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2011年07月07日

【野球】「道は遠く大きく―王貞治と共に歩んだ“世界”への日々」荒川博さん、王貞治さん

P52
だが、キャンプ中は、ついにこの一本足で打つことができなかった。いくら打たせようとしても足が上がらなかったのである。足を上げようとすると、バットを持った手を後ろへ引っ張ってしまう。足と手がアンバランスになって、足が上がらなかった。
朝晩のバット・スゥイングのときは、まあまあできても、いざボールが来ると、このようにバラバラになってしまい、結局、キャンプでは何も掴めないままオープン戦に突入することになった。
よほどのにちなって、王が、
「あの頃は、こんなことして打てるようになるのだろうかと思ったもんですよ」
と述懐したことがあったが、不安でならなかったのであろう。
それでも、ゲームでは二本足で打ちながら、朝晩の練習では、一本足のスゥイングを続けていた。

P75
よく他人(ひと)から、
”名人上手になるためには、どうしたらいいか”
と聞かれるが、うまくなった人というのは何か、といえば、やはり精神的には人間が素直でなくてはいけないと思っている。
どんなことがあっても素直たること。これであろう。
であるからして、もし、自分がこの先生に習おうと決めたならば、その先生に対しては、絶対に服従しなくてはいけない。私が王と当初約束したのも、この”絶対服従”であった。
王は非常に素直に、私のいうとおりについてきてくれたから、私も教えがいがあったといえる。
絶対服従であるから、当然師を選ぶにも時間もかかり、一生かかっても師はつかまらないかもしれない。ことに、ある程度の技術に達すると、絶対に相譲れないというのが人間である。
そういうときに、一生の師を選んでいれば、何ら迷うことなく素直に聞けるのであるが、そこが分岐点になる。

P108
同時に、改めて損得抜きで、私の修業しているものを、野球界のために残さねばならないと決意を新たにした。
私が酒を許可してから、王はつきあいもあり、ゲームが終わった後、銀座で飲むこともちょくちょくあった。
深夜まで飲んでいて、夜中の二時、三時になって突然私の家へやってきたこともしばしば。
「刀を振りにきました」
といっては、明け方まで刀の素振りをやったり、新聞紙を斬ったりしたものである。
(中略)
王は銀座で飲んでいても、ふと稽古をする気になると、私の家へ時間かまわずやってきた。私もまた、何時にこようが、喜んで迎えたものだ。
(中略)
野球界で合気道に通った者は数多くいる。しかし、みな解釈できずに途中でやめてしまっている。
もし王を直接合気道の道場へ送り込んで修業させたとしても、私が解釈してバッティングに結びつけたようにできたかどうか、これもわからない。万一できたとしても、相当な遠回りになっていたであろうことは十分に考えられる。
私が五年通った後、再び私と同じことを王がはじめたとすれば、私の五年間が無駄になる。
だから私は王には合気道も居合いも、稽古着は一度もつけさせず、トレーニング・パンツだけでやらせた。
私がやり、解釈し、それをわかりやすく教えたつもりである。
王は素直であったし、のみ込みも早かったから、やがては酒を飲んでいても、私の家へ稽古にやってくるようになったのである。
これが本当の意味での師弟の道ではないだろうか。
互いに信頼しあい、いついかなるときでも稽古の心を忘れない。
合気道はどこにいても呼吸さえしていれば稽古はできるのである。王もそれが理解できてきたのが、私にはうれしかった。
このように稽古に明け暮れていた頃の王は、時間さえあれば寝ていた。
三十八年まで王は車を持っておらず、私が送り迎えをしていたが、グラウンドで私が先に車で待っていると、王がやってきて後部座席に乗る。
ファンから、
「王さんのおかかえ運転手」
と間違えられることもあるくらいであったが、王はその後部座席でいつも寝てばかりいたのだった。

「世界の王」の王貞治さんも、最初から一本足でうまく打てたわけではなかった。
また、師匠である荒川博さんの指導を、最初から全面的に肯定していたわけでなく、違和感を抱いていた。
荒川さんは王さんを「素直で、のみ込みが早い」と称されているが、最初は違っていたのではないか。
王さんが荒川さんの指導を拒否せず続けた過程で、そうなっていったのではないか。

なぜ、王さんは、荒川さんの指導を、違和感を抱きながらも、拒否せず続けたのか。
直截的に一番効いているのは、やはり事前に交わした「三年間の絶対服従」の契りだろう。
物事を会得するには、師の言に、一定期間、四の五の言わず絶対服従するのが最上かつ不可欠だ。
しかし、最後の防波堤になったのは、指導者、人間としての荒川さんへの信頼だったのではないか。
自ら定義した指導者としての存在意義やミッションを果たすべく、昼夜の別なく、誰にどう思われようと、後進に最善を尽くす。
そして、後進の微かな成長を自らの大きな喜びとして受けとめる。
王さんは、荒川さんのこうした生き様から信頼を見出されたのではないか。
だから、荒川さんの指導を、違和感を抱きながらも、拒否せず続けたのではないか。

荒川さんは、ファンから「王さんのおかかえ運転手」と間違えられるのが、必ずしも嫌ではなかったのではないか。
自分の指導を真摯に受け入れ、疲れ果てて眠る王さんを運ぶ時間は、当時の荒川さんにとって、数少ない至福の時間だったに違いない。



荒川 博
双葉社
1977-09



kimio_memo at 08:55│Comments(0) 書籍 

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