2019年09月
2019年09月25日
【経営】「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」宮本茂さん
P177
第六章 岩田さんを語る。
宮本茂が語る岩田(聡)さん
(前略)
新しいことに名前をつけた
岩田さんが任天堂の社長になってからはじめたいいことはたくさんあるんですけど、そのひとつが、いろんな新しい制度や仕組みをつくって、それに「名前をつけた」こと。
たとえば、新しいハードをつくるときは、部署を横断するようなチームをつくるんですけど、岩田さんはそれに「車座」という呼び名をつけたんですね。その名前があることで、いろんな部署の人が集まって話すということが、みんなに肯定的にとらえられる。きっちりとした組織図はないけど場があることはわかりますし、たとえば人事部の人がそこに絡んでもいい、ということが伝わる。名前をつけることで、役割をみんなに自然とわからせる。
そういうことって、もともとは岩田さんが尊敬していた糸井重里さんが得意にしていることで、たぶん、岩田さんはそれを応用していたんだと思います。ぼくもそれはいいなって思って、いまでもちいさな集まりや定例会議に名前をつけたりしてますよ。いい名前をつけると、会議や組織が放っておいても動くようになるんですよね。
なにかを決めたりはじめたりするときに、ひとりで全部を動かすんじゃなくて、集まりや仕組みに客観的な名前を与えて組織のなかにそれをはめていく。そういうことが岩田さんはすごくうまかったですね。
組織のことだけでなく、商品の名前をつけるときも、岩田さんはすごく考える人で、たとえばWiiを出したときは、コントローラーを「Wiiリモコン」と呼ぶことにすごく意味を感じていた。これまでゲームを触ったことがない人のために、正式名称として「リモコン」ということばをつかうべきだって、ずっと言ってたんですね。同じように、はじめての人にもわかりやすいように、Wiiのソフトには『Wii Sports』『Wii Fit』のように「Wii」という文字をタイトルに入れようと言ってたのも岩田さんです。一方で、「3DS」ではそれはやらない、とかね。
名前をつけるにしても、だいたいの法則でざーっと決めるのではなく、ひとつひとつ、その名前はどうあるべきかというのを考える人でした。
岩田さんは、物事をまとめたり、整理したりする能力がずば抜けているんですよね。正確だし、速い。名前をつけるときも、ネーミングのセンスというよりは、こうであったほうがわかりやすい、伝わりやすい、ということをいつも意識していたと思います。
あと、読解力も優れていて、人のプログラムを読むのが速いんですね。自分でプログラムする力も当然あるんですけど、人のプログラムを読んで理解することに長けている。だから、直したり書き換えたりということがすぐにできる。それはたぶん、推理する力があるというか、プログラムをこう書いたのはこうしたかったんだろう、というようなことを理解するのが楽しかったんじゃないかなと思うんです。勉強熱心というよりも、そのこと自体が好き、という感じ。
(後略)
本と会議とサービス精神。
岩田さんが任天堂の社長になってからHAL研究所にいたときと大きく変わったのは、ビジネスに関する本を読むようになったことです。時間のないなかでたくさんの本を読んで、いい本があるとみんなに薦めるんです。ぼくはあんまり本を読むタイプじゃないんですけど、それでも岩田さんが強く薦める本は読むようにしてました。
岩田さんの読み方というのは、本のなかにヒントを求めるのではなくて、ふだん考えていることの裏付けを得たり、自分の考えを本を通して人に伝えたりするために役立てているような感じでした。任天堂がやっていることはなんなのかと、いま会社がどういう状況に置かれているのかということをつねに考えていて、本のなかに自分が考えていたのと同じことが書いてあると自分の確信がより強くなる。その本を社員に薦めて読んでもらえれば、自分の考えも説明できて、社内の意思統一も図れる。そういうふうに本を役立てていました。本を何冊も買って近くの人に配ることもあったし、社員全員に推薦図書を伝えることもありました。
薦められた本のなかでぼくが印象深く憶えているのは、行動経済学にまつわる本ですね。岩田さんに教えてもらうまでぼくはそういう分野があることさえ知らなかったんですけど、読んでみると「なるほど、ぼくらがやっているのはこういうことか」って、すごく納得がいくんです。岩田さんもかなり傾倒していたようで、あっという間にたくさんの本を読んで理解を深めていました。で、会うと、「任天堂がやっているのはこういうことなんです」とか、「宮本さんの考え方はこれに近いです」とか言って、すごくわかりやすく説明してくれる。もう、そういう本が自分で書けるんじゃないかと思うくらいでしたね(笑)。
本のほかに、岩田さんが社長として大事にしていたのが会議でした。「ファシリテーター」っていう役割の大切さも岩田さんがいち早く社内に浸透させた。
