2017年04月

2017年04月27日

【洋画】「激突!/Duel」(1971)

[ひと言感想]
坂本龍一が、新譜「async」のプロモーション(笑)のインタヴューで、「数年来(他者とのコミュニケーションは)専らEメールを選好しており、大衆化しアノニマス利用も可能なSNSは、社会や将来への不満のはけ口に堕し、極力遠ざかりたい」旨答えていた(P26)。



async
坂本龍一
commmons
2017-03-29


坂本の思いは分からないでもないし、私もその思いが全くないというと嘘になるが、坂本も後述しているように、SNSのタイムラインが社会の写し鏡である以上、元凶はSNSというツールではなく、その使い手である我々人間、および、良くも悪くも他と異なる「個人」である。
本作品に込めたスピルバーグ監督の思いの一つは、こうした「個人」、および、その雑多な集合の「社会」の危うさ、安寧のはかなさ、ではないか。
本当の危機、恐怖は、安寧の折には見え難い、想像し難い、否、見えない、想像できない。
然るに、人生は「一寸先は闇」な訳だが、その原因、元凶は、半分が天災の容赦なさ、そして、あとの半分は個人の危うさ、である。


激突! [Blu-ray]
主演:デニス・ウィーヴァー
監督:スティーブン・スピルバーグ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-09-02




kimio_memo at 06:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2017年04月24日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Derek and the Dominos”Layla”〔解説〕パティ・ボイドさん

【ナレーション】
(エリック・クラプトンは、)ジョージ(・ハリスン)とは、パティ(・ボイド)のことで傷付け合うこともあったが、その死まで、友人として親しい関係を保ち続けた。

【パティ・ボイドさん】
私は鏡になった気分だわ。
彼らが私を見る時に見ていたのは、彼ら自身よ。

【インタビュアー】
エリックはあなたのどんな部分を見ていた?

【パティ・ボイドさん】
セクシー(な部分ね)(笑)

【インタビュアー】
ジョージは?

【パティ・ボイドさん】
スピリチュアル(な部分よ)。

「ジョージが虜になったのは、私の精神面で、後年エリックが虜になったのは、私のセックスだろう。だが、いずれも所詮『入り口』で、『出口』は彼ら自身、つまり自己だろう」。
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの元妻、パティ・ボイドさんの述懐は成る程であり、また、深い。
近年、「ゲス不倫」の言葉が流行るなど、日本では不倫を否定的に評価する向き」が強まっているが、二大音楽家を虜にし、かつ、彼らに不朽の名作を多々書かせしめた、あるいは、それらの「生みの苦しみ」を肩代わりしたパティさんからこんな話を聞かされると、以下結論付ける他ない。

【1】不倫の如何を問わず、恋路は、人生と同様「いろいろ」であり、互いを求めるほか「生き物として潰れてしまわない」術がなければ、自己責任を覚悟し歩む以外ない。





【2】然るに、他人の恋路のてん末とその本当の効用、不効用は当事者にしか分からないし、社会的な効用、不効用も後世しか分からない。

【3】然るに、他人の恋路を一時的かつ表層的に見、「ゲス」と評するのは無理がある(→が故、他人の恋路を矢鱈否定的に評し、邪魔するヤツは馬に蹴られて死ぬのが自然である。笑)。

【4】然るに、本当にゲスなのは当事者ではなく、「向き」の主体であり、かつ、「似非」聖人君子&全人格主義で嫉妬深い、我々小市民である。

パティさんに言われて改めて成る程だったのは、たしかに「入り口」だったかもしれないが、クラプトンがパディさんのセックスの虜になり、また、パティさんもそれを受け入れたこと。
小市民がもっとゲスに勘ぐれば(笑)、クラプトンがジョージより一足遅く、しかし、ジョージより一足(?・笑)熱くパティさんに発情し、パティさんもそれに応えたこと、である。

大ヒット小説&映画の「失楽園」は勿論フィクションだが、作中で描かれている「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路、および、肉欲の「始末の悪さ」は身に覚えがなくはない。(笑)



