2015年09月

2015年09月30日

【邦画】「細雪」(1983)

[ひと言感想]
「アンタとお兄ちゃんを足して2で割ると、丁度良い人間に成るんだけどねえ」。
母は生前よくこう言いました。
私は返す言葉を持ち得ませんでしたが(笑)、これは本作品の四姉妹にも、否、世の殆どの兄弟にも、当てはまるのではないでしょうか。
そして、だからこそ兄弟は反目し、また、離れ難いのではないでしょうか。
兄弟とは、あるべき人間の分身かもしれません。


細雪[東宝DVD名作セレクション]
出演:岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、伊丹十三、石坂浩二
監督:市川崑
東宝
2015-02-18




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2015年09月29日

【医療】「緩和ケアという物語 正しい説明という暴力」岸本寛史さん

P211
おわりに

(前略)

『緩和のこころ』は緩和ケア病棟での臨床経験を元に書いたものだが、当時がん患者に「適応障害」という「病名」が用いられていることを知り、憤りを感じたことが執筆の大きな動機となった。精神医学の立場からはDSMの診断基準を用いて正しい診断を行うことは当然のことかもしれないが、がん患者の多くは、病気を患うまではふつうに社会生活を行っていたことを考えるなら、安易に精神疾患の診断基準を適用するのではなく、「異常な状況における正常反応」と捉えて接するのがよいのではないか、と論じた。



(中略)

(筆者が)京大病院で緩和ケアチームを立ち上げるにあたり心がけたのは、依頼を受けたらなるべき早期に顔を合わせて主治医と直接話をして、求められていることを把握した上で可能な限りそれに応えるような動きをすることであった。

(中略)

依頼件数が増えてくると、チームの中からこんな意見が聞かれるようになった。依頼が多ければよいというものではない。依頼の質を高めるために、オピオイドの導入のような初歩的な依頼を減らし、もっと高度なケースの依頼の割合が高くなるように働きかけるべきではないかと。筆者は反対であった。依頼主を評価するという居丈高な姿勢に反発を覚えたことも理由の一つではあるが、それよりも、依頼に「初歩的な依頼」も「質の高い依頼」もない、と思ったことが大きい。

オピオイドの導入という、一見「初歩的」にみえる依頼であっても、オピオイドを導入すれば事足りるとは限らない。第4章で示したように、治療の流れの中で様々なことが次々と展開していく。そういう時にこそ、チームの真価が発揮されるのである。症状にスポットライトを当ててそこだけ見るのではなく、治療の流れの全体を見ようとするなら、「初歩的な依頼」と「質の高い依頼」を区別することなど不可能に思えてくる。また、「初歩的な依頼」と評価する姿勢の背後には、「こんな簡単な依頼は出さないでほしい」というニュアンスを言外に含むことになりやすいが、そのような姿勢では主治医と良好な関係は築けない。主治医は一緒に診てほしいと考えて依頼を出しているのであって、依頼の質を評価してほしいなどとは思っていないだろう。依頼に応えようとするところにコンサルテーション・チームの意義があるのではないか。

結局のところ、筆者が大切にしたいと思うのは、患者に対してであれ、(緩和チームへの依頼主である)主治医に対してであれ、「緩和医療とはかくかくしかじか」という「正しい緩和医療」を基準に考えるのではなく「まず聞いてから考える」というスタンスを可能な限り持ち続けようとすることに尽きる。ところが、現在の学会の基本的なスタンスも、緩和医療の教育や研修も、前者に力を注いでいるように見える。そしてそういう教育を受けた緩和チームのスタッフが、主治医や患者に対して「緩和のことを全然わかっていない」と不満を抱いたりするのを、直接・間接に耳にするにつけ、「緩和医療の正しい理解」の弊害を思ってしまうその極端な形が「正しい説明という暴力」なのだと思う。

(中略)

