2013年09月
2013年09月30日
【洋画】「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語/Cadillac Records」(2008)
〔ひと言感想〕
黒人音楽と無関係な現代音楽は皆無です。
黒人にとって「必需」や「救い」だった音楽は、私たち現代人にとって「娯楽」や「希望」です。
私たちの今日が先人の辛酸に基いているのを、私たちは再認識する必要があります。
続きを読む
黒人音楽と無関係な現代音楽は皆無です。
黒人にとって「必需」や「救い」だった音楽は、私たち現代人にとって「娯楽」や「希望」です。
私たちの今日が先人の辛酸に基いているのを、私たちは再認識する必要があります。
出演:エイドリアン・ブロディ、ジェフリー・ライト、ビヨンセ・ノウルズ
監督:ダーネル・マーティン
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2010-08-25
続きを読む
2013年09月27日
【邦画】「ハッピーフライト」(2008)
〔ひと言感想〕
絶えず本分を自覚、完遂するのがハッピーなプロフェッショナルが居てくれるからこそ、私たちはハッピーな商品にあずかれます。
ハッピーな商品にあずかる奇跡と幸運を、私たちはもっと有り難く感じ、自分なりに報いるべきです。
絶えず本分を自覚、完遂するのがハッピーなプロフェッショナルが居てくれるからこそ、私たちはハッピーな商品にあずかれます。
ハッピーな商品にあずかる奇跡と幸運を、私たちはもっと有り難く感じ、自分なりに報いるべきです。
2013年09月26日
【処世訓】「なぜ選ぶたびに後悔するのか」バリー シュワルツさん
P176
マキシマイザー(最大化人間)がサティスファイサー(満足人間)に比べて、幸福でなく、生活に満足できず、憂うつな理由のひとつは、二者択一と機会コストの痛みが大きくなりすぎて、決断から味わえるはずの満足が、あらかた失われているからにほかならない。
今から凡そ30年前、私は学生だったが、何とか頑張って(笑)、オーディオブームにのっかった。(笑)
オーディオブームにのっかって学んだことの一つは、「商品を購入する際、自分の様な一般市民は、コストパフォーマンス曲線を見極め、ソコソコで妥協しないと、キリが無い上、他のことや人生そのものに差し障りが出てしまい、本末転倒に成りかねない」ということだ。
当時オーディオのコンポは、カセットデッキであれアンプであれ、正にピンキリ状態だったが、凡そ59,800円から79,800円の価格帯が最もコストパフォーマンスが良く、コストパフォーマンス曲線の最大上昇角を示した。
例えば、59,800円のカセットデッキの録音品質は、39,800円のカセットデッキのそれより明らかに良かったが、その59,800円のカセットデッキのそれは、同じ2万円差の79,800円のカセットデッキのそれより良いは良いものの、「明らかに」という形容動詞を付言する程ではなかった。
また、(結局買ってしまったがw)オーバー10万円のカセットデッキの録音品質は、59,800円のカセットデッキのそれより遥かに良かったが、調達コストが高過ぎて、そのソース足るレコードやカセットテープの購入を、そして、彼女とのラブラブの生活(笑)を危うくした。
「妥協」と「満足」は必ずしも意味は同じではないが、「『足る』を、ひいては、『己(おのれ)』を知り、ソコソコの所で手を打つ」という意味では通じている。
私は、どちらかと言えば、サティスファイサー(満足人間)ではなくマキシマイザー(最大化人間)だが、オーディオブームにのっかったお陰で「足る」と「己」に気づき、「究極のマキシマイザー」には成らずに済んだ。(笑)
「満足」を会得するには、人生が破綻しない範囲で、予め「足る」を知らないことのメリットとデメリットを実体験し、痛い思いをしておくのが良いのかもしれない。
(もし痛い思いをしなくても、メリットとデメリットを実体験することは、特定の事項について「足る」を知らないことが自分にとっては大したデメリットをもたらさないこと、即ち、機会コストとしては知れていることの理解に繋がると同時に、自分の本望の理解にも繋がり、良いことづくめに違いない。)
2013年09月25日
2013年09月18日
【洋画】「パンズ・ラビリンス/Pan's Labyrinth」(2007)
