2015年06月
2015年06月30日
【野球/人生】「心の野球 超効率的努力のススメ」桑田真澄さん
P42
第3章 怪我は勲章
(前略)
手術後、ジョーブ博士は僕とメディアにこう言った。
「われわれの手術も格段の進歩を遂げています。マスミ・クワタのケースは筋肉も神経もまったく傷つけないで手術を行うことができましたし、回復はミスター・ムラタ(村田兆治)よりずっと早いと思います。それにリハビリのメニューを完全にこなすことができたら、元どおりに投げられるはずです」
単調なリハビリを続けるのは、とてもつらいことだった。手術を受けて成功した人はいるけれど、リハビリに成功した人は少ない。それは「今日はこれくらいでいいや」というほんのわずかの慢心が生まれるからだ。
リハビリを続けて、少し投げられると感じたとき、10メートルの距離から、20球だけのキャッチボールができた。そのとき、僕は小さな夢を叶えたと思った。人間には大きな夢と小さな夢がある。大きな夢が東京ドームで投げることなら、小さな夢は、どんな短い距離でもいいからもう一度、ボールを投げるということだった。小さな夢を叶えていくことが、大きな夢を叶えることにつながる。
リハビリの毎日は、小さな夢を叶えることの連続。日常生活でも、僕は小さな夢をいくつももつようにした。右肘のリハビリのために、使いにくい象牙の長い箸を用意して、食事をするようにした。しっかりつまめなければ、箸から料理がこぼれ落ちるのだが、わざわざ豆の料理を作ってもらって、それを箸でつまむ練習もした。
ファンの方に求められるサインも、アルファベットの「Kuwata 18」から「桑田真澄 18」に変えた。
筆ペンを使って漢字を書くことで、指先を馴らすことができればという気持ちからだった。
指先の感覚とリズム感を失わないためにピアノを習い始めたことも、ポリフェノールが身体にいいと聞いてワインを飲むようになったことも、僕にとってはすべて、リハビリの一環だった。
毎日、同じことの繰り返しで、何もやることがないと、本当に復活できるのかなとか、またあのマウンドに立てるのかなとか、余計なことを考えてしまう。だから、起きている時間をいかに有効に使うかを常に考えていた。
(中略)
僕は野球選手だから、野球のプロフェッショナルでありたいと思っていた。生活のすべてが野球のためだという、徹底したプロ意識。そういう意識をもてる人こそが、真のプロフェッショナルだ。
そう考えるとスポーツ選手は、怪我をしたときには、リハビリのプロにならなければならないと僕は考えた。どんなに投げられそうだと思っても、どんなに投げたいと思っても、焦って投げることには何の意味もない。単に早く復帰することもよりも、完璧に治すことが大事だと自分に言い聞かせて、そこで我慢する。それができる人が、リハビリのプロだ。
完璧な手術をしてくれたジョーブ博士に応えるためには、完璧なリハビリをしなければならないんだと自分を励ましていた。
スポーツには怪我はつきものだ。でも、怪我の再発防止を心がけることはできる。念入りにストレッチをする。身体の柔軟性を保つ。お風呂のなかでマッサージをする。お風呂で自分の指でマッサージをすれば、握力がつく。怪我とはそうやって地道に付き合っていくものだ。
僕は、自分だけは絶対に怪我をしないと思っていた。常にこれだけの節制をして、これだけの努力をしているんだから、怪我などするはずがないと確信していた。でも実際には僕は2度も大手術をした。
僕の右肘と右の足首には傷跡がある。どちらも試合中に負った怪我を治すために、メスを入れた跡だ。僕はこの二つの傷を、勲章だと思っている。
(中略)
プロ野球選手として、手術を受けるというのは「超」のつくマイナスな出来事。手術しなければ、その後、野球ができなくなるわけだから、それ以下はないと言っても過言ではない。でも、それを勲章だと思えるのは、それだけ僕はあのダイヤモンドのなかで、マウンドの上で、ベストを尽くしてきたということ。
いま振り返れば怪我をしてよかったなと思える。今後、僕が指導者として若い世代と向き合っていくとき、彼らの苦しみや痛みを理解し、アドバイスをおくることができるからだ。怪我をしたときはとてもショックだったが、今ははっきりと言える。怪我は僕にとって、かけがえのない財産であり勲章だ。
「スポーツ選手は、生活の全てを自分の専門技のためと思考できるプロフェッショナル」で、「怪我がつきもの」であるからして、「リハビリのプロにならなければいけない」との、桑田真澄さんの思考とそのロジックは成る程だ。
