2013年12月

2013年12月31日

【洋画】「ニューイヤーズ・イブ/New Year's Eve」(2011)

〔ひと言感想〕
進化や成長の妨げの多くは、過去の因縁です。
年越しは、無礼講に加え、御破算の装置です。
世知辛い今こそ、年越しは有用に違いありません。


ニューイヤーズ・イブ [DVD]
出演:サラ・ジェシカ・パーカー、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・デ・ニーロ
監督:ゲイリー・マーシャル
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-11-07




kimio_memo at 08:00|PermalinkComments(0) 映画 | -ロバート・デ・ニーロ出演作

2013年12月27日

【邦画】「北のカナリアたち」(2012)

〔ひと言感想〕
悲劇を招くのは、悪人ではありません。
私たちの胸中の、瑣末で頑固な劣等感、罪悪感です。
そして、それらの巡り合せの悪さこそ、悲劇の正体です。
人は、憎むべきものではなく、赦すべきものです。


北のカナリアたち [DVD]
主演:吉永小百合、森山未來、仲村トオル、柴田恭兵、石橋蓮司、里見浩太朗
監督:阪本順治 
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2013-05-21


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kimio_memo at 08:02|PermalinkComments(0) 映画 

2013年12月26日

【NHK】〔プロフェッショナル仕事の流儀 特別編「イチロースペシャル2012」〕イチローさん

【ナレーション】
イチローは今年、39才にしてかつてない激動のシーズンを送った。
年齢の壁に、イチローはどこまで抗い続けるのか。
何が挑戦の場へと駆り立てるのだろうか。

【イチローさん】
胸を張ってこれまでやってきた時間で得たものを胸を張って言えないです、まだ。
「これだ!」っていうものを表現することができない
ですよね。

僕が想像しているのは、きっと、人としての成熟期はもうちょっと先にあって、もっともっと先にあって、その時に選手で居たい、っていうのが夢ですよね、目標というよりも。
大体は体が元気な時にプレイヤーとして、選手としていられて、それが終わった時に何かを知る、っていうパターンが多いと思うんですよね。
でも、それはちょっと寂しいなと思っていて、選手である時にそれをしっかりとつかみたい。
そのことをここ何年か思うようになった
、ということですね。

【番組スタッフ】
どういう風になったら、最後にイチローさんは、それをつかんだ、それを知った、、そして、もうこれで野球をやめる、っていう風に、今は想像していますか?

【イチローさん】
全く分からないです。
全く分からない。
だから、こういう思い、そういう覚悟も持てるんでしょうね。
はっきりと、こうなんだろう、こうである、ということが想像できたら、ありったけは捧げられないかもしれないですね。

【番組スタッフ】
全く分からないから、ありったけでいられる、っていうことですか?

【イチローさん】
そう思います。

(中略)

【ナレーション】
最後にイチローにこう尋ねた。
これからイチローは、どこに向かうのか?

【イチローさん】
まあ、こういう表現をして的確かどうか分からないですけども野球選手としての死が着実に近づいていく時間になっていく、それをどれ位元気な状態で居られるのかっていうっていうものと戦っていくことになると思うんですけど〔・・・〕まあ笑ってそれを迎えたいな、そんな思いですかね、そんな時間にしたいな、という風に思いますね。

【番組スタッフ】
笑って迎えたい・・・

【イチローさん】
うん。
笑って死にたいかな、と。

勝手かつ不遜だが、私はイチローさんに似ていると自負している。(笑)
イチローさんも多分に、計画した10のタスクの内、9ができたとしても、できた9を喜べない。
できなかった1がどうにも不甲斐なく、さらに、そんな不甲斐ない自分が赦せない。
そして、成長し、好業績を創出しても、そんな自分が褒められない。
依然未成長で、失敗を招く元凶足る能力と資質を、つい責めてしまう。
また、目標を高く設定すると共に、その為の心身の労苦を当然視する余り、つい無いモノねだりをしてしまう。
より高い目標を掲げることと、より大きな負荷を与えることと、無いモノねだりをすることは話は別であり、また、頭でもそう分かっているが、つい見境を失ってしまう。