最近、がん拠点病院の要件として苦痛のスクリーニングが義務づけられることになった。スコアの高い患者は緩和チームに自動的に紹介されるシステムを作るなどして、緩和チームへの依頼を増やそうとの意図が見え隠れするが、臨床現場の個々の文脈を無視して、そんな強引なやり方をしてもうまくいくとは思えない。ここにも「正しい説明という暴力」が影を落としていると思う。

「病状を正しく説明すること」も「痛みを正しく評価すること」も、それ自体、間違ったことを言っているわけではない。しかしそれぞれの医療の文脈を無視して押しつけられるなら、深い傷を残す暴力になることもあるのだ。そのことを、身を以て体験したことが本書を出版したいと考えた大きな動機となっている。

私は「寄り添う」という言葉が嫌いだ。
以前は特にそういうこともなかったが、今では見聞きしただけでうんざりする。
なぜか。
今の使われようの殆どが、文脈的に筋違いかつ阿漕だからだ。

本来「寄り添う」と言えば、その対象、及び、目線の先(見るべき所)は[相手/他者(の心情)]だろう。
しかし、「目は心の鏡」だが、言葉も心の鏡であるもので、311が起き、「絆」や「不謹慎」といった感情系意味不明言語、ないし、「同調(似非一体感)」&「空気読めよ」」圧力が大流行してからというもの、私は、それが[自分(の欲求)]にすり替わってしまったように感じる。
もっと言えば、311以降、「寄り添う」という言葉を愛用している人が本当に寄り添っているのは、「オレ、良いこと言ってるなあ!」とか、「オレ、ひと先ず空気を逆撫でしないよう言ったよね!」と、偽善的かつ戦略的に希望を演出し、かつ、矜持と自分の身の安全を担保している[自分]であるとしか感じられない。
本来の、「自分はもうダメかも・・・」と、希望や自己を失いかけている[相手/他者]とは到底感じられない。

ただ、こうして本来の文脈が確信犯的に無視され、[相手/他者]であるはずの対象が[自分]にすり替わっている言葉、並びに、行為は、「寄り添う」に限らない。
両親を早く亡くし、年齢の割に医療に多く触れてきた私は、医療もその一つだと思ってきたが、本書を読み、確信した。

医療こそ、正に[相手/他者]に「寄り添う」行為であり、その対象、及び、目線の先は[患者のニーズ]、即ち、[「病苦から心身共々解放されたい」という患者の切望]であるべきだろう。
そしてそれに最適なソリューションを「まず本人の声を聞いてから考え」、提供することこそ、医療の具体であり、また、本来の文脈であるべきだろう。

然るに、著者の岸本寛史医師の指摘は尤もで、医師が、肉体疾患のがん患者に「適応障害」と精神疾患の診断基準を適用するのは、疾患という問題を表層的かつ非構造的にしか見ていない、対象、目線の先を[患者]ではなく[自分]にすり替えた、底の浅い自己中心的かつ利己的な行為だろう。
そして、その、患者の声と遊離した行為は、患者のニーズに最適でないどころか全く応えていない、筋違いのソリューションの一方的な提供であり、患者にとっては暴力に等しいだろう。

母は乳がんを二度患い、女性の象徴とも言うべき乳房を左右全摘出したが、当時、生じていたに違いない心理的動揺を主治医に「適応障害」と診断されていたら、憤りや無念を通り越して、肉体の前に精神が崩壊し、もっと早く逝っていただろう。
「ソリューションありき」、「自分目線ありき」、「自分(の身の)可愛さありき」で行うには、医療は余りにも筋違いであり、かつ、相手に期待を持たせる分阿漕過ぎる。







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2015年09月28日

【第63期王座戦第三局】佐藤挑戦者、羽生王座に作戦勝ちし、一足先に王座に王手

[ひと言感想]
負かされた羽生善治王座曰く、43手目の▲2一角は「非常手段」とのこと。
成る程、相手に非常手段を強いるのが、作戦勝ちの要諦、かつ、作戦巧者の本懐かもしれません。
一足先に王座に王手をかけた、佐藤天彦挑戦者の次なる作戦を期待するばかりです。


