2014年05月
2014年05月30日
【邦画】「男はつらいよ 第12作 私の寅さん」(1973)
[ひと言感想]
人は、食べる為だけでは生きられないから感動するのか、はたまた、もっと感動したいから食べて生きるのか。
答えは不明ですが、たしかに、博の言う通り、後者、即ち、自分の生存に直接関係しない、他者には不合理な欲求の絶えなさは、人が人であることの証です。
人が不合理と一蓮托生なのは、そもそも生存の動機が不合理だからかもしれません。
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人は、食べる為だけでは生きられないから感動するのか、はたまた、もっと感動したいから食べて生きるのか。
答えは不明ですが、たしかに、博の言う通り、後者、即ち、自分の生存に直接関係しない、他者には不合理な欲求の絶えなさは、人が人であることの証です。
人が不合理と一蓮托生なのは、そもそも生存の動機が不合理だからかもしれません。
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2014年05月29日
【洋画】「ブラック・スワン/Black Swan」(2010)
[ひと言感想]
やはり、人的成長の原動力の最たるは、高い舞台に立つことです。
勝ち得たそれを失う脅迫観念に苛まれ、完璧主義への改宗と思考習性の再構築が不可避な状況に追い込まれて初めて、人は生まれ変わり、成長するのです。
たしかに、かつて中原中也さんが「そもそも地獄を見れない人間は論外だが、地獄を見た人間はそれで人生をお終いにする可能性がある」旨仰った様に、成長には副作用が付き物です。
副作用を怖れ、高い舞台を端から諦めるか、それとも、所詮一度切りの人生と、高い舞台を更に求めるか。
やはり、人生はトレードオフと決断です。
やはり、人的成長の原動力の最たるは、高い舞台に立つことです。
勝ち得たそれを失う脅迫観念に苛まれ、完璧主義への改宗と思考習性の再構築が不可避な状況に追い込まれて初めて、人は生まれ変わり、成長するのです。
たしかに、かつて中原中也さんが「そもそも地獄を見れない人間は論外だが、地獄を見た人間はそれで人生をお終いにする可能性がある」旨仰った様に、成長には副作用が付き物です。
副作用を怖れ、高い舞台を端から諦めるか、それとも、所詮一度切りの人生と、高い舞台を更に求めるか。
やはり、人生はトレードオフと決断です。
2014年05月28日
2014年05月27日
【洋画】「オーシャンズ/Océans」(2009)
[ひと言感想]
とりわけ再認識したのは、海に限らず、家であれ、会社であれ、社会であれ、多様な生物が共存する場所は「システム」であると同時に、「システム」でなければ持続できない、ということです。
実際、日本の会社のリストラが凡そ失敗する三大原因は、ビジョンが不明かつ不浸透であること、期間が限定的でないこと、そして、施策が「システム」を無視していること。
非合理的かつ情緒的で、目的と手段を混同したり、目先の利益や刹那の感情に流され易い私たち日本人は、「システム」に基づく思考態度を意識して選択する必要があります。
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とりわけ再認識したのは、海に限らず、家であれ、会社であれ、社会であれ、多様な生物が共存する場所は「システム」であると同時に、「システム」でなければ持続できない、ということです。
実際、日本の会社のリストラが凡そ失敗する三大原因は、ビジョンが不明かつ不浸透であること、期間が限定的でないこと、そして、施策が「システム」を無視していること。
非合理的かつ情緒的で、目的と手段を混同したり、目先の利益や刹那の感情に流され易い私たち日本人は、「システム」に基づく思考態度を意識して選択する必要があります。
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2014年05月26日
【邦画】「四月物語」(1998)
[ひと言感想]
たしかに、箱入り娘が世間を知るには、片思いの先輩との再会という女子ならではのたっての希望が、最強のインセンティブに成るに違いありません。(笑)
青春とは、人生のある期間を言うのではなく心の様相を、それも、他者からすると吹けば飛ぶような一つの希望に奇跡を信じてまっしぐらな心の様相を、言うに違いありません。
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たしかに、箱入り娘が世間を知るには、片思いの先輩との再会という女子ならではのたっての希望が、最強のインセンティブに成るに違いありません。(笑)
青春とは、人生のある期間を言うのではなく心の様相を、それも、他者からすると吹けば飛ぶような一つの希望に奇跡を信じてまっしぐらな心の様相を、言うに違いありません。
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2014年05月23日
2014年05月22日
【第72期名人戦/第四局】羽生挑戦者、一歩上の読みと羅針盤と積極さで名人復位を果たす
[ひと言感想]
