2019年10月

2019年10月04日

【人生訓】「友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」」平尾誠二さん

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第3章
平尾誠二×山中伸弥「僕らはこんなことを語り合ってきた」
テーマ3 人を叱る時の四つの心得

チームワークは「助け合い」じゃない

山中
ラグビーはチームプレーを考える必要がありますね。それがきちっとできるチームが強くなっていく。

平尾
そうですね。

山中
僕は中学時代から八年間柔道をやって、ラグビーをやったのは大学時代のわずか三年間。そのあとはトライアスロンやマラソン、趣味でちょっとゴルフをしたりと個人競技ばかりだから、「自分さえ頑張れば」っていう気持ちがあるんです。

平尾
僕の勝手な考えですけど、ラグビーはチーム競技か個人競技かっていった時に、実は個人競技の部分が圧倒的に多いと思うんです。
たとえば、チームワークという言葉の概念を日本人に訊くと、だいたいの人は「助け合い」ときれいに回答しはるんですね。どっちかというと美しく語る。でも、チームワークというのは、実はもっと凄まじいものやと思うんですいちばん素晴らしいチームワークは、個人が責任を果たすこと。それに尽きるんですよ。

山中
なるほど。

平尾
そういう意識がないと、本当の意味でのいいチームはできない。もっと言うと助けられている奴がいるようじゃチームは勝てないんです

山中
それはそうですね。

平尾
助けられている奴がいるってことは助けている奴がいるわけです。その選手は、もっと自分のことに専念できたら、さらにいい仕事ができるんです。
強い時のチームっていうのは、助けたり助けられたりしている奴は一人もいない。どの選手も、プロフェッショナルとしての意識が非常に高くて、本当に貪欲に挑み続けて、できなかったらそのことに対して最大限の努力をしていく。それが、一人一人の選手が持たなきゃいけないチームワークとしての姿勢だと思うんです。

山中
なるほど。

平尾
それがなくなってきた時に、チームとしては弱体化しはじめるんです。甘えはよくない。プロフェッショナルな気持ちを持つことが大事。だから強いチームって、意外に一人一人が仲いいことはないんですよ。日常的には一人一人が自分のペースをしっかり持っていて、普段はそんなにベタベタ仲良くしてないんだけれども、いざという時には、ある目的に関してプロフェッショナルな仕事をするという意味でね。

山中
僕はそういうレベルに到達する前にラグビーやめちゃったんですけど。
神戸大学医学部ラグビー部にはなくて神戸製鋼ラグビー部にあるのは、一人一人がトライするためにいちばん確率が高いプレーは何なのかを、自分で判断していることだと思うんです。自分がこのままボールを持って突っ走るほうがトライの確率が高いか、そこで仲間にパスを出すほうが確率が高いか、そういうことを判断できる人が神戸製鋼には十五名集まっている。

平尾
その通りですね。

山中
僕はその確率を考えず、目の前にボールがあったら死んでも放さない、俺がトライするんやということから脱却しないままにラグビーをやめたので、本当の意味でのラグビーをしていなかった。トライしたのに、バックスの人によく怒られましたよ。
僕からすれば、いちばんゴール近くにいるのはモールでガーッとやっている自分だから、パスを送ってぽろっと落とされるくらいなら、このまま自分がトライに行くほうが確率が高いと思うわけです。だから僕らのチーム、フォワードとバックスがよく言い合いをしていました。

平尾
あまりバックスの連中を信用しなかったんですね

山中
パスしたら落とすんですもの。プレーしてない時には、他の人がトライに行くほうが確率が高そうな時はボールを渡すべきだと思うんですが、いざボールを持ったら放さない。僕のラグビー、それで終わってしまって。すいません、レベルが低くて。

平尾
いやいや、ぜんぜん。そういうプレイヤーもいないと突破できないっていうのは、確かにあるんですよ。チームのバランスもあるよね。皆が球を回してばっかりでもいかんし、どんな状況でも瞬時に判断して一歩でも前に出てやるっていう奴が一人が二人か三人いないと、チームのバランスはよくないと思いますね。

「強いチームの要件は『チームワーク』による勝率の最大化であり、『チームワーク』の要件はメンバー個人の最善努力と信頼担保である。『助けられている奴』は『助けている奴」を必要とし勝利を妨げる『チームワーク』の本質は自己責任の完遂であり、『助け合い』はその挙句(の表層的事象)に過ぎない」。
平尾誠二さんのチームワーク論は尤もだが、なぜ「チームワーク」は「助け合い」と凡そ誤解、周知されているのか。
近因は、「スクールウォーズ」もとい(笑)、日本人が本意、不本意を別に「ソトヅラが良く」、「キレイゴトの好きな」人種であることなのだろうが、根因は、土居健郎さんが説いた我々の過剰な「甘え(受身的対象愛)」ではないか。
「甘え」は禁断の果実である。




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kimio_memo at 07:34|PermalinkComments(0) 書籍