2015年01月
2015年01月30日
【邦画】「男はつらいよ 第3作 フーテンの寅」(1970)
[ひと言感想]
寅次郎はなぜ、フーテンであり続けるのか。
なぜ、おいちゃんにバカ呼ばわりされるのか。
本作品を見て改めて思うに、「損得勘定の無い、純粋な利他主義者だから」、もっと言えば、「利他主義を諦めず、絶えず奮闘努力(笑)しているから」、ではないでしょうか。
勿論、寅次郎とて人の子、女房も欲しけりゃ、子どもも欲しい。
しかし、そうした所帯を持つ幸福と、被らねばならない面倒、即ち「利他主義の諦め」を天秤にかけると、やはりフーテンであり続ける以外無いのではないでしょうか。
そして、だからこそ、「つらい」のではないでしょうか。
この世に「アイドル」が絶えないのは、人は誰かに憧れ、時に誰かをバカ呼ばわりすることで、失ったモノへの未練や無い物ねだりと折り合いを付けるクセがあるかもしれません。
寅次郎はなぜ、フーテンであり続けるのか。
なぜ、おいちゃんにバカ呼ばわりされるのか。
本作品を見て改めて思うに、「損得勘定の無い、純粋な利他主義者だから」、もっと言えば、「利他主義を諦めず、絶えず奮闘努力(笑)しているから」、ではないでしょうか。
勿論、寅次郎とて人の子、女房も欲しけりゃ、子どもも欲しい。
しかし、そうした所帯を持つ幸福と、被らねばならない面倒、即ち「利他主義の諦め」を天秤にかけると、やはりフーテンであり続ける以外無いのではないでしょうか。
そして、だからこそ、「つらい」のではないでしょうか。
この世に「アイドル」が絶えないのは、人は誰かに憧れ、時に誰かをバカ呼ばわりすることで、失ったモノへの未練や無い物ねだりと折り合いを付けるクセがあるかもしれません。
2015年01月29日
【邦画】「日輪の遺産」(2011)
[ひと言感想]
今の私たちが在るのは先人の賜物に違いありませんが、成る程、彼らの多くは、歴史に名を残していない、無名の賢勇者なのでしょう。
彼らのあり難い遺産を変わらず当然視し、食い潰すか、はたまた、心機一転レバレッジをかけ、富ますか。
私たちは今、天国の彼らにいずれか宣言すべきなのでしょう。
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今の私たちが在るのは先人の賜物に違いありませんが、成る程、彼らの多くは、歴史に名を残していない、無名の賢勇者なのでしょう。
彼らのあり難い遺産を変わらず当然視し、食い潰すか、はたまた、心機一転レバレッジをかけ、富ますか。
私たちは今、天国の彼らにいずれか宣言すべきなのでしょう。
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2015年01月28日
2015年01月27日
2015年01月26日
【第64期王将戦/第二局】郷田挑戦者、最終盤の敗着で渡辺王将に二勝目を献上
[ひと言感想]
郷田真隆挑戦者の敗因は投了三手前の153手目、△4八銀が見えなかったばかりに▲3八銀を選択してしまったことのようですが、当の渡辺明王将も△4八銀を勝着とまでは見えなかったようです。
「演繹的に考え、帰納的に指す」のが将棋、並びに、勝負事の要所であり、また、致し方無さなのでしょう。
女神は、勝負を見極めようとしない人間に決して微笑んだりしないが、見極めようとして見極められなかった人間には必ずしも微笑まない訳ではない。
★2015年1月22、23日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/64_02/
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6108181947120015441?authkey=CO37iuCRoqa_5gE
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/6553b645dacf96efdf51d6b1705ee692
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郷田真隆挑戦者の敗因は投了三手前の153手目、△4八銀が見えなかったばかりに▲3八銀を選択してしまったことのようですが、当の渡辺明王将も△4八銀を勝着とまでは見えなかったようです。
「演繹的に考え、帰納的に指す」のが将棋、並びに、勝負事の要所であり、また、致し方無さなのでしょう。