森内俊之名人をウッカリせしめた、羽生善治挑戦者の91手目の▲4一金の俗手が、14手後(105手目)の▲4二角の絶妙手と連結し、名人位を奪還しました。
羽生挑戦者の、40才を過ぎても衰えるどころか一層冴え渡る、一歩上の読みの深さと正確さ、獣道での羅針盤の鋭さ、暗中模索の積極さには、拍手とまねび以外ありません。
余談ですが、私は、本局を三浦弘行九段のニコ生解説で観戦したのですが、三浦九段の読みの深さと正確さに改めて感心すると共に、同じ光景が見る人間の実力で異なる光景に様変わりする素晴らしさと怖さを改めて認識しました。
不肖私、終生実力の向上に励む所存です。
★2014年5月20、21日催行
http://mainichi.jp/feature/news/20140522k0000m040055000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20140522k0000m040066000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASG5P6GW4G5PUCVL023.html
http://www.asahi.com/articles/ASG5P2SPZG5PUCVL009.html
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森内俊之名人をウッカリせしめた、羽生善治挑戦者の91手目の▲4一金の俗手が、14手後(105手目)の▲4二角の絶妙手と連結し、名人位を奪還しました。
羽生挑戦者の、40才を過ぎても衰えるどころか一層冴え渡る、一歩上の読みの深さと正確さ、獣道での羅針盤の鋭さ、暗中模索の積極さには、拍手とまねび以外ありません。
余談ですが、私は、本局を三浦弘行九段のニコ生解説で観戦したのですが、三浦九段の読みの深さと正確さに改めて感心すると共に、同じ光景が見る人間の実力で異なる光景に様変わりする素晴らしさと怖さを改めて認識しました。
不肖私、終生実力の向上に励む所存です。
★2014年5月20、21日催行
http://mainichi.jp/feature/news/20140522k0000m040055000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20140522k0000m040066000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASG5P6GW4G5PUCVL023.html
http://www.asahi.com/articles/ASG5P2SPZG5PUCVL009.html
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2014年05月21日
2014年05月20日
【洋画】「ミート・ザ・ペアレンツ2/Meet the Fockers」(2004)
[ひと言感想]
とりわけ頷かされたのは、これから幸せに成ろうとする新郎新婦を前に、女親は忽ち意気投合し、男親は忽ち張り合い始めたこと。(笑)
男親が張り合うのは、子どもの誇りを守りたいが為というより自分の誇りを守りがたいが為、もっと言えば、自分の人生とその哲学を肯定したいが為なのでしょう。
「幸せになりたがる」女と「勝ちたがる」男の図式は、終生かつ不滅に違いありません。
笑いながら頷かされたのは、ジャック(演:ロバート・デ・ニーロさん)の孫の最初に覚えた言葉が「クソヤロー(Asshole)!」だったこと。
子どもがクソヤローになるのは、大人がクソヤローだからに違いありません。(笑)
とりわけ頷かされたのは、これから幸せに成ろうとする新郎新婦を前に、女親は忽ち意気投合し、男親は忽ち張り合い始めたこと。(笑)
男親が張り合うのは、子どもの誇りを守りたいが為というより自分の誇りを守りがたいが為、もっと言えば、自分の人生とその哲学を肯定したいが為なのでしょう。
「幸せになりたがる」女と「勝ちたがる」男の図式は、終生かつ不滅に違いありません。
笑いながら頷かされたのは、ジャック(演:ロバート・デ・ニーロさん)の孫の最初に覚えた言葉が「クソヤロー(Asshole)!」だったこと。
子どもがクソヤローになるのは、大人がクソヤローだからに違いありません。(笑)
2014年05月19日
【BSNHK】「井上陽水ドキュメント『氷の世界40年』」小室等さん
【ナレーション】
そして、12月1日、 発売と同時に異常な売れ行きを示し、二週間後には、アルバムチャートの一位に躍り出る。
そのまま113週連続トップテン入りなど、音楽史を塗り替えるモンスターアルバムになっていった。
【みうらじゅんさん】
新しかったですよ。
新しいモノの見方を提示したアルバムなんですよ。
【リリー・フランキーさん】
所謂、今の日本のポピュラーソングよりも分かり易い歌ではないですよね。
【みうらじゅんさん】
分かり難いですよ。
【リリー・フランキーさん】
でも、それが130万枚位その当時で売れて、その当時はみんなが針を落として聴いてたっていうわけじゃないですか。
だから、いろんな人の血肉になってるわけですからね。
【みうらじゅんさん】
