2015年12月
2015年12月28日
【邦画】「ゲゲゲの女房」(2010)
[ひと言感想]
「貧乏は全然平気。命までは取られない」。
最低を経験している人は、強い。
最低の人生は最高の人生へのパスポートなのだろう。
たしかに、黒いバナナは見た目は最悪だが、一皮むけば最高だ。
何とも甘くて美味く、しかも安いのだから言うことはない。
果実は凡そ腐る直前が最高に美味く、見た目に騙されてはいけない。
同様に、人も凡そ成功の直前がプロフェッショナルとして、人として最高に充実しており、稼ぎや風体に騙されてはいけない。
夫婦生活は「思い出作り」かもしれない。
良い事実はそのまま素直に、他方、良くないそれは気持ちの持ち様で良い方に転化する。
この不断の努めが夫婦の生活であり、また、知恵かもしれない。
知恵のある夫婦は、苦労や不幸を分かち合うのではなく、笑い飛ばすのだろう。
苦労や不幸に苛まれる内は、夫婦としてまだ未熟なのだろう。
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「貧乏は全然平気。命までは取られない」。
最低を経験している人は、強い。
最低の人生は最高の人生へのパスポートなのだろう。
たしかに、黒いバナナは見た目は最悪だが、一皮むけば最高だ。
何とも甘くて美味く、しかも安いのだから言うことはない。
果実は凡そ腐る直前が最高に美味く、見た目に騙されてはいけない。
同様に、人も凡そ成功の直前がプロフェッショナルとして、人として最高に充実しており、稼ぎや風体に騙されてはいけない。
夫婦生活は「思い出作り」かもしれない。
良い事実はそのまま素直に、他方、良くないそれは気持ちの持ち様で良い方に転化する。
この不断の努めが夫婦の生活であり、また、知恵かもしれない。
知恵のある夫婦は、苦労や不幸を分かち合うのではなく、笑い飛ばすのだろう。
苦労や不幸に苛まれる内は、夫婦としてまだ未熟なのだろう。
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2015年12月25日
【洋画】「007 ダイ・アナザー・デイ/Die Another Day」(2002)
[ひと言感想]
成る程、死してもなお「親を乗り越えたい」との子の一念は、時に世界を脅かすのだろう。
個人の不満、それも根源的なそれは、早期の家族的は勿論、更には、社会的対処が要るのかもしれない。
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成る程、死してもなお「親を乗り越えたい」との子の一念は、時に世界を脅かすのだろう。
個人の不満、それも根源的なそれは、早期の家族的は勿論、更には、社会的対処が要るのかもしれない。
出演:ピアース・ブロスナン、ハル・ベリー、マドンナ、トビー・スティーヴンス
監督:リー・タマホリ
監督:リー・タマホリ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2015-10-07
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2015年12月22日
2015年12月21日
2015年12月17日
【洋画】「モンスター上司/Horrible Bosses」(2011)
〔ひと言感想〕
「社員は会社が嫌で辞めるのではなく、上司が嫌で辞める」。
この旨、Google(現:Alphabet)の人事担当副社長のラズロ・ボックさんは著書「ワーク・ルールズ!」に綴っていましたが、本作品を見て改めて思うのは、当の上司本人は、部下からそこまで嫌われている自覚が無いこと。
「自覚の問題」は「程度の問題」では決してないが、すり替わり易く、悩ましい。
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「社員は会社が嫌で辞めるのではなく、上司が嫌で辞める」。
この旨、Google(現:Alphabet)の人事担当副社長のラズロ・ボックさんは著書「ワーク・ルールズ!」に綴っていましたが、本作品を見て改めて思うのは、当の上司本人は、部下からそこまで嫌われている自覚が無いこと。
「自覚の問題」は「程度の問題」では決してないが、すり替わり易く、悩ましい。
出演:ジェイソン・ベイトマン、ジェイソン・サダイキス、チャーリー・デイ、ジェイミー・フォックス、コリン・ファレル、ジェニファー・アニストン、ケヴィン・スペイシー
監督:セス・ゴードン
監督:セス・ゴードン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-09-05
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2015年12月15日
【洋画】「遠すぎた橋/A Bridge Too Far」(1977)
[ひと言感想]
現場を知らなければロクな計画は立たないが、現場を知り過ぎてもロクな計画は立たない。
近視眼的な目標のもと、良く言えば実践的、悪く言えば堅実過ぎかつ代り映えのしない計画を立ててしまうからだ。
然るに、現場を知らない上官が計画を立てるのは必ずしも悪くないが、その場合、組織は必ず確認、担保しなければいけない。
「計画立案の動機が、個人的なそれでも、政治的なそれでもない」のを。
本作品のメインメッセージの一つは、こういうことだろう。
頓挫した計画を「少し遠すぎたな」とひと言で総括されては、否、片付けられては、以後、現場を知り過ぎたスタッフが、あの世この世の別なく黙っていまい。