然るに、イチローさんの吐露とその苦しい心中は、よく分かる。
イチローさんはこれまで好業績を次々更新し、その都度それを「通過点に過ぎない(≒『自分がこれまで創り上げたアイデンティティ、及び、その結実だ!』と言い切る程のモノではない)」旨コメントしてきたが、それは本心だろう。
また、物事に直接対峙している渦中では客観、俯瞰、内省に限りがあるからして、物事の真理を洞察し、人的成長を果たすにはラグが生じざるを得ないが、そう頭では分かっていても、つい焦ってしまうのだろう。

私自身にも思い切り当てはまるが、結局、イチローさんが今果たすべきは、自分をもっと赦すことだ。
そして、メジャーでプレーできることをもっと楽しみ、今プレーできる幸運にもっと感謝することだ。

イチローさんには、是非帰国の折、羽生善治さんに遭って欲しい。
羽生さんも、かつてはやはり合理的かつストイックに思考する余り、専ら対局より勝負に拘泥したが、今は昔、40才を過ぎるも最強棋士として通算タイトル獲得数を更新中だ。
聡明なイチローさんのこと、羽生さんから自分を赦すヒントを得、新境地の開拓を果たすに違いない。

番組の最後、イチローさんは、「選手生命の最期を笑って迎えたい」旨仰った。
私は、似た者同士として(笑)、また、一心酔者として、イチローさんが自分を赦せること、そして、将来笑ってバットを置くこと、を願って止まない。



★2012年12月29日放送分
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/1229/

kimio_memo at 07:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2013年12月25日

【邦画】「明日の記憶」(2006)

〔ひと言感想〕
記憶とは、辿るものではなく創るもの、それも、消えるそばから創り続けるものかもしれません。
そして、今日と明日を紡ぐのは、記憶よりも関心かもしれません。
関心の持続の助力こそ、伴侶の務めの最たるかもしれません。


明日の記憶 [DVD]
主演:渡辺謙、樋口可南子
監督:堤幸彦
東映
2006-10-21




kimio_memo at 07:29|PermalinkComments(0) 映画 

2013年12月20日

【BSNHK】「100年インタビュー」十二代目市川團十郎さん

【渡邊あゆみアナ】
(実父の早世後、)そういう風に他所の方に教わって、しかも、みんなお父さまが上手だったこと、わかっているわけですよね。

【市川團十郎さん】
はい。

【渡邊アナ】
どんな感じですか?
以前、あれは後の團十郎襲名の時のでしたかしら、ずっと後のことになりますけどね、例えば、義太夫を(竹本)住大夫さんの所で習われて、「お父さんはそうじゃなかったよ」なんて、はっきり言われてましたよね。

【團十郎さん】
はい。
そうですよね。
はっきり言われるのが、一番いいことなんでしょうね。

【渡邊アナ】
でも、辛いですよね。
だって・・・

【團十郎さん】
いや、そりゃ、辛くない人生なんて無いじゃないですか。
皆さん、やっぱり、嫌な思い、辛い思いをすればこそ、何かが生まれるんですよね。
ええ。
そんな楽ばっかりできて、楽しいことばっかりあって、生きてたら、つまんないんじゃないですか。

市川團十郎さんのお考えは成る程だ。
たしかに、幸福が有り難く感じられるのは、不幸の方が圧倒的によく有るから、つまり、幸福の絶対量が不幸のそれより圧倒的に稀少だから、だ。
人生の辛さは、楽しさの必要悪なのかもしれない。


【渡邊アナ】
歌舞伎って、初代は随分新しいことを色々取り入れてやってきましたよね。
12代となると、守らなきゃいけない、伝えなきゃいけないモノがいっぱいですよね。

【團十郎さん】
いや。
守らなければならないモノはそれ程無いと思います。

【渡邊アナ】
でも、覚えなきゃいけない型も沢山あるし。
初代なら自由にやれたことが・・・。
大変だと思いますけれど・・・。

【團十郎さん】
いやあそれは創造する努力と、それからそれを繋げていく努力っていうのは、本質的には僕はそれ程変わらないもんだという風に思ってます。
一所懸命おんなじことを何回も繰り返して、繰り返してっていうことが、割合辛抱できない時代になってますけど、おんなじことを繰り返すっていうのは、実はね、結構創造しているんですよ。

【渡邊アナ】
そうですか。
おんなじことをずっと淡々とやることも大変だけど、新しさは無いように・・・。
そんなことはない?

