2014年07月

2014年07月31日

【BSTBS】「みんな子どもだった/7月ゲスト岡田武史さん第4話」岡田武史さん

【倉本聰さん】
しくじった選手とか、自分の意に反した行動を取った選手に対して、試合終了後とかに、怒ります?

【岡田武史さん】
怒る時と怒らない時があります。

【倉本さん】
それは人を見て(判断するの)?

【岡田さん】
人もだし、何回もおんなじことをやる(時に怒ります)。
僕ね、一回目はね、あんまり怒んないですね。
ただ、気づかします。
「おい、お前、なんでアソコ、あーした?で、今どう思う?」、と。
というのは、僕はやっぱり、すごい頭ごなしだったですよ。
「おいお前、こーやれ、こーやれ、こーやれ」、って。
そうするとね、ある程度までバーンって伸びるんですよ、チームって。
ところが、ここから上に全然行かなくなったんですよね。
で、「なんでだろう?」って悩んでそれで僕、ドイツに留学したんですけれど、そして、ある人にこう言われたんですよね。
「岡田さん、指導ってね、空のコップに水を入れることじゃないんだよ。
中に入っているモノを(先ず外に)出してやる(ことなんだよ)

『エデュケーション(education)』の語源はラテン語で『エデュカーレ』って言って、これは『引き出す』っていう言葉なんです。
岡田さんは、(指導って)空のコップに何か入れることだと思っているでしょ」、と。
(だけど、僕はこう反論したんです)。
「いや、でも、(中に有意義なモノが何も)入っていなかったら、どうするんですか?」(、と)。
(すると、その人に、)「自分で気づかして、入れさすんです。あなたが入れるんじゃないんです」って言われたんです。
すごい衝撃でそれから考えて、それ・・・、それでもやっぱりね、イライラして(「こーやれ!」って)言っちゃうことがあるんですよ。
「あー、イカン、イカン、イカン」って思うんだけど。
でも、できるだけそうするように努力したんですよね。

岡田武史さんがドイツ留学時代に授かった訓話は、私にもすごい衝撃だった。
なぜか。
指導(教育)の本質が「対象者に気づきを与えること」であるのは気づいていたが、その要件が「既に対象者の中に入っているモノを引き出すこと」であるのは気づいていなかった、否、意識になかったからだ。
たしかに、指導が不発に終わるのは、対象者に新たな最善解を案出、及び、実行するに足る気づきを与え損なった場合が多く、その過半は、彼らの既存の最善解を外に引き出していないこと、即ち、彼らに新旧の最善解のジレンマを解消させてないことが元凶だ。
赤ん坊でも無い限り、老若男女問わず、人は既に自分というコップに何らかの水を入れている。
新たな水を取り入れるには、先ず既に入っている水を外に出さねばならない。
指導とはその誘発、並びに、助力であり、実行する際は予め、対象者がこれまで取り入れた水と取り入れた行為に敬意を払う必要があろう。



★2014年7月27日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/minnakodomo/archive/201407.html

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kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0) テレビ 

2014年07月30日

【自転車ロードレース】「敗北のない競技:僕の見たサイクルロードレース」土井雪広さん

P37
生意気

(前略)

「好き勝手しやがって、生意気な奴だ」

生意気。
僕にいつもつきまとう形容詞だ。僕はずっと生意気だった。

日本は引き算の国だと思う。100点満点の理想形があって、その枠からはみ出るたびに減点。でも、強い選手は皆、自分で考えて動く。それは0点から出発して、だんだんと点数を積み重ねるということ。目標を自分で決めて、そこに向かって自分で動く、という当たり前のことができない選手がすごく多かった。そういう奴は、強くても沈んでいった。

フィジカルなんて二の次でいい。大切なのは、どうしたらどうなる、ということを考えること。フミ(別府史之)も、ずっと計画的に動いていた。プロになるためにフランスに行く。

シマノに行きたいから、大学に行く。そういう目標があれば、モチベーションは上がるし、外野に何をいわれても気にならない。

自分で動いてどんどん点数を稼いで積み重ねないといけない。

そういう若い奴を、日本では生意気って言うのかもしれないけれど。

「日本は引き算の国」。
世界を知る土井雪広さんのこのお考えは説得力があり、かつ、考えさせられる。
たしかに日本は既存の理想を100点満点と決め付け、その踏襲を後進に強いる環境文化があり、従属しない人は「協調性が無い人間」や「変わり者」の烙印を押され、社会的に抹殺される場合が少なくない。
この環境文化は、社会というハコモノの秩序を維持するには有益だが、タコツボ化したハコモノを救うには害悪だ。
日本にイノベーションが乏しいのは、この環境文化と無縁ではない。
イノベーションは、既存の理想の異議申立てと再定義のてん末だ。
私たち一人一人がこの環境文化を先ず異議申立て、再定義していかなければ、日本にニバリやキッテルの様な世界で勝てるロードレーサーも、Googleの様な世界に広くあまねく使われるサービスも生まれ出ないだろう。


P158
ツイートのこと

(前略)

日本のファンはどうして、ロードレーサーだけが聖人君子だと信じているんだろうか。スピード違反を犯したことがない人は少ないと思う。サービス残業がゼロの会社はどれだけあるだろう。処世のための嘘をついたことが、ただの一度もない人はいるんだろうか。

少ないと思う。

それなのに、どうしてロードレーサーだけが清廉潔白な心を持っていると思えるのか、ましてや、ヨーロッパのプロトンでは、薬物を使うことは「カルチャー」にすらなっている。

そんな世界で”勝ち”だけを執拗に求められた時、選手は何を考えるかーー。

あるいは、こうも思う。

グランツールのプロトンは、「どんぐりの背比べ」だ。皆、若い時に結果を出して、選別されてからプロになる。もちろん脚質の違いや、パワーの強い・弱いはあるけれど、プロトンには極端に強い選手も弱い選手もいない。弱ければプロにはなれないし、いわば「トップアスリート」という規格品なのだ。ずっと1000wのパワーで走り続けられる奴はいない。そのせめぎ合いの中の微妙なところで争うのがプロの戦いだ。中にはずば抜けて強い選手もいるけれど、それは「例外」とは考えられないか。

