2011年08月13日
【人生】「座右の銘」森村誠一さん
P21
ボクサーは連戦連勝している間に弱くなる ーーモハメッド:アリ
(中略)
作家の本来は、いや、人生を生きるということは、下りのエスカレーターを全力で駆け上がっているようなものである。
足を止めれば、たちまち後方へ引き戻されてしまう。
それが上昇気流に乗ったグライダーのようにのんびり飛び回っている間に、自身の飛翔力を失っている。
「戦いは六分をもって勝ちとする」という武田信玄の言葉は、連戦連勝のボクサーに対する戒めのようにも聞こえる。
信玄にしては、六分とは謙虚な勝率であるが、勝負とはそういうものであろう。
P141
もしも私が神だったら、
私は青春を人生の終わりに
置いたであろう ーーアナトール・フランス
若いときには、気力、体力充実しているが、不安定であり、青春の輝きや、その貴重さも自覚していない。
人生の最も実り多かるべき時期を乱費、あるいは浪費してしまう者も少なくない。
青春の貴重さを充分認識した熟年時代に青春が置かれたら、決して浪費や乱費はしないであろう。
だが、それは青春ではない。
青春は無限の可能性に満ちた未知の狩人期であってこそ青春といえる。
無限の可能性とは、無限になにもないことも同居している。
すべてわかり尽くした上での青春は、神ではあっても人間ではない。
だからこそ、アナトール・フランスは「もしも私が神だったら」と条件をつけたのであろう。
P174
恥ずかしい --2003年10月13日、笹沢佐保遺言
(中略)
笹沢氏の葬儀に斎場まで遺族と一緒にお供したが、氏の遺骨は斎場に用意された最大サイズの骨壷にも入りきらないほど多かった。
骨壷からはみ出した遺骨が、四百冊達成を目前にして燃え尽きる無念を、訴えているように見えた。
最後の病床に見舞ったとき、笹沢氏が「恥ずかしい」と言ったのが耳によみがえった。
もしそれが恥ずかしければ、誇るべき恥ずかしさである。
(中略)
笹沢氏の生き方、死に方は、私に作家たる者、かく生き、かく死ぬべきであるという姿勢を示したようにおもえた。
(中略)
笹沢氏の「恥ずかしい」、また芭蕉の「夢は枯野」にも、発表しない作品の卵を積み残したまま逝かねばならない創作者の無念が込められている。
だが、創作者たる者、持てるすべてを出し切って積み残しがないということがあり得るだろうか。
生ある限り、意識ある限り、常に自分の可能性の限界を押し進めるようにして表現するのが、創作者の業ではあるまいか。
笹沢佐保氏はまさに創作者としての業を体現したような作家であった。
P184
美しい文章よりも
真実の文字を(書きたい) --松本清張
(中略)
作品の中で神と崇めていた清張の人間に触れた夏の日の屈辱は、終生、私の記憶に刻みつけられているが、同時に作品の権化としての姿勢を見たおもいがした。
作家の平林たい子が韓国の雑誌のインタビューで、「松本といえば、人間ではなく、タイプライターです」と発言して物議を醸した(「文士のいる風景」)が、書く機械ではなく、「書く鬼」と表現すべきであった。
つまるところ、創作者たる者、可能性の限界をどこまで追求できるかという問題であろう。
生涯一作であろうと、作品の卵巣に積み残しがないように書き尽くそうと、いずれにしても創作者の一期一会の姿勢である。
P231
いまが一番若い
年齢にかかわらず、だれでもいまこの瞬間が一番若い。
生まれたばかりの赤ん坊でも、少年・少女でも、青春真っ盛りでも、現役バリバリでも、横町のご隠居でも、一分一秒も過去に戻れない以上、いま生きているこの瞬間が一番若いのである。
たとえ命旦夕に迫った老人でも、残り少ない余生の中で一番若いのである。
このように考えると、人生、一期一会、一分一秒といえども無駄には過ごせない。
人間、常にいまが若いことを心に刻んで、ただ一度限り、繰り返しのきかない貴重な試みである人生を大切に生きるべきである。
上記の内容にかぎらず、森村誠一さんの言は悉く、私の胸の深層に刺さった。
理由の一つは、人生を真に真剣に生きている人からのみ滲み出る、強烈な切迫感が伺えたからだ。
そして、もう一つは、作品の卵を積み残したまま逝くことの、耐え難い恐怖が伝染したからだ。
私の命は、24才の時に拾った命だ。
森村さんと異なり、生涯一作品に終わる可能性は大だが、卵を積み残すことがないよう、一番若い今を大切に生きたい。
kimio_memo at 06:50│Comments(0)│
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