【團十郎さん】
いや。
おんなじことができれば、もうその人は創造者より天才ですよ。

【渡邊アナ】
そうですか?

【團十郎さん】
そうです。
ですから、創造と継続っていうのは、僕はそれ程変わんない、お互いに創造している、という風に思ってますから、12代目ということであろうと、あくまで創造なんです。
(たしかに)おんなじことを先祖から受け継いでるっていうことはあります。
ただ、やはり、江戸時代、維新という明治時代、それから第二次世界大戦以後の時代、日本は戦争毎に色んなモノが変わっています。
でも、私とすると、今の伝わっている歌舞伎の中で、日本人の知恵がいっぱい詰まっていると思っています。
まあ、戦後、日本の人たちがなくしているのは、やっぱり自分たちへの誇りだと思いますよね。

【渡邊アナ】
西洋文化にちょっと傾いている所もありますよね。

【團十郎さん】
そうですね。
それから、まあやっぱり、余りにも流行に傾き過ぎるというのが、多分あると思います。
で、やはり、江戸の文化というのは、これから、NPOとか、或いは、ボランティアとか、(社会や市民が)そういうことを提唱されていますけど、実は、江戸の文化というのは、正にそれなんですよ。

【渡邊アナ】
ええ?

【團十郎さん】
江戸時代の、家を構えたり、田地田畑を持っている方は租税を取られますけども、庶民は税金無しですからね。

【渡邊アナ】
ああ、そうか。
そうですね。

【團十郎さん】
ええ。
その中で、給料も無しに助け合っているんですよ。
ええ、もう向こう三軒両隣。
で、お互いに顔を知っているのが一つの自警にもなってるし、それから、タダで相手を助けるっていうことは一杯やっているんです。
まあ、一つの例ですけどね。

かつてイチローさんは、「バッティングは動く」と仰った
これは、誤解を恐れず咀嚼すれば、「バッティングの理想の(=あるべき)軌道は不変だが、そのフォーム(=プロセス)は変動して然るべきだ」ということだ。
イチローさんのお考えは尤もだ。
そう、敵対する相手と時が変われば、プロセスも変わって然るべきなのだ。
投手が変われば投球も変わるし、時が変われば自分の肉体も内面も変わる。
昨日創造した最善のバッティングフォームは、昨日とは異なる投手に対峙し、昨日と異なる肉体と内面を持つ自分にはもはや最善のバッティングフォームではなく、最善のバッティングフォームを今日も継続実行したければ、今日改めて最善のバッティングフォームを創造し直さなければならない。

然るに、團十郎さんのお考えも尤もだ。
そう、(新規の)創造とその継続は、互いに「創造」が必然であり、「創造」を旨とする点で通底しているのだ。
「創造」の無い創造は当然有り得ないが、「創造」の無い継続も有り得ない。
継続には、昨日の延長線の「カイゼン」ではなく、ガラポンの「創造」が欠かせない。

継続とは、過去の創造物の単純リピートでなければ、焼き直しでも断じてない。
昨今、ターゲットの高齢化に伴い、懐メロが異常に増えているが、その過半は、加齢劣化した歌手が「創造」を怠り、過去の栄光を焼き直しているだけゆえ、希望を失望や後悔に変える元カレ・カノとのセックスと同義だ。



★2013年2月9日放送分
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/backnumber/2007.html#a09

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kimio_memo at 07:44|PermalinkComments(0) テレビ 