アスリートも人間だ。

ある選手が、急に強くなったり、弱くなったりしたら、それは少しおかしいんじゃないか。僕もヨーロッパに行ってだいぶ強くなった。けれど、それは8年かけて少しずつフィジカルが向上した結果であって、1年でいきなり走れるようになったわけじゃない。一般的な仕事も同じじゃないだろうか?昨日までダメ社員だった奴が、急にバリバリ働くようになれるだろうか?アスリートも一緒だ奇跡は起きないし、奇跡に見える現象の裏には、たいがい何かカラクリがある。

ファンは、僕らアスリートに奇跡を求める。

しかし、申し訳ないけれど、僕たちも同じ人間だ。期待どおりに奇跡を起こすことはできない。

最近の僕はむしろ、本当は奇跡なんていらないんじゃないか、とも思う。それは、奇跡に頼ることを必要としない、「規格品」同士の戦いが生んだドラマをたくさん見てきたから。

ヨーロッパの8年間は、毎日が奇跡なしのドラマだった。その毎日を積み重ねた先に、たとえばブエルタや、そこでのエースの勝利がある。それは、どんな奇跡よりもドラマチックだと思う。奇跡を体験したことはないから断言はできないけれど・・・。

世の中には奇跡はないし、汚いことをする奴もいることはいる。それは一般人もアスリートも一緒だ。けれどそんなリアルで一見平凡な毎日にこそ、ドラマが隠れている。そのことに気付くことが、幸せな大人になる手段なのかもしれない。


P181
夢の先

日本のファンがロードレースに何を求めているかは、僕もわかっているつもりだ。フランスやイタリアやスペインの美しい景色の中を駆け抜けるプロトン。信じられないパフォーマンスで、奇跡的な勝利を手に入れる選手。

ファンはそういう、日常から離れた綺麗な物語を見て希望を貰って、次の日の仕事に向かうんだと思う。多くのファンが元気を貰うためにレースを見ているんじゃないかな。

非現実的な夢物語ほど、ファンは喜ぶ。

それは、現実が綺麗じゃないせいかもしれない。会社じゃ嫌な上司にペコペコしなきゃいけないこともあるだろうし、ルールを破る奴も出てくるはずだ。レースを見ている間くらいはそんな汚い現実を忘れたい。それがスポーツというものなのかもしれない。

けれど、映像のこちら側にある現実は、実は夢物語じゃない。僕らの現実は、決して綺麗ではない。

どうしてアスリートだけが清廉潔白だと思われるのだろうか。

僕たちだって人間なのにーー。

綺麗な話や夢物語は確かに感動的だし希望を貰える。でも、それだけじゃリアルじゃない。そろそろ、その先にある現実を見てもいいんじゃないか。

ゴールまで1時間を切って縦に伸びはじめたプロトンの中で、何が起こっているのか。どうして急にパフォーマンスを上げる選手がいるのか。僕は、そういうことまで考えつつレースを見る。

影を見たくない気持ちは、正直言ってわかる。たとえば、ドーピングなんてない方がいいに決まっている。

でも、それがあることははっきりとしてしまった。ならば、より深く愛するためには、そこも含めてしっかりと見つめないといけないんじゃないだろうか。

好きな女の子を遠くから眺めているのは楽しい。でも、それだけでいいんだろうか?僕なら声をかけたいし、付き合いたいとも思う。そのうち、一緒に暮らすことになるかもしれない。

一緒に住むようになったら、どんなに綺麗な子でも、綺麗ごとじゃ済まなくなる。すっぴんの顔を見ることもあるだろうし、同じトイレを使わないといけない。幻滅することだってあるだろうし、ケンカだってする。

でも、それは深く愛することの代償だ。

土井さんのお考えは、「ファンには自転車ロードレースを、奇跡事溢れる感動コンテンツではなく、トップアスリートのスポーツコンテンツとして純粋に買って欲しい」ということだろう。
土井さんのお考えは理解できるし、同意できる部分もあるが、この世に売られている全てのモノ、サービスの根源価値は「感動」であるからして、ファンが自転車ロードレースを感動コンテンツとして買うのを否定するのは違うと思う。

土井さんの問題意識は、野球、F1、将棋、映画といった非必需品の所謂「エンタメコンテンツ」にとりわけ通じるが、この問題を根本的に解決するには、「いかにして、コンテンツの肝を心得た(=本来価値の正しい評価眼を身に付けた)『スマートカスタマー(=賢明なお客/ファン)』を一人でも多く育成するか?」に尽きると思う。
かつて長嶋茂雄三塁手がイージーゴロを猛ダッシュで転がりながら捕球したのは、広岡達朗遊撃手の様にいち早くダッシュし、真正面で捕球した場合と比べ、遥かに奇跡事に見えるからだ。
つまり、エンタメコンテンツの多くが奇跡事を求められる、否、強いられるのは、既存顧客の過半の価値評価眼が狭量かつ貧弱な余り、さもなくば感動、満足されない(→再購入されない可能性が高くなる)からだ。
顧客の過半をスマートカスタマーに育て上げ、奇跡事とや真逆の、一見平凡で見過ごしかねない箇所に彼らが感動できるようになれば、プレイヤーやディレクターが奇跡事作りに余計なリソースを割かず済む分、コンテンツの総価値が高まるのは勿論、一層感動、満足される(→再購入される可能性が高くなる)のではないか。





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2014年07月29日

【洋画】「トゥルーライズ/True Lies」(1994)

[ひと言感想]
やはり、昼間のパパは光っている(笑)べきであり、さもなくば、家族も光れないのでしょう。
パパ足る者、愛する家族のため、絶えず実力を陶冶せねばなりません。


トゥルーライズ [AmazonDVDコレクション]
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、エリザ・ドゥシュク、アート・マリック、チャールトン・ヘストン、ジェイミー・リー・カーティス
監督:ジェームズ・キャメロン 
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2018-03-16