ファシリテーターって、ようするに会議を健全に運営する人で、その場にクリエイティブが足りなかったらクリエイティブを足すし、クリエイティブがたくさんあり過ぎたらまとめるほうに回る。つまり、それぞれに会議のプロデューサーなんですね。「その会議で答えを出そうとほんとうに思っている人(ファシリテーター)」がいることがどんな会議にとっても大事なんだということを、社内に説いて回ってました。ときには、「あなたがこのチームのファシリテーターになりなさい」ってピンポイントな指名をしたり、おもしろいもので、そうやってちゃんと指名されると、意識って芽生えていくんですよね。
そういうふうにして岩田さんが社内に浸透させたものはいまもたくさん会社のなかに活きてます。とにかく岩田さんは自分が紹介したもので会社がうまく回るようになることがすごく好きだったんです。それは社長の仕事というよりも、ある種のサービスに近かったかもしれない。「おかげで捗るようになりました」とか言われるのが大好きだったんです。
「見える化」と全員面談
また、岩田さんは、社長の自分や会社の取締役たちがこんなふうに考えていろんなことを決めているんだということを、積極的に社員に知らせるようにしていました。「見える化」というキーワードをよくつかっていて、任天堂の経営も「見える化」しようとしていたんです。
それは、議事録を流したり重要な会議を公開するというようなことだけではなくて、社員が興味を持つようなイベントを企画したり、共感できる社外のゲストを呼んで社員の前で対談しいたり、さまざまな情報の共有自体を各自がたのしめるようにいろいろと工夫していました。
たとえば、ある取締役会のときに、並べている机と椅子の一角をどかして大きなテレビを設置するんですね。そこでふだんゲームを遊ばないような工場長とかに新しいスポーツゲームを体験してもらう。そうするとすぐにおもしろさが伝わって、工場長ももう汗びっしょりになって、「ああ、これはたくさんつくらなあかんわ」みたいなことになる。そういうふうに、いろんなことをおもしろく共有する仕組みをつくることに気を配っていましたね。
その意味では、岩田さんが大事にしていたのは、一対一の面談ですね。
面談はHAL研究所にいたときからやっていましたから、岩田さんのなかでとても優先順位の高いことだったと思うんですけど、社長に就任したときは、企画開発部の社員全員と面談をやりました。たぶん、200人以上いたと思いますけど。
それは面談というシステムを社内のルールにしたわけではなくて、あくまで岩田さん個人の運営方針としてやっていた感じでした。これまでに話してきたほかのこともそうですけど、やったり、岩田さんは「そういうことが好きでやっている」んですね。だから、みんな納得がいくし、やらされているというような意識がない。そういうことを通じて各自が自分で考えるようになるというのが、岩田さんの目指していたことだったんだろうと思います。
岩田さんが怒ることですか(笑)?なかったですねぇ。少なくとも声を荒げるようなことはなかったです。もちろん、厳しさはありますけれどね。
たとえばなにかのトラブルがあってお客様をお待たせしてしまっているようなときに、そのトラブルが起こったこと自体についてよりも、「いま、お客様に説明ができていない」ということについて厳しかった。
これはぼくと岩田さんに共通することなんですけど、本質的にはなにも解決していないのに自分だけは「そつなくやってます」みたいなことに対して腹が立つんですね。社内とか自分の周囲に関してはそつなくやってるんだけど、当事者にとっては解決してなかったり逆に不安を与えていたりする。「社内外の調整をやってからじゃないとなにも言えません」みたいなことでお客様をお待たせしていうようなときに岩田さんは怒ってたし、ぼくも、それは怒りますよ(笑)。
今や真夏、ネクタイ着用のサラリーマンはめっきり減ったが、それは「クールビズ」という「施策」以上に、周知、オーソライズ容易にネーミング(言語集約)されていること、即ち、その「呼び名」、「名前」のお陰である。
つまり、「クールビズ」の一言が、サラリーマン諸氏の社内外は勿論、家族、友人、近隣住民(笑)にも「説明ができ」、かつ、「支持され」ているから、という訳である。
このように本来の意味での「アカウンタビリティ(accountability)」を担保すべく、わかり易い「名前」をつけ、「お墨付き」を与えるのは、新しい思考、行動を社会的に奨励する有効解であり、常套手段でもある。
本書を読了するに、岩田さんは「アカウンタビリティ」の人である。
そして、「『説明ができていない』、『伝わらない』思考、行動は、他者(社会)の支持が得られないのは勿論、有害である」との信念、自戒のもと、新設した制度や仕組みにわかり易い「名前」をつけ、自説の別表現書籍を社員に薦め、経営を「見える化」し、企画開発部員全員と「一対一の面談」をしたに違いない。
今尚、岩田さんが社内外で思慕されるのは「アカウンタビリティ」の人だったからである。
2019年09月20日
【政治/経済】「ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来」小島健志さん
P270
第4章 AI時代でも活躍できる子を育むためにエストニアは何をしているのか?