そう、私たちも、各々小市民とはいえ、何らか専門技でオマンマを食べるプロフェッショナルで、日々物理的、経済的、精神的のいずれかか複数、何らか怪我に見舞われるからして、リハビリのプロにならなければならない。
また、リハビリのプロになるには、大きい夢だけでなく、その実現に収斂する「小さな夢を日常的にいくつも持つこと」が、「起きている時間を余計なことを考えず有効活用する」上でとりわけ有効であるとの、思考とそのロジックも成る程だ。
リハビリのプロになるのが容易でないのは、即ち、桑田さん曰く「手術に成功する人は居ても、リハビリに成功する人はそう居ない」のは、絶望と背中合わせの日常を、希望の必然と思考、ロジック立てる習性の会得が容易でないことに加え、私たちがその意義を凡そ見過ごしているからではないか。
2015年06月29日
【洋画】「ソーシャル・ネットワーク/The Social Network」(2010)
[ひと言感想]
とりわけ共感したのは、真偽はさておき、マーク・ザッカーバーグにfacebookを形作らせた原点かつ最大のエンジンが「怒り」だったこと。
怒りはネガティブ感情の最たるですが、その逆転的効用とも言うべき「怖いもの無さ(自信)」、「才能開花力」、「一点突破力」は、やはり異常かつ無限大です。
怒りは、馬鹿と鋏(笑)に負けず劣らず使いようです。
とりわけ共感したのは、真偽はさておき、マーク・ザッカーバーグにfacebookを形作らせた原点かつ最大のエンジンが「怒り」だったこと。
怒りはネガティブ感情の最たるですが、その逆転的効用とも言うべき「怖いもの無さ(自信)」、「才能開花力」、「一点突破力」は、やはり異常かつ無限大です。
怒りは、馬鹿と鋏(笑)に負けず劣らず使いようです。
出演:ジェシー・アイゼンバー、アンドリュー・ガーフィールド、アーミー・ハマー、ルーニー・マーラ
監督:デヴィッド・フィンチャー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25
2015年06月26日
【経営/マーケティング】「スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?」ジョン・ムーアさん
P66
【9】強いブランドはブランドの「負債」より「資産」が多い。
(前略)
個人のバランスシートに資産と負債があるように、ブランドのバランスシートにもブランド資産、ブランド負債という形での資産と負債がある。
「ブランド資産」とは世間に対して評判やイメージを高める企業活動のことである。
「ブランド負債」とはブランドの評判やイメージを損なう活動のことである。
マーケティング活動には、プロモーション、後援、キャンペーン、特別イベントなどがある。企業の活動としてどれがふさわしいかを判断する場合、スターバックスのマーケティング部門では、まずその活動がフランド資産かブランド負債かを判断している。
マーケティングプランの採否を決める4つのチェックポイント
[1]スターバックスのお客様のインテリジェンス(知的好奇心や判断力)を尊重しているか
[2]お客様に約束した内容を企業として責任をもって果たすことができるか
[3]従業員が楽しんで積極的にできるものか
[4]気が利いていて、オリジナリティがあり、心から信頼できるものだとお客様が受け取ってくれるか
この4つのうち、3つ以上「イエス」がつけば、その活動はブランド資産になる。
一方、2つ以上に「ノー」がつけば、ブランド負債となってしまう。そうなったら、企業としてその活動を採用するか否かを議論する必要がある。
懸賞キャンペーンはブランドにとってプラスか、マイナスか
2003年初頭に初めての懸賞キャンペーンを行うことになったが、その前にマーケティング部門で、このキャネンペーンがブランドにとって資産となるか負債となるかを判断しなければならなかった。これは「ベスパUSA」(イタリアのオートバイメーカー「ベスパ」の米国代理店)と提携し、スターバックスのお客様にイタリア旅行や人気の高いベスパなど、さまざまな商品が当たるという特別なキャンペーンだった。
さきに紹介した4つの点で考慮した結果、3つがはっきりと「イエス」になったので、このキャンペーンはブランドにとって「資産」だと判断された。
お客様のインテリジェンスを尊重しているかという点については、イタリアのロマンティックなイメージを呼び起こすだけでなく、イタリアのカフェ文化に由来するスターバックスとも関連があるので、「イエス」と判断された。
(中略)
結果は成功だった。豪華な賞品でお客様を驚かせ、喜ばせただけでなく、販売も増加したので、大成功を収めたといえる。
