2020年12月
2020年12月18日
【ロードバイク】20201218荒川サイクリングロード修行結果
走行時間:2時間05分
走行距離:50.43km
平均心拍数:120bpm(?)
平均ケイデンス:84rpm
平均速度:24.1km/h
最高心拍数:147bpm
最高ケイデンス:110rpm
最高速度:40.7km/h
中4日の「最善プラス1日」のインターバルを経ての修行である。
「最善」をオーバーした近因は、「最強寒波」の居座りである。
報道曰く、新潟や群馬では立ち往生の車が続出している、と。
私は、近年「年寄りの冷や水」を座右の銘(?・笑)としており、「逃げるが勝ち」を目指した(?)次第である。
ちなみに、近年「年寄りの冷や水」を座右の銘にしているのは、頻尿癖の発症が大きい。
修行場の河川敷は、地形的に無風はあり得ない。
強弱はさておき、風は付き物である。
私は寒さ自体は弱くない(というか、どちらがというと強い)。
しかし、「風が足された」寒さは近年別である。
というのも、「風が足された」寒さは頻尿癖を確実かつ不意にドライブするからである。
挙句の尿意切迫感の苦痛は、正に言葉にならない。
「歳を取ることは、制約が増えること」。
これは旧知の経営者の口癖だが、本件を筆頭に(?・苦笑)近年頷かされるばかりである。
タイムは良くなかった。
というか、直近最悪だった。
フォローとアゲインストが入り混じった往路は目標プラマイゼロの48分、基本アゲインストの復路は目標プラス8分の58分、トータルは2時間を大幅に超える2時間5分だった。
当日は先述の「最強寒波」が去った(ため、風も弱かった)というのに、なぜ最悪か。
正直、分からないのだが、それでは「猿でもできる」反省(苦笑)さえできず、無成長かつコスト倒れである。
ついては、以下、苦し紛れ(笑)に自問自答してみる。
往路はパワーが出なかったし、重点取り組みの「ペダルに乗る」こともイマイチできなかった。
で、タイムはさぞ悪かろうと思いきや、なんと48分と50分内に収まり、許容範囲(?)であった。
対して、復路は往路より遥かにパワーが出、「ペダルに乗る」こともマズマズできたが、それにしては車速が伸びなかった。
タイムはやはり悪く、58分ともう少しで1時間に達する勢いであった。
往路はなぜ、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのに、また、風がそうフォローでもなかったのに、車速が伸び、タイムは悪くならなかったのか。
対して、復路はなぜ、パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのに、車速が伸びず、タイムが悪くなったのか。
なぜ、「ペダルに乗る」ことが車速の伸びと連動しなかったのか。
そもそも、「ハンドル、ペダル、サドルへ負荷、体重を適切に分散させ」「ペダルを正しく踏み、回し」たうえで、「ペダルに乗る」ことが正しくイメージ、体現できていたのか。
また、往路、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのは、恒例といえば恒例だが、根因は本当に身体が温まっていなかったからか。
先ず、往路、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのは、中4日とインターバルが長かったからではないか。
サイクリングがダイエットに効く一因は、日常使っていない筋肉(体系)を高効率で使えるからであり、逆に考えれば、インターバル、日常が長くなると、折角使ったサイクリングに必要な筋肉が良くも悪くも元通りになってしまう、挙句、前回半会得した「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまう、のではないか。
もし、これが真なら、やはりインターバルは、極力最善プラス1日の3日に留めるべきなのだろう。
そして、「ペダルに乗る」ことがマズマズであるも車速が伸びない時は、「ペダルに乗る」ことが正しくできていないと思い直し、車速が伸びるまで様々試行錯誤すべきなのだろう。
また、私は、初老とはいえ現役社会人である。
インターバルのマネジメントが限定的であるからして、「ペダルに乗る」ことを一日も早く重点取り組みでなくする、つまり、「半」ではなく「完全」に会得すべきなのだろう。
インターバルが思いの外長くなり、「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまわないように。
復路は、パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのに、車速、タイムが伸びなかったのは、「ペダルに乗る」ことが正しくできなかったからだけではないのではないか。
根本的にはリカバリが不全で、筋肉疲労が蓄積しているから、つまり、身体がオーバーワーク状態だから、ではないか。
パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのは、錯覚ではないか。
前日と前々日の就寝中、日中修行をしていないのに足がツリかけたのは、蓄積した筋肉疲労の表れではないか。
もし、これが真なら、現実的かつ持続的に実行可能な解決行動は「8時間以上の質量十分な睡眠の励行」以外、今思い浮かばない。
無論、これはリカバリの「質」を高めるアプローチであり、「量」を高めるそれもなくはない。
しかし、それはインターバルを長く取ることにほかならず、その場合、先述の[「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまう]リスクを高めるのではないか。
以上、苦し紛れの自問自答がいよいよ苦しくなってきたので(笑)、当座以下を留意、努力事項とする。
【1】[風の向きと強さ]と[「ペダルに乗る」ことができている感]に対し車速の伸びが悪い時は、「ペダルに乗る」ことが正しくできていない旨改心し、「ハンドル、ペダル、サドルへ負荷、体重を適切に分散させる」こと、ならびに、「ペダルを正しく踏み、回す」ことと併せて、正しく「ペダルに乗る」ことを改めて試行錯誤する。
【2】インターバルは3日以内に留める。
【3】「8時間睡眠」は日中修行をしていない日も試みる。
ただ、タイムは悪かったが、「股擦れ」も「手のしびれ」も全く発症しなかった。
身体が温まった後半の復路は良いとしても、身体が温まっておらず、運転姿勢とペダリングが不安定な前半の往路がなぜ無発症だったかは謎である。
単に、寒さ対策としてタイツを今季初着用したのが効いただけかもしれない。(苦笑)
帰宅前にハプニングがあった。
一旦帰宅後、そのまま買い物に出かけたのだが、不意に転び、左膝を痛打してしまった。(涙)
幸いにも、就寝中も翌日の午前中もいつも以上の後遺症はなかったが、さすがに患部の痛みと違和感は絶賛残存中である。
先述の「インターバルは3日以内に留める」は、早くも黄色信号である。
走行距離:50.43km
平均心拍数:120bpm(?)
