2018年08月
2018年08月30日
【洋画】「ベニスに死す/Death in Venice」(1971)
[ひと言感想]
説明不要の自然美を前に、傷心かつ絶賛自己否定中の老芸術家は、恋慕以外なかったということか。
「どこまで行くかは才能の差。いつまで持つかは修行の差」。
こう青野照市九段は言うが、「レジェンド」からすると自然の恵みとの対比は、挽回不能で酷過ぎるということか。
人間は自然に恵まれ、そして、復讐される定めなのか。
説明不要の自然美を前に、傷心かつ絶賛自己否定中の老芸術家は、恋慕以外なかったということか。
「どこまで行くかは才能の差。いつまで持つかは修行の差」。
こう青野照市九段は言うが、「レジェンド」からすると自然の恵みとの対比は、挽回不能で酷過ぎるということか。
人間は自然に恵まれ、そして、復讐される定めなのか。
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドルセン
監督:ビョルン・アンドルセン
監督:ビョルン・アンドルセン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-01-17
2018年08月27日
【洋画】「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン/Catch Me If You Can」(2002)
[ひと言感想]
嘘とは何か。
不都合な真実の最適化であり、困難な希望の限定的達成である。
嘘はなぜまかり通るのか。
「敢えて騙される」人が居るからである。
検事で愛妻家のロジャーがフランクに敢えて騙されたのは、理想の家族像、掴みかけた夢を叶えたかった、壊したくなかったからである。
当の箱入り娘以上に。
供給、存在は需要、受容の要請である。
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嘘とは何か。
不都合な真実の最適化であり、困難な希望の限定的達成である。
嘘はなぜまかり通るのか。
「敢えて騙される」人が居るからである。
検事で愛妻家のロジャーがフランクに敢えて騙されたのは、理想の家族像、掴みかけた夢を叶えたかった、壊したくなかったからである。
当の箱入り娘以上に。
供給、存在は需要、受容の要請である。
出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス
監督:スティーブン・スピルバーグ
パラマウント
監督:スティーブン・スピルバーグ
パラマウント
2018-03-27
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2018年08月24日
【洋画】「ゼロ・ダーク・サーティ/Zero Dark Thirty」(2012)
[ひと言感想]
「アカウンタビリティ(accountability)」という言葉がある。
凡そ「説明責任」と訳されるが、誤りである。
というか、日本には相当の概念、行動習慣が無く、ひと言で訳せないのである。
なぜ、日本には相当の概念、行動習慣が無いのか。
少なくとも、日本が長らく単一の民族と共通の価値観でしめられ、個人の行動の趣旨、および、理屈を他者へ合理的に理解せしめずとも済んだのと、また、かつて「職人」を数多輩出していたのと、無関係ではなかろう。
マヤの分析を上司が長らく抹殺したのは、それがアカウンタビリティに乏しく、採用の暁には自分の地位を危うくしかねないからである。
マヤは職人なのである。
結局、職人がアカウンタビリティの聖地を救うとは、所詮、アカウンタビリティは保険、アリバイ作りなのだろうか。
「アカウンタビリティ(accountability)」という言葉がある。
凡そ「説明責任」と訳されるが、誤りである。
というか、日本には相当の概念、行動習慣が無く、ひと言で訳せないのである。
なぜ、日本には相当の概念、行動習慣が無いのか。
少なくとも、日本が長らく単一の民族と共通の価値観でしめられ、個人の行動の趣旨、および、理屈を他者へ合理的に理解せしめずとも済んだのと、また、かつて「職人」を数多輩出していたのと、無関係ではなかろう。
マヤの分析を上司が長らく抹殺したのは、それがアカウンタビリティに乏しく、採用の暁には自分の地位を危うくしかねないからである。
マヤは職人なのである。
結局、職人がアカウンタビリティの聖地を救うとは、所詮、アカウンタビリティは保険、アリバイ作りなのだろうか。
出演:ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー
監督:キャスリン・ビグロー
監督:キャスリン・ビグロー
Happinet(SB)(D)
2014-06-03
2018年08月22日
【経営/自伝】「シュードッグ(SHOE DOG)」フィル・ナイトさん
P79
最初の在庫を完売
私の販売戦略は至ってシンプルで、自画自賛している。数軒のスポーツ用品店に断られたが(坊や、この業界ではトラックシューズはもういらないよ)、私は大西洋岸の北西部を走り、さまざまな陸上競技会に向かった。レースの合間にコーチ、ランナー、ファンらと談笑し、それからシューズを見せる。反応は決まって上々で、注文が間に合わなかった。
ポートランドまでの帰りに、私は商売が突然軌道に乗った理由について考えた。百科事典は売れなかったし、軽蔑もしていた。ミューチュアルファンドの売り込みはまだマシだったが、内心では夢も希望もなかった。シューズの販売はなぜそれらと違ったのだろうか。セールスではなかったからだ。私は走ることを信じていた。みんなが毎日数マイル走れば、世の中はもっと良くなると思っていたし、このシューズを履けば走りはもっと良くなると思っていた。この私の信念を理解してくれた人たちが、この思いを共有したいと思ったのだ。