それはね、本当に、マニアだけじゃないっていうか、それが凄いよね。
【谷村新司さん】
50年に1枚しか出てこないくらいのアルバムだろうと(思うんですよ)。
このアルバム作っちゃったら、この後陽水はどうするんだろうって、同じ仲間としてはちょっと心配になったくらい。
それくらい斬新に感じたし、クオリティが高いし・・・。
【なかにし礼さん】
今までのLPレコードっていうのは、ヒット曲の寄せ集めの、所謂「ファンのためのアルバム」だったのが、井上陽水は、ファン相手ではなくて、日本全国に向かってこの作品を提出したわけです。
若者ばかりでなくて、老人も、おばさんも、そして、少年少女〔・・・〕普段音楽を聴いていない人たちも、みんなこの作品には感銘を受けたわけ。
そのぐらいの普遍性があったということです。
(中略)
【ナレーション】
一方で、「氷の世界」の大ヒットは、アルバムのあり方を大きく変えたという。
【小室等さん】
70年代、とにかくね、シングルなんかよりアルバムを作りたい。
そして、そんなに売れなくても自分を表現することができる世界っていうようなモノだったんじゃないかと思うんだよね。
陽水さんが売れて・・・ることによって悲劇は始まって、そして、ユーミンでブレークして売れて、オフコースが売れてっていうようなことの中で、明らかに置き去りにされたものがあるはずなんですよ。
残念ながら、^「氷の世界」は「終わりの始まり」っていうかね、悲劇的な側面を持った出来事だったんだなっていう・・・。
(中略)
【ナレーション】
森本レオは、陽水の闇を垣間見たことがあるという。
【森本レオさん】
うちで遊んでて、陽水が居るんだから、陽水を囲んで、陽水を聴こうぜっていう話になって、そして「断絶」の何かを聴いたんですよ。
そうしたら〔・・・〕歌いだす瞬間、(ゴクリと唾を)飲んでいる気配なのね。
「アガってんじゃん、何だよ!っていう話で、みんなで大笑いしたんですね。
そうしたら、陽水さんがものすごい怒り出して、「生きるか死ぬかなんだ、この瞬間にかかっているんだ。緊張するに決まってるじゃないか!」ってすごい怒って、そのフッと息を呑んだ二秒が、本当に彼にとっては神聖な瞬間だったなって、人生を凝縮した瞬間だったんだなって、それを笑いものにして本当に申し訳なかったなと思うんだけど。
彼は本当に命懸けっていうか、人生の全てをかけて作ったんでしょうね。
【伊集院静さん】
これはもう明らかに、これをアルバムを一つしたら(≒作ったら)終わりだってことは、もう感じてるよね。
「この後が続きますよ」というアルバムではないね、じゃなきゃ、こんなタイトルつけませんよ。
そのくらいの覚悟というか、覚悟じゃなくて、そういうものだったんじゃないですかね、彼にとってあの時代と、彼の、モノを作ったり、語ったり、歌ったりすることは。
「恐らく「これが多分生涯の自分の最後のアルバムだろう」というものは、感じられますよね。
なかにし礼さんの話を受けた(と思しき)小室等さんのコメントに、とりわけ考えさせられた。
というのも、小室さんのコメントは、以下解釈できるからだ。
「『氷の世界』というアルバムが、既存の陽水ファンや(フォーク)音楽ファンに留まらず、世の老若男女の共感を得、前代未聞に大ヒットしたのは、陽水本人や制作スタッフは勿論、レコード会社や他のミュージシャンにとっても喜ばしかった。
なぜなら、『アルバム』という音楽の商品が、あたかも漫画の単行本のような、過去のヒットシングルを寄せ集めただけの特定のファンへのサービスパックではなく、作者の内面を表現した、大衆向け私小説集ならぬ私音楽集として『売れる(=ビジネスに成り得る)』のが証明されたからだ。
けれども、結果的にはこのことが、『アルバム』という商品の『終わりの始まり』に成ってしまった。
なぜなら、この既成事実が作り手側に好都合に解釈、曲解され、『アルバム』という商品は、作者の内面を表現した私音楽集であって良いのだと、作者の内面を一方的に表現して作られて然るべきなのだと、作者の内面を赤裸々に表現して作りさえすれば良いのだと、彼らに誤ったお墨付き、免罪符、成功法則を与えてしまったからだ。
結果、多くのミュージシャン、レコード会社がこぞって、老若男女が共感できる普遍性はなおざりに、『ファンが聞きたいモノ』ではなく、専らミュージシャンの内面、即ち、『自分が言いたいコト』を羅列したアルバムをリリースするようになってしまった。
つまり、手段と目的を混同し、ファンとビジネスを忘れ、『自己満足の罠』にハマッてしまった。
『アルバム』という商品は『売れなくなった』のではなく、『自ら売れなくした』のだ」。
今から約30年前、テクノブームが起こり、ヒカシューやプラスチックスなど、シンセサイザーを使った所謂テクノバンドが雨後の筍の様に出現したが、ビジネスとしても音楽としても残存したのはYMOだけだ。
なぜか。
YMOヲタとしてのたまわせてもらえれば(笑)、主因はメンバーが「シンセサイザーの従順な奴隷」ではなく「シンセサイザーの賢明な使い手」だったから、もっと言えば、「シンセサイザーの使用」を「理想の音楽」の手段と割り切っていたから、だ。
坂本龍一さんは過日も、当時の心境を以下述懐なさっていた。