★2015年9月24日催行
http://live.shogi.or.jp/ouza/
http://kifulog.shogi.or.jp/ouza/63_03/
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/63/ouza201509240101.html

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2015年09月24日

【将棋】「将棋世界2015年9月号/創造の原動力[後編]」藤井猛さん

P76
研究の比率

(前略)

【佐藤康光九段】
なるほど。(将棋の勉強時間の中で)中終盤があわせて8から9くらいですかね。プロ棋士全体の統計を取ると、それくらいが普通のような気がします。藤井さんはどうですか?

【藤井猛九段】
奨励会のときは、佐藤さんと同じような感じで、詰将棋ばかりやっていましたね。四段になってからは、うーん、そうですねえ・・・。中終盤の勉強方法って難しくて、はっきりいって知りたいぐらいですよ。僕が思うに、プロになってから「こうすればはっきり強くなる」というような勉強方法はない。強くなるためにいちばん勉強になるのは実戦ですよ。実戦をこなして対局数を増やしていけば、勝手に中終盤が強くなっていく。僕自身がそうだったし、反対に対局数が少ない時期は、思うように強くなれなかった。強くなれないと勝っていけないから、対局数も増えていかない。いわゆる悪循環ですね。だから、(今)菅井君は指しているだけでどんどん強くなっていく(笑)。やっぱり公式戦の数が大事なんだよね。プロの対局は持ち時間が長いから、1局指せばすごく勉強になる。研究会だと短かすぎて、どうしても終盤が雑になってしまう。だから、僕が終盤の勉強をするとしたら、自分の実戦を振り返るのみですね。仮に対局間隔が1週間あったとしたら、対局が終わった翌日はその将棋の終盤を振り返りますね。場合によってはもう1日ということもあるかもしれませんが、まあ大体1日だけで、終盤の勉強はそれだけです。あとの6日間は、次の対局への準備になるので、基本的に序盤の勉強をしています。詰将棋もあんまりやっていないし、序盤6の終盤1です。

【佐藤九段】
6対1の割合ということですね。

【藤井九段】
ちょっと終盤が少ないよね。でもどうやれば終盤が強くなるかわからないからしょうがない。僕は対局数を増やすしかないと考えています。

(中略)

研究会の感想戦と、本番中で「何とかしなきゃ」というのは、真剣度が全然違うしね。序盤の研究は1人でもできるけど、終盤はそうはいかないでしょう。

【菅井竜也六段】
ちなみに研究会を行うのは、中終盤のためですか?それとも序盤のためですか?実戦感覚をつかむのが目的だったり、人それぞれだとは思いますけど。

【藤井九段】
それは日によって違うかな。「調子が上がらないなあ」と感じたときは、少しでも自信を持たせるためにやっていますね。でも基本的には、経験値を上げていくためにしていますね。

【佐藤九段】
私も中終盤のために行っている意味合いのほうが強いですね。序盤も研究するけど、やっぱり人から聞いた手を指すのが好きじゃない。ある程度の結論が出るのはいいことだけど、率先してやろうとは思わないですね。それと、研究会でテーマにされる局面は、すぐに公式戦で現れたりするから、その研究で勝ち星を拾うみたいなことはないですね。感覚を継続させるためとか、進歩させるためとか、研ぎ澄ますためといったイメージのほうが強いかな。


身になった研究会

【菅井六段】
研究会で「中終盤の勉強をしよう」と思っても、クラスが上だと相手がいなくて困ったりしないのですか?

