2011年07月09日
【講演】「『スティーブ・ジョブズ脅威のイノベーション』発売記念セミナー」カーマイン・ガロさん
スティーブ・ジョブズは、決して「コンピュータを作ること」に情熱(パッション)を持っていた、傾けていたのではなく、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を持っていた、傾けていたわけです。
スティーブ・ジョブズが「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を傾けていたのは、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができる」状態が、自ら掲げたビジョンだったからに違いない。
そして、ジョブズにとって、「(より使い易い)コンピュータを作ること」はそのビジョンを達成するツール、プロセス、手段に過ぎず、傾けた情熱は、ビジョン自体へ向けたものと比べると、質的(レイヤー的)に全然低かったに違いない。
なぜ、ジョブズは、依然、富と名声を得てもなお、肉体が老いさらばえてもなお、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を傾けているのか。
それは、傾け続けるだけの情熱とクリエイティブ(能力)に恵まれていることに尽きるのであろうが、情熱を後押ししているモノが少なくとも三つあるのではないか。
一つ目。
それは、ビジョンには、ツールやプロセスとは異なり、ゴールがあり得ないからではないか。
もし、ジョブズの一番の起業理由が「(より便利な)コンピュータを作ること」だったり、掲げたビジョンが「便利なコンピュータが人々の間に行き渡っていること」であったら、とっくに悠々自適の生活を送っているのではないか。
二つ目。
それは、そのビジョンがジョブズにとって、「絶対にそうあるべき!」とか「何としてでもそうしたい!」と達成を切望する「真のビジョン」だったからではないか。
真のビジョンである以上、掲げた自分が達成を確認できない、未達だと思っている内は、たとえクリエイティブは枯渇しようと、情熱は枯渇せず、不断に湧き出るのではないか。
三つ目
それは、そのビジョンが社会にとって、「絶対にそうあるべき!」とか「何としてでもそうしたい!」と達成を切望する「真の社会のビジョン」になり得たから、つまり、「大義」へ昇華したからではないか。
そのビジョンの達成を切望しているのが自分だけではない、自分以外の多くの人がそのビジョンを肯定し、賛同し、ともすると自分以上に達成を切望している、つまり、自分が掲げたビジョンが「大義」へ昇華している以上、生きている限り、それを活かさない手はなく、情熱を絶やすことなどもってのほかであり、かつ、そもそも考えられないのではないか。
★2011年7月7日催行
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