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2014年07月28日

【NHK】「世界遺産 誕生までの舞台裏 富岡製糸場」松浦利隆さん(群馬県世界遺産推進課課長)

【ナレーション】
行政も動き出します。
平成15年、群馬県は世界遺産登録を目指すことを宣言しました。
県は、プロジェクトチームを発足(世界遺産推進課)。
その中心メンバーの一人、松浦利隆さん(群馬県世界遺産推進課課長)です。
松浦さんたちは、富岡製糸場の魅力を世界にアピールしようと登録決定に影響力をもつ学術団体の機関紙に何度も論文を投稿します。
当初アピールしたのは富岡製糸場が日本の近代化の先駆けとなったことでした。
しかしその反応は良くありませんでした。
『日本の近代化』では世界は興味を示さない」という指摘を受けたのです

【松浦さん】
世界登録の遺産自体がですね、今までのように「日本でも珍しいから世界遺産だ!」って言って、世界の人々がそれで「成る程!」って言う時代から、少し変わってきている[・・・]いくら考えてもあまり良い作文ができない、良いアイデアが出てこない[・・・]

【ナレーション】
どうすれば、世界に認めてもらえるのか。
松浦さんたちは、世界遺産の審査員を務めたことがある専門家に相談しました。

【岡田保良さん(元イコモス本部執行委員)】
日本史的な評価をあまり強くすると、却って世界の人たちからは、世界の評価からは、遠ざかってしまうような懸念があるわけですね。
だから、できるだけ、海外の人達も評価できるようなストーリーの立て方っていうのが大事だろうと思いました。

【ナレーション】
アドバイスを受け、松浦さんたちは方針を転換。
富岡製糸場が世界の絹産業を大きく変えたことをアピールすることにしたのです。

【松浦さん】
(最初のPR用ポスターには、このように)「日本の近代化(※群馬から始まったニッポンの近代化。)」という風に書いてありますね。
最初は「日本の近代化」をテーマにしてたんですけれども、(こちらの新しいポスターにあるように、)「世界を変えた(※)」ということで、「生糸の大量生産が世界を変えた」、こういう風にコンセプトを変えたわけですね。


世界を夢みた。
扉の向こうに、世界があった。
ニッポンの「蚕」産業革命は、世界を変えた。
そして、いま、世界遺産」という新たな夢へ。
いま再び「世界」へ。


「世界の人たちが今愛用しているシルク、これがどうして安くできるようになったのか。
昔は特権階級の着物だったものが、どうして今、誰でも身に付けられるようになったのか。
その変化を我々の遺産が起こしたんだ」。
この方がメッセージ性が高いんじゃないか、という風に思っているわけですね。

【ナレーション】
松浦さんたちは、新たな方針で訴えを始めます。
今年3月には、海外から関係者(国際産業遺産保存委員会)を視察に招き、直接アピールしました。

【エウセビ・カサネルさん(国際産業遺産保存委員会名誉会長)】
とても良い印象を持ちました。
スケールが大きく、世界でもユニークです。
とても良い世界遺産候補だと思います。

【松浦さん】
新しいコンセプトでもっていった時の方が明らかに反応が良かったし、継続的に知っている人は、「こっちの方がいいよ」と言ってくれたりするんですね[・・・]これはイケるじゃないかなっていう風に、自分自身でも思うようになったわけですね。

【ナレーション】
そして先月、富岡製糸場は後世に残すべき遺産として、世界に認められたのです。

富岡製糸場を世界遺産に登録せしめた、松浦利隆課長以下世界遺産推進課のスタッフの苦労はいくら拝察しても余りあるが、当初の方向性はいただけない。
なぜか。
世界にモノを売っているのに、目線がドメスティック(domestic)だからだ。
「富岡製糸場を世界遺産に登録させる」ということは、「富岡製糸場を世界遺産として世界に売る」のと同義であり、目線は世界でなければいけない。
だが、実際はどうか。
松浦課長以下スタッフは「『日本の近代化』の先駆けを果たした」とのドメスティックな目線で、富岡製糸場を世界に売り込んだ。
世界の人々からすれば、富岡製糸場が「日本の近代化」の先駆けを果たしたことなどどうでも良く、富岡製糸場を世界遺産として買う理由が無い。
世界遺産の登録事務局が当初、松浦課長以下スタッフの苦労を肯定評価せず、富岡製糸場を世界遺産としてスルーしたのは、当たり前の話だ。

しかし、本当にいただけないのは、セールス(モノ売り)の基本中の基本である「買い手の目線で悉く思考、行動すること」を置き去りにし、スルーされた原因を「作文の巧拙」という技術に転嫁したことだ。
なぜ、松浦課長以下スタッフは、基本中の基本を置き去りにし、原因を他に転嫁したのか。

一番の原因はやはり、「『セールス』の心得と自覚が無かったから」だろう。
世界遺産の登録事務局は、受理の重要判断基準に「大義性」、即ち、「世界の人々に広くあまねく有益か?」を設けているはずだ。
なぜなら、各国から「珍しさ」、即ち、「スペック」だけを頼りに世界遺産の登録申請を受理していたら、いくら受理してもキリが無いばかりか、各国の観光省や旅行代理店の手先と変わらなくなるからだ。
とはいえ、事務局も公的な(=大人の)機関であるからして、当然、発布している登録申請書に、「あなたが今回登録を希望する遺物は、どのようなユニークなスペックを持っていますか?」との問いとその回答の欄は設けてはいても、「あなたが今回登録を希望する遺物は、世界の人々にどういったユニークかつ合理的な有益性がありますか?」との問いとその回答の欄は設けてはいまい。
そこで、そもそも役人で、セールスの心得に乏しい松浦課長以下スタッフは、「富岡製糸場を世界遺産として世界に売る」自覚のないまま馬鹿正直に、「『日本の近代化』の先駆けを果たした」との目線とコンセプトで、富岡製糸場のユニークなスペックを申請書に延々のたまい、各種PR(=プレゼン)機会でも同様にプレゼンしたのだろう。
事務局が、否、世界の人々が買い求めるのはスペックではなく、それがもたらす有益性(ベネフィット)なのに。