音色のことで言うと、シンセサイザーを使うっていうことはね、例えば、尺八のような音は作れる訳ですよね。やはり、手段はあくまで「(特定の)目的を達成する為の」手段であり、目的には成り得ないのだ。
尺八の音を使いたいとして、シンセサイザーが無ければ、奏者を呼んでくるか、自分で3年だか8年だか練習して、吹けるようになるまで待たなければいけない。
まあ、大変ですよね。
で、シンセサイザーで作る尺八の音は、尺八ほど複雑な音響は出ないけども、近いような、(尺八の)ような音が出る、と。
これはもう、すぐできるわけですよね。
そういう風に、使える音色が飛躍的に増える、或いは、30人の弦の奏者が居るような音を自分で一回でジャンと弾けちゃう。
勿論、オーケストラの本当の複雑さに比べれば随分単純ですが、弾けちゃう、かなり、近似値まで弾けちゃう、っていうことには、物凄く喜びも感じていましたね。
※2014年1月23日放送『スコラ 坂本龍一 音楽の学校 シーズン4"電子音楽"編(3)』にて
https://www.nhk.or.jp/fm-blog/1000/178144.html坂本龍一commmons2012-06-20
プレイヤー足る者、手段に心を奪われた暁には、お客を他のプレイヤー(商品カテゴリー)に奪われてしまっても致し方無く、自業自得なのだ。
★2013年12月28日放送分
http://www.telecomstaff.co.jp/blog/nowmaking/002301.php
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2014年05月16日
【邦画】「男はつらいよ 第25作 寅次郎ハイビスカスの花」(1980)
[ひと言感想]
ハイビスカスが沖縄でなく葛飾柴又でこそあり難いように、愛情も非日常でこそあり難く、光り輝くもの。
たしかに、「所帯を持つ」というのは「愛情を現実化、日常化する」ことであり、簡単ではありません。
夢追い人が時に疲弊し、愛情の現実化、日常化を欲求するのも、夢追いの途中なのでしょう。
また、御前様はセクスピア(笑)の言を引用し、「生きてる間は夢だ」と仰りました。
たしかに、人間は死んだらお終いであり、死は現実の究みですが、生きている限り夢は見放題です。
これから所帯を持つ人は、身の程に加え、夢をわきまえる術と気風を寅とリリーにまねぶと良いでしょう。
ハイビスカスが沖縄でなく葛飾柴又でこそあり難いように、愛情も非日常でこそあり難く、光り輝くもの。
たしかに、「所帯を持つ」というのは「愛情を現実化、日常化する」ことであり、簡単ではありません。
夢追い人が時に疲弊し、愛情の現実化、日常化を欲求するのも、夢追いの途中なのでしょう。
また、御前様はセクスピア(笑)の言を引用し、「生きてる間は夢だ」と仰りました。
たしかに、人間は死んだらお終いであり、死は現実の究みですが、生きている限り夢は見放題です。
これから所帯を持つ人は、身の程に加え、夢をわきまえる術と気風を寅とリリーにまねぶと良いでしょう。
2014年05月15日
【科学】「背信の科学者たち」ウイリアム・ブロードさん
P285
欺瞞と科学の構造
真理の探求と名誉
伝統的な科学観からは、欺瞞という問題に対する充分な回答を引き出すことはできない。伝統的科学観は欺瞞を広く一般的なものとしてとりあげず、重要な問題ではないと否定してしまうだけである。しかし、欺瞞は科学の全歴史を通じて見られた現象であったし、今日でもしばしば耳にする問題であり、排除されねばならないのは欺瞞ではなく、この型どおりの科学観なのである。
欺瞞の分析により、科学が実際にどのように機能しているかが明らかにされ、研究者個人の動機と、科学者の社会が新しい知識を受け入れる仕組みとの双方が明らかになる。
科学はその初期の時代から二つの目的のために人間が争ってきた舞台であった。その一つは森羅万象を理解することであり、他の一つは理解のための努力について評価を得ようということである。このことを理解することによってはじめて、科学者の動機や科学者の社会の姿、科学の過程そのものが適切に理解できるのである。
科学者のこの二つの目的は、多くの場合、相伴って機能するが、ある状況下においては衝突する。実験結果が期待どおりでなかったり、理論が広い支持を得られなかった場合であり、その場合には、科学者はいろいろな方法でデータを改良したり、捏造などさまざまな誘惑にかられるであろう。中には、自分の理論の正しさを頑固な仲間たちに説得しようとしてごまかしを行う場合もあるだろう。ニュートンは自分の重力理論に対する批判者たちに反駁するため、細かな点に手を加えた。メンデルのエンドウマメの割合に関する統計は、いかなる理由にせよ、事実としてはあまりにもできすぎている。また、ミリカンは電荷を説明するためデータを選択したのである。
このように、もし歴史が科学者に対して好意的な結果をもたらすならば、それは彼らの理論が正しかったためである。しかし、倫理を重んずる者にとっては、真理のために偽りを述べその結果が正しかったアイザック・ニュートンと、結果が正しくなかったシリル・バートとを何ら区別できないのだ。ニュートンもそしてバートも、自分が正しいと信じたがために偽りを述べたのであり、それはおそらく、自己弁護や、あるいは自分の理論の妥当性を専門家仲間に認めてもらいたいがための行為だったのである。