女神は、勝負を見極めようとしない人間に決して微笑んだりしないが、見極めようとして見極められなかった人間には必ずしも微笑まない訳ではない。
★2015年1月22、23日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/64_02/
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6108181947120015441?authkey=CO37iuCRoqa_5gE
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2015年01月23日
2015年01月22日
【邦画】「ツレがうつになりまして。」(2011)
[ひと言感想]
いかに伴侶とはいえ、他者の「見えない」、「経験していない」問題を自分事(⇔他人事)として共有するのは容易ではありません。
では、なぜ、晴子(演:宮﨑あおいさん)は幹夫(演:堺雅人さん)の鬱病を、「理解不能」、「自意識過剰」と切り捨てず、共に治癒に励めたのか。
「ツレ」だからでしょう。
もっと言えば、「ツレ」と公言して憚らない愛情と信頼を、それまでに幹夫と築けたからでしょう。
真の百薬の長は、酒ではなくツレかもしれません。(笑)
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いかに伴侶とはいえ、他者の「見えない」、「経験していない」問題を自分事(⇔他人事)として共有するのは容易ではありません。
では、なぜ、晴子(演:宮﨑あおいさん)は幹夫(演:堺雅人さん)の鬱病を、「理解不能」、「自意識過剰」と切り捨てず、共に治癒に励めたのか。
「ツレ」だからでしょう。
もっと言えば、「ツレ」と公言して憚らない愛情と信頼を、それまでに幹夫と築けたからでしょう。
真の百薬の長は、酒ではなくツレかもしれません。(笑)
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2015年01月21日
【邦画】「仁義なき戦い」(1973)
[ひと言感想]
「アウトレイジ」の原点を見たのはさておき(笑)、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」ように、「仁義なき戦いは罪悪であり、経済なき仁義は寝言である」のでしょう。
しかし、だからこそ、食うに困らなくなった私たちは広能に、そして、文太さんに憧れるのでしょう。
人間の本性は無い物ねだりです。
「アウトレイジ」の原点を見たのはさておき(笑)、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」ように、「仁義なき戦いは罪悪であり、経済なき仁義は寝言である」のでしょう。
しかし、だからこそ、食うに困らなくなった私たちは広能に、そして、文太さんに憧れるのでしょう。
人間の本性は無い物ねだりです。
2015年01月19日
【洋画】「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙/The Iron Lady」(2011)
[ひと言感想]
メリル・ストリープ演じる元英首相、マーガレット・サッチャーの思考と人生に、同性のツマが終始見とれていました。(笑)
志のある、潔く揺るぎない生き方は、男女の別なく美しいものです。
オットの私が見とれたのは(笑)、マーガレットへのデニスのプロポーズです。
説得とは、相手の理路と感情を快適に封じ込める試みです。
ともあれ、政治家の本懐は歴史の審判に耐えることに違いありませんが、孤独な彼らの完全な決断は千に一つでしょう。
政治家の決断は、経営者と同様、自分を信じ、そして、家族に信じられた賜物に違いありません。
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メリル・ストリープ演じる元英首相、マーガレット・サッチャーの思考と人生に、同性のツマが終始見とれていました。(笑)
志のある、潔く揺るぎない生き方は、男女の別なく美しいものです。
オットの私が見とれたのは(笑)、マーガレットへのデニスのプロポーズです。
説得とは、相手の理路と感情を快適に封じ込める試みです。
ともあれ、政治家の本懐は歴史の審判に耐えることに違いありませんが、孤独な彼らの完全な決断は千に一つでしょう。