2013年12月19日

【BSNHK】「100年インタビュー」山田太一さん

【山田太一さん】
要するに、(ドラマは)「フィクション」、「嘘」だから書けるっていうのがあるんですね。
「嘘」なら殺人でも書けますよね。
だから、その装置、本当のことを言う為には、「嘘の装置」じゃないと
つまり、自分のことでも「隣のダンナはね・・・」とかって言うと、喋り易いじゃないですか。
そういう風に「嘘」が必要なんですね、真実を書くっていうことには
だから、本当を書いちゃったら実も蓋もないんであって、やっぱり、「フィクション」っていうのは、「これは誰のモデルもいませんよ、誰のことでもありませんよ」っていう風な前提があって書くから、かなり立ち入った心、孤独の心でも、悪意でも、嫉妬でもみんな書けるんですよね。
それがもし、「全部本当のことを言ってるんだ」ってったら、体裁悪いからね、もっと良い人ばかり書いちゃう所がありますですね。

【渡邊あゆみアナ】
匿名にするとかね。

【山田さん】
ええ、そうそう。

【渡邊アナ】
そういう風に。
それだったら、もう「ドキュメンタリー」にした方がいいかもしれないけれど。

【山田さん】
そうそう。
「ドキュメンタリー」で内面なんか訊いても、まず答えてくれないでしょう。

【渡邊アナ】
正直に言わないですよね。

【山田さん】
ええ。
ですから、それを外へ出せる装置として「嘘の話」、「ドラマ」っていうのが、僕は非常に大事な装置だと思うんですよね。

山田太一さんのお考えは成る程であり、共感できる。
たしかに、家では妻とノーマルなセックスを嗜む夫が、風俗店では嬢と幼児プレイに励んだり、会社では物静かな人が、酒場では他人に絡んで仕方無いように(笑)、自己表出は専ら「嘘」の中で行なわれるからして、その装置足る「ドラマ」は大事であり、また、有意だ。

なぜ、自己表出は、専ら「嘘」の中で行なわれるのか。
なぜ、「現実」の中では行われ難いのか。
たしかに、近因は、山田さんが仰るように、「さもなくば、身も蓋も無く、体裁が悪いことこの上無いから」だが、真因は、「表出した挙句、自己が現実的に否定されたら、始末が悪いこと、身の置き場に困ることこの上無いから」だ。
人間の本質は、責任回避、現実逃避を旨とする内弁慶、否、嘘弁慶だ。

私たちの多くが他人事に強い一方、自分事に滅法弱いのも、その具体だ。
自己実現の可否は、完全嘘弁慶からの脱却にかかっている。



★2013年2月11日放送分
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/backnumber/2012_03.html

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kimio_memo at 06:34|PermalinkComments(0) テレビ 

2013年12月18日

【洋画】「幸せのちから/The Pursuit of Happyness」(2006)

〔ひと言感想〕
主人公の運命を直接繋げたのは、ルービックキューブでした。
やはり、芸は身を助けます。
何事も馬鹿にせず、会得するが勝ちです。


幸せのちから [Blu-ray]
主演:ウィル・スミス
監督:ガブリエレ・ムッチーノ 
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2010-04-16


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kimio_memo at 07:51|PermalinkComments(0) 映画 

2013年12月17日

【洋画】「プラダを着た悪魔/The Devil Wears Prada」(2003)

〔ひと言感想〕
プラダ(PRADA)を着るから悪魔になるのか、元々悪魔だからプラダを着る(着れる)のかはさておき(笑)、たしかに、成長の好機は他者の一家言の会得であり、それには他者に認められ、好かれるのが好都合。
悪魔は凡そ優れた一家言の持ち主ですが、悪魔であれ誰であれ、他者に認められ、好かれるには、先ず発展途上人の自分が”その”他者を認め、好きになり、内なる欲望に応えるのが不可欠かつ賢明で、それが上司なら、悪魔の上司なら尚更です。

「成長をお金で買う」のではなく、「お金を貰いながら成長できる」ことこそ、会社勤めの最大特典です。
認め、好きになった悪魔の上司、部下、同僚と離別するのは、いつでもできることです。(笑)


プラダを着た悪魔 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
主演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ
監督:デイビッド・フランケル 
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2018-03-16