現場を知らなければロクな計画は立たないが、現場を知り過ぎてもロクな計画は立たない。
近視眼的な目標のもと、良く言えば実践的、悪く言えば堅実過ぎかつ代り映えのしない計画を立ててしまうからだ。
然るに、現場を知らない上官が計画を立てるのは必ずしも悪くないが、その場合、組織は必ず確認、担保しなければいけない。
「計画立案の動機が、個人的なそれでも、政治的なそれでもない」のを。
本作品のメインメッセージの一つは、こういうことだろう。
頓挫した計画を「少し遠すぎたな」とひと言で総括されては、否、片付けられては、以後、現場を知り過ぎたスタッフが、あの世この世の別なく黙っていまい。
出演:ロバート・レッドフォード、ショーン・コネリー、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・ハックマン
監督:リチャード・アッテンボロー
監督:リチャード・アッテンボロー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2015-07-17
2015年12月11日
2015年12月10日
2015年12月09日
【邦画】「海峡」(1982)
[ひと言感想]
私たち日本人はこの手の「プロジェクトX」話に目がないが、そもそも[プロジェクト]とは個人的には創出不能、もしくは、困難な成果を、組織的に可能にする[手段]だ。
本作品の発する、「大規模プロジェクト成功の条件は犠牲、それも、とりわけプロジェクトリーダーの人的な犠牲が付き物であり、また、欠かせない」との、お決まりかつ同調圧力溢れるメッセージは、プロジェクトリーダー(特定個人)の[属人性]、[職人気質]、[自己犠牲]の過剰評価、更には、美談化(積極的美談解釈)を旨とし、私は一日本人であるも強い違和感がある。
日本人がとかく目的と手段の本質、関係性を誤解しがちなのは、健さんのような国民的ヒーローの問答無用の威と説得力を借る狐の罪も大きいのではないか。
私たち日本人はこの手の「プロジェクトX」話に目がないが、そもそも[プロジェクト]とは個人的には創出不能、もしくは、困難な成果を、組織的に可能にする[手段]だ。
本作品の発する、「大規模プロジェクト成功の条件は犠牲、それも、とりわけプロジェクトリーダーの人的な犠牲が付き物であり、また、欠かせない」との、お決まりかつ同調圧力溢れるメッセージは、プロジェクトリーダー(特定個人)の[属人性]、[職人気質]、[自己犠牲]の過剰評価、更には、美談化(積極的美談解釈)を旨とし、私は一日本人であるも強い違和感がある。
日本人がとかく目的と手段の本質、関係性を誤解しがちなのは、健さんのような国民的ヒーローの問答無用の威と説得力を借る狐の罪も大きいのではないか。
2015年12月08日
2015年12月07日
2015年12月04日
【第28期竜王戦第五局】渡辺挑戦者、4-1で糸谷竜王に完勝、復位
[ひと言感想]
今期の竜王戦は、最後の最後まで独自の、自由な将棋に執着した糸谷哲郎竜王と、最後の最後まで勝負、勝利に執着した渡辺明挑戦者の戦いだった、という印象です。
不肖私、糸谷ヲタとして、糸谷前竜王の捲土重来を祈念すると共に、渡辺新竜王の思い入れの具現力に心から敬意を表する次第です。
やはり、人は一度負けてこそ、強くなるに違いない。
★2015年12月2、3日催行
http://live.shogi.or.jp/ryuou/
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/28_05/
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/28/ryuou201512020101.html
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/8b876e1aded135c4278f03d1ab84fa7b
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今期の竜王戦は、最後の最後まで独自の、自由な将棋に執着した糸谷哲郎竜王と、最後の最後まで勝負、勝利に執着した渡辺明挑戦者の戦いだった、という印象です。
不肖私、糸谷ヲタとして、糸谷前竜王の捲土重来を祈念すると共に、渡辺新竜王の思い入れの具現力に心から敬意を表する次第です。
やはり、人は一度負けてこそ、強くなるに違いない。
★2015年12月2、3日催行
http://live.shogi.or.jp/ryuou/
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/28_05/
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/28/ryuou201512020101.html
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/8b876e1aded135c4278f03d1ab84fa7b
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2015年12月03日
2015年12月02日
2015年12月01日
【旅行/顧客サービス】「『日本一の添乗員』が大切にする接客の作法」原好正さん
P71
4.ツアーコンダクターの言葉で感動を後押しする