平均ケイデンス:84rpm
平均速度:24.1km/h
最高心拍数:147bpm
最高ケイデンス:110rpm
最高速度:40.7km/h
中4日の「最善プラス1日」のインターバルを経ての修行である。
「最善」をオーバーした近因は、「最強寒波」の居座りである。
報道曰く、新潟や群馬では立ち往生の車が続出している、と。
私は、近年「年寄りの冷や水」を座右の銘(?・笑)としており、「逃げるが勝ち」を目指した(?)次第である。
ちなみに、近年「年寄りの冷や水」を座右の銘にしているのは、頻尿癖の発症が大きい。
修行場の河川敷は、地形的に無風はあり得ない。
強弱はさておき、風は付き物である。
私は寒さ自体は弱くない(というか、どちらがというと強い)。
しかし、「風が足された」寒さは近年別である。
というのも、「風が足された」寒さは頻尿癖を確実かつ不意にドライブするからである。
挙句の尿意切迫感の苦痛は、正に言葉にならない。
「歳を取ることは、制約が増えること」。
これは旧知の経営者の口癖だが、本件を筆頭に(?・苦笑)近年頷かされるばかりである。
タイムは良くなかった。
というか、直近最悪だった。
フォローとアゲインストが入り混じった往路は目標プラマイゼロの48分、基本アゲインストの復路は目標プラス8分の58分、トータルは2時間を大幅に超える2時間5分だった。
当日は先述の「最強寒波」が去った(ため、風も弱かった)というのに、なぜ最悪か。
正直、分からないのだが、それでは「猿でもできる」反省(苦笑)さえできず、無成長かつコスト倒れである。
ついては、以下、苦し紛れ(笑)に自問自答してみる。
往路はパワーが出なかったし、重点取り組みの「ペダルに乗る」こともイマイチできなかった。
で、タイムはさぞ悪かろうと思いきや、なんと48分と50分内に収まり、許容範囲(?)であった。
対して、復路は往路より遥かにパワーが出、「ペダルに乗る」こともマズマズできたが、それにしては車速が伸びなかった。
タイムはやはり悪く、58分ともう少しで1時間に達する勢いであった。
往路はなぜ、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのに、また、風がそうフォローでもなかったのに、車速が伸び、タイムは悪くならなかったのか。
対して、復路はなぜ、パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのに、車速が伸びず、タイムが悪くなったのか。
なぜ、「ペダルに乗る」ことが車速の伸びと連動しなかったのか。
そもそも、「ハンドル、ペダル、サドルへ負荷、体重を適切に分散させ」「ペダルを正しく踏み、回し」たうえで、「ペダルに乗る」ことが正しくイメージ、体現できていたのか。
また、往路、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのは、恒例といえば恒例だが、根因は本当に身体が温まっていなかったからか。
先ず、往路、パワーが出ず、「ペダルに乗る」ことがイマイチだったのは、中4日とインターバルが長かったからではないか。
サイクリングがダイエットに効く一因は、日常使っていない筋肉(体系)を高効率で使えるからであり、逆に考えれば、インターバル、日常が長くなると、折角使ったサイクリングに必要な筋肉が良くも悪くも元通りになってしまう、挙句、前回半会得した「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまう、のではないか。
もし、これが真なら、やはりインターバルは、極力最善プラス1日の3日に留めるべきなのだろう。
そして、「ペダルに乗る」ことがマズマズであるも車速が伸びない時は、「ペダルに乗る」ことが正しくできていないと思い直し、車速が伸びるまで様々試行錯誤すべきなのだろう。
また、私は、初老とはいえ現役社会人である。
インターバルのマネジメントが限定的であるからして、「ペダルに乗る」ことを一日も早く重点取り組みでなくする、つまり、「半」ではなく「完全」に会得すべきなのだろう。
インターバルが思いの外長くなり、「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまわないように。
復路は、パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのに、車速、タイムが伸びなかったのは、「ペダルに乗る」ことが正しくできなかったからだけではないのではないか。