科学者は真理を曲げてまで個人の栄光を求めはしない。しかし、プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ダルトン、そしてミリカンたちさえ打ち勝つことのできなかった誘惑は、科学が、19、20世紀に至り、職業化するにつれてさらに大きなものとなった。エリアス・アルサブティの輝かしい経歴の中に見られる虚偽は、名誉への欲求が正当な真理の探求をいかに完全に打ち砕いてしまうものであるかを示している。アルサブティの行為は決して一般的なものではなかったが、現代科学の中に常に存在する野心と立身出世主義を極端な形で表していたと言える。さらに重要なことは、彼の成功は科学者の社会の仕組みが過剰なまでの野心と立身出世主義の規制のためにはいかに無力なものであるかを示していることである。
科学者の多くが研究に執心するのは研究が好きなのであって、出世のはしごを登り、科学のスターの座を目指すためではない。科学には単一の社会的組織が存在するのではなく、むしろ理想的で平等な仲間社会から、縦型に組織された論文生産工場まで幅広くさまざまの組織が存在している。一般化するにはまだ不充分ではあるが、明らかな一つのパターンとして捉えることのできるのは、欺瞞はそのほとんどがアルサブティやバートのような一匹狼か、あるいはまた、論文生産工場におけるスタッフたちによるものだということである。
科学者の社会は立身出世主義を助長するよう組織されているようである。階層的に組織化された論文生産工場においては、研究室の責任者は自分の貢献がどの程度だったかということにかかわらず、自動的に若い研究者たちが行った研究の栄誉を共有してしまうのである。そこでは他人を犠牲にした上で、あるひとりの科学者が栄光を一身に集めることができるのだ。努力を搾取されている者は、それが組織における変更不可能な部分であるとみなして研究を行っている。しかし、彼らもまた、その組織からいつかは利益を得たいと願うのである。
ひとりのボスが率いる研究室では、立身出世主義だけではなく、冷笑的な態度をも助長する。なぜなら組織が真理の探求と名誉への欲求の二つを別々に引き裂いてしまうからだ。論文の生産や研究員の獲得のみを重視する組織は、冷静な真理の探求をさしおいて、栄光や名誉を求めるよう圧力をかけるのである。
一般に科学研究には多くの困難と失望が伴うものである。すばらしい着想を得たり、実験の成功による大きな喜びを得るためには、研究者は実験室の机に向かって長時間、困難な仕事をこなし、新しい実験技術を習得し、誤りを見つけ出し、さらには混沌とした自然の中から明解な答えを引き出すための不断の努力が強いられるのである。研究の遂行には非常に強固な動機が必要であり、栄光がしばしば動機となり、研究費を断たれまいとする一念が刺激となるのだ。しかし、もし自然の冷静な探求より、科学界での名誉の獲得に余念のない先輩研究者の姿を若い研究者たちが目のあたりにすれば、彼らの研究意欲はたちまちにして冷笑へと変わりうるのである。
「社会の仕組みは、そもそも立身出世主義を助長するよう組織されており、過剰な野心と立身出世主義の規制に無力である」。
これは、科学者の所属する社会に限らず、いずれの人の所属する社会にも当てはまるのではないか。
そして、その分り易い証左は、山崎豊子さんが著した「白い巨塔」が、発表後約半世紀を過ぎてもなお大衆から愛され続けていることではないか。
主因の一つは、財前五郎の正に過剰なまでの野心と立身出世主義を後押しした境遇が、とりわけ医学の社会が、自分の所属する社会と通底しており、財前の人生に同情を禁じ得ないから、更には、財前の悲劇が他人事に思えないから、ではないか。
たしかに、財前の不遜さ、手段の選ばなさは、同情どころか、眉をしかめて然るべきだ。
しかし、かつての石川遼選手に見る「若者ならではの秀逸さと強さ」が、無知とそれに因る怖いもの知らずさとワンパックであるのと同様、財前は不遜で、手段を選ばない人間であったからこそ、他の医師の追随を許さない独自高度技術を持ち得たし、医学の進歩も牽引し得たとも言える。
同期の親友である里見修一が、野心と立身出世主義の持ち主で全くないどころか、それらを否定し、結果、不本意かつ志半ばで独自高度技術を持ち損ね、医学の進歩も牽引し損ねたのと比較すれば、財前の不遜さ、手段の選ばなさなど知れている。
なぜ、財前は、野心と立身出世主義の過剰な持ち主、否、虜になったのか。
勿論、主因の一つは、マズローの欲求五段階説に因る「承認欲求」だろうが、同等かそれ以上の主因は、同じそれに因る「自己実現欲求」に思えてならない。
というのも、そもそも財前が医学者を志したのは、幼い時分に父に早世され、女手一つで自分を医大に通わせた母親に対する報恩と、同様家族の悲劇の回避が出発点かつ根底に在るよう窺えるからだ。
真に有為な医学者に成るには、独自高度技術を創造、会得することが最重要かつ不可欠だが、それには当然十分なリソース、即ち、ヒト、モノ、カネが不可欠であり、然るに、過剰なまでの野心のもと立身出世を大きく果たし、より高く、強く、豊かな権威、権限、権力を得ることが不可欠なのだ。
二宮尊徳が「経済なき道徳は寝言」と言っているように、「権威なき医療は寝言」なのだ。