私は、「プロポーズの台詞」、即ち、「口説き文句」の下手さが原因で破談になったカップルを知らない。(笑)
口説き文句の饒舌さは、彼女(or彼氏)の心身を一時的にとろけさせる(笑)ことはできるが、それ以上のことはできない。
彼女へのプロポーズも、世界遺産の登録申請も、他者に自説の受理を求める点で「セールス」に他ならず、その成否を真に分かつのは、「口説き文句がいかに上手いか?」ではなく、「自説が相手にとっていかに有益か?」だ。

もう一つ原因を挙げるなら、「富岡製糸場との距離が近すぎたから」だ。
仕事で企業にコンサルをしていていつも思うのだが、大抵の企業は商品の売り方を間違っている。
正確に言えば、売りモノの本当のウリを見過ごしているために、本当のウリをウリと正しく認識しないでいるために、ウリではないスペック、或いは、ベネフィットばかり買い手に訴求している。
これは、メル友始まりの深窓の令嬢を「オレのフェラーリでお泊りドライブしない?」と口説く(笑)ようなもので、商品が売れないよう積極的に努めているに等しい。
かくなる不毛な積極努力は、なぜ生まれるのか。
ありがちなのは、売りモノと売り手の物理的、或いは、精神的距離が近すぎて、ウリの認識と他者への訴求が、買い手目線で客観的かつ合理的にできないからだ。
だから、「親の代理見合い」の多くは子どもの結婚の助けになっていないし(笑)、大抵の企業は身近すぎる自社商品を「こんな良いモノ、他に無い!」、「こんな良いモノ、売れて(=お客は買って)当然!」と過剰評価の上、買い手にとってウリでないスペックやベネフィットばかりウリとして大上段に訴求し、本当の意味での殿様セールスをしてしまっている。

松浦課長以下スタッフの当初の苦労の背景には、「こんなにも富岡製糸場は素晴らしいのだから、世界遺産に登録されて当然!」との、本当の意味での殿様セールスがあったのではないか。
売りモノと売り手は、オトコとオンナと同様(笑)、「近すぎず、遠すぎず」でなければいけない。



★2014年7月4日放送分
http://www.nhk.or.jp/tokuho/program/140704.html

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kimio_memo at 07:20|PermalinkComments(0) テレビ 

2014年07月25日

【第55期王位戦第二局】羽生王位、木村挑戦者の一目好手を正しく咎め、一勝一敗のタイに

[ひと言感想]
角が成れるは、敵玉に迫れるはで、対局者(木村一基八段)にも、解説者(窪田義行六段)にも一目好手の119手目▲4一とが実は悪手だったことに、深く考えさせられれました。
一目好手ほど、何事においても、先の先まで読み込む必要があるに違いありません。


★2014年7月23、24日催行
http://live.shogi.or.jp/oui/
http://kifulog.shogi.or.jp/oui/55_02/
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/55/oui201407230101.html

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kimio_memo at 09:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋タイトル戦 | -王位戦

2014年07月24日

【人生訓】「GIVE & TAKE 『与える人』こそ成功する時代」アダム・グラントさん

P109
「見返りのために、人に親切にするんじゃないんです。グループの目標は、与えることの大切さを行きわたらせること。取引する必要もなければ、交換する必要もありません。だけど、グループの誰かに親切にすれば、自分に助けが必要になったとき、きっとグループの誰かが親切にしてくれますよ」

テイカー(taker)とマッチャー(matcher)には、このような徹底したギブ(give)はやはりちょっと危険に思えるだろう。では、リフキンのようなギバー(giver)には、自分のした親切が自分に返ってくる保証がなくても、生産性を維持できるのだろうか。

この疑問を明らかにしようと、スタンフォード大学のフランク・フリン教授は、サンフランシスコのベイエリアにある大手電気通信会社のエンジニアに調査を行った。教授はエンジニアたちに、どのくらい自分が同僚を助け、また相手に助けてもらっているか、自分自身とお互いを評価してもらった。この結果、どのエンジニアがギバーで、どのエンジニアがテイカー、あるいはマッチャーかがわかった。教授はさらに、各エンジニアに、ほかのエンジニアを1から10までの段階に分けてランクづけしてもらった。さて、彼らはどのくらい同僚のことを認めているのだろうか。

テイカーは最下位だった。しょっちゅう頼み事をするくせに、めったにお返しをしないため、信頼がないのだ。同僚は彼らを利己的な人間とみなし、敬意を払わないことで懲らしめていた。そしてギバーが、マッチャーとテイカーを抑えてトップの座を獲得した。寛大であればあるほど、同僚からいっそうの尊敬と信望を集めていた。

受けとるより多くを与えることで、ギバー特有の能力や価値観、善意を身をもって示していたのである。しかし、ギバーは非常に尊敬されていたものの、問題が一つだけあったーー生産性を犠牲にしていたのだ。

三ヶ月にわたり、フリン教授は、各エンジニアが仕上げた仕事の質と量を評価した。ギバーはテイカーより生産性が高く、テイカーより勤勉で、より多くの仕事を仕上げていた。だがもっとも生産性が高かったのは、マッチャーだった。ギバーは同僚を助けるのに時間を費やしていたため、その分、仕事や報告書、製図を仕上げる時間が減ってしまったからだ。

それに対してマッチャーは、頼み事をしたり、助けてもらったりして、仕事を予定どおりに進めていた。

一見したところ、これはギバーのネットワーク構築法がもつ弊害のように見える。ギバーが自分の生産性を犠牲にしてまで人助けをしたところで、果たしてそれだけの価値があるのか。

リフキンはギバーであると同時に、成功した会社の共同設立者として高い生産性を維持している彼はどのようにして与えることと生産性との折り合いをつけているのか。そのカギは、「より多く与えること」なのである。