根本的にはリカバリが不全で、筋肉疲労が蓄積しているから、つまり、身体がオーバーワーク状態だから、ではないか。
パワーが出、「ペダルに乗る」ことがマズマズだったのは、錯覚ではないか。
前日と前々日の就寝中、日中修行をしていないのに足がツリかけたのは、蓄積した筋肉疲労の表れではないか。
もし、これが真なら、現実的かつ持続的に実行可能な解決行動は「8時間以上の質量十分な睡眠の励行」以外、今思い浮かばない。
無論、これはリカバリの「質」を高めるアプローチであり、「量」を高めるそれもなくはない。
しかし、それはインターバルを長く取ることにほかならず、その場合、先述の[「ペダルに乗る」ことを身体が忘れてしまう]リスクを高めるのではないか。
以上、苦し紛れの自問自答がいよいよ苦しくなってきたので(笑)、当座以下を留意、努力事項とする。
【1】[風の向きと強さ]と[「ペダルに乗る」ことができている感]に対し車速の伸びが悪い時は、「ペダルに乗る」ことが正しくできていない旨改心し、「ハンドル、ペダル、サドルへ負荷、体重を適切に分散させる」こと、ならびに、「ペダルを正しく踏み、回す」ことと併せて、正しく「ペダルに乗る」ことを改めて試行錯誤する。
【2】インターバルは3日以内に留める。
【3】「8時間睡眠」は日中修行をしていない日も試みる。
ただ、タイムは悪かったが、「股擦れ」も「手のしびれ」も全く発症しなかった。
身体が温まった後半の復路は良いとしても、身体が温まっておらず、運転姿勢とペダリングが不安定な前半の往路がなぜ無発症だったかは謎である。
単に、寒さ対策としてタイツを今季初着用したのが効いただけかもしれない。(苦笑)
帰宅前にハプニングがあった。
一旦帰宅後、そのまま買い物に出かけたのだが、不意に転び、左膝を痛打してしまった。(涙)
幸いにも、就寝中も翌日の午前中もいつも以上の後遺症はなかったが、さすがに患部の痛みと違和感は絶賛残存中である。
先述の「インターバルは3日以内に留める」は、早くも黄色信号である。
2020年12月16日
【洋画】「沈黙 -サイレンス/Silence」(2016)
[ひと言感想]
私が入学した大学はキリスト教のそれで、「キリスト教概論」が必修科目だった。
私は信者ではなかったが、当時主人公と同様の問題意識を抱き、担当教授に以下の旨噛み付いた、もとい(笑)、個別質問したことがある。
「神が実際に存在するなら、なぜ実際、不条理かつ不可抗力の辛苦から信者を救わないのか」。
記憶が正しければ(笑)、教授の回答は以下の旨である。
「個人の辛苦は、理由の如何を問わず全人類的、全宇宙的に見れば目くそ鼻くそ、かつ、知れており、神に個別救済されるべきものではない」。
若い私は当然得心できず、更に反駁したが(笑)、老成の境に入り始めた今、成る程言い得て妙に思う(し、こんな無礼かつ屁理屈屋の私に上から二番目の「A」の履修成績を恵んだ教授に最敬礼するばかりである)。
そうである。
人生を切り開くのは自助努力以外なく、そのモチベーションとシステムは、人生と同様「いろいろ」在って然るべきである。
続きを読む
私が入学した大学はキリスト教のそれで、「キリスト教概論」が必修科目だった。
私は信者ではなかったが、当時主人公と同様の問題意識を抱き、担当教授に以下の旨噛み付いた、もとい(笑)、個別質問したことがある。
「神が実際に存在するなら、なぜ実際、不条理かつ不可抗力の辛苦から信者を救わないのか」。
記憶が正しければ(笑)、教授の回答は以下の旨である。
「個人の辛苦は、理由の如何を問わず全人類的、全宇宙的に見れば目くそ鼻くそ、かつ、知れており、神に個別救済されるべきものではない」。
若い私は当然得心できず、更に反駁したが(笑)、老成の境に入り始めた今、成る程言い得て妙に思う(し、こんな無礼かつ屁理屈屋の私に上から二番目の「A」の履修成績を恵んだ教授に最敬礼するばかりである)。
そうである。
人生を切り開くのは自助努力以外なく、そのモチベーションとシステムは、人生と同様「いろいろ」在って然るべきである。
出演:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形
監督:マーティン・スコセッシ
監督:マーティン・スコセッシ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02
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