ーー教育をデジタル化する。
エストニア初のデジタルロイヤーが語る「弁護士は今後どう変わるのか」
「英国で私たちの事業の認可が下りたのよ」
紙の許可証を手にくんくんと匂いをかぐそぶりを見せるカイディ(・ルーサレップCEO)。電子化された世界で生きる彼女たちにとって、インクの匂いはむしろ珍しい。金融の本場である英国の規制を乗りこえたことで、また一段と彼女たちのサービスの規模は広がるだろう。
(カイディの経営する)ファンダービームは、2013年に設立、証券取引所のあり方を根本から変えるスタートアップだ。これまでは、一部の投資家やベンチャーキャピタルから相対取引で出資を得るか、株式公開をして証券取引所を介して不特定多数の人から資金を得るかといったように、資金調達の選択肢は限られていた。
そこに、ファンダービームがブロックチェーン技術の仕組みを導入し、クラウドファンディング型で資金を集め、そして株式のように流動化できるようにした。つまり、スタートアップの資金調達をより多様化したのである。
だが、そんな証券市場の既存の枠組みを壊そうとしているカイディ自身が、実は体制側の人物だった。
カイディは、ファンダービーム創業前に、エストニアの電子政府を支えた法律家として活躍していた。エストニアとして初めてデジタル分野専門の法律家として、2000年には「電子署名法」を書いている。
これは、第1章でも述べたように、エストニアのビジネスを紙から電子へと大きく変えた法律である。しかも彼女はその後、証券取引所ナスダック・タリンの代表も務めた。つまり、国の法整備に携わり、そして証券取引所そのものを運営してきたのだ。
そんな彼女が法律家として生きていくのではなく、起業家として新しい証券取引所のモデルを考え、その道を切り拓いている。
エストニアでは、電子化によって法律家に何がもたらされたのか。カイディの答えは明快だ。
「私たちがよりスマートになるように、背中を押して(プッシュして)くれたのよ」
エストニアでは、訴訟の手続きも電子化が進み、書面作成の作業は効率化が進んでいる。今後訴訟用の書面を「書く」という仕事も、ほとんどテンプレート化されていくだろうし、基本的な相談内容はAIが答えていくだろう。なぜならば、法律は定型化されているからだ。
これまで機械化といえば、 人手のかかる工場や店舗などのいわゆるブルーカラー領域だと見られていた。だがAI・ロボット化は、ホワイトカラー領域にもそれが及ぶことを意味する。ブルーカラーかホワイトカラーかが問題ではなく、作業が定型化されているかどうかで考えるべきであるからだ。
従って、会計士や弁護士といった士(サムライ)業だけでなく、「高級職のルーティン作業」と言われていた仕事も、容赦なくAI・ロボット化の対象になる。
たとえば、新聞記者の仕事の1つである「短信を書く」作業がそうだ。資料を読み短い記事を書く仕事は、定型化されているため、AIの入り込む余地がある。すでに決算短信記事はAI化されはじめている。会見の書き起こしやプレスリリースの短信記事なども、間もなく人がやる仕事ではなくなるだろう。
経理や事務、人事、営業であっても、定型化・ルーティン化した仕事であれば、いつの間にかその仕事はなくなるに違いない。
そんな中、カイディのような人たちは、われわれよりも先の時代を生き、ライフシフトを果たしたのだ。「AIやロボットに雇用を奪われる」と悲観的な未来を描く前に、より人間にしかできないことは何かを考え、知識をアップデートし、時間と場所の制約を超えて、新しいキャリアを開拓することだ。
第3章で登場したアグレロのハンド(・ランドCEO)もそうだ。単なる弁護士業務や法律業務は、難解ながらも定型化された仕事の多くで成り立っていたことに気づいた。それを自動化していくことは、コードを書ける彼らからしたら、むしろ当然の流れで、その上で自身のキャリアを決めたのである。
「『AIに仕事を奪われる』か否かの分水嶺は、従事職がブルーカラーかホワイトカラーかではなく、遂行作業が定型化、ルーティン化されているか否か」との小島健志さんの指摘は尤もだが、そもそも我々人間はなぜ、作業を定型化、ルーティン化したがるのだろう。
やはり、根因は「『リソース消費最小化』の性癖」だろう。
「頭を使うこと」はとりわけ心身のリソース消費が多く、「生存」確率を担保するには、消費を最小化するのが有効である。
しかして、生き物として性癖的に、遂行すべき作業を極力「頭を使わなくて済むよう」定型化、挙句、ルーティン化するのだろう。
人間はとかく「楽をしたがる」生き物だが、それには相応の、否、命懸けの、訳がある。
ただ、この「生存」確率を担保する性癖が、AIの台頭により、かえって「仕事」という「生存の糧」を、挙句、「生存」確率を危うくするのだから、文明の進化は皮肉である。
プロの将棋は、序盤から中盤の初め迄が定型化された「定跡型」と、定型化されていない、羽生善治の言う「未舗装の、羅針盤の効かない『獣道』」が終始する「力戦型」に大別され、今トッププロの間で主流なのは後者である。
なぜか。
後者は、一手の悪手が即「命取り」、「敗戦」に直結するため、「神経戦」必至、かつ、棋士としての根源的な棋力、実力を要求するからである。
AIが我々に要求しているのは、「生存の糧」以上の仕事における「『獣道』当然視の性癖」、そして、人間としての実力の向上である。