このエンジニアの調査では、実は、ギバーは必ずしも生産性を犠牲にしていたわけではなかった。フリン教授はエンジニアに、自分が受けとるより多く与えているか、同じくらい与えているか、それとも少なく与えているかという観点で同僚を評価してもらっていたからだ。これはつまり、ほかの人をあまり助けなかったとしても、得た見返りが少なければ、ギバーとして判定される可能性があるということだ。フリン教授が、エンジニアがどれくらいの頻度で助けたり助けられたりするかをもとにデータを調べた結果、ギバーの生産性は、まれにしか助けなかったときにガタ落ちしていた。

逆に、リフキンが「五分間の親切」をするように、頻繁に助けていたときのほうが、信頼関係が築かれ、助けた人からだけでなく、作業グループ全体から有益な助けが得られていたのである。すべてのエンジニアのうち、もっとも生産的だったのは、しょっちゅう助けていた人びとで、受けとるより多くを与えていた。彼らは正真正銘のギバーで、最高の生産性と最高の地位を手に入れ、同僚から尊敬されていた。これこそまさに、リフキンに起こったことなのだ。

著者のアダム・グラントさんが言うギバー(giver)は、単なるお人好しや世話好きの「自己犠牲者」ではない。
ギバーは「他者に与える人」であると同時に、「事を為す人」であり、自分の生産性を犠牲にしないのだ。
では、ギバーはどうして、自分のリソースを積極的に他者に与えながらも、自分の生産性を落とさずに済むのか。
答えは、「より多く与える」からだと言う。
言われてみると成る程であり、物事をやる上での「集中と徹底」の意義を再認識させられたが、これは条件が付くのではないか。

その条件とは、「より多くの人に」と「より有意義なリソースを」ではないか。
単に自分のリソースを他者により多く与える、大盤振る舞いするのではなく、より多くの人に、より有意義なリソースを与えて初めて、自分が失ったリソースを埋め合わせしてくれる人と、埋め合わせしてもらえる質量が担保され、生産性を維持、或いは、向上できるのではないか。
実力者が多忙を押してテレビに出たり、自著を上梓するのは、はたまた、それが長続きしないのは、そういうことではないか。
ギブアンドテイクの成否は、他者志向に加え、実力と袖振り合う縁の質量に依存するのではないか。







kimio_memo at 07:28|PermalinkComments(0) 書籍 

2014年07月22日

【洋画】「ハート・オブ・ウーマン/What women want」(2000)

[ひと言感想]
他者の自分への思考態度でとりわけ嬉しいのは、自分の気持ちを解かってくれることより、完全には解かり得ない自分の気持ちを解かりたいと思ってくれること、解かろうと努めてくれること、そして、解かった気持ちに応えてくれること、です。
私たちは先ず、近くの他者の気持ちを全く解かっていないこと、解かろうと努めていないこと、そして、解かった気持ちにさえ応えていないこと、を再認識する必要がありそうです。


ハート・オブ・ウーマン [DVD]
出演:メル・ギブソン、ヘレン・ハント
監督:ナンシー・メイヤーズ 
ギャガ
2016-02-02




kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0) 映画 

2014年07月18日

【邦画】「男はつらいよ 第27作 浪花の恋の寅次郎」(1981)

[ひと言感想]
ふみ(演:松坂慶子さん)は、寅次郎に出会い、寅次郎に促されなければ、生き別れの弟と死に別れられなかったに違いありません。
ふみは寅次郎から「身内に迷惑は無い」、「身内と遭うのに理由は要らない」と学んだことでしょうが、「好きな人」と「一緒に生きることができる人」は必ずしも同じではありませんし、遠くの身内より近くの身寄りです。
ふみが嫁入り前にとらやを訪れ、その決心を寅次郎に告げたのは、寅次郎との死に別れを望んでのことではないでしょうか。


男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎〈シリーズ第27作〉 4Kデジタル修復版 [Blu-ray]
出演:渥美清、松坂慶子、芦屋雁之助
監督:山田洋次 
松竹
2019-12-25




kimio_memo at 06:48|PermalinkComments(0) 映画 | -男はつらいよ/寅さん

2014年07月17日

【洋画】「ツインズ/Twins」(1988)

[ひと言感想]
私にはもう親は居ませんが、兄は居ます。
兄は将棋が強いのですが、そもそもデキが良いのです。
私は早くに劣等感を覚え少しでも追いつき、認めてもらいたいと、アレコレ考え、試行錯誤しましたが、これも今は昔。
定期的に家を訪れては、兄のオチの無い近況話に、笑顔でダラダラ付き合う始末です。(笑)
「家族とは、血縁の恵みのもと、デキを超え、訳も無く一緒に居て良い、否、居るべき存在である」。
不肖私、ベネディクト兄弟のこの教えを胸に、今後一層兄孝行に励む所存です。(笑)


ツインズ [DVD]
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、ダニー・デヴィート
監督:アイバン・ライトマン 
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09




kimio_memo at 06:56|PermalinkComments(0) 映画 

2014年07月16日

【洋画】「フォー・ウェディング/Four Weddings and a Funeral」(1994)

[ひと言感想]
たしかに、運命は断たれてみて初めて、その正体と限り、大事さに気づくものなのでしょう。
成る程、運命を紡ぐ奇跡には、もはやアリバイ作りの儀式は不要かつ不粋です。


フォー・ウェディング (字幕版)
出演:ヒュー・グラント、アンディ・マクダウェル、ローワン・アトキンソン
監督:マイク・ニューウェル 
2016-12-08


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2014年07月15日

【邦画】「お嬢さん乾杯」(1949)

〔ひと言感想〕
「愛してます」と「惚れた」の間には、深くて暗い河があるに違いありません。(笑)
成金若社長とお嬢様に限らず、男と女が心底結ばれるには、互いに深くて暗い河を乗り越えなくてはいけません。


木下惠介生誕100年 「お嬢さん乾杯」 [DVD]
主演:佐野周二、佐田啓二、原節子
脚本:新藤兼人
監督:木下惠介 
松竹
2012-08-29


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kimio_memo at 06:54|PermalinkComments(0) 映画 

2014年07月14日

【洋画】「クレイマー、クレイマー/Kramer vs. Kramer」(1979)