政治家の決断は、経営者と同様、自分を信じ、そして、家族に信じられた賜物に違いありません。
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2015年01月16日
【邦画】「男はつらいよ(第1作)」(1969)
[ひと言感想]
「人生に雪が降り積もるのは当然だが、雪解けもいつどこであれ、あって当然だ」。
不肖私、本作品を見るのは今回で二度目ですが、さくらと飈(ひょう)一郎の涙から、この旨改めて気づかされました。
とけない雪はありません。
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「人生に雪が降り積もるのは当然だが、雪解けもいつどこであれ、あって当然だ」。
不肖私、本作品を見るのは今回で二度目ですが、さくらと飈(ひょう)一郎の涙から、この旨改めて気づかされました。
とけない雪はありません。
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2015年01月15日
【経営】「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」カレン・フェランさん
P133
「測定可能な目標」が弊害を起こす
評価基準が存在しなければ、経営陣は社員が正しい決定をして正しく業務を行うだろうと、社員の判断力を信頼するしかなくなる。そして在庫管理者と出荷係は、在庫を増やすことや、トラックの積み荷が満載になるまで出荷を遅らせることの費用対効果のバランスを、自分たちでしっかり考えなければならなくなる。
私の経験では、サプライチェーンの業務オペレーション改善に成功したのは、いずれもクライアントの社内の関係者全員を集めて優先事項を決定し、妥協点を探ることができたケースだった。会社の最重要目標はコスト削減なのか、それとも顧客満足度の向上なのかを社員が理解することは、当然ながら役に立つ。方向性が示されれば、人はどうすべきかを自分たちで判断できるものだ。
おかしなことに、意思決定から人間の判断を取り除かれてしまうと、結果的に賢明とは言いがたい判断が下されることになる。業務オペレーション改善のポイントは、それぞれのオペレーションから人間の判断を取り除くことではなく、オペレーションを行う人間の判断力を向上させることにある(その判断力こそ、かなり向上させる必要のある場合が多い)。
評価指標についてしっかりとわきまえておくべきなのは、指標は手段であって目的ではないことだ。数値目標が悲惨な結果を招いているのは、それが会社にとって本当に重要な目標に取って代わってしまったからだ。
評価基準は管理職層が参考にすべきものであり、管理の方法になってはならない。しかし、インセンティブ制度に評価基準を絡めて懲罰的な効果を持たせると、評価指標そのものが目的になってしまうのだ。そのことを最もわかりやすく説明するために、減量の例を使おう。
「やせなければ」と切実に思ったことのある人は多いはずだ。それでは、[1]「半年で10キロやせる」という目標と、[2]「体力をつけ、心身の健康状態を改善する」という2つの目標を比べてみよう。
ビジネスでは[1]の期限と目標数値を定めた測定可能な目標を選ぶだろう。けれどもこの目標は、健康上のあらゆる問題に発展するおそれがある。目標達成のために食事制限ができたとしても、おそらくはリバウンド効果で体重は戻ってしまう。運動はどうかといえば筋肉がつくせいでかえって体重が増えるおそれがあるーー筋肉のほうが脂肪より重いからだ。5ヶ月経っても目標体重にちっとも近づいていなければ、食べる量を極端に減らしてしまうかもしれない。だがそんなことをすれば体の代謝作用が悪化し、さらに太りやすくなってしまう。さりとて激しい運動に挑戦すれば、ケガをしてしまうかもしれない。
いっぽう、[2]の「体力をつけ、心身の健康状態を改善する」という目標には、さまざまな指標を用いることができるーー体重、服のサイズ、肥満度指数(BMI)、走った距離、持ち上げたバーベルの重さなど、進歩を確認できるものはいろいろある。この目標は無茶をして健康を犠牲にしてしまったら達成できない。
