2017年06月
2017年06月30日
2017年06月29日
2017年06月28日
【洋画】「プライベート・ライアン/Saving Private Ryan」(1998)
[ひと言感想]
アパム伍長が降伏兵を殺してまで、罪悪感からの免れ(→自己肯定)と身の安全を最優先したのは卑怯のひと言だが、人間は戦場という極限状況下ではそんなものなのだろう。
そして、戦争は、誰か一人を生かすため、希望を絶やさないために多数を死に追いやる、結果頼みの最大最悪の否定的人為なのだろう。
平和と文明の最大の意義は、人間の根源的な卑怯さ、愚かさ、弱さを封じ込めることかもしれない。
アパム伍長が降伏兵を殺してまで、罪悪感からの免れ(→自己肯定)と身の安全を最優先したのは卑怯のひと言だが、人間は戦場という極限状況下ではそんなものなのだろう。
そして、戦争は、誰か一人を生かすため、希望を絶やさないために多数を死に追いやる、結果頼みの最大最悪の否定的人為なのだろう。
平和と文明の最大の意義は、人間の根源的な卑怯さ、愚かさ、弱さを封じ込めることかもしれない。
出演:トム・ハンクス、ジェレミー・デイビス、マット・デイモン
監督:スティーブン・スピルバーグ
監督:スティーブン・スピルバーグ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-08-23
2017年06月27日
2017年06月26日
【洋画】「9か月/Nine Months」(1995)
[ひと言感想]
本作品が問う最たるは、「親に成ることに対する男女の意識、および、その芽生えの差異」なのだろう。
たしかに、親に成ることに対し、一般的にオトコはオンナほど受容的でない。
しかし、それが本作品のように「オトコは臆病だから」というと、それは浅はかに思う。
親に成ることを、オンナは正に身をもって知り、他方、オトコはオンナから聞かされて知る。
つまり、オトコがオンナほど早く親に成れないのは、親に成ることにオンナより早く決心がつかないからで、「性(さが)」ではなく「肉体」の問題に思う。
そもそも決心、決断は、男女問わずコストがかかるものであり、然るに、アメリカの大統領をはじめ、一般的に高いポジションの人間は、たとえプライベートのゴルフ場を決めるのもスタッフに任せ、コストをセーブしているのである。
「妻をめとらば才たけて、みめ美わしく情ある」である。
オトコを感情的かつ脊髄反射的に臆病者呼ばわりするのは、才も情もないオンナであり、生れてくるコドモが不憫である。
本作品が問う最たるは、「親に成ることに対する男女の意識、および、その芽生えの差異」なのだろう。
たしかに、親に成ることに対し、一般的にオトコはオンナほど受容的でない。
しかし、それが本作品のように「オトコは臆病だから」というと、それは浅はかに思う。
親に成ることを、オンナは正に身をもって知り、他方、オトコはオンナから聞かされて知る。
つまり、オトコがオンナほど早く親に成れないのは、親に成ることにオンナより早く決心がつかないからで、「性(さが)」ではなく「肉体」の問題に思う。
そもそも決心、決断は、男女問わずコストがかかるものであり、然るに、アメリカの大統領をはじめ、一般的に高いポジションの人間は、たとえプライベートのゴルフ場を決めるのもスタッフに任せ、コストをセーブしているのである。
「妻をめとらば才たけて、みめ美わしく情ある」である。
オトコを感情的かつ脊髄反射的に臆病者呼ばわりするのは、才も情もないオンナであり、生れてくるコドモが不憫である。
出演:ヒュー・グラント、ジュリアン・ムーア、トム・アーノルド、ロビン・ウィリアムズ
監督:クリス・コロンバス
監督:クリス・コロンバス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2007-11-21
2017年06月23日
2017年06月22日
【洋画】「ケープ・フィアー/Cape Fear」(1991)
[ひと言感想]
他者の恨みを買わずに生きるのは、困難なのは勿論、無理ではないか。
なぜか。
本作品から再考するに、近因は他者と利害が完全一致し得ないから、そして、根因は他者と信念、価値観が完全一致し得ないから、である。