クーポンの配布は「負債」
スターバックスがブランドにとって「負債」と見なすマーケティング活動のひとつは、クーポンである。
(中略)
スターバックスもクーポンを配布することはあるが、あくまでも慎重に検討したうえでのこと。少なくともこれまで、ダイレクトメールで大量にばらまくことは決して行ってない。それは、その行為はブランドにとって「資産」ではなく「負債」だと捉えているからである。
スターバックスのマーケティング担当者たちは、ダイレクトメールでクーポンを配布することは、お客様のインテリジェンスを尊重するものではないと考えている。それに、ダイレクトメールでクーポンが届いても、お客様の目には、”気が利いていて、オリジナリティがあり、心から信頼できるもの”とは映らないだろう。内部調査を行った結果でも、お客様はもっとオリジナリティに富んだものを期待し、一斉にダイレクトメールを発送するという集合的扱いではなく、個人として扱ってほしいと思っていることが判明した。
さらにいえば、そんなありきたりのマーケティング戦略を使わないと売上が伸ばせない企業なら、各店舗にいるバリスタの情熱が失せてしまう。
「常連の『インテリジェンス(知的好奇心や判断力)』を尊重しているか?」
なぜ、スターバックスはこの問いを販促(=マーケティングプロモーション)プランのチェックポイントに含めるのか。
一番の理由は、スターバックスの常連は「『インテリ』だから」であり、また、「『インテリ』であって欲しいから」、だろう。
よくファーストリテイリングの柳井正会長が「セールチラシは対象顧客へのラブレターである(がゆえ、彼らを真に惹ける内容に精緻に作り込む必要がある)」旨仰っているように、マーケティングは販促であれ商品開発であれ、対象顧客、それも、「(ずっと)居(続け)て欲しい」常連へのラブレターであって然るべきであり、「インテリ」宛のラブレターは、中身もその根本思想(=コンセプト)も「インテリ」でなければならない。
スターバックスのこの考えが私に改めて気づかせてくれたことは、「マーケティングで先ず重要なのは、[相思相愛かつ相互発展的関係性の構築]をコンセプトにできる『常連』と、コンセプトにできない『非常連』を各々明確に定義し、かつ、後者を実施対象から完全に除外すること」、だ。
ジョン・ムーアさんによれば、スターバックスの設立には、「[カフェインが摂取できる、単に習慣的に消費する熱い焦げ茶色の液体]ではなく、[微妙で深いエキゾチックな風味を持つ本物のコーヒー]を、居心地良く落ち着ける場所で日常的に提供したい」との思いが在ったようだが、そもそも「微妙で深いエキゾチックな風味」や自宅以外の「居心地良く落ち着ける場所」を評価、(商品)欲求する人は凡そインテリな人だ。
スターバックスは設立時に、インテリでない人を対象顧客から除外し、インテリな人を常連化することを自ら宿命付けたと言えよう。
スターバックスのこの自己宿命付け、並びに、彼らの持続的成功と真反対のテレビ局の失墜が私に改めて確信を促すことは、「マーケティングは、否、ビジネスは、インテリな人を対象顧客とし、彼らと相思相愛かつ相互発展的な関係性を持続的に構築するのが賢明だ」、ということだ。
サラ金を見れば分かり易いが、インテリでない人を常連化するビジネスは、やり方次第とはいえ、対象が対象なだけにやり易いと言えばやり易く、しかも、ボロい。(苦笑)
しかし反面、対象が対象なだけに相思相愛も、相互発展的な関係も長続きしないし、そもそもそうした関係性を構築することが本質的に困難だ。
事業運営するビジネスを、儲かりさえすれば対象顧客を人と思わない、不実で刹那的な焼畑農業のそれでよしと考えるか、それとも、「違いの分かる」インテリジェンスの持ち主と、面倒でも合理的かつ誠実に利益交換を試み続けてこそ本当と考えるか。
ビジネスの持続的な成功を決めるのは結局、経営者の信条、信念だ。
2015年06月25日
2015年06月24日
【邦画】「赤線地帯」(1958)
[ひと言感想]
ゆめ子(演:三益愛子さん)が発狂したのは、息子とはいえ、生き甲斐を他者に断たれたからでしょう。
人生は、発狂したらお終いです。
発狂の一番の予防法は、他者(ひと)のためではなく、自分のために生きることかもしれません。
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ゆめ子(演:三益愛子さん)が発狂したのは、息子とはいえ、生き甲斐を他者に断たれたからでしょう。
人生は、発狂したらお終いです。