[ひと言感想]
「裁判の速記を担うなら、離婚より殺人の方が余程楽しい」。
メイキングの中の、本作品に飛び入り出演した本物の裁判速記者の所感に考えさせられました。
たしかに、離婚や親権の裁判は、殺人のそれと違って条理と不条理、被害者と加害者、善人と悪人が明確に分離できず、また、愛憎も入り乱れ、仕事の第三者でも見るに堪えないのでしょう。
そんな第三者が見るに堪えない中、テッドとジョアンナが改めて幸福の船出ができたのは、愛児ビリーの幸福を第一に、共に被害者感情と善悪を棚上げし、和解の糸を紡いだ為でしょう。

私はかつて離婚した時、和解の糸を紡ぐのを怠りました。
もう離婚はしないと思いますが(笑)、生きている以上、今後も何らかで他者と対立したり、争うことはあるに違いありません。
しかし、対立や争いで一番大事なことは、白黒を付けることではなく、幸福に成ることです。
不肖私、感情や自己肯定の余り和解の糸を断つ愚を、今後一層断つ所存です。


クレイマー、クレイマー コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション]
出演:ダスティン・ホフマン、ジャスティン・ヘンリー、メリル・ストリープ
監督:ロバート・ベントン 
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25


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kimio_memo at 07:16|PermalinkComments(0) 映画 | メリル・ストリープ出演作

2014年07月11日

【邦画】「男はつらいよ 第32作 口笛を吹く寅次郎」(1983)

[ひと言感想]
石橋和尚(演:松村達雄さん)が和尚にあるまじき酒浸りの日々を送っていたのは、写真一途の次男(演:中井貴一さん)と出戻りの長女(演:竹下景子さん)の行く末に、寝ても覚めても苛まれるからでしょう。
和尚にとって、寅次郎の無害かつ脳天気な笑いは、和尚にあるまじき掛け替えの無い救いだったに違いありません。

寅次郎の笑いに救われたのは、はんこ屋親戚一同も同じでしょう。
はんこ屋の主人(演:長門勇さん)が七回忌法要の布施を似非(笑)納所坊主の寅次郎に弾んだのは、法要特有の世知辛く、生臭い現実を身内でなすり合う約束事から予想外に逃れられたからに違いありません。
生え抜きのサラリーマン社長の多くがリストラに苦慮する一方、カルロス・ゴーン社長が日産を再生したように、そもそも身内を助けるのはヨソモノと相場は決まっています。

現実の多くは容赦無く、人は「笑い」が無ければ生きられません
良くも悪くも私たち一般の労働者(笑)は、小難しい法話より無害かつ脳天気な笑いの方が、余程あり難いに違いありません。


男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 HDリマスター版(第32作)
出演:渥美清、竹下景子、杉田かおる、中井貴一、松村達雄
監督:山田洋次 
2014-12-17


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kimio_memo at 06:28|PermalinkComments(0) 映画 | -男はつらいよ/寅さん

2014年07月10日

【第55期王位戦第一局】木村挑戦者、電光石火の寄せで羽生王位に先勝

[ひと言感想]
木村一基挑戦者が敢行、完遂した、安全勝ちを断っての、△6九銀からの電光石火の寄せは、飯島栄治七段だけでなく、不肖の私にも見事のひと言でした。
将棋であれ何であれ、攻めと守りは相互依存かつ表裏一体です。
木村挑戦者が「千駄ヶ谷の受け師」足り得るのは、かくなる容赦無き攻撃力に裏打ちされているに違いありません。


★2014年7月8、9日催行
http://live.shogi.or.jp/oui/
http://kifulog.shogi.or.jp/oui/55_01/
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/55/oui201407080101.html

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kimio_memo at 06:25|PermalinkComments(0) 将棋タイトル戦 | -王位戦

2014年07月09日

【自伝】「未完。仲代達矢」仲代達矢さん

P192
41歳になり、長年待ち望んだ役が回ってきた。シェークスピアの『リチャード三世』(1974年)である。ずっとやりたかった作品だ。

(中略)

舞台では隠し味として愛嬌を入れてみた。岡本喜八監督が見出してくれた自分の中の子供っぽさというか、コミカルな部分を加えてみたのである。悪の権化のようなキャラクターにもかかわらず、時おり、客席から笑い声が聞こえてきた。やっていて本当に楽しく、何度もやりたいと思った。

大菩薩峠
出演:仲代達矢、加山雄三
監督:岡本喜八 
2017-09-15


舞台に上がって約20年、ようやく少しだけ、演じるということが分かった気がした。逆に言えば、20年もかかったのである。

演じるとは面白いもので、正解があるわけじゃない。どうしようもない癖がウリになることもある。

かつて恩師、青山杉作先生が「ファンというものは、役者の悪い癖に魅力を感じるものだ」と言われた事を思い出す。

なぜ、ファンは、好きな役者の悪い癖に魅力を感じるのか。

理由の多くは、「あばたもえくぼ」や「不出来な子ほど可愛い」の言葉が示す通りなのだろう。
即ち、人は、愛情対象を贔屓目に見る習性から逃れられないし、愛情対象の悪癖に一層の人間性を垣間見るし、悪癖と心中するであろう愛情対象の不憫さに一層の同情を覚える。
そして、そうして愛情対象の悪癖や不憫さをあたかも自分のそれと同様に認識し、肯定的に扱う自分の度量に、一層の自己満足を覚えるから、なのだろう。

しかし、主因は、愛情対象を一旦愛してしまったから、ではないか。
あり得ない例えだが、もし、親としても、我が子をテレビゲームのようにリセット、即ち、授かり直すことができ、かつ、事前に選べるなら、「あばた」ではなく「えくぼ」の有る子を欲するのではないか。