【藤井九段】
その質問は羽生さんに聞いてほしいなあ(一同笑)。確かに少し上の相手に教わるのがいいよね。僕は奨励会三段のとき、四段、五段の先生に教わったのが、すごく勉強になった。それと竜王を獲ったときに、島先生(朗九段)から研究会に誘ってもらえたのですよ。当時、僕は順位戦でB級2組だったけど、そこでA級の島、森下(卓九段)、森内(俊之九段)というメンバーと、みっちり将棋を指すことができた。みんなパンチが重いから、これがすごく勉強になる。切磋琢磨しながら、「伸びているな」という充実感がありました。

【佐藤九段】
私も終盤が強くなりたいなあ。ついこの間の藤井さんとの対局でもひどいトン死をしたしね(笑)。結局は根を詰める時間が大事になってくるのかな。常にちょっと強いトレーニング相手がいればいいけど、さすがに上のクラスにきたらそれは無理ですからね。

【藤井九段】
菅井君、やっぱり羽生さんに聞いてみてよ。羽生さんこそ、それで悩んでいるのじゃないかな(笑)。

【菅井六段】
「一人将棋」ですかね(笑)。

【藤井九段】
だから、羽生さんはタイトル戦を楽しみにしていると思いますよ挑戦者は誰が来ても、絶対に強いわけだから、「これぞ自分を高める絶好のチャンス」と張りきっているでしょう。もしもタイトル戦に全く出なくなったら、羽生さんでも少し調子が狂うのじゃないかな。

なぜ、羽生善治さんはダントツに強いのか。
この難問の回答の一つは、勝負を真に決める終盤力の圧倒的な強さなのだろうが、その強さの源が「タイトル戦に出ずっぱり」との藤井猛九段の見立ては成る程であり、考えさせられる。
たしかに、タイトル戦は実戦の最高峰であり、タイトル保持者、挑戦者のいずれの立場で出場しようと、棋士がこの大舞台に立ち、現在最強実力者と異次元の緊張と死闘を経て授かる実力向上の果実は、研究会でのそれとは比べ物にならないのは勿論、通常の実戦でのそれより遥かに実り多いだろう。

ただ、一下手の横好きファンの私は、藤井さんの見立てからこうも考える。
「タイトル戦に出ずっぱり」で、自分が易きに流れること、ひいては、自分の意識と基準値を低位化させること、を強く抑止できるから、と。

羽生さんに限った話ではないが、結局棋士は人間だ。
機嫌の良い日もあれば、悪い日もあるだろうし、調子の良い時期があれば、不調の時期もあるだろう。
不調とは「やるべき準備、プロセスを貫徹するも、結果の出ない状態」を指すが、その時期の禁止事項の一つは、「易きに流れ(ようとす)る自分を許すこと」、もっと言えば、「『易きに流れる』人間の本性の解放を許すこと」だ。

たとえば、ダイエットを決心し、然るべき計画を粛々と実行するも結果が出ない時、絶対にやってはいけないことは、コンビニでダイエットを諦めた、もっと言えば、モテ/人生を諦めた、と思しきドーナツを頬張るデブをガン見する(笑)ことだ。
理由は簡単で、挙句、「あんな人でさえ食べているのだから、ともあれここまで頑張ってきた自分も、たまには褒美にドーナツくらい食べても良いだろう」と、易きに流れる人間の本性を解放してしまう可能性が、更には、易きに流れる自分を許してしまう可能性が、生じるからだ。

然るに、ダイエットに成功している人は、基本食いしん坊(の出現確率が高い市井の場)には近づかず、また、旧知の該当人種とは絶縁を厭わないようだが、これはビジネスマンで成功している人も同様で、彼らは低位な人には近づかず、距離を取る。
羽生さんの終盤力が圧倒的なのは、また、羽生さんがダントツに強いのは、実戦の最高の舞台にダントツに立ちっぱなしで、「易きに流れる」習性と低位の伝染を断ち、不調を最小化していることも大きいのではないか。



将棋世界 2015年09月号 [雑誌]
マイナビ出版(日本将棋連盟発行)
2015-08-05




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2015年09月18日

【第63期王座戦第二局】佐藤挑戦者、羽生王座を下し、一勝一敗のタイに

[ひと言感想]
佐藤天彦挑戦者が羽生善治王座の攻めと緊張に打ち克ち、タイトル戦初勝利をあげました。


若き挑戦者が大舞台を経て強くなるのは、緊張の経験値と耐性が異次元に跳ね上がるのが大きいのでしょう。


★2015年9月17日催行
http://live.shogi.or.jp/ouza/
http://kifulog.shogi.or.jp/ouza/63_02/
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/63/ouza201509170101.html