発狂の一番の予防法は、他者(ひと)のためではなく、自分のために生きることかもしれません。
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2015年06月18日
【人生】「思考力の方法 ―『聴く力』篇」外山滋比古さん
P125
書かれたものにはウソがある
本を多く読んでいると、文章が本当のことを正しく表現しているような錯覚をもつようになるらしい。
文章を信用する。反面、そのもとになっていることば、気持ちなどは、文章より低いもののように感じられる。
つまり、文章を過信と思わず信用する。
これは、文章がある種の加工であることを無視することで、現実的でない。
(中略)
文章は、話すことばの要約、圧縮である。
かなり自由な翻訳であることを、われわれは教えられることもなく、活字、文章を信用している。文章から元のことがらへ到達できるようにも思い込んでいる。
いかに忠実でも、翻訳は翻訳である。完全な翻訳というものが考えられても、実際には存在しなように、対象を過不足なく忠実に表現している文章は存在し得ない。
日記は、人に見せるものではない。文章を飾ったりする必要もないから、あったことをありのままに書き記すことができるはずである。
ところが、日記をつけていると、文章の勢いにつられて、より大きく、より劇的に、事実と異なることを書いてしまうことがないとはいえない。
文章は話しことばよりずっときびしい制約をもっているから、実際をあるがままに伝えることは、話しことば以上に大きな異物が介入するおそれがある。
つまり、文飾が入って、本体を歪めるともなく歪めるのである。
人間は、決して、ものごとをあるがままに表現することはできない。思ったことをそのまま表現することもできない。
はじめに、話すことばに”翻訳”して、話にする。その話に、さらに、文章化の翻訳を加えて、文章が生まれる。
文章は元の思い、考え、ことがらに二重の翻訳を加えたものであることになる。
文章第一主義によれば、元のことから話されることばを止揚して、文章を借用することになるが、そこに含まれる一種のウソに目をつむるのは問題である。
(中略)
文章のかかえる必然的な虚偽、ウソを認めると、われわれは広い意味でのフィクションにつつまれていることを認めなくてはならなくなる。
文章を書くのがむずかしいのは、その問題を自分なりに乗りこえなくてはならないからである。
文章を書くというのは、そういう意味でもっとも個性的な活動であるということになるが、それだからといって、話すことより高い価値があるかどうか、じっくり考えてみなくてはならない。
録音、映像などの再生技術が発達した現代において、こういう認識上の”翻訳”が新しい角度から見直されてよいように思われる。
文章を書くのがむずかしいのは充分に知られているように思われるが、このなかにある”創造”的側面は、これからの考究にまつところが大きい。
「思ったことを思ったように書く」は、決して古くならない命題である。
「文章を書くのが難しい一番の理由は、真実や本意にウソをつく必然に、方法(技術)と精神の双方で打ち克つ必要があるからだ」。
思考の達人の外山滋比古さんの思考は、相変わらず(笑)成る程だ。
たしかに、日記に限らず、こうしてブログなり(笑)何なり文章を書くと、いかに事実や本意だけを記そうと試みても、仰せの通り、つい文飾を加えてしまい、それらをより大きく、より劇的なものにしてしまう。
これまで私は、文章を書くのが難しい元凶を「客体化(=主観を客観化すること)の難しさ」に見出してきたが、外山さんのこの思考の方がより本質的かつ妥当に思う。
では、そもそもなぜ私たちは、文章を書くとつい、事実や本意をより大きく、より劇的なものにしてしまうのか。
日記のような「人に見せない」それにもしてしまう事実から窺えるのは、「書き記した文章、及び、書き記したプロセスに対する、他者ではなく自己の評価、満足を可能な限り高めたいから、極論すれば、自己肯定を最大化したいから」、だ。
女性が異性の男性より、同性の女性に「厳しい」のは周知だが(笑)、聞くところによると、女性が化粧をする一番の理由は「同性の女性に勝ちたいから」だという。
男性は社長や総理大臣に成りたがるが、女性は女王様に成りたがる生き物なのかもしれない。(笑)
ともあれ、文章をより大きく、劇的に書いてしまうことと、とりわけ女性のブログの本文と自撮り画像が共に大きく、劇的な傾向にあるのは、自己肯定最大化の潜在的欲求の現れとして通底しているのではないか。(笑)
2015年06月17日
