2013年03月
2013年03月29日
2013年03月27日
2013年03月25日
【洋画】「パリ、恋人たちの2日間/2 Days in Paris」マリオン(ジュリー・デルピーさん)(2007)
強く愛してくれた相手から愛が消えるのを見るのは、すごく辛い。
だから、別れの気配を感じると、自分から切り出す。
また一つ、ラブストーリーが終わりを迎えた。
愛してたのに。
どこかで偶然会っても、友達の顔で言葉を交わす。
そして、少しずつ互いを忘れていき、その内、ほぼ完全に忘れる。
いつも同じだ。
失恋しては、酔ってバカ騒ぎ。
誰かを忘れるため、別の男と寝て、数ヶ月が過ぎ、本当の愛を探し始める。
必死で愛を捜し求める孤独な2年間の後、彼こそ本物と思える人に会い、そして、また別れる。
でも、もう立ち直れないと思う瞬間が来る。
一緒に居る時間の60%イライラさせられても、彼無しでは生きられない。
毎朝