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kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0) 映画 | メリル・ストリープ出演作

2013年12月16日

【洋画】「NINE」(2009)

〔ひと言感想〕
魅惑された女優を次々「感謝する。今、目に映っている君に」と公私共々口説くのは、映画監督として無理からぬことに思えます。
なぜなら、映画は娯楽であり、また、非必需品でもあるからです。
大衆を惑わす娯楽の直接創造者は、公私の境目が見えない位で丁度良いのではないでしょうか。


NINE [DVD]
出演:ダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス
監督:ロブ・マーシャル 
KADOKAWA
2019-04-24




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2013年12月13日

【観戦記】「第72期名人戦A級順位戦〔第24局の6▲深浦康市九段△佐藤康光九段〕レンジでチン」椎名龍一さん

佐藤(康光九段)が温めていた6手目△4一玉について後日改めて聞いたところ、「この発想がひらめいたときには神様の啓示じゃないかと思ったのですが、それがよくなかったですね。温めたといっても2ヶ月ほどで、レンジでチンしたようなものでしたから」という感想だった。

佐藤康光九段は、6手目△4一玉を、先に行われた王座戦五番勝負第1局から発想され、本局まで温めておかれたという。

佐藤が6手目△4一玉を指そうと思ったのは2ヶ月ほど前に行われた王座戦五番勝負第1局の影響があったという。

その将棋は後手の羽生善治王座が6手目に△9四歩と早い端歩突きの趣向を見せた将棋だった。それを見て角換わりの序盤戦を洗い出していたところ、居玉で△5四歩と突いた将棋が佐藤の目に映り、そこで思いついたのが図から△5四歩と突く「△4一玉型+△5四歩」という布陣だったという。「非常にマッチングがいいのではないかと思えました。ひょっとしたらこのアイデアは将棋の神様からの啓示ではないかとさえ思いました」と佐藤は言う。

※「12月8日付〔第24局の2〕神様からの啓示」から転載

ただ、生憎この新発想は、本局では功を奏しなかった。
「レンジでチンしたようなもの」。
佐藤康光九段は、敢行するも不発に終わった新発想の感想を訊かれ、こう自虐なさったが、真意は以下だろう。

「『この発想は神様からの啓示であり、然るべき確証と成算が在るに違いない。生憎現時点では、それらは完全には顕在化、確認できていないが、神様の啓示ゆえ在るはずで、案ずるより産むが易しに違いない』と思考、判断して敢行したが、やはり早計かつ安直だった」。

たしかに、長く生き、かつ、特定の物事に専心していると、不意に神様が舞い降り、発展途上人の自分に啓示を授けてくれたと直感する瞬間が在る。
しかし、やはり、佐藤さんが仰るように、いかに神様からの啓示、恵みであったとしても、ひらめいた発想は確証と成算を完全に自己確認する必要があり、それこそ正に自己責任だ。
実行、具現しない発想は無意味だが、確証と成算を完全に自己確認せず実行、具現する発想は無効かつ怪我の元だ。



★2013年12月13日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/shimen/news/m20131213ddm012040005000c.html
http://mainichi.jp/feature/shougi/


kimio_memo at 14:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

【洋画】「イン・ハー・シューズ/In Her Shoes」(2005)

〔ひと言感想〕
相手の立場(shoe)と思いが理解できないのは、自分のそれらに執着し過ぎているからかもしれません。
ともあれ、自分にひったりな靴と人生を手に入れるには、先ず今の慣れ親しんだそれらを止める(やめる/とめる)必要があります。


イン・ハー・シューズ [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
出演:キャメロン・ディアス、トニ・コレット
監督:カーティス・ハンソン 
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2019-06-19




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2013年12月11日

【洋画】「あなたになら言える秘密のこと/The Secret Life of Words」(2005)

〔ひと言感想〕
人が人に惹かれるのは、強みではなく弱みですが、実はやましさかもしれません。
そして、人と人を本当に結束するのは、やましさという秘密や罪悪感の限定共有意識、否、共犯意識かもしれません。
人が欲求する人は、愛人ではなく理解者ですが、実は共犯者かもしれません。