たしかに、サムが依頼人のマックスの利益を最優先せず、逸失利益の可能性を残したのは、弁護士の本分を逸脱した過失であり、恨みを買うのも当然である。
しかし、それは、結果的には無駄かつ逆効果と成った訳だが、法律家の信念が多分に影響したであろう、自身の社会正義、社会平和を最優先したからであり、社会全体最適的かつ中長期的視点では全くの過失とは言えない。
昨今、価値観の多様性が一層叫ばれており、私も肯定する。
ただ、オモテヅラだけ肯定する人を増やすと、却って恨みを社会的に蔓延させる羽目に成りはしまいか。
他者の恨みを買わずに生きるのは、困難なのは勿論、無理ではないか。
なぜか。
本作品から再考するに、近因は他者と利害が完全一致し得ないから、そして、根因は他者と信念、価値観が完全一致し得ないから、である。
たしかに、サムが依頼人のマックスの利益を最優先せず、逸失利益の可能性を残したのは、弁護士の本分を逸脱した過失であり、恨みを買うのも当然である。
しかし、それは、結果的には無駄かつ逆効果と成った訳だが、法律家の信念が多分に影響したであろう、自身の社会正義、社会平和を最優先したからであり、社会全体最適的かつ中長期的視点では全くの過失とは言えない。
昨今、価値観の多様性が一層叫ばれており、私も肯定する。
ただ、オモテヅラだけ肯定する人を増やすと、却って恨みを社会的に蔓延させる羽目に成りはしまいか。
2017年06月21日
2017年06月19日
【洋画】「ランブルフィッシュ/Rumble Fish」(1983)
[ひと言感想]
人生は「与えられ、奪われるもの」であり、ミスキャストは不可避である。
しかし成る程、ミスキャストの悲劇は、自己を見失った自分もさることながら、むしろそんな自分を誤解、ロールモデルにした親しい他者の方が、遥かに重篤かもしれない。
色眼鏡で見た報いと彼らを一喝するか、それとも、色眼鏡の素を自ら断つか。
ミスキャストの始末は矜持である。
続きを読む
人生は「与えられ、奪われるもの」であり、ミスキャストは不可避である。
しかし成る程、ミスキャストの悲劇は、自己を見失った自分もさることながら、むしろそんな自分を誤解、ロールモデルにした親しい他者の方が、遥かに重篤かもしれない。
色眼鏡で見た報いと彼らを一喝するか、それとも、色眼鏡の素を自ら断つか。
ミスキャストの始末は矜持である。
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2017年06月16日
2017年06月15日
【洋画】「レナードの朝/Awakenings」(1990)
[ひと言感想]
メディアや有識人が「格差」を否定的に取り上げるようになり久しいが、格差は広がる一方である。
当たり前である。
彼らが否定的に取り上げるのは単に「建前」、「ファンサービス」であり、肝心の増幅装置の資本主義がグローバル化により加速一辺倒なばかりか、我々自身、完全には否定していないのだから。
「(自分より)上(の人間)を見るな。下を見ろ」。
これは祖母の生前の耳タコ言葉の一つだが、悲しいかな真理である。
我々は、格差が嫌なのではなく、格差の下に位置する自分が嫌なのである。
なぜ、我々は格差の上に位置する自分が嫌でないのか。
根因は「(人間)本懐の自己肯定が促されるから」だが、近因は「安堵が促されるから」である。
我々は「蝉の一生は短い」と、蝉に同情するが、そのココロは、寿命ランキングの上に位置する人間に生誕した安堵である。
だから、我々の多くは「レナードの朝は余りに少ない」と、レナードに同情したであろうし、私自身、全くしなかった訳ではないが、そのココロは、レナードの罹患した難病を罹患せずに済んだ安堵であり、当のレナードからすれば偽善、ないし、「大きなお世話」である。
レナードも、蝉も、我々の多くと比べれば迎えた朝は少ないが、それぞれは有意であり、決して無駄ではない。
もし無駄と断じるなら、それは正に上から目線の傲慢である。
「ナポリを見てから死ね」と言うが、我々は一度ナポリを見ると、もう一度見たくなるものであり、また、別のナポリを見たくなるものである。
長い眠りから覚めたレナードの、一度ナポリを見てしまったがゆえの未練と後悔、そして、不幸は在ったに違いない。