ツアーコンダクターの言葉が持つ力
「原さん、お久しぶりです」
10年くらい前、ドイツ南部の観光名所をつないだロマンティック街道の終点にあるノイシュバンシュタイン城で、ほかのツアーに参加していた女性に声をかけられました。その方はその20年前、私が添乗した「ロンドン、パリ、ジュネーブ、ローマ」のツアーに高校生の娘さんと参加してくださったお客さまでした。
「娘もいまは結婚して子どもも生まれたんだけど、あのときは、ひと言も口をきかない態度の悪い娘だったでしょう?ちょうど反抗期で・・・」
懐かしい再会に、20年前の思い出話になったのですが、そのときにお客さまが次のような話をしてくれました。
「旅行中、ある都市で雨が降ったことがあったのだけれど、そのとき原さんが『いいですね、ロマンティックな雨!』と言ったのがとても印象的で。私はそのときまで雨なんて嫌だなと否定的に思っていたけど、原さんにそう言われて、雨もいいものだなと思えたし、原さんの言葉に感動しました」
実は、私は自分の言った言葉を覚えていなかったのですが、そんなひと言を忘れずにいてくれたことに驚き、こちらのほうこそ、とても感動しました。
そのとき、私は本当に「ロマンティックな雨!」と思っていたのかもしれませんし、あるいは、あいにくの雨で沈んだお客さまの気持ちをなんとかしようと、思わず出た言葉だったのかもしれません。今となっては確認のしようがありませんが、一般的にマイナスな出来事も、ツアーコンダクターのひと言でプラスの印象に変えられるということを実感した出来事でした。
自らの感動で、お客さまの態度を刺激
先ほど、「ツアーコンダクターは常に新鮮な気持ちを持って」という話をしました。それは、人は置かれた状況に慣れてくると、感動や緊張感を失いやすいものだからでした。
それはツアーコンダクターだけでなく、お客さまも同じ。現地に着いたばかりのときは、何を見ても「わあ!」と目を輝かせていたのに、しばらくすると慣れてきて、有名な観光スポットもなんとなくスルーしてしまったりします。
たとえば、スペインのアンダルシア地方で、車窓にひまわり畑が広がる地域をバスで移動していたときのこと。ひまわりがポツポツと見えてくると、「あらー!」「きれい!」と感動して写真をとったりしていたのに、しばらくたつと、お客さまの反応がほとんどなくなってしまいました。なかにはウトウトしている方も。今まで目にしたものより、倍以上広いひまわり畑がお見えているにもかかわらずです。
そういうときは、「見事なひまわり畑が見えてきましたよ」「きれいですね!」と私が率先して感動を表すようにしています。当然、本当にそう思っているから言えるのですが、あえて口に出すのです。そうすると、お客さまの感度も刺激されて、「本当だ!」「すごいわね!」と新たな感動が生まれてきます。
さらにそのとき、お客さまの年齢層にもよりますが、「マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した『ひまわり』というイタリア映画の名作に出てくるのは、このひまわり畑なんですよ」などといった情報を提供すると、さらに盛り上がります。
何を見るか、何に感動するかはお客さまの自由です。それでも「ぜひ見てほしい」「楽しんでほしい」と思うときには、「ここが感動するポイントですよ!」とアピールして、お客さまの感度を刺激してさしあげるおせっかいも、サービスのうちではないかと思っています。
「旅は反芻の喜び」とも言います。旅から帰っても、訪れた場所がテレビなどに出てきたりするとまた思い出して、何度も感動できるのが旅行の魅力だと思うのです。
ただ無意識にボーっと車窓の先を眺めていたのでは、仮にそこに絶景があったとしても、感動は半減してしまいますし、記憶にも残りにくいでしょう。だからこそ、お客さまの心に少しでも多くの思い出をしっかりと刻んでいただけるよう、お手伝いをしたいと思っているのです。
「旅は『反芻の喜び』であり、それには旅先での非日常を積極的に言語化、感動認識し、脳裏に刻むことが欠かせない。旅行添乗員のto doの一つは、お客さまのこのお手伝いをすることだ」。
「日本一の添乗員」こと原好正さんのこの主張は同感だが、「反芻の喜び」は旅行に限らないであろうし、また、言語化の意義の最たるが感動と記憶の助長なのも、その機会と対象は旅先での非日常に限らないだろう。
羽生善治さんが以前講演で、夫婦仲の維持に初心を思い出すことを意識、励行している旨仰っていたが、この本質は「反芻の喜び」で、「初心」には恋愛時でなければとても言語化できなかった自分の内なる声や、相手への言葉にならない想いが必ずや含まれているだろう。(笑)
人生は、喜びより悲しみ、憤怒、辛苦、無念といった否定的感情を自覚する時が遥かに多く、折角自覚した喜びや感動といった肯定的感情を積極的に言語化し、反芻、リピート利用するのは、人、それもとりわけ「パンのみで生きるに非ず」の私たち現代人の自然かつ日常、もっと言えば日課だろう。
だが、原さんの本旨も分からないではない。
テレビから一向にワイドショー番組が無くならないように、良くも悪くも情報に恵まれ左脳が過剰に発達した私たちは、肯定的な感情であれ否定的な感情であれ、誰かに積極的に言語化されて初めて、自覚した感情の機微と正体を認識できる、というか、逆に言えば、誰かに言語化してもらわなければ、もはや認識できないのかもしれない。
自分の感情を他者から弁舌爽やかに代弁され、それをそのままあり難く受容する現代人の怠惰な思考習性が、かつてはヒトラーを、また、最近では麻原彰晃を、世に出してしまったのかもしれない。