【NHK】「虐待カウンセリング 作家柳美里・500日の記録」柳美里さん【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Ben E. King”Stand by me”

2011年08月16日

【追悼】「一視同仁の人」行方尚史さん

P201
団(鬼六)先生のまわりには、たくさんの人が集まる。
僕が鬼六御殿に行ったときは、ほとんど必ず誰かがおり、いろいろな人を見る機会に恵まれた。
先生は人や名前を格で判断せず、名人でも初段でも、良い人も悪い人も、だらしない人も、怪しい人も、誰にでも同じように接する。
まさに「一視同仁」を体現したような方だった。
垣根が低く、飾らない。
屈託がない。
偉ぶらない。
こだわらない。
そのうえ、やさしくて、ひとがいい。
失礼を承知で言えば、だまされやすいタイプにもみえた。

僕のことも、とても温かく面倒を見てくださった。
とりわけ、プロ(四段)になる直前の十八歳から十九歳にかけて、食べるものにも事欠いていた時期は、足を向けて寝られないほどお世話になった。
僕は当時、パチンコと競馬に入れ込んで、仕送りを使い果たし、記録係(対局の棋譜を記す係)をやって得た金も手元から蒸発するように使っていた。
いよいよ困ったとき、頼みの綱が団先生だった。
「先生、明日うかがってもよろしいでしょうか」とお電話すると、ほぼ例外なく「来なさい」。
お邪魔すると奥様が美味しいカレーをふるまってくださり、お代わり自由。
おなかが落ち着いてから先生と一、二局将棋を指し、お小遣いをいただく。
あのころは毎月お邪魔していた。

先生は、自分以外のことに一体いくら使ったのか。
将棋ジャーナルは完全に持ち出しだっただろうし、食客も多かったし、さぞ大変だったと思う。
御殿に行くと、この間まであった刀がなくなっていることがあり、台所事情がどんどん苦しくなっていくのがわかった。
僕が御殿に通うようになって数年が経ち、プロになったころ、将棋ジャーナルは廃刊となり、先生は御殿を引き払って東京の西永福にお住まいを移された。
その後、僕が死の二週間前にばったりお会いした浜田山へ転居したのだった。

私は、昨年、団鬼六先生がツイッターをやっておられる(@Oniroku_Dan)のを知ると、すぐさま団先生をフォローした。
(※今確認したところ、なぜかアンフォローにおり、改めてフォローした)
すると、まもなくして、団先生から以下のDMを頂戴した。
これからもよろしゅうに…  http://bit.ly/7Uqe9j
10/05/08(Sa) 15:20:20
私は、驚愕かつ感激し、以下返信した。
堀と申します。ダイレクトメッセージに感謝感激です。私は、70年代後半兄の「映画の友」を盗み見して(笑)以来、団さんを敬愛しています。将棋は下手の横好きで、殆ど「羽生さんウォッチャー」です(笑)http://bit.ly/9y6GwS。私の方こそ、これからもよろしゅうです。
10/05/08(Sa) 17:54:07
私は、行方尚史八段のように団先生と実生活を共にする機会には与れなかったが、この体験と、葬儀でファン向けの焼香所を用意くださったことから、団先生が「一視同仁の人」であられたことを信じてやまない。


団先生は、なぜ、終生「一視同仁の人」であられたのか。
団先生は、複雑な生い立ちとワイ本作家というお仕事がら、若くして「非一視同仁の人」に多々遭い、彼らから辛い思いや違和感を強くお覚えになったのではないか。
また、「『一期(=人の生涯)は夢』ゆえ、一視同仁に生きて然るべき、いや、一視同仁に生きないのは愚かである」とお考えになったのではないか。
終生「一視同仁の人」であられた団先生のご冥福を、改めて祈りたい。(敬礼)







kimio_memo at 07:39│Comments(0) 書籍 

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