なぜ、医学の社会の仕組みは、立身出世主義を規制するどころか、助長するよう組織されているのか。
根本原因は、エンドユーザーの大衆が、「無限の安心」を欲求し、「権威ある医療」を選好するからではないか。
何時の世も、大衆は権威に脅威と安心を覚え、迎合、盲従する。
医学の社会におけるその分り易い証左は、大学病院が絶えず混雑していることではないか。
マルクスが「地獄への道は善意で舗装されている」と言っているように、立身出世主義の助長、繁栄は、大衆の無知で舗装され、いずれの社会にも通底しているのではないか。
2014年05月14日
2014年05月12日
【邦画】「華麗なる一族」(1974)
2014年05月10日
【第72期名人戦/第三局】羽生挑戦者、課題かつ因縁の急戦矢倉を新構想で勝利し、名人復位に早くも王手
[ひと言感想]
本局は、羽生善治挑戦者が18手目△5三銀右と急戦矢倉を志向して開戦しましたが、両対局者自身に前例がありました。
二年前の同じ名人戦(第三局)では森内俊之名人が羽生挑戦者を下していましたが、直近の昨年の竜王戦(第三局)では森内名人が渡辺竜王(※当時)に負かされていました。
本局は、依然未結論の課題局ですが、羽生挑戦者からすると、勝てば3-0と名人復位に大前進するも、負ければ流れが変わりかねず、また、森内名人からすると、負ければ0-3と絶体絶命の角番に追い込まれること必至でした。
本局は、働いていない自陣の香車を見限り、穴熊に囲い直して玉を安泰にし、△8四角(48手目)、△4七歩成(76手目)と一気呵成に攻めた羽生挑戦者の構想と決断が光ると共に、両対局者の棋士としての、また、人としての強情さ、純粋さ、矜持が光り輝いた一局でした。
★2014年5月8、9日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/
http://mainichi.jp/feature/news/20140510k0000m040049000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASG592TN9G59UCVL002.html
本局は、羽生善治挑戦者が18手目△5三銀右と急戦矢倉を志向して開戦しましたが、両対局者自身に前例がありました。
二年前の同じ名人戦(第三局)では森内俊之名人が羽生挑戦者を下していましたが、直近の昨年の竜王戦(第三局)では森内名人が渡辺竜王(※当時)に負かされていました。
本局は、依然未結論の課題局ですが、羽生挑戦者からすると、勝てば3-0と名人復位に大前進するも、負ければ流れが変わりかねず、また、森内名人からすると、負ければ0-3と絶体絶命の角番に追い込まれること必至でした。
本局は、働いていない自陣の香車を見限り、穴熊に囲い直して玉を安泰にし、△8四角(48手目)、△4七歩成(76手目)と一気呵成に攻めた羽生挑戦者の構想と決断が光ると共に、両対局者の棋士としての、また、人としての強情さ、純粋さ、矜持が光り輝いた一局でした。
★2014年5月8、9日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/meijinsen/
http://mainichi.jp/feature/news/20140510k0000m040049000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASG592TN9G59UCVL002.html
2014年05月09日
【邦画】「男はつらいよ 第22作 噂の寅次郎」(1978)
[ひと言感想]
たしかに、人は、独りになりたい時は同情が煩わしく、独りになりたくない時はあり難いのです。
人の身勝手や天邪鬼は、失恋や離婚など悲劇の到来時にこそ露になります。
人は生来、厄介かつ不明な生き物です。
そして、人生の無常は周知ですが、だからこそ、報われる保証のない変わらぬ愛は難しく、又、尊いのです。
人生とは無常への抗いかもしれません。
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たしかに、人は、独りになりたい時は同情が煩わしく、独りになりたくない時はあり難いのです。
人の身勝手や天邪鬼は、失恋や離婚など悲劇の到来時にこそ露になります。
人は生来、厄介かつ不明な生き物です。
そして、人生の無常は周知ですが、だからこそ、報われる保証のない変わらぬ愛は難しく、又、尊いのです。
人生とは無常への抗いかもしれません。
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2014年05月08日
【野球】「意識力」宮本慎也さん
P31
普段の行動こそ、野球の原点
私の座右の銘は「野球即人道」である。
(中略)
野球に打ち込む姿は、人生に向き合う姿勢に等しい。しっかりした人間、強い人間になろうと努力しなければ、野球でもよいプレーなどできるはずがない。そういう意味だと理解している。高校生の頃はなんとなくしか分かっていなかったと思うが、年齢を重ねるごとに言葉の重みを感じていった。