【第86期棋聖戦/第二局】豊島挑戦者、羽生棋聖の矢倉真理探究に打ち克ち、一勝を上げる
[ひと言感想]
豊島将之挑戦者が90手目、△3四銀と▲3四歩をがっちり先受けし、羽生善治棋聖の猛チャージを一手振り切ったのは見事のひと言ですが、羽生棋聖が対局早々23手目、▲3五歩と▲3七銀とせず先攻し、矢倉の先手の利と真理を温故知新的に探究したのは感心のひと言です。
実力者が長く実力者で在り続けられるのは、現在の地位を脅かすべき場面でさえ、否、そんな場面だからこそ、結果より真理を積極的かつ全方位的に探究することが大きいに違いありません。
★2015年6月16日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/86_02/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/86/kisei201506160101.html
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豊島将之挑戦者が90手目、△3四銀と▲3四歩をがっちり先受けし、羽生善治棋聖の猛チャージを一手振り切ったのは見事のひと言ですが、羽生棋聖が対局早々23手目、▲3五歩と▲3七銀とせず先攻し、矢倉の先手の利と真理を温故知新的に探究したのは感心のひと言です。
実力者が長く実力者で在り続けられるのは、現在の地位を脅かすべき場面でさえ、否、そんな場面だからこそ、結果より真理を積極的かつ全方位的に探究することが大きいに違いありません。
★2015年6月16日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/86_02/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/86/kisei201506160101.html
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2015年06月16日
【邦画】「八つ墓村」(1977)
[ひと言感想]
美也子の犯行は自分の事業存続を果たすものでしたが、結果として、祖先の怨念成就を果たすものに成りました。
人間の活動は凡そ、経済に限らず「見えざる手」に因るものであり、その根本動機は無意識の中に在るものかもしれません。
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美也子の犯行は自分の事業存続を果たすものでしたが、結果として、祖先の怨念成就を果たすものに成りました。
人間の活動は凡そ、経済に限らず「見えざる手」に因るものであり、その根本動機は無意識の中に在るものかもしれません。
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2015年06月15日
2015年06月12日
2015年06月11日
【邦画】「みんなのいえ」(2001)
[ひと言感想]
たしかに、「誰か一人のプロの」成果物より、「互いを認め合うプロたち『みんな』の」成果物の方が、より高い顧客満足を生む可能性はあります。
真のプロフェッショナルは、「競い合い」より、「認め合い」の達人かもしれません。
たしかに、「誰か一人のプロの」成果物より、「互いを認め合うプロたち『みんな』の」成果物の方が、より高い顧客満足を生む可能性はあります。
真のプロフェッショナルは、「競い合い」より、「認め合い」の達人かもしれません。
2015年06月10日
【洋画】「燃えよドラゴン/Enter the Dragon」(1973)
[ひと言感想]
「最強」の魅力と説得力を再認識しました。
「最強」こそ希望です。(笑)
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「最強」の魅力と説得力を再認識しました。
「最強」こそ希望です。(笑)
出演:ブルース・リー、ジョン・サクソン、アンジェラ・マオイン、シー・キエン
監督:ロバート・クローズ
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-02-17
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2015年06月09日
2015年06月08日
2015年06月05日
【科学/マーケティング】「買いたがる脳 なぜ、『それ』を選んでしまうのか?」デイビッド・ルイスさん
P35
強烈な欲望「ウォンツニーズ」