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2015年09月17日

【第28期竜王戦挑戦者決定三番勝負第三局】渡辺棋王、永瀬六段に完勝し、「思い入れのある」竜王復位挑戦へ

[ひと言感想]
本局は「一旦(攻め)筋に入ったら止まらない」、正に渡辺節炸裂の、渡辺明棋王の完勝で、ご自身も仰っている竜王復位への思い入れが強く感じられる。
繰り返しになる人は、一度負けてこそ強くなる。
勝利の先への思い入れが強ければ強くほど、尚更だ。
不肖私、羽生&糸谷(竜王)ヲタだが(笑)、永世竜王の称号を得、9年保持した竜王位を失って2年、渡辺棋王の竜王復位への敢闘を大いに期待したいし、しかと見届けたい。


★2015年9月14日催行
http://live.shogi.or.jp/ryuou/
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/28_ch03/
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/28/ryuou201509140101.html



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2015年09月16日

【邦画】「木曜組曲」(2002)

[ひと言感想]
人は、何かにつけ「始める」のも、「終える」のも、自分に尤もな「言い訳」が要るのでしょう。
もっと言えば、「言い訳」さえあれば、「始める」時も、「終える」時も、畏怖や未練に挫けないのでしょう。
「言い訳」を授けてくれる人に恵まれたら、或いは、「言い訳」を与えられる人に成れたら、それだけで人生はしめたものなのでしょう。


木曜組曲 [DVD]
出演:鈴木京香、原田美枝子、西田尚美、富田靖子、加藤登紀子、浅丘ルリ子
監督:篠原哲雄
バンダイビジュアル
2003-05-23




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2015年09月14日

【邦画】「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」(2013)

[ひと言感想]
「今の人生」ではなく、「捨てた方の人生の続き」の方がアリに感じられるのは、自分がまだ過去に縛られ、今に最適化でき得ていない為でしょう。
ただ、そもそも人生は、外部環境が不断に変わるからして、自分が捨てようと捨てまいと不断に変わって、否、変えて然るべきものであり、その意味では自己変革に挫折している為、邪推すれば、自己変革に習熟していない為でもあるのでしょう。
やはり、心身健やかに長く生き残る生き物は、強い生き物でもなければ、賢い生き物でもなく、自己変革が癖な生き物なのでしょう。


すーちゃん まいちゃん さわ子さん
出演:柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶ
監督:御法川修
2013-11-21


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kimio_memo at 07:53|PermalinkComments(0) 映画 

2015年09月11日

【邦画】「テルマエ・ロマエII」(2014)

[ひと言感想]
最後、ルシウスが死を覚悟してパンノニアへテルマエ作りに行ったのは、自分の本分と本望、及び、その進捗が確信できたからでしょう。
人は、いかに出来や評価が良くても真似事では死にたくありませんが、他人事、それも幸福支援事なら喜んで死ねる、ないし、死んでも本望に思える、のでしょう。


テルマエ・ロマエII DVD通常盤
出演:阿部寛、上戸彩、北村一輝
監督:武内英樹
東宝
2014-11-26


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kimio_memo at 07:23|PermalinkComments(0) 映画 

2015年09月10日

【第63期王座戦第一局】羽生王座、横綱相撲で佐藤挑戦者の出端を挫く

[ひと言感想]
終盤、混戦が窺えましたが、基本的には、佐藤天彦挑戦者の「細い」速攻を羽生善治王座ががっぷり受け、切らした印象です。
横綱相撲の本質は、挑戦者の「攻め急ぎ」の誘発かもしれません。