ところが多くの企業は短期的な目標を達成しようとして、そのような暴挙に出てしまうのだ。しかし、[2]の目標が目指すのは、長期的なライフスタイルの変化である。この目標の何よりも素晴らしいところは、期限もなく、いつまでたっても達成できないことだ。努力はずっと継続しなければならない。終わりなどないのだ!たゆまぬ改善というのはそういうものである。
カレン・フェランさんがサプライチェーンの業務オペレーション改善に成功した時の共通因子は、御意かつ尤もだ。
そうなのだ。
大目標の達成には凡そ複数の中目標が存り、それらは互いにトレードオフ(二律背反)の関係にあるのだ。
大目標を達成するのに真に大事なのは、正確かつ合理的に[1]「大目標を設定、認識すること」と、[2]「中目標の優先順位を決定、認識すること」なのだ。
故小倉昌男社長が宅急便を開始した当時、「サービスが先、利益は後」、「車が先、荷物は後」、「社員が先、荷物は後」、「安全第一、営業第二」と社員宛英断なさったのは、[2]のベストプラクティスなのだ。
そして、リストラが総じて失敗する(=本来の意味での「事業の再構築を果たさない)のは、カレンさんの例示通りダイエットが総じて失敗するのと同様、正確かつ合理的に(=自他共に納得する)[1]「大目標を設定、認識すること」と、[2]中目標の優先順位を決定、認識すること」を仕損じているからか、そもそも試みていないから、のいずれかで、所謂「リストラ」(=人員の削減や不採算事業の撤退)や食事制限というソリューション(=目的達成の解決策)が自己目的化してしまうからだ。
リストラもダイエットも、当人は勿論、その家族も辛いものだ。
折角ダイエットに金、時間、労力を数多投下するなら、「自分はそもそもなぜ、ダイエットをするのか(しなければいけないのか)?」、「ダイエットを果たし、一番何が得たいのか?」、はたまた、本当に「モテが先、健康は後」なのか(笑)、「見栄が第一、コストは二の次」なのか?(笑)、予め自分と家族の双方で認識、納得すべきなのだ。
P279
頭を使いたくないからコンサルに決めさせる
もうずいぶん前に気づいたのだが、人間性に逆らって働くよりも、人間らしく働いたほうがずっとラクだ。さらに重要なのは、社員が人間らしく働ける会社のほうが、社員の人間性を奪うような会社よりも、成功する確率が高い。
テイラー主義では基本的に、人間を機械のように働かせ、人間性に逆らって行動させようとする。マネージャーというのは得てして自分たちの取り組みが失敗した原因を、社員が決められたとおりに動かなかったせいにするものだが、宇宙飛行やインターネットやアニメやミュージックビデオを開発した人類は、厳格なプロセスに従ったり、完全に理性に従って行動したり、会社の方針に従うために自己の尊厳を犠牲にしたりするようになどできていないのだ。
だから企業の幹部は、人によるばらつきをなくすために厳格なプロセスを従業員に押し付けたりせず、むしろ人によるばらつきを生かすための道具として、これらの手法を用いる必要がある。職場から人間性を排除するのではなく、むしろできるだけ人間性を生かす努力をすべきなのだ。
それには、ソリューションやメソッドや理論は「真理」ではなく、物事の仕組みに対するひとつの考え方にすぎないことを、ちゃんと理解しているかどうかが重要だ。洞察を深めるために他人の考えから学ぶのはいいが、なかにはまちがった考え方もあるかもしれないことは、しっかりと認識しておく必要がある。
どうしたらよいアイデアと悪いアイデアを見分けられるか?それは考えることから始まる。というより、まずは考えようとすることから始まる。
企業の経営の行き詰まりについてはコンサルタントにも大きな責任があると思うが、企業の側にも落ち度がある。多くの企業はコンサルタントを雇って、自分たちの代わりに考えてもらおうとする。企業が戦略の策定や、リストラや、合併の実現可能性の検討などをいつもコンサルタント任せにしてしまうと、あなたの会社のことを何もわかっていない人間が、あなたの会社のビジネスについて最も重要な意思決定を行っていることになる。
テイラー主義の最大の欠点のひとつは、考えることと作業を切り離してしまったことだ。その負の遺産はいまもなおビジネスの世界に受け継がれ、考えるよりもとにかく作業を完了させることを重要視する傾向がある。答えをはじき出してくれるソフトウェアのプログラムやチェックリストやスプレッドシートに頼るか、それとも頭を使って考えるかーー多くのビジネスでは頭を使わない方法を選択するのである。
本件も御意かつ尤もだ。