現代のショッピングシーンにおいて「欲しい(ウォンツ)」という思いが脳から離れなくなると、ほかのことに集中できなくなり、「欲しいし必要(ウォンツニーズ)」という思いに変容する。サスカチュワン大学教授ジム・プーラーは、次のように説明している。
無駄に思える買い物であっても、すべての買い物は消費者ニーズを反映したものであり、ニーズを満たすために必要不可欠な行為だといえる。たとえば若者は、単に最新ファッションが欲しいのではなく、流行の服やアクセサリーが「どうしても必要だ」と思っている。大人たちも、ただホームシアターが欲しいのではなく、友人たちが持っているから手に入れなければならないのだ。それが現代の買い物事情であり、実質的にすべてのものは、どれだけ不必要に思えても、ウォンツではなくニーズを満たすものになっている。
「ウォンツニーズ」は、強烈な欲望になり、どれだけ費用がかかっても満たされなければ気がすまなくなる。
(以下省略)
P39
ニーズを「ウォンツニーズ」へ変える
[1]のようにウォンツやニーズが低くても、マーケティングや広告戦略によって[4]のウォンツニーズへの移行は可能である。具体的な方法を6種類紹介しよう。
その1:買い物客に「作業」を与える。
(中略)
衣料品のディスカウントストアでは、顧客が掘り出し物を見つけなければならないし、値段交渉を行えば割引価格になる店もある。顧客が値引きに成功して優位性を感じるようにすれば、交渉スキルが引き立ち、購入意欲が一段と高まる。
(中略)
私たちの研究グループが、値引きしてもらった買い物客やうまく交渉すれば値引きしてもらえる買い物客にセンサーを装着して反応を調べたところ、精神と肉体の両面に覚醒が見られ、取引が終了した段階の覚醒がピークになっていた。しかも通常に買い物するよりも商品を高く評価していた。
その状況には、いわゆる「吊り橋効果」も影響しており、感情の高まりの原因を因果関係のない事象や人物だと勘違いしてしまっている。たとえば初デートでスリルのあるジェットコースターに乗ったり、ホラー映画を観たりすると、それらの経験が原因でアドレナリンが分泌しているにもかかわらず、相手の魅力によるものだと誤解する可能性がある。
バーゲン商品を見つけたときも同じである。見つけたときの興奮が大きくなれば、商品の魅力が強まる。セールやオークションで購入を競っている状況にもあてはまる心理である。
その2:希少性を作り出す
(省略)
その3:ザッツノットオール(TNA/それだけではありません)テクニック
具体的には2種類の方法があり、ひとつは通常価格が5ドルのコーヒーを3.80ドルで販売するといった値引きによるアピールである。
(中略)
もうひとつの方法は、別のアイテムの追加や大幅な値引きである。いま私の手元に好例がある。ロンドンの紳士服店の全面広告である。通常価格70-80ポンド(1万円程度)のシャルが20ポンド(3500円程度)値引きされている。だが、「広告を見た」と言えば、さらに15%値引きされる。さらにキャンペーン期間中に購入すればシルクのネクタイがもらえるのだ。
TNA(That's Not All)はさまざまな場面で用いられ、「買うか買わないか」迷っている商品を買う気にさせるのに効果的だと実証されている。
(以下省略)
その4:楽しさを演出する
人は楽しく遊んでいるとき、買い物する気分になる傾向が強い。休日に観光地やテーマパークに行くと、次々とセンスのない買い物をするのはそのためである。イタリアの哲学者のウンベルト・エーコは、ディズニーランドが「夢のファンタジックな世界にいるような気分にさせ」、園内に入ると「だまされて、買わなければならない気分になり、それも遊びだと信じ込まされる」と指摘している。
その5:気分転換に「必要なもの」にする
最近の空港は、出発する場所から買い物する場所に変わりつつある。いわば滑走路つきの巨大ショッピングゾーンを利用する乗客は、一般的な買い物客とは違い、ほかに行き場が少ないという弱みがある。しかも時間を持てあまして気晴らしを求め、緊張感をほぐしたいと思っている。その結果、時間をかけて歩き回り、出費が増えていく。購入するのは、商品というより接客であり、商品そのものと同じぐらい販売員の接客を強く求めている。
(以下省略)
その6:「問題がある」と感じさせる
1920年代になると、アメリカ人の日常生活において、幸い本人は自覚していないが人間関係や仕事に支障が出かねない問題をかかえるようになる。深刻で人生を破壊しかねないので本人に打ち明けにくい個人的な問題、それは「息の臭い」である!
製薬会社のランバートは、その状況を病名のように「慢性口臭」と名づけ、リステリンを販売した。19世紀に開発された強力な外科用防腐薬であり、もともとは床のクリーナーや淋病の治療薬として販売されていた溶液である。広告では悲しそうな若い男女が、強烈な口臭が原因で恋ができないというデザインを採用した。それまでは認識されていなかった問題を顕在化させることによって、売上は7年間で11万5000ドルから800万ドル以上に跳ね上がった。ジョンソン・エンド・ジョンソン2018-11-17
現在の消費者は毎日約4000の広告を目にしているが、その多くは個人的な問題に関するものである。太りすぎ、薄毛、にきび、しわ、体臭、ふけ、乾燥肌やオイリー肌、消化不良、胸やけ、歯の汚れで人間関係に悪影響をおよぼしかねないと警告されており、広告の商品やサービスを購入しなければ、あらゆる問題が生じるかのようだ。
歯科や外科や美容医療などを、「望まれないが必要なサービス」から「望まれるサービス」に変える方法のひとつは、外見がよくなり自信につながるための手段として売り出すことである。歯列矯正、フェイスリフトによる若返り、豊胸による女性らしさのアピール、ボトックスによるたるみの解消は、その典型事例である。
(以下省略)
「イノベーションのジレンマ」の著者、クレイトン・クリステンセンさんの説くマーケティング理論に、「片づけるべき用事」という概念がある。
たしかに、私たちが有形無形を問わずモノを買うのは[何らかの用事を片づけたいから]であり、尤もに思う。
本著書のデイビッド・ルイスさんは、モノを売りたければ「ウォンツ(欲しい)」を「ウォンツニーズ(欲しいし必要)」に変えることが有効であると説き、その方法の一つに[「(現在)問題がある」と感じさせること]を挙げている。
たしかに、「問題」は正に「片づけるべき用事」であり、これまた尤もに思う。
長年モノを売ることに携わってきて今思うことの一つは、モノ売りは「躾」だ、ということだ。
なぜか。
私たちがモノを買う際、意識の有無を問わず[”その”モノを買う理由]を見つけているが、その力や根拠は、後天的かつ外的に躾けられるものだからだ。
だから、後進国より先進国の方がモノ売りが盛んであるのは、購買力が高いことに加え、躾が浸透しているからだ。
たとえば、私たち先進国人は、靴を買うのにもはや理由を自覚しないが、それは「靴を履くこと」が当たり前のこととして完全に躾けられているからであり、デイビッドさんの主張に則れば、[「靴を履かないこと(←素足で歩くこと)」に問題を感じる]よう躾けられているからだ。
極論すれば、文明の進化と文化の進化が比例関係にあるように、文明の進化とモノ売りの興隆も比例関係にある。
今、水がミネラルウォーターとして売られているのは、文明、文化が進化し、相当数の人が[「水道水を飲むこと」に問題を感じる]よう躾けられている、ということだ。
しかし、文明、文化が進化し、モノ売りが盛んになったにもかかわらず、私たち先進国人の幸福感は必ずしも高くない。
本意の有無を問わずとにかく躾けられ、より賢くなり(=問題の認識力と対処力が向上し)、より便利になり、より健やかになった・・・にもかかわらず幸福感が上昇しない・・どころか、却って減少している調べもある。
なぜか。
一因は、[「問題がある」と感じ過ぎるから]ではないか。
たとえば、美容整形は「ハマる」人が少なくないと聞くが、それは、美への飽くなき欲求に加え、一つの問題を解決したことが別の問題を提起するからだろう。
ともあれ、私たち「賢い」先進国人は、努めて一つの問題を解決するや否や別の問題を感じるよう躾けられており、「慢性疲労」ならぬ「慢性不幸」症候群の罹患者に違いない。
そもそもモノを売ることは、対象者を幸福にすることだ。
即ち、モノ売りは必要悪ではなく必要善であり、対象者に[「問題がある」と感じる]よう躾けるのは重要かつ不可欠である。
しかし、今少し舌が滑ったが(笑)、この躾が行き過ぎたモノ売りはもはや悪である。
眼前の利益や私的な事情のためだけに対象者を、ひいては、他者(ひと)を過剰に躾けるのは、モノ売りとしてもはや本末転倒であるばかりか、未来に禍根を残すゆえ、やはり自戒が必要ではないか。
2015年06月04日
【洋画】「ミスター・ベースボール/Mr. Baseball」(1992)
[ひと言感想]
なぜ、内山監督は英語が話せるのに、当初通訳を介してジャック選手と会話したのでしょう。
「日本男子足る者、他者との意思疎通(コミュニケーション)は、本心を露にせず(→相応に隠し)、議論(話し合い)を、ひいては、不毛な対立を避けるべし」。
愛娘のヒロコへの最後の謝罪から想像するに、主因はこの頑なな信条でしょう。
頑なな信条を変えるのは、同等に頑なな、しかし、志は高くかつ同一な信条とその持ち主なのでしょう。
続きを読む
なぜ、内山監督は英語が話せるのに、当初通訳を介してジャック選手と会話したのでしょう。
「日本男子足る者、他者との意思疎通(コミュニケーション)は、本心を露にせず(→相応に隠し)、議論(話し合い)を、ひいては、不毛な対立を避けるべし」。
愛娘のヒロコへの最後の謝罪から想像するに、主因はこの頑なな信条でしょう。
頑なな信条を変えるのは、同等に頑なな、しかし、志は高くかつ同一な信条とその持ち主なのでしょう。
出演:トム・セレック、高梨亜矢、レオン・リー、アニマル・レスリー、塩谷俊、高倉健
監督:フレッド・スケピシ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2021-11-10
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2015年06月03日
【第86期棋聖戦/第一局】羽生棋聖、豊島挑戦者の作戦を封じ、緒戦を制する
[ひと言感想]
準備していた作戦を封じられて緒戦を落とした豊島将之挑戦者の無念は拝察するに余り有りますが、感想戦によると、87手目に▲2五歩ではなく▲1五銀と指せば、その思いは変わっていた可能性があるようです。
勝負とは、最後まで可能性を信じることかもしれません。
★2015年6月2日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/86_01/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/86/kisei201506020101.html
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準備していた作戦を封じられて緒戦を落とした豊島将之挑戦者の無念は拝察するに余り有りますが、感想戦によると、87手目に▲2五歩ではなく▲1五銀と指せば、その思いは変わっていた可能性があるようです。
勝負とは、最後まで可能性を信じることかもしれません。
★2015年6月2日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/86_01/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/86/kisei201506020101.html
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2015年06月02日
2015年06月01日
【第73期名人戦/第五局】羽生名人、前人未到の「玲瓏」と最善努力、そして、「思行」一致で名人位を防衛
[ひと言感想]
行方尚史挑戦者の敗因の一つは、70手目、羽生善治名人の△2七銀打を見落としていたことのようですが、以後、悲観を自制し、103手目、▲5一飛の代わりに▲4三成桂を敢行していれば、勝敗不明だったようです。
見事、通算9期目の名人位を防衛した羽生名人は、記者会見で以下の旨述べました。
「結果的に劣勢を逆転しての勝利が多かったが、いずれの対局でも特に留意したのは、名人戦は良くも悪くも持ち時間が9時間と大変長いので、技術の前に気持ちを折らさず、勝敗が決まるまで一手一手、最善を尽くすこと。というのも、持ち時間が長いと不利な局面を見ている時間も長くて、だんだん嫌になってくる(笑)」。
羽生名人の勝因、否、タイトル獲得歴代最多(91期)の更新の極意は、行方挑戦者の、否、前人未到の「玲瓏」と最善努力、そして、「言行」、否、「思行」一致に思えてなりません。
★2015年5月28、29日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/etc/73/150528.html
http://mainichi.jp/feature/news/20150530k0000m040072000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASH5Y2QQ5H5YUCVL001.html
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10206795093618701.1073741947.1316444751&type=1&l=86b353fe97
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6155230509256286497?authkey=CKPrnK-Y6PHEUA
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行方尚史挑戦者の敗因の一つは、70手目、羽生善治名人の△2七銀打を見落としていたことのようですが、以後、悲観を自制し、103手目、▲5一飛の代わりに▲4三成桂を敢行していれば、勝敗不明だったようです。
見事、通算9期目の名人位を防衛した羽生名人は、記者会見で以下の旨述べました。
「結果的に劣勢を逆転しての勝利が多かったが、いずれの対局でも特に留意したのは、名人戦は良くも悪くも持ち時間が9時間と大変長いので、技術の前に気持ちを折らさず、勝敗が決まるまで一手一手、最善を尽くすこと。というのも、持ち時間が長いと不利な局面を見ている時間も長くて、だんだん嫌になってくる(笑)」。
羽生名人の勝因、否、タイトル獲得歴代最多(91期)の更新の極意は、行方挑戦者の、否、前人未到の「玲瓏」と最善努力、そして、「言行」、否、「思行」一致に思えてなりません。
★2015年5月28、29日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/etc/73/150528.html
http://mainichi.jp/feature/news/20150530k0000m040072000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASH5Y2QQ5H5YUCVL001.html
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10206795093618701.1073741947.1316444751&type=1&l=86b353fe97
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6155230509256286497?authkey=CKPrnK-Y6PHEUA
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