2011年08月14日
【BSNHK】〔邦画を彩った女優たち「岸恵子 わたしのままに」〕岸恵子さん
横浜への空襲、12才。
この時の体験が、岸さんのその後の生き方の原点となりました。
「山下公園の階段を上がっていったら、階段に若い女の人が座って動かないんですよ。
防空頭巾がもう燃えているんですよ。
で、『こんな所に座っていたら大変です、逃げましょう!』ってゆすってあげたら、そのままぱあっと倒れてきて、それが鉛のように重たくて、亡くなっていたんですね、もうね。
そうこうしている内に、兵隊さん、腕章を巻いた、『子どもたちは全員防空壕だ!』って引きづられて、(防空壕に)放り込まれたんですけど、『私ここに居たら死ぬ!』と思ったんです、思い込んだんです。
で、私は、みんなが止めるのも聞かずに、そこを逃げ出して、階段を駆け上がる、もう地面熱いんですよ、飛び跳ねながら・・・」
自分の意思で防空壕から離れた岸さん。
その直後、爆風が防空壕を襲いました。
「私、今でもそう思うんですけど、日本の人っていうのは、何か上(の人)から言われると、すごく従順に従うじゃないですか。
『子どもは全てこの防空壕だ!』って言われたら、全部入るわけですよ。
で、その時に疑いを持たない。
みんなが、大人たちが、あたしを引きとめたけど、『もう大人のことは聞かない。12才、あたしは今日で子どもはやめた!』とその時に思いましたね」。
昭和26年、岸さんは自らの意思で女優の道を選びます。
そして、「君の名は」の大ヒットでスターダムを駆け上がります。
なぜ、岸恵子さんは、防空壕をお出になったのか。
理由の一つは、「尋常でない危険を直感したから」ではないか。
岸さんは、防空頭巾が燃え、動かなくなっている女性を見て、「防空壕はアテにならない」と直感なさったのではないか。
もう一つの理由は、「人生を、自分の考えで、能動的に生きたかったから」ではないか。
岸さんは、他者の考え、それも「疑わしい」他者の考えに盲従し、人生を受動的に生きることが、我慢ならなかった、生きることと思えなかった、のではないか。
私が岸さんを初めてお見かけしたのは、「赤い疑惑」だ。
パリのおばさまで、実は山口百恵さん演じる幸子の母の岸さんは、とても格好良かった。
岸さんの、人並み外れた直感力と、自分の人生を能動的に生きるさまは、子供の私にも伺い知れたに違いない。
★2011年4月20日放送分
http://cinema.pia.co.jp/com/0/749418/
kimio_memo at 06:03│Comments(0)│
│テレビ

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