こうして考えてみると、我々人間は、既存の愛情対象に投じた各種のコストのサンクコスト化が思う以上に苦手であることに改めて気づかされる。
我々は、既存の愛情対象を愛してしまった自分の決断と実行、並びに、その根底に潜在した自分の不明さを恥じたくないし、そもそも省みたくない、自己否定のトビラを開けたくない、のだ。
かつてクライアントで友人のTさんが、「近年めっきり幽霊会員化している近所のジムをどうにもやめられないのは、かつて自分が進んで計画したダイエットを挫折することへの未練と後ろめたさのせいだ」と仰っていたが、今ようやくそのロジックが正確に理解できた気がする。(笑)



未完。 仲代達矢
仲代 達矢
KADOKAWA/角川マガジンズ
2014-03-20




kimio_memo at 07:28|PermalinkComments(0) 書籍 

2014年07月08日

【第85期棋聖戦/第三局】羽生棋聖、森内挑戦者の異議申立ての猛追を振り切り、七連覇を果たす

[ひと言感想]
羽生善治棋聖が本局も勝利し、無傷の三連勝で棋聖戦七連覇を果たされたのは感服のひと言ですが、他方、羽生棋聖が「直接勝ちに行く手」ではなく、「相手の戦意喪失を狙う手」を選択した(82手目△2二銀)ことに対する、森内俊之挑戦者の異議申立ての猛攻、猛追も感服しきりです。
たしかに、メジャーで優勝するゴルフプレイヤーは、いかに2位を離していても、18ホールを回り終えるまで絶えずバーディを狙っていますし、ワンパッドのパットを最初からツーパッドでは狙いません。
実力者同士の戦いにおいて、ギブアップ、或いは、安全勝ちを狙う辛い(からい)手は、実は甘い手なのかもしれません。


★2014年7月5日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/85_03/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/85/kisei201407050101.html

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kimio_memo at 07:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋タイトル戦 | -棋聖戦

2014年07月04日

【邦画】「男はつらいよ 第30作 花も嵐も寅次郎」(1982)

[ひと言感想]
たしかに、友人の恋の成就は、嬉しくもやはり妬けるものです。
それも、成就の相手が意中の人なら、尚の事です。
寅次郎は、妬けの原因を自分に無い二枚目に見つけましたが、成る程うまい理屈です。
人生にはうまい理屈が必要です。
不肖私、寅次郎の理屈作りの妙をまねぶ所存です。(笑)


男はつらいよ 花も嵐も寅次郎〈シリーズ第30作〉 4Kデジタル修復版 [Blu-ray]
出演:渥美清、田中裕子、沢田研二
監督:山田洋次 
松竹
2019-12-25


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kimio_memo at 07:54|PermalinkComments(0) 映画 | -男はつらいよ/寅さん

2014年07月03日

【邦画】「夜叉」(1985)

[ひと言感想]
人生に波乱が絶えない一因は、守るべきモノが移ろうからです。
守るべきモノが移ろう以上、人が顔を複数持つのは当然です。
一つ一つの顔は、守るべきモノを守った証です。


夜叉[東宝DVD名作セレクション]
出演:高倉健、田中裕子、ビートたけし、小林稔侍、いしだあゆみ
監督:降旗康男
東宝
2015-02-18




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2014年07月02日

【邦画】「春との旅」(2010)

[ひと言感想]
なぜ、人はロクデナシの肉親を憎み切れないのか。
なぜ、愛着や同情を断てないのか。
直接的な理由は、性根や訳を知り過ぎているからでしょうが、根源的な理由は、その結果、人間の素を洞察してしまうからではないでしょうか。
この世に完全な賢者、善人が存在しなければ、完全な愚者、悪人も存在しない。
ロクデナシの肉親は、不自然と不確かさだらけのこの世の、安堵を禁じ得ない、稀少な自然と確かさかもしれません。


春との旅 [DVD]
出演:仲代達矢、徳永えり
監督:小林政広 
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2015-03-13




kimio_memo at 07:35|PermalinkComments(0) 映画 

2014年07月01日

【将棋】「ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実」佐藤康光さん、松本博文さん

P221
(第三回電王戦)第五局、屋敷伸之ーponanza
「得体の知れない強さ」


従来の定跡をはずされた進行に、対局者だけではなく、観戦者の側も息を抜けない展開となった。飛車が交換されて局面が大きく動き、屋敷側の金桂桂香四枚の駒と、ponanza側の飛一枚とが交換された。駒の損得はponanzaの方が得をしているが、駒のはたらきの効率を見れば、屋敷の方がよさそうだ。屋敷の駒台に載っている飛二枚は、ポテンシャルが高い。この兼ね合いをどう見るか。いつもながらに将棋はこうした判断が難しい。人間の目からは、人間側がやれそうにも見える。しかし多くのソフトの示す評価値は、ソフトの方が圧倒的によいと訴えている。

ニコファーレの大盤解説会には、(ゲスト解説棋士として)渡辺明が訪れている。渡辺はソフトについて、
「形勢判断には賛同できなくても、実際に指すと強いということはありますね」
と語った。盤上の端に香を打って、屋敷の角を取りに行ったのだ。
「えっ?」
と驚く渡辺と深浦(康市 )。プロの常識からは、考えられない筋だ。
「ぱっと見はありがたいですよね・・・。どういうことなんですかね。この香で負けるってことは、ちょっと考えにくいことですよね」
中継には、渡辺が首をかしげる姿が映される。ponanzaの意図は金桂香を惜しまず使って、屋敷の角を追い回し、取ってしまうことなのだろう。しかし人間の見方ではどうしても、それだけの駒を投資するのは、割に合わないと判断してしまう。
「こういう手は浮かばない方が幸せなんです
という佐藤康光の言葉が人間が指す将棋の本質を端的に表わしているとも言える
。直感と経験である程度候補手をしぼり込み、読みを集中できるのが人間の特徴である。そしてponanzaの香打ちは、探索能力にものを言わせて、どんな手でも読んで最善手を探そうとする、ソフトの特徴を示す一手だった。

渡辺は後日、ponanzaの香打ちを評して「得たいの知れない強さ」と語っている。従来の人間の価値観では、その強さは理解しがたいのだ。

ただし屋敷はこの香打ちは、打たれそうな気がしていたという。ソフトと指し込んだ末での感覚であろうか。

男はつらいよ」の名台詞に、「それを言っちゃ、お終いよ」がある。
あなたさまが知らないといけないので(笑)、この台詞が登場する基本パターンを以下定義する。(笑)