あなたになら言える秘密のこと(字幕版)
主演:サラ・ポーリー
監督:イザベル・コイシェ 
2016-02-01




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2013年12月10日

【邦画】「ゲロッパ!/Get Up!」(2003)

〔ひと言感想〕
要するに、夢が叶うか否かは、詰まる所、自分が実際に立ち上がって、コトを起こすか否かで決まる、ということなのでしょう。
たしかに、「叶うも八卦、叶わぬも八卦」(笑)なら、立ち上がらなきゃ損に違いありません。(笑)


ゲロッパ!
出演:西田敏行、常盤貴子
監督:井筒和幸 
2013-05-15




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2013年12月09日

【洋画】「インセプション/Inception」(2010)

〔ひと言感想〕
私たちは、現実が在るから夢を見、夢を見るから現実が受容できるのかもしれません。
人生とは、「望まない現実」を「望む夢」で始末する終生の営みなのかもしれません。


インセプション [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [DVD]
出演:レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙
監督:クリストファー・ノーラン 
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-02-17




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2013年12月06日

【将棋】〔日経情報ストラテジー2011年12月号/将棋棋士・渡辺明竜王が語る逆境下の勝負術 急がば「守れ」〕渡辺明さん

P49
そもそも、将棋は後手番になった時点である意味逆境といえます。
主導権を握りやすい先手番の方が有利な傾向が、プロの対局では鮮明に出ているのです。
私の場合は先手と後手で勝率がおよそ1割も違います。

後手番の研究も重ねていますが、やはり圧倒的に有利な形に持ち込むのは困難です。
それでも五分五分くらいで戦える手順は考えられます。
そこで戦型ごとに考えられる手順を1つずつ検討し、それぞれ「この手順の勝率はこれぐらいだろう」と評価しています。
ただし勝率がよさそうでも自分の力を発揮しにくい戦型は避けます。
このような評価を基に、研究に自信がある手順から次々と実戦で試していきます。

実戦が本当に5割の勝率ではまずいので、ある程度進んだ時点で局面の複雑化を進め、相手がミスしやすくする工夫もしています。

もちろん、自信がある手順を試したにもかかわらず全く通用しないケースもありますし、逆に自信はなかったけれどやってみたら意外によかったケースもあります。
3連敗4連勝で防衛した2008年の竜王戦の第6局、「急戦矢倉」と呼ばれる戦法で披露した手順は後者に当たります。
研究段階では完璧に進んでも自信を持てない局面でしたが、結果的にこの将棋は快勝でした。
現在でも最善の手順として認められています。

研究通りにいかなかった手順は対局後にしっかりと反省します。
戦法自体が悪かったのか、途中の手順が悪かったのかを調べます。
やはり研究には穴があるものです
実戦はいわば研究のあら探しをする場ですね

将棋に限らず、実戦は「本番の真剣勝負」だが、その本質は「想定外」だ。

勿論、それは、事前の研究においても当てはまるが、程度が知れている。
いかなるプレイヤーも、「責任を忽ち負う」実戦では正に当事者だが、「責任を忽ち負わない」研究では傍観者を越えないからだ。
当事者は傍観者よりも遥かに真剣で、傍観者とは異次元の緊張と負荷を、ひいては、野性の直感と深遠な思考を強いられる。
「想定外」とは、当事者が意識的な自助と自我、即ち、日常の限りに対峙する、非日常の試練だ。

然るに、プレイヤーが、実戦で「想定外」の応手を、即ち、「研究の穴」に遭遇して「研究のあら探し」とその対処を強いられるのは、そして、その経験値に比例して強くなるのは、いずれも当然かつ自然だ。
プレイヤーは、事前の研究を欠かしてはならないが、実戦にこそ貪欲でなければいけない。
プレイヤー足る者、「想定外」に打ちひしがれる位で丁度良い。