「実力者は実戦、それもとりわけ大舞台の実戦を経て、強くなる」。
佐藤挑戦者の以下のツイートから、本事項を再認識しました。


無念の最たるの一つは、生来の実力を開花せず生を終えることに違いありません。
不肖私、今後一層、目の前の勝負を大事に戦い、大舞台ならではの快適勝負環境を手に入れる所存です。


★2015年9月2日催行
http://live.shogi.or.jp/ouza/
http://kifulog.shogi.or.jp/ouza/63_01/
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/63/ouza201509020101.html

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kimio_memo at 07:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋タイトル戦 | -王座戦

2015年09月09日

【洋画】「ディア・ハンター/The Deer Hunter」(1978)

[ひと言感想]
戦争とロシアンルーレットは通底する。
その不条理な死線の彷徨と自我の喪失は、一度経験したが最後、たとえ親友が命を懸けようと、終生癒えない。

「してはいけない経験」と「高めてはいけない経験値」は存在する。
それらに抗うため知恵と勇気は存在する、と思いたい。


ディア・ハンター [DVD]
出演:ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・サヴェージ、メリル・ストリープ
監督:マイケル・チミノ 
KADOKAWA / 角川書店
2018-06-29




kimio_memo at 07:29|PermalinkComments(0) メリル・ストリープ出演作 | -ロバート・デ・ニーロ出演作

2015年09月08日

【邦画】「肉弾」(1968)

[ひと言感想]
「兵隊は特攻の時、『天皇陛下万歳!』ではなく、『お母さーん!』って言ってた」。
母は生前こう折に触れ言っていましたが、彼らの内、母親ではなく、主人公の様に自分だけの美しい観音様を想っていたのは、果たしてどれ程居たのでしょう。
戦争の大罪の一つは、幸福の何たるかや人生の意義に無自覚、無理解な若者を日常から引っ張り出し、非日常の最前線の盾にしてしまうことかもしれません。


肉弾 [DVD]
出演:寺田農、大谷直子、田中邦衛、北林谷栄、笠智衆
監督:岡本喜八
キングレコード
2019-02-13




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2015年09月02日

【洋画】「地獄の黙示録/Apocalypse Now」(1979)

[ひと言感想]
「自他ともに認める」善人は、ビジネスに不向きです。
なぜなら、ビジネスの本質は争いだからです。
他者と争い、生き残るには、善行だけでは不可能です。

争いが本質なのは、人生も同じです。
他者と協調し、生を全うするには、適宜争える姿勢と力量を不断かつ終生披露しなければいけません。

善人と悪人の同居が人間の本性なのは、そのために違いありません。
自他ともに善人を認めるのは、人生の短縮と同義です。

しかし、この人間の本性が戦争を招くのでしょう。
私たち人間は、善人と悪人が同じ心身に同居しているがため開戦し易く、また、未練(←自己過剰肯定)や自己目的化の誘惑に弱いことも手伝い、終戦し難いのでしょう。

生きるために争うのか、それとも、争うために生きるのか。
私たちが不毛な戦争を回避するには、一人一人が本事項を不断かつ終生自問自答しなければいけません。


地獄の黙示録 特別完全版 [AmazonDVDコレクション]
出演:マーロン・ブランド、マーティン・シーン、ロバード・デュバル
監督:フランシス・F・コッポラ
KADOKAWA / 角川書店
2019-03-22


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2015年09月01日

【邦画】「クライマーズ・ハイ」(2007)

[ひと言感想]
たしかに、下りるべき時に悔いなく下りるためには、登るべき時に最大限登らなければいけません。
また、下りる時に安全、確実に下りるためには、登る時に進捗を「チェック」、「ダブルチェック」して登らなければいけません。
下りるために登る」は、万事に通じる心得です。


クライマーズ・ハイ [DVD]
出演:堤真一、尾野真千子、堺雅人、皆川猿時、高嶋政宏、小澤征悦、遠藤憲一、山崎努
監督:原田眞人
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2011-10-26


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kimio_memo at 06:36|PermalinkComments(0) 映画