たしかに、企業がコンサルタントを雇った挙句経営に行き詰まる責任の一端は、コンサルタントにも在るに違いないが、コンサルタントの主張、即ち、提案を、あたかも「正解」や「神のお告げ」の如く鵜呑みにする経営者にこそ、その過半がある。
これは、「オンナにそそのかされた挙句、財産と家族を失ったオトコの悲劇は誰のせい?」と喩えると、分かり易い。(笑)
とはいえ、経営者ともあろう者がなぜ、詰まる所外部の、責任を取り切れないコンサルタントの提案を、「正解」や「神のお告げ」と受け取ってしまうのか。
たしかに、一因は、カレンさんの指摘通り「自分の頭で考えたくないから」だろう。
「羽生善治名人は一局指すと、体重が数キロ減る」というのは有名な話だ。
そうなのだ。
人間の辛苦の一つは「考えること」であり、それが証拠に肉体疲労は一晩よく食べ、よく呑み(笑)、よく寝れば凡そ解消されるが、頭脳疲労はそうはいかないのだ。
しかし、主因は他に在るのではないか。
とりわけ近年、私はそう思えてならない。
その一つは、「物事には全て『正解』が在ると考えているから」だ。
これは、日本人に多い所謂「『正解』信仰」のことだ。
元凶は受験勉強と考えられているが、物事を刹那的、表層的にばかり捉え、合理的、根源的に捉えようとしない現代人の宿命に思えてならない。
もう一つは、「説得と責任のコストとリスクを背負いたくない、逃れたいから」だ。
「経営の意思決定を行う」ということは、「他の取締役と社員に意思決定した内容を説得し、かつ、その結果責任を背負う」ということだ。
当然、そのコストとリスクは甚大だが、「クローズアップ現代」が専ら大学の先生をゲストに招いているように(笑)、「コンサルタントの○○先生が仰るには・・・」と体裁を繕えば、かなり低減できる(ように一見感じる)。
コンサル任せの経営者とその経営の本質は、権威の悪用に因る自己保身と確信犯に思えてならない。
2015年01月14日
【第64期王将戦/第一局】渡辺王将、新手を敢行し先勝
[ひと言感想]
局後の談話曰く、新手の▲5五銀左を、郷田真隆挑戦者が「(対局前)潜在的に考えていた」一方、渡辺明王将は「その局面になれば指そうと考えていた」とのこと。
勝敗を決したのは、両者の事前の準備と心構えに思えます。
成果は事前の帰趨に違いありません。
★2015年1月11、12日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/64_01/
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6103584620049411953?authkey=CIelsMSNmOLpuAE
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/1cd529f5e627e139cf4bf2277ad5dc34
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局後の談話曰く、新手の▲5五銀左を、郷田真隆挑戦者が「(対局前)潜在的に考えていた」一方、渡辺明王将は「その局面になれば指そうと考えていた」とのこと。
勝敗を決したのは、両者の事前の準備と心構えに思えます。
成果は事前の帰趨に違いありません。
★2015年1月11、12日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/64_01/
https://plus.google.com/photos/104086542955423361492/albums/6103584620049411953?authkey=CIelsMSNmOLpuAE
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2015年01月09日
【邦画】「男はつらいよ 第48作 寅次郎紅の花」(1995)
[ひと言感想]
たしかに、リリーの言う通り、男と女の間は「どこか」どころか、「かなり」みっともないものです。
そして、そんな綺麗事じゃ全然ないコトを交わした自覚が絆と化し、相手を「帰る場所」に思うものです。
いつでも「お帰りなさい」と言ってもらえる幸せ。
いつでも「お帰りなさい」と言える幸せ。
これらの幸せを超える幸せは、そう在りません。
男も女も、惚れた相手は厄介なくらいが丁度良いに違いありません。