[1]寅次郎が、生来の「悪気の無いバカさ」(笑)から、不始末をしでかす。

[2]見かねたおいちゃん(※寅次郎の叔父。おばちゃんの場合もある)が、まっとうにたしなめる。

[3]たしなめがまっとう、正論なため、大人の皮をかぶった子どもの寅次郎は、逆ギレしてしまう。

[4]
釣られて、おいちゃんもキレてしまう。

[5]
挙句、おいちゃんが売り言葉に買い言葉で、「出てけ!もう二度とこの家の敷居をまたぐな!」と寅次郎に勘当を言い渡してしまう。

[6]
返す言葉の無い寅次郎は引込みがつかなくなり、「それを言っちゃ、お終いよ。こんな家、出て行ってやらあ!さくら(※妹)、止めるなよ!」と正に捨て台詞を吐き(笑)、実家のとらやを出、旅に(また)出てしまう。


なぜ、「それを言っちゃ、お終いよ」は名台詞なのか。(笑)
たとえば、スーツのパンツをきちんと折り目をつけて履くのは、それが装いの「お約束事」だからだ。
きちんと折り目をつけて履いていると、周囲に正に「折り目正しい心得者」と良く思われる(→得意や安堵を自覚できる)は、きちんと折り目をつけていない人を「だらしない、ダメな奴」と心中そしることもできる(→優越感や有能感を自覚できる)はで、ハッピーに成り易い(→少なくともアンハッピーに成り難い)。
即ち、「お約束事」とは、人間、或いは、個々の社会や物事に存在する、合理や善悪では単純に割り切れない(or割り切るべきでない)「本筋」と「習わし」の集合であり、「『そうすべきコト』と『そうしてはいけないコト』」と呼称される。
「それを言っちゃ、お終いよ」が名台詞なのは、この「お約束事」の意義と存在を、私たち一般の貧しい労働者に(笑)、繰り返し面白可笑しく再認識させてくれるからだ。

ではなぜ、私たちは、折に触れ「お約束事」を再認識すると良いのか。
「お約束事」に絶えず従順だと、先述の通り、ハッピーに成り易く、アンハッピーに成り難いからだ。
たとえば、「それを言っちゃ、お終いよ」の「お約束事」の最たるは、「家族は腐れ縁が上等であり、たとえ合理的にも、確率論的にも、全体最適的にも最善解であったとしても、離縁を試みてはいけない」ということだが、この台詞から本事項を再認識し、従順になることで一家離散の後悔に苛まれずに済んだ家族は少なくないだろう。
たしかに、寅次郎はこの台詞を捨て吐いても、半年に一度はとらやに舞い戻ってくるし、また、それをおいちゃんも咎めないどころか喜ぶが(笑)、これは寅次郎と映画の話だからであり、実際にはあり得ない。
松下幸之助さんの夫人、むめのさんは、いかに幸之助さんと激しく喧嘩しようと、決して「離婚」の二文字を口にせず、「神様の女房」として生涯を全うされたと伝え聞くが、これはむめのさんが「それを言っちゃ、お終いよ」の「お約束事」に絶えず従順であられたからだろう。(笑)

神様の女房DVD-BOX【DVD】
出演:常盤貴子、筒井康隆
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2012-04-21


難儀もまた楽し (PHP文庫)
松下 むめの
PHP研究所
2014-01-08


しかし、これまでの話をひっくり返すようで恐縮だが、私たちは絶えず「お約束事」に従順であって良いのか。
「こういう手が浮かばない方が幸せなんです」との、王ではなく角を総力戦で詰まそうとした、コンピューター将棋の「お約束事」破りの好手△1六香とに対する佐藤康光九段の所感、及び、「人間が指す将棋の本質を端的に表わしている」との、佐藤九段の所感に対する著者の松本博文さんの所感から、私はこう考えさせられた。

勿論、この問いに正解は無いに違いない。
しかし、一つ明らかに言えるのは、「お約束事」に従順であることに違和感や後ろめたさといった否定的な感情や懐疑を自覚したなら思いとどまるべきであり、さもなくば後悔が残り、却ってアンハッピーに成り易い、ということだ。
屋敷伸之九段が△1六香を想定でき得たのは、また、△1六香で負かされたのは、現役トップ棋士のお一人だからだ。
つまり、屋敷九段は、現役トップ棋士として人間将棋の「お約束事」に高次に精通し、コンピュータ将棋に負けるわけにいかない。
コンピューター将棋の事前研究を相当深く重ね、その中で、コンピューター将棋の「お約束事」が人間将棋のそれとかい離し、異筋かつ非情であるも満更的外れではないのを、正に痛感していた。
そこで、実戦において、見事△1六香を想定でき得、嫌な予感を覚えるも、時間的かつ肉体的制約下での候補手の絞り込みを名目に、精通している人間将棋の「お約束事」に敢えて従順、忠実であり続けた、ということだ。
結果、負けてしまった屋敷九段の後悔と無念は、想像するに余りある。

そして、私は、屋敷九段が△1六香を想定でき得るも、人間将棋の「お約束事」に敢えて従順、忠実であり続けたもう一つの理由に、「見たいモノを見たい(→見たくないモノは見たくない)」という人間の根源的な欲求と弱さを邪推した。
屋敷九段にとって△1六香は、見えてはいたし、実際に指されたら「痛い手(困る手)」ではあったが、「見たい手」ではなかったのではないか。
つまり、おいちゃんが「寅次郎との離縁」という最善解に気づいていながら実行しなかったように(笑)、はたまた実際、テレビ局やラジオ局が既存のビジネスモデルの賞味期限切れに気づいていながらリストラ(事業の再構築)を依然先送りしているように、屋敷九段も△1六香に気づいていながら気づかなかったことにした、見えていながら見えなかったことにしたのではないか。
この邪推が相応に正しければ、人間の強情さは正に諸刃の剣に違いない。







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