〔ひと言感想〕
「生まれてここから一歩も出たことが無いが、ここが一番いいってことだけは知ってる」。
私は、「あまちゃん」の天野夏(演:宮本信子さん)のこの名言を思い出しました。
たしかに、「隣の芝生の青さ」に魅かれると、大抵ロクなことはありません。
けれども、「御伽噺」という希望を固持するのは、酷な人生を諦めずに生き抜く方便かもしれません。
続きを読む
「生まれてここから一歩も出たことが無いが、ここが一番いいってことだけは知ってる」。
私は、「あまちゃん」の天野夏(演:宮本信子さん)のこの名言を思い出しました。
おら、東京さ、行った事もねえ。
ここさ、生まれて64年、ここから一歩も出た事ねえ。
袖が浜と北三陸の町以外、何も知らね。
だけど・・・ここが一番いいって事だけは知ってる。
間違いねえ。
その土地をおめえが捨てたんだど
※↓から転載
http://chocora425.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/5in-7ca3.html能年玲奈、小泉今日子、福士蒼汰、有村架純、宮本信子 ほかNHKエンタープライズ2017T
たしかに、「隣の芝生の青さ」に魅かれると、大抵ロクなことはありません。
けれども、「御伽噺」という希望を固持するのは、酷な人生を諦めずに生き抜く方便かもしれません。
続きを読む
2013年09月17日
2013年09月13日
2013年09月12日
【洋画】「告発のとき/In the Valley of Elah」(2007)
〔ひと言感想〕
人間性および人間の崩壊は、非日常の日常化から始まるのかもしれません。
そして、非日常の日常化は、当事者がその異常に他者へ救いを求めるか否か、又、他者がそれに誠実に応えるか否か、が分水嶺かもしれません。
※再見(2022年)
続きを読む
人間性および人間の崩壊は、非日常の日常化から始まるのかもしれません。
そして、非日常の日常化は、当事者がその異常に他者へ救いを求めるか否か、又、他者がそれに誠実に応えるか否か、が分水嶺かもしれません。
※再見(2022年)
続きを読む
2013年09月11日
【洋画】「コーラス/The Chorus」(2004)
〔ひと言感想〕
羽生善治さんに佐渡裕さんが仰っていたように、「音楽をやることは人と一緒に生きていること。全然知らないもの同士が共感する喜びの証」なのでしょう。
ともあれ、いかなる時でも、自分の本分を粛々と果たす様は、自他への最たる励みです。
人が挫折から救われるには、他者を救うのが早道かもしれません。
羽生善治さんに佐渡裕さんが仰っていたように、「音楽をやることは人と一緒に生きていること。全然知らないもの同士が共感する喜びの証」なのでしょう。
ともあれ、いかなる時でも、自分の本分を粛々と果たす様は、自他への最たる励みです。
人が挫折から救われるには、他者を救うのが早道かもしれません。
2013年09月09日
【経営】「破壊的イノベーション」玉田俊平太さん
P207〔監修者 あとがき〕
本書を既にお読み頂いた方にはご理解頂けていることと思うが、本書で明らかにされているのは、1980年代に絶賛された日本企業といえども、破壊的イノベーションの法則からは逃れることができず、新規参入者に「破壊」されつつあるという事実だ。私の恩師であるクレイトン・クリステンセン教授は以下のような趣旨のことを言っている。
「翼と羽を持つ鳥が空を飛べているからといって、あなたがその『ベスト・プラクティス』を模倣して、その手に羽根のついた翼をくくりつけて空を飛ぼうとしても、決してうまくいかないだろう。そこには、『理論』がないからだ。トップ・マネジメントに必要なのは、企業に働く『力学』を理解し、原因と結果を結びつける『理論』を構築することにほかならない。」
クレイトン・クリステンセン教授の言葉は、御意のひと言に尽きる。
そう、競合他社のベスト・プラクティスを盲目的に受容、模倣するだけでは、競合他社が得た成果を得ることはあり得ないのだ。
競合他社に真に追いつき、追い越したければ、先ず、「”その”競合他社は、いかにして”その”ベスト・プラクティスを創出、実行し得たのか」、「”その”競合他社は、なぜ”その”ベストプラクティスを創出、実行しなければならなかったのか」、「”その”競合他社のベストプラクティスと”その”競合他社の成果には、いかなる因果関係が存在するのか」、を徹底的に解明することだ。