信念だ。信念こそは揺るがない。
私のシューズ欲しさに、手紙や電話で、タイガーのことを聞いてぜひ履いてみたいから、着払いで至急送ってくれと言ってくる人もいた。こうして自然と、メールオーダーのビジネスが生まれた。
家を訪ねてくる人もいた。数日ごとに夜ベルが鳴り、父がブツブツ言ってリクライナーから立ち上がりテレビを消して、いったい誰だといぶかしがる。玄関には、やせっぽちで妙に足に筋肉が付いた若者がいて、怪訝そうな目つきでそわそわと、ドラッグに溺れる薬物中毒者のような佇まいだ。「バックはいますか」と言う。父は台所から私の部屋まで知らせに行く。私は彼を中に通してソファーに案内し、彼の前に跪いて足を測る。父はポケットに手を入れたまま、信じられないといった様子でやり取りを観察するのだ。
家を訪ねてきた人から人へとうわさを呼び、友人のまた友人へと口コミで広がった。何人かには宣伝用にと地元の印刷所で作ったビラを渡した。上には大きな字で「フラットシューズ最高のニュース。日本がヨーロッパの独占市場にチャレンジ」と書いてある。それからこう続く。「人件費を抑えて、新会社はこのシューズを6.95ドルの低価格で提供します」。下には私の住所と電話番号がある。これをポートランド中に配った。
(後略)
P499
ビジネスとは
”ビジネス”という言葉には違和感がある。当時の大変な日々と眠れぬ夜を、当時の大勝利と決死の闘いを、ビジネスという無味乾燥で退屈なスローガンに押し込めるには無理がある。当時の私たちはそれ以上のことをしていた。日々新たに50の問題が浮上し、50の即断を迫られていた。1つでも見切り発車をしたり、判断を誤れば終わるのだと常に痛感していた。
失敗が許される範囲はどんどん狭くなる一方で、掛け金はどんどんつり上がっていった。しかし私たちが”賭けていた”のは”金”ではない。その信念が揺らぐことはなかった。一部の人間にとって、ビジネスとは利益の追求、それだけだ。私たちにとってビジネスとは、金を稼ぐことではない。
人体には血液が必要だが、血液を作ることが人間の使命ではないのと同じだ。私たちの体内では赤血球や白血球、血小板が作られ、各部に均等に滞りなく時間どおりに送られる。そうした人体の営みは、より高い次元の目的達成に向けた基本的なプロセスだが、それ自体は私たち人間が果たすべき使命ではない。その基本プロセスを超えようと常に奮闘するのが人生だ。
1970年代後半の私はまさに奮闘していた。私は勝つとはどういうことかを見つめ直し、勝つこととは、負けずに生き延びる以上のことだと知った。
勝つことは、私や私の会社を支えるという意味を超えるものになっていた。私たちはすべての偉大なビジネスと同様に、創造し、貢献したいと考え、あえてそれを声高に宣言した。何かを作り改善し、何かを伝え、新しいものやサービスを人々の生活に届けたい。人々により良い幸福、健康、安全、改善をもたらしたい。そのすべてを断固とした態度で効率よく、スマートに行いたい。
滅多に達成し得ない理想ではあるが、これを成し遂げる方法は、人間という壮大なドラマの中に身を投じることだ。単に生きるだけでなく、他人がより充実した人生を送る手助けをするのだ。もしそうすることをビジネスと呼ぶならば、私はビジネスマンと呼んでくれて結構だ。
ビジネスという言葉にも愛着が湧いてくるかもしれない。
本書、とりわけ上記箇所から合点した最たるは、ナイキ(Nike)がブランドマーケティング、即ち、「物語り創り」に長けているのは、創業者フィル・ナイトの経営哲学の賜物であり、DNAである、ということである。
成る程、ナイキは、今や「ナイキワールドキャンパス」なる広大なヘッドオフィスを持つが、ナイトの実家にオフィスを間借りしていた創業時から、本質的に不変なのである。
「自社の製品を『セールス』するのでも、所謂『ビジネス』、『金稼ぎ』をするのでもない。とことん、袖振りあった(潜在)顧客の更なるハッピーライフを信じ、チャンスを最善提供するのだ」、と。
代々ナイトから本薫陶を得、「モノ創り」でも「モノ売り」でも「金儲け」でもなく、専ら使命として「縁者の幸せ創り」に腐心する現経営者以下全スタッフが「物語り創り」に長けているのは、正に当然の帰結である。
夢も希望もある顧客は、夢も希望もある経営者とスタッフが創るのである。
そして、夢も希望もある経営者とスタッフは、夢と希望を信じる不変かつ普遍の経営哲学が創るのである。
2018年08月21日
2018年08月20日
2018年08月10日
2018年08月07日
【洋画】「カルテット! 人生のオペラハウス/Quartet」(2012)
[ひと言感想]
なぜ、ジーンはレジーと和解できたのか。
音楽が「共通言語」だったからだろう。
「共通言語」は、実際の言葉以上に人と人を近づけるのである。
なぜ、レジーは再度プロポーズしたのか。
また、なぜ、ジーンは応えたのか。
各々、人生のカウントダウンを前に改心したのだろう。
「誤解を残したまま別れない」、と。
不遜、意地は青春の甘えである。
なぜ、ジーンはレジーと和解できたのか。
音楽が「共通言語」だったからだろう。
「共通言語」は、実際の言葉以上に人と人を近づけるのである。
なぜ、レジーは再度プロポーズしたのか。
また、なぜ、ジーンは応えたのか。
各々、人生のカウントダウンを前に改心したのだろう。
「誤解を残したまま別れない」、と。
不遜、意地は青春の甘えである。
出演:マギー・スミス、トム・コートネイ、ビリー・コノリー、ポーリーン・コリンズ、シェリダン・スミス
監督:ダスティン・ホフマン
監督:ダスティン・ホフマン
ポニーキャニオン
2013-11-02