(PL学園高校時代の恩師である)中村(順司)監督の教えは、PL学園の野球教育そのものだった。当時のPL学園は全寮制で、集団生活はとても厳しいものだった。
(中略)
周囲への気配り、目配りという部分でもだいぶ鍛えられたと思うが、忘れられないのが、中日で活躍した立浪和義さんの気遣いだった。
高校時代に監督から、「おい、ちょっと爪切りを取ってくれ」と言われた時のことである。爪を切る刃の部分を自分のほうに向けるのは当然。驚いたのは爪切りをあらかじめ開いて渡して、すぐに爪を切れるようにしていたことである。
そこまで細やかな心遣いをできる十代がいるだろうか。改めて「この人はすごい」と思った。この気配り、目配りというのは野球に通じる。守っている時はランナーの動きはもちろん、ランナーコーチであったり、相手ベンチの些細な動きから、次に何が起きるかを想像することができる。一言でいえば洞察力なのだが、野球をしている時だけで鍛えられるものではないはずだ。
立浪さんの気遣いは引退後の今も続いている。海外で一緒にゴルフを回った時のことだ。一緒にラウンドしていた人とホットドッグを買って食べたのだが、立浪さんは自分の紙ナプキンの上にケチャップの上澄みの透明な汁を出したうえで、ケチャップを適量つけて手渡したのである。こうした気遣いは間違いなく現役時代のプレーでも発揮されていたはずだ。
著者の宮本慎也さんと同様、立浪和義さんの気遣いは「この人はすごい」の一言に尽きるが、立浪さんの気遣いから強く窺えるのは、人の「ニーズ」の何たるかを正確に理解しておられることと、人の一挙手一投足や表情から「ニーズ」を迅速かつ正確に先読みする習性と能力を高次に兼ね備えておられることだ。
もし、立浪さんが中村順司監督のニーズを「爪の長さを野球や生活に支障の無いよう最適化すること」ではなく、「爪切りを手に入れること」と勘違いしていたら、宮本さんが推量するように、せいぜい刃の部分を自分のほうに向け、爪切りそのものを手渡して終わっていたに違いない。
「気遣い」で本当に大事なのは「気をつかうこと」ではなく、先ず「頭をつかうこと」だ。
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2014年05月07日
【F1】「あの事故から20年。中嶋悟が語る『セナの素顔』」中嶋悟さん
(アイルトン・)セナの何がすごいかっていうと、とにかく運転がうまいんです。ハンドルを切るのも、ブレーキを踏むのも、アクセルをコントロールするのも、全部がうまい。すべての操作を正確かつ短時間にこなすことができる。
(中略)
当時のドライバーたちは、レース中に接触することも厭(いと)わない、命がけで走っていたなんて、そんなバカなことはあり得ません。そんなことは冗談でも言えないですよ。もちろんF1は身体をはって限界に挑むスポーツだと身を持ってわかっていますし、時には相手のことを「この野郎!」と思いながら走ることもあります。だからといって捨て身になって、命をかけてやるものではない。命をかけないように、自分の技と経験を駆使して戦うんです。
それがレースです。アイツは臆病者だと言われてもいいですが、僕はそう信じています。
(中略)
セナは運転がうまかったですが、何か特別なドライビングをしているのかといえば、決してそうではありません。僕の運転の仕方とも変わりありません。ただ、僕が1秒間で5つしかマシンの操作をできないとしたら、彼は同じ時間で8つぐらいの操作ができる。言い換えると、僕にとっての1秒はセナにとって2秒ぐらいに感じているんじゃないか、ということです。
きっと彼の目には、物事の動きが現実よりもすごくゆったりと見えていたと思います。そうじゃないと、ガードレールに囲まれた狭いモナコの市街地コースをあんなに速いタイムで走ることなどできるわけがありません。理屈が合わないんです。実際にモナコを走ると、次から次へとブラインドコーナーが迫ってきて、それに対応するだけで精いっぱいです。でも、きっとセナは周りがよく見えていて、僕が想像もつかないところまでちゃんと絵を描けているんです。だから、見えない壁の向こうにものすごいスピードで突っ込んでいくことができるのだと思います。
(中略)
たとえば、F1ドライバーはモナコGPが開催される市街地コースのトンネルを280キロ以上のスピードで駆け抜けていきます。トンネルを抜けてパッと視界が明るくなり、次のコーナーの入り口が見えます。でもコーナーが見えたあとに反応しても遅いんです。コンマ数秒で壁にゴンッとぶつかって終わりです。見えてから反応するのではなく、レーシングカーの運転では自分で時間をつくっていくんです。
モナコのような市街地コースでは、コーナーの先がまったく見えません。見えないけれども、次に起こることを予想して仕掛けていくのです。「コーナーの先は見えないけれども、クルマがこういう動きをしているので、このままで走って行けばカーブをうまくクリアして、壁の10センチ横を通ることができる」とかね。そうやって実際に目に見える前に反応して時間をつくっていくことで、タイムを削り取ることができるのです。
とはいえ、モナコはでひとつのコーナーをクリアしても、次から次へとコーナーが連続していきます。僕からすれば四六時中綱渡りしているようなものでした(笑)。だから何度も言いますが、セナの目にはよっぽど周りがのんびり見えていたんじゃないかと思うのです。