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2013年12月05日

【シンポジウム/セッション】「なぜプログラミングが必要なのか?/プログラミングの重要性」まつもとゆきひろさん、古川享さん

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【まつもとゆきひろさん】
コンピュータは自分が教えた通りに動く。
私は、初めてプログラムを書き、コンピュータを動かした時、ペットと同じ様な感覚を覚えた。
この感覚は、ラジコンを動かした時のそれとは違う。

(中略)

現代社会はコンピュータで動いている。
コンピュータはソフトがなければ、つまり、誰かがプログラムを書かなければ、動かない。
これは、逆説的に言えば、自分でプログラムを書かない人は、誰かが作ったソフトを使っている「ユーザー」ということだが、同時に、誰かが書いたプログラム、誰かのデザインを単になぞっているだけ、ということだ。

まつもとゆきひろささんのこのお話の前に、同時登壇で隣席の古川享さんが自己紹介くださったのだが、その中で古川さんは改めて、「未来は予測するものではなく、自らの手で創るもの」とのアラン・ケイの言葉を引用なさった。

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要するに、まつもとさんも古川さんも、「未来は自らの手で創るものであるからして、現代社会人足るもの、誰かのデザインの一方的なユーザーではなく、自らもデザイナーでなければいけない」、という訳だ。
両者のお考えは全くもって御意だが、私は、まつもとさんのこのお話を聞き、これこそがプログラマーとしてだけでなく、プロフェッショナルの矜持とモチベーションの根本だと確信した。
そう、自分がデザインした人生を生きてこそ、人生なのだ。
誰かのデザインをなぞるだけでは、人生は余りに受身で詰まらない。


【古川享さん】
私のキャリアはプログラムを書くことから始まった。
私は、それに必要な能力、そして、その喜びと悲しみも相応に理解していったが、27才頃、若く、才能あるプログラマの書いたプログラムが読めなくなった。
その一人は、あの中島聡さんだった。
私は、プログラムを書くことをやめ、彼のワークの環境整備と報酬に億単位で努めた
自分の能力の限界を知った人間ほど、他者の才能とその成果物に正当な評価と報酬を実行できるし、環境を整備して更なる飛躍を後押しできる。

成る程だ。
そもそも、経営者が他者と協働するのは、自分にはできないことを果たす為だ。
ついては、他者は自分よりも優れた、ないし、自分には無い才能の持ち主であって然るべきであり、それには予め自分の能力の限界を見極めておく必要がある。
経営者としてのあるべき他者評価の視座は、「上から」ではなく「下から」であって然るべきなのかもしれない。


【古川さん】
かつて、ビル・ゲイツにプログラムを書き始めた切っ掛けを訊いたことがある。
彼は、「母親を助けたかった。色々な仕事で忙しくしている母親を助けることができる、そんなプログラムが書きたかった」、と答えた。
プログラマは、自分のためだけにプログラムを書くべきではない。
他者のニーズを知り、それに応えるために書くべきだ。
そうして書いたプログラムをチューニングしていくこと、これこそ有意義であり、プログラマ冥利だ。

考えさせられるエピソード、お考えだ。
何をするであれ、人間のモチベーションと報酬の始まりと終わりは、「”その”人に喜ばれ、そして、褒められること」なのかもしれない。


【まつもとさん】
プログラムを書くことは、単にコンピュータに命令を与えるだけでなく、自分の思考を整理する、明確にする方法でもある。
自分のデスクにテディベアを置いているプログラマがよく居る(笑)のは、行き詰った時、テディベアに向かって一方的に、自分の曖昧な思考を吐露するためだ。
彼らはそうすることで、自分の思考を客観視し、明確にしている。

私はプログラマではないが、まつもとさんのお考えは強く同意、共感する。
仕事が自己実現の最有効ツールなのは、かくして自分の思考、即ち、主義主張やアインデンティティを明確にし、社会で具現できるからだ。


【古川さん】
私は、マイクロソフトの社長をしていた時分、部下からレポートを求めることはなかった。
当時私は、決して自分の部屋に篭らず、絶えずフロアをまわっていたため、その必要が無かった。
スタッフのワークを直接見て、よく「すごいね、よくこんなの思いついたね」と褒めちぎっていた。
彼らのモチベーションは高まり、「そろそろ退社して家に帰ろうと思っていたのに、シャブを打たれてしまった(笑)」と言い、笑顔で徹夜しているスタッフも居た。
スタッフの思考、アイデアをタイムリーかつ肌で理解し、それを褒めることは、マネジメントで非常に効果的かつ重要だ。

