2011年07月10日
【邦画】「八日目の蝉」(原作:角田光代さん/監督:成島出さん/主演:井上真央さん、永作博美さん)
四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します。
不倫相手の男性宅から乳飲み子を連れ出し、四年間生活を共にした野々宮希和子(演:永作博美さん)は、裁判の最終弁論でこう述べた。
そして、この弁を聞いた乳飲み子の母の秋山恵津子(演:森口瑤子さん)は、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
私は男である。
しかも、妻は居るが、子どもは居ない。
なので、女性の多くが欲し、感じるという「子育ての喜び」というのは、正確には理解していない。
しかし、映画からうかがえた「子育ての喜び」には、違和感を抱いた。
理解はできたつもりだが、共感はできなかったし、共感してはいけない気がした。
なぜなら、それが、「母親として子どもに受容され、肯定評価され、懐かれること」だったからだ。
これは、あまりにも「母親目線」過ぎはしないか。
「子育ての喜び」とは、本来もっと「子ども目線」なものではないか。
たとえば、「子どもが以前よりも自律した個人へ成長した跡を確認できたこと」といったものであるべきではないか。
子どもが「子ども」と称される時期に最優先して果たすべきは、一人で健やかに社会生活が営めるだけの人的基盤を確立することであるはずであり、親が子どもに最優先して果たすべきは、それを確実に見届けることであるはずだ。
そして、もし、自分が親として受容されなくとも、肯定評価されなくとも、懐かれなくとも、子どもが一人の自律した人間として成長すれば、最大、最高の「子育ての喜び」を感じて然るべきだ。
だから、恵津子は、希和子が乳飲み子の我が子を四年間勝手に連れ出し、成長を見届ける機会を奪ったことは非難、憎悪して然るべきだが、乳飲み子を一人の自律した人間に近づけてくれたことは肯定評価、感謝して然るべきではないか。
私たちの多くは、「母性」という言葉で、「子育ての喜び」を勘違いしているのではないか。
昨今、DVをよく見聞きするのは、「子育ての喜び」のこうした誤解が一因ではないか。
子どもは、自分の欲望を満たす愛玩物やペットではなく、その真逆のものだ。
「自分の感情や利益を最優先する人」や「他者の喜びを自分の喜びに置換し難い人」は、親になるべきではない。
★2011年6月19日王子シネマにて鑑賞
http://www.youkame.com/index.html
kimio_memo at 08:34│Comments(0)│
│映画