しかし、人生の満足は、セックスのそれと同様、迎えた朝の「数」ではなく「咀嚼」に依存する。
盟友セイヤーと出遭い、心を交わして迎えた朝を、レナードは我々と比べ物にならない位噛み締め、堪能したに違いない。
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メディアや有識人が「格差」を否定的に取り上げるようになり久しいが、格差は広がる一方である。
当たり前である。
彼らが否定的に取り上げるのは単に「建前」、「ファンサービス」であり、肝心の増幅装置の資本主義がグローバル化により加速一辺倒なばかりか、我々自身、完全には否定していないのだから。
「(自分より)上(の人間)を見るな。下を見ろ」。
これは祖母の生前の耳タコ言葉の一つだが、悲しいかな真理である。
我々は、格差が嫌なのではなく、格差の下に位置する自分が嫌なのである。
なぜ、我々は格差の上に位置する自分が嫌でないのか。
根因は「(人間)本懐の自己肯定が促されるから」だが、近因は「安堵が促されるから」である。
我々は「蝉の一生は短い」と、蝉に同情するが、そのココロは、寿命ランキングの上に位置する人間に生誕した安堵である。
だから、我々の多くは「レナードの朝は余りに少ない」と、レナードに同情したであろうし、私自身、全くしなかった訳ではないが、そのココロは、レナードの罹患した難病を罹患せずに済んだ安堵であり、当のレナードからすれば偽善、ないし、「大きなお世話」である。
レナードも、蝉も、我々の多くと比べれば迎えた朝は少ないが、それぞれは有意であり、決して無駄ではない。
もし無駄と断じるなら、それは正に上から目線の傲慢である。
「ナポリを見てから死ね」と言うが、我々は一度ナポリを見ると、もう一度見たくなるものであり、また、別のナポリを見たくなるものである。
長い眠りから覚めたレナードの、一度ナポリを見てしまったがゆえの未練と後悔、そして、不幸は在ったに違いない。
しかし、人生の満足は、セックスのそれと同様、迎えた朝の「数」ではなく「咀嚼」に依存する。
盟友セイヤーと出遭い、心を交わして迎えた朝を、レナードは我々と比べ物にならない位噛み締め、堪能したに違いない。
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2017年06月13日
2017年06月12日
2017年06月09日
2017年06月08日
2017年06月06日
【洋画】「ウェディング・プランナー/The Wedding Planner」(2001)
[ひと言感想]
昨今専ら「格差」が否定評価されているが、人間は根源的に絶対評価が不得手、不正確である。
「何かと比較し格差を認知」しないと、即ち、「相対評価」しないと、正確性はもとより、何より納得性の高い評価、決心が下せない。
格差は必要であり、必要悪である。
所謂「相見積もり」は相対評価である。
本作品でも明らかなように、「相見積もり」は恋愛にも有効である。(笑)
メアリー(演:ジェニファー・ロペスさん)は積極的に「相見積もり」をした訳ではないが、結果的にはした。
そして、二人のオトコの格差を認知し、かつ、自身の本意(真のニーズ)も客観視でき、スティーヴ(演:マシュー・マコノヒーさん)に納得尽くでコミットできたのだから。
馬鹿と鋏、そして、格差は使いようである。(笑)
昨今専ら「格差」が否定評価されているが、人間は根源的に絶対評価が不得手、不正確である。
「何かと比較し格差を認知」しないと、即ち、「相対評価」しないと、正確性はもとより、何より納得性の高い評価、決心が下せない。
格差は必要であり、必要悪である。
所謂「相見積もり」は相対評価である。
本作品でも明らかなように、「相見積もり」は恋愛にも有効である。(笑)
メアリー(演:ジェニファー・ロペスさん)は積極的に「相見積もり」をした訳ではないが、結果的にはした。
そして、二人のオトコの格差を認知し、かつ、自身の本意(真のニーズ)も客観視でき、スティーヴ(演:マシュー・マコノヒーさん)に納得尽くでコミットできたのだから。
馬鹿と鋏、そして、格差は使いようである。(笑)