【TBS】「がっちりマンデー」平本清さん(株式会社21創業者/相談役)【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の1▲羽生善治名人△森内俊之九段〕心の復興」椎名龍一さん

2011年06月26日

【理研脳科学総合研究センターRIKEN Science Seminar】「IV特別編/将棋プロジェクトのすべて」森内俊之名人、渡辺明竜王

http://twilog.org/kimiohori/date-110625

森内俊之名人、渡辺明竜王のお話は、シンプルだが、いずれも深く、考えさせられるものだった。
とりわけ考えさせられた以下の二つのみ、再掲&コメントしたい。



「誰か」は間違いなく羽生善治さんだろう。(笑)
なぜ、羽生さんは、森内さんや渡辺さんが「既知局面ゆえ考えない」と判断する局面で長考なさるのか。
羽生さんは「長考は『最善手を見つけようとしている』というよりは、『迷っている』状態である」旨以前仰っていたが、「迷っている」のではないだろう。
誤りを怖れず推量すれば、やはり「ベタ読みしている」、正確に言えば、「プロなら第一感で除外してしまう手を鳥瞰的に、積極的に発見し、可能性を直感したものを深く読んでいる」のではないか。
実戦、それも多くはタイトル戦という極限の緊張感と思考力が求められる場に居ることを逆手に、「将棋の、自分の新たな可能性を発見、開拓している」のでは、「将棋の、自分の新たな可能性に対する限界感や絶望を能動的に防いでいる」のではないか。
そして、この徒労を怖れずリスクや不確実性に挑む習性、棋士大勢の逆を行く習性こそが、「比類無い棋風と実績を長きに渡り生み出している」のでは、「羽生さんが長らく羽生さん足り得ている源である」のではないか。



よく「物事に正解は無い」と言うが、これは嘘だ。
物事に正解は有る。
しかし、それは、”その”時点では、人間にはわからない。
だから、「正解は無いものと考え、自分が出す解の精度をできるだけ高くしよう、自分が出した解を正解の如くしかと実行しよう」ということだ。

将棋は、使用する道具が限定的で、相手の情報、手の内も相互に知り得る「完全ゲーム」だ。
森内さんと渡辺さんも仰ったように、正解、つまり、「最善手」は間違いなく有る。
だが、両氏は、いずれもこう仰った。
「将棋は人間には難しい」と。
将棋には、オセロや五目並べとは比較にならない複雑なルールと着手可能性がある。
対局中、人間が最善手を知り得るのは不可能だ、ということだ。
だから、「『”この”手こそ最善手だ』と自分が決心、意思決定するための」、「『”この手”は最善手ではなくても指すべき手だ』と自分が決心、意思決定するための」何かが必要であり、渡辺さんはそれを「個性」と考えられている。

「正解の存在」という現実との決別には、経験値や習性の集まりである「個性」が有効である。
しかし、その有効性は限定的で、過剰依存は逆効果&危険である。
過剰依存の折は、捨てる必要がある。
渡辺さんの「個性論」は真理だと思う。



★2011年6月25日六本木アカデミーヒルズ40にて催行
http://www.riken.jp/r-world/event/2010/sci-seminar/index.html
http://twitter.com/kimiohori/status/84759929642168320



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