2011年07月20日
【音楽】「小田和正ドキュメント1998-2011」小田和正さん
P101
それにしても、世にベスト・アルバムは数あれども、”自己ベスト”とはなんとも洒脱なタイトルである。
この言葉は小田の頭にふと浮かんだものなのだそうだ。
普通はだいたいカッコつけるんだよ。
”○○コレクション”とか英語にしてね。
でも、それはなんかつまんないなぁと思ってたんだよ。
この年にソルトレイクシティで冬季オリンピックがあって、”自己ベスト更新です”とかってアナウンスもよく聞こえてきたし、それも頭に残ってたかもしれないけど。
でも自己ベストってしたら可笑しくていいなぁって思って、試しにスタッフに話したら、みんなぶっ飛んだんだよ。
(中略)
(「自己ベスト」の)リリースが決定すると、企画好きでアイデアマンの小田の血が騒ぎ出す。
どうせ出すなら目立ったほうがいいと考える。
テレビ・スポットを制作することにした。
そして、誕生したのが、いまだに「語り草」になっている、あれである。
自転車に乗った小田がペダルを力強く漕ぎ坂道を登り、『自己ベスト』収録曲を次々に早口で捲くし立てるたの映像である。
15秒間のテレビ・スポットを作ろうということになった。
で、俺は走るのが好きだから、走るのはどうだろうって考えたんだ。
でもその前に、別のアイデアとしてアルバム収録曲を一気にぜんぶ”歌い倒す”みたいなのも面白いなぁっていう話もあったんだ。
(中略)
その撮影の次の日のこと。
「なんか面白くない。可笑しさがない」。
『自己ベスト』というタイトルを決定する原動力となったのが”可笑しさ”なら、ここでもそれにこだわった。
ただ立って歌うのではなく、自転車に乗ってみるのはどうだろう。
しかも、優雅にペダルを漕ぐのではなく、ツラいなかでそれをやってみる。
画面の小田は必死だった。
でも、ただツラいだけの姿ではなく、ユーモアに溢れていた。
ツラくても、何とかそれを乗り越えようとする時、人の中に自然と生まれるのがポテンシャル・エネルギー。
その結果の説得力だ。
小田はそれこそが伝わるということを知っていた。
だからこそ、敢えてツラいことを選んだのかもしれない。
ただ、撮影は終わっているし、これから遠くへロケする時間的な余裕もない。
事務所の近所で試すことにした。
うまい具合に道路を渡った向かい側に、急な坂道があった。
緩くカーヴするその場所で、試しにやってみた。
自転車で登りながら収録曲のタイトルを早口で捲し立てる。
その姿を見守っていたスタッフは、大爆笑した。
「これだな」。
小田は確信する。
(中略)
数日後、スタッフが街で見かけた光景を報告する。
「小田さん、こないだ信号待ちしてたら、隣にいた高校生ぐらいの二人組があのテレビ・スポットの話をしてましたよ。”バカだなぁあのヒト”って」。
それを聞いた時、小田が満足げな表情になったのは言うまでもない。
「カッコいいと言われるより面白いと言われるほうが評価が高い」。
小田は常日頃から、そう思っているのだ。
「プロモーションは、対象商品と同一(線上)のコンセプトであってこそ有効、効果的である」。
「『面白さ』や『可笑しさ』は、『カッコ良さ』より高価値である」。
小田和正さんにおかれては、これらの理解と実行は自然かつ当然なわけだ。
やはり、大衆に長く支持、受容されている人は、大衆の気持ちを鷲づかみにする要所と術を熟知、励行している。
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