自分の話を、目と目を合わせて最後まで聞き、速やかに咀嚼し、誤解の有無を問う人が嫌な人は、皆無だ。
相手の思考、アイデアを、相手のフィールド、目線で、正確に理解しようと努めること。
これほど、相手を認め、相手をソノ気にさせるコミュニケーションは、公私共に無い。


【古川さん】
マイクロソフトの社長をしていた時分、ジャストシステムと仕事をすることになったのだが、その切っ掛けは用事の電話を切る間際、「将来、何かで仕事をご一緒できたらいいですね」と浮川和宣社長とコミットしてしまったことだ。(笑)
浮川社長は早速翌週、「『将来、仕事を一緒にできたらいいね』と言ったじゃないか!」と、徳島からやってきた。(笑)
相手のニーズ、チャンスの把握、獲得を試みるコミュニケーションは、事業の推進に効果的かつ重要だ。

完全同意だ。
公私共に、”その”人に本当に寄り添い、”その”人と本当に付き合いたければ、”その”人のニーズに絶えず敏感になり、かつ、チャンスを渇望している意を隙あらば言語化することだ。


【まつもとさん】
私は、現在政府のIT系の役職に就いている為、「日本人プログラマをもっと増やそう!」という題目によく邂逅する。
しかし、「プログラマが足りないから増やそう!」というのは、「奴隷が足りないから増やそう!」というのと同様の発想で、貧困かつ筋違いに感じる。
「こっちをいかにしてやらせるか?」ではなく、「こっちは楽しいから是非やろうよ!」という発想の方が、余程有効かつあるべきではないか。

これまた完全同意だ。
人をソノ気にさせる基本姿勢は、北風ではなく太陽だ。


【古川さん】
人間が生きる上で何より重要なのは、成長すること。
「自分は正しく、相手は間違っている」と思考、行動してしまうと、話は終わり、成長は止まってしまう。
若い人は、そんな軽薄な二元論に拘泥せず、 自分を活かせる技術、自分を認知、受容してくれる人、企業、パートナー、チャンスを積極的に見つけることだ。

古川さんのこのお考えは完全同意以外無いが、このお考えは若い人に限らないだろう。
自分の矮小ないし刹那的な体面、矜持に拘泥し過ぎる余り、本来なら成長して得られたはずの強大ないし持続的なそれらを得損なうことは、老若男女少なくない。



★2013年12月2日催行
http://www.lab-kadokawa.com/4933
※上記内容は全て意訳
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kimio_memo at 08:06|PermalinkComments(0) イベント 

2013年12月04日

【邦画】「Life 天国で君に逢えたら」(2007)

〔ひと言感想〕
成る程、家族を残しての早世は、予め天国のさまに精通し、後に家族を歓待する為とも考えられそうです。
悔いの無い人生とは、今際の際に、他界の肯定的な理由を自覚できる人生のことかもしれません。


Life天国で君に逢えたら スタンダード・エディション
出演:大沢たかお、伊東美咲、川島海荷
監督:新城毅彦
東宝
2008-02-22


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kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0) 映画 

2013年12月03日

【洋画】「ミート・ザ・ペアレンツ/Meet the Parents」(2000)

〔ひと言感想〕
たしかに、結婚は、血縁を広げると同時に、信頼のサークル(輪)を広げることです。
娘の父が凡そ婿の品定めに熱心で、人間嘘発見器を買って出るのは、生来の親バカ(笑)であることに加え、信頼のサークルの自称見張り番だからかもしれません。


ミート・ザ・ペアレンツ [DVD]
出演:ロバート・デ・ニーロ、ベン・スティラー
監督:ジェイ・ローチ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2012-08-10






kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0) 映画 | -ロバート・デ・ニーロ出演作