きっと他のスポーツでも、セナのようにスーパースターと言われる人たちは、同じような感覚を持ち合わせているのだと想像します。視野が広く、他の選手には見えないものが見えている。さらに言えば、目だけじゃなく、頭の回転や記憶力などもうまくリンクさせながら機能しているのだと思います。
「命懸けでレースをしているドライバーは皆無であり、そもそもそんなレース運びは馬鹿げている!」。
中島悟さんのお考えは成る程であり、尤もだ。
そうなのだ。
事を為すには「懸命」が欠かせないが、それは捨て身になって、命を懸けることでは断じて無いのだ。
そんなことを本番(勝負時)で繰り返していたら身体がいくつあっても足りず、精神論や自棄っぱちを超えないのだ。
「懸命」とは、却って本番の緊急時でさえ命を懸けなくても済むよう、精神論や自棄っぱちに希望を託さなくても済むよう、絶えず自分の技術(スキル)と経験を高め、限界まで駆使できるようにする、事前の平生のプロセスに重点を置いた合理的最善努力のことなのだ。
そして、「頭が本当に良い人は、見ている所が違う」ものだが、その複眼の基盤には、自他の意味合いを感受する(→自分事[⇔他人事]として入力する)の幅の広さに加え、そうして広く入力した自分事を演算処理する技術と経験の網羅的な豊かさも在るのだ。
「羽生マジック」は広くて深くて正確な読みと、トップ棋士との数多の修羅場経験の掛け合わせの妙なのだ。
★↓から転載
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/motorsports/2014/05/01/f120/
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2014年05月02日
【邦画】「男はつらいよ 第19作 寅次郎と殿様」(1977)
〔ひと言感想〕
「人にはそれぞれ事情はあれど、受けた世話には謝礼が決まり」。
寅次郎と殿様は「謝礼繋がり」(笑)です。
人格高潔、清廉潔白だから決まりごとを守るのか、決まりごとを守るから人格高潔、清廉潔白なのかはさておき(笑)、決まりごとの相通ずる人との縁ほどあり難いものはありません。
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「人にはそれぞれ事情はあれど、受けた世話には謝礼が決まり」。
寅次郎と殿様は「謝礼繋がり」(笑)です。
人格高潔、清廉潔白だから決まりごとを守るのか、決まりごとを守るから人格高潔、清廉潔白なのかはさておき(笑)、決まりごとの相通ずる人との縁ほどあり難いものはありません。
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2014年05月01日
【第85期棋聖位挑戦者決定戦】森内竜王名人、無前例の力将棋で村山七段を下し、羽生棋聖への挑戦権をもぎ取る
[ひと言感想]
本対局は「名人に定跡無し」を地で行く、前例のない、研究だけでは到底勝てない、正に力将棋だった。
実力は大一番にこそ出るもの、また、出せるもの、出して然るべきもの、に違いない。
森内俊之二冠の、名人位防衛と並行しての羽生善治棋聖への挑戦、及び、羽生三冠とのダブルタイトルマッチを楽しみにすると共に、最強の踏み込みが一歩足りなかった村山慈明七段の捲土重来を心待ちにしたい。
★2014年4月30日催行
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/85_ch/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/85/kisei201404300101.html
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140430/shg14043020450002-n1.htm
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本対局は「名人に定跡無し」を地で行く、前例のない、研究だけでは到底勝てない、正に力将棋だった。
実力は大一番にこそ出るもの、また、出せるもの、出して然るべきもの、に違いない。
森内俊之二冠の、名人位防衛と並行しての羽生善治棋聖への挑戦、及び、羽生三冠とのダブルタイトルマッチを楽しみにすると共に、最強の踏み込みが一歩足りなかった村山慈明七段の捲土重来を心待ちにしたい。
★2014年4月30日催行
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/85_ch/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/85/kisei201404300101.html
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140430/shg14043020450002-n1.htm
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