成果の真因は、方法論という「見える」、「模倣し易い」所ではなく、方法論を構成する力学、即ち、ロジックという「見え難い」、「単純模倣できない(→応用不可避な)」所にこそ在る。
2013年09月06日
2013年09月04日
【野球】「天才なのに消える人 凡才だけど生き残る人」小宮山悟さん
P20
そんななかで、「どこがすごいのか」と考えてみました。
簡単に言えば、ダルビッシュ投手はほかのピッチャーができないことができる。つまり、普通の選手が必死に努力してようやく手に入れられる技術や動きを、ほとんど苦労することなく、すでに身につけています。
これを才能、天分と言うのでしょう。
誰かに与えられたものや、苦労せずに手に入れたものに関して、人間は大事にしない傾向があります。それを手に入れることがどれほど難しいか、取り戻すことが困難なのかがわからないからです。
なぜほかの人ができないのがわからない、ということでもあります。
ダルビッシュ投手は確実に天才です。
しかし、彼のすごいところはその先です。普通の天才(おかしな表現ですが)ではありません。
「自分がなぜできているのかわからない」ままプレイする「天才」が多いなかで、ダルビッシュ投手は日々、「ほかの人ができない理由」を追求しているのです。そうすることで「自分ができる理由」に辿りつく。
しかも、ほかの人が「必死に努力して手に入れる」というアプローチなのに対して、彼の場合は「遊びながら」「楽しみながら」自身をバージョンアップさせています。すべてにおいて次元が違います。
「ダルビッシュ投手が野球人として世界的に成功を収めているのは、高次の天分に恵まれた天才であることに加え、持ち前の天分の中身とその根拠(ロジック)を非天才との比較考察で合理的に自覚、活用、強化しているのが大きい」。
この小宮山さんの「ダルビッシュ論」は成る程だが、天分に全く恵まれない人はこの世に存在しない為、小宮山さんのこのお考えは私たち凡人にも有用に違いない。
「自分が普通にでき、他の多くの人ができないことはないか」。
「なぜ、他の多くの人は、自分がかくも普通にできることができないのか(→なぜ、自分は、これがかくも普通にできるのか)」。
私たちは今日からこれらを絶えず自問自答し、「自分が普通にできること」、即ち、「独自の強み」を合理的に自覚、活用、強化すべきだ。
P55
バッティングピッチャーは、基本的に、バッターに気持ちよく打たせるのが仕事なので、打ち取ろうと思って投げるときほどには疲れません。楽にストライクゾーンに投げられたので重宝がれらたのです。
レギュラー練習が終わったら、下級生中心の新人練習が始まります。そこでもまたバッティングピッチャーをやらされ、投げているとき以外は、ずっと走らされました。
通常の練習を2セットやっているようなもの。レギュラー練習で投げて、新人練習で投げて、真っ暗になるまで走らされて・・・そんなことの繰り返しで、体力は高校生のとき以上になりました。
一日600球は投げさせられましたが、肩を痛めることはありませんでした。手を抜いていてもそう見えないような投げ方をして、それでもそこそこ強い球を投げることができたからだと思います。
これは生き残るために必要なテクニックです。幸運なことに、私にはそれが備わっていました。
「死ぬほど投げる」ことは、ムダのないフォームをつくる近道だったのかもしれません。一日何百球も投げたからといって必ずしもピッチングが上達するわけではありません。むしろ、故障の原因になる場合が多い。
しかし、一日600球以上投げたことで、ムダのないフォームが身についたのです。
バッティングピッチャーとしてボールを投げ続けることで、驚くほど体力がつきました。バッティングピッチャーは、途中でやめることができず、「代われ」と言われるまで投げます。
3球ボールが続けば「しっかり放れよ」となじられる状態なので、気を抜かず真剣に投げなければなりません。疲れは相当あったのですが、ちょっとずつ乗り越えていったのです。
小宮山さんのこの体験談は、「千里の道も先ず一歩から、それも、『質』を追う一歩ではなく、『量』を追う一歩から」ということだろう。
死ぬほどの量を、気は終始抜かずに、手をうまく抜いてやり切って初めて、「量」は「質」に昇華する