな・・・。言っている意味、分かるかな?」
小池重明さんが終生強かったのは、持ち前の異才に加え、終生言葉だけでなく真に、自らの身を削って、将棋だけを愛し続けたからかもしれない。
そして、だからこそ、小池さんは、多くのアマ、プロ棋士から、終生、その唯一無二の存在価値を是認され、愛され続けたのかもしれない。
小池さんは、人から愛されるために、自らの身を削って生きたのかもしれない。
そして、だからこそ、小池さんは、今なお、その破天荒かつ不世出な生き様が偲ばれるのかもしれない。
P432
〔自戦記:金子タカシ〕
例の「終盤に時間を残す」ため早めに決断してパッパッと指すという調子で▲6一飛と打った。
そして読み筋通りに(?)△7ニ銀▲7一銀と進んだ時、(小池)名人の手がすっと伸びて△同角。
「あっ」と叫んだが、もう後の祭りである。
それにしてもひどい一手パッタリであった。
よほどここで投げようかと思ったが、それだとあまりにも一手パッタリが目立つと思い最後まで指した。
第2図から問題の▲6一飛辺りの局面では残り時間は10分ほどで最後の詰めに時間を残そうとパッパッと指したのだが、この辺りの局面こそ時間を使い切っても寄せをじっくり読むところであり、局面のとらえ方が甘かったと反省する。
またこの辺では棋勢の好転に、ひょっとしたら勝てるのでは、という邪念が入り腰が浮ついていた。
その意味でもじっくり腰を落とすところだった。
考えてみれば、相手が小池名人だから時間を意識して早指しになり棋勢の好転に邪念が入ったわけで、そのため一手パッタリが出たのだから順当な逆転負けともいえる。
しかしこのように強い人の「力」に負かされるのではなく、「力」に怯えて自分で転んでしまうのは一番良くないことであり、まだまだ精神的にも技術的にも修業未熟だと痛感した。
金子さんの二つのお考えが胸に残った。
一つは、「強い人の『力』に負かされるのではなく、『力』に怯えて自分で転んでしまう」というお考えだ。
過日、深浦康市九段が「可能なら、今後羽生善治さんとの対局は、全てインターネットでやりたい」と仰ったのは、正にこのことに対する危惧である。
これは、プロ、アマ関係ないのはもちろん、将棋にとどまらない。
弱者の宿命と言ってしまえばそれまでだが、強者の小池さんでさえ、対局前日及び当日飲酒を欠かさない(→正気さを適度に減らす、緊張を適度に解く)など、このことにでき得る対策を講じておられたことを忘れてはいけない。
もう一つは、「最終の詰めの局面に時間を潤沢に投じようと事前に考えるあまり、形勢を楽観してしまったことも手伝い、時間を投じるべき中盤の重要局面で時間を投じ損ねてしまった」というお考えだ。
たしかに、金子さんの事前のお考えは、小池さんの終盤の強さを封じる有効な作戦ではある。
しかし、この作戦が有効なのは、終盤に辿り着くまで形勢が互角か互角以上に保てた時であり、敗勢の時は全く無効である。
物事を進める上で事前の考えは重要かつ不可欠だが、それに引きずられる一方では成功はあり得ない。
kimio_memo at 08:19│Comments(0)│
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