失楽園 [DVD]
黒木瞳
パイオニアLDC
2000-11-23


なぜ、当事者は「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路、および、肉欲の「始末の悪さ」、もっと言えば、「高コストとリスク」、を肯定してしまうのか。
否、拒めないのか。
それらの恋路の本懐が、人間の根源欲求の一つである「DNAの拡散」だからだろう。
企業は「法人」である。
企業の、本来の意味における「リストラ」や「イノベーション」は、「法人」との「生き物」として辛うじて潰れていない現状を、コストとリスクをかけて否定、ガラポンする(必要がある)点で、「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路に通底する。(笑)
だとすると、とりわけ日本の企業が依然リストラにも、イノベーションにも往生しているのは、その敢行の「始末の悪さ」の「出口」が人間の根源欲求に繋がっていないからか、繋がっていても優先順位が低過ぎるからか、のいずれかとも考えられる。
我々は「始末の悪さ」そのものが嫌なのではなく、根源欲求に繋がる出口の「ない」、もしくは、「見えない」「始末の悪さ」が嫌なのである。



★2017年4月9日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_118.html

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kimio_memo at 07:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2017年04月13日

【洋画】「マラヴィータ/The Family」(2013)

[ひと言感想]
長女ベルが、家族の一大事を知るや否や失恋自殺を中止し、挙句、長男ウォレンと獅子奮迅の働きで家族を救ったのは、出来過ぎと言えば出来過ぎだが、実際そんなものだろう。
大瀧詠一は「人生は暇つぶし」と言った。
自棄は大事を欠く、個人的かつ贅沢過ぎる暇つぶしである。


マラヴィータ [DVD]
出演:ロバート・デ・ニーロ、ミシェル・ファイファー、ディアナ・アグロン、ジョン・デレオ、トミー・リー・ジョーンズ
監督:リュック・ベッソン 
Happinet(SB)(D)
2015-06-02




kimio_memo at 06:27|PermalinkComments(0) 映画 | -ロバート・デ・ニーロ出演作

2017年04月11日

【洋画】「グッドフェローズ/Goodfellas」(1990)

[ひと言感想]
主役連中は今的に言えば「クズ」だが、なぜそんな彼らに我々小市民は、痛快や憧憬等々肯定的な感情を覚えるのだろう。
人間の根源的欲求である「感情の赴くままにシンプルに生きること」が、近年制限の一途を辿っている、それも様々不公正かつ不本意に、との思いがあるからで、イギリスのブレグジット(Brexit)やアメリカのトランプ現象を支持したココロも少なからずこれだろう。
たしかに、我々の「感情の赴くままにシンプルに生きること」が制限されているからこそ、社会は秩序だち、崩壊せずに済んでいるが、制限の手法、および、概念(コンセプト)は再考の余地、否、必要、があるのかもしれない。
人間の知性は感情と論理の折り合い、結節点を個人的かつ社会的に、そして持続的に最適化することにこそ、発揮されて然るべきだ。


グッドフェローズ [DVD]
出演:レイ・リオッタ、ジョー・ペシ、ロバート・デ・ニーロ
監督:マーティン・スコセッシ 
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21




kimio_memo at 07:44|PermalinkComments(0) 映画 | -ロバート・デ・ニーロ出演作

2017年04月10日

【邦画】「あん」(2015)

[ひと言感想]
人間は、「無くて七癖」であり、「無くて持病」である。
誰しも、持っていないと「思ってる」、ないし、無意識に「思おうとしている」が、何らかの病を、それも不治の病を持っている。
徳江も千太郎もワカナも、そうである。
皆、自覚の有無や強弱はさておき、持っている。
彼らの病因は様々である。
自責もあれば他責、運責(?)もあり、無論、後者は酷である。
けれど、この世に出られた以上、その不遇、不条理を延々嘆くべきではないのである。
否、延々嘆くのは勿体無いのである。
徳江のように、常に五感を澄ますのである。
そして、そんな自分でも今できること、そんな自分だからこそ今できることを探し、五感で確かめ、「生きる意味」の、即ち、自己肯定の足しにするのである。
持病があってこそ、持病との共存共栄を観念、悪あがきし続けてこそ、人間である。


あん DVD スタンダード・エディション
出演:永瀬正敏、内田伽羅、樹木希林
監督:河瀨直美 
ポニーキャニオン
2016-03-16


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kimio_memo at 07:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画