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たしかに、リリーの言う通り、男と女の間は「どこか」どころか、「かなり」みっともないものです。
そして、そんな綺麗事じゃ全然ないコトを交わした自覚が絆と化し、相手を「帰る場所」に思うものです。
いつでも「お帰りなさい」と言ってもらえる幸せ。
いつでも「お帰りなさい」と言える幸せ。
これらの幸せを超える幸せは、そう在りません。
男も女も、惚れた相手は厄介なくらいが丁度良いに違いありません。
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2015年01月08日
2015年01月07日
2015年01月06日
2015年01月05日
【ビジネス/人生】「意思決定トレーニング」印南一路さん
P207
どこに不確実性があるのか見極めて決断する
これまでの説明を整理しましょう。線形評価を中心とする意思決定の手法は、有効でありますが、万能ではありません。有効性に陰りが出るのは、一つは意思決定の時点で長期にわたる将来評価が絡み、その確率的な計算が難しい場合です。
もう一つは意思決定をする自分自身が変化する場合で、これは評価基準の変化や問題設定自体の変更につながります。特に、就職や転職、あるいは結婚の問題など、生き方と絡む問題に対しては、その価値観を確立すること自体が課題で、それまでは自分自身が変化していきます。いずれの場合にも不確実性があるので、そのリスクを取るかどうか、どう取るかが問題になるのです。確率的な計算すら難しい不確実性があることを意識しながら、意思決定すること(あいまい状況下の意思決定ともいわれています)を「決断する」と呼んでよいでしょう。
このような決断の問題に対してどう対処したらよいでしょうか。残念ながら、アカデミックな知見はほとんどありません。ですから、以下は筆者の個人的な考えを展開することにします。
選択の問題か、決意・行動の問題か
決断の問題の延長で、最後にもう一つ考えましょう。それは選択の問題なのか、決意や行動の問題なのかというものです。ここでは恥を忍んで私自身の意思決定の話をしましょう。短期的な意思決定と決意や行動の問題の関係が分かると思うからです。
(中略)
私の意思決定はどうだったのでしょうか。短期的な意思決定に成功していないことは明らかです。大学受験も司法試験も就職先選びも失敗し、期待したことは何回も裏切られています。無駄と非効率なことばかりにも見えるのですが、これが現在の私を作っています。
(中略)
人生に大きな影響を与える進学、就職の意思決定のいずれも自分の思い通りにはなっていません。しかし、後悔はありません。
そもそも人生全体でみた場合に、成功する就職先選びとはどういうものなのでしょうか。長期的な企業の安定性を考えるのは難しいと書きましたが、そもそもそれに意味があるのでしょうか。その時点その時点で最善の意思決定を行う努力をするべきですが、いったん決めたら、その後何をし、どういう行動をとるかの方がずっと重要です。「あの時ああしていれば、よかったのに」と後悔することにどれほどの意味があるのでしょうか。結局、時は巻き戻せないですし、「あの時ああした自分」は実際にはいないので、比較すらできないからです。
正直、著者のこの開き直りとも取れる(笑)結論には肩透かしを覚えたが、やはり、アカデミックの専門家をしてもこう結論づけるしかないということは、これが意思決定の真実であり、限界であり、極意であるのだろう。
そう、正しく、後悔の無い意思決定するには、当時「オプションを正しく(≒全体最適的、及び、適度に合理的に)選択すること」以上に、その後「選択したオプションを正しくし続ける努力をすること」が遥かに重要であり、また、欠かせないのだ。
なぜか。
主因は二つあり、一つは、後者の「努力」が、選択したオプションを真に正しく具現化するからだろう。
そして、もう一つは、後者の「努力」の自覚が、時に降って湧いてくる意思決定の懐疑や後悔を払拭するからだろう。
実際、夫婦の多くが結婚後ラブラブの真逆を行っている(笑)のは、選択した配偶者を敬愛し続ける努力を怠っていることが大きい。
それを知ってか、友人のTさんは毎日奥さまを「ギュッ!」と強く抱きしめており、まもなく結婚30年周年を迎えるというのに、依然ラブラブの話題ばかり私にのたまう。(笑)
やはり、釣った魚には餌をあげなければいけないし、あげることで魚は予想通り、否、予想以上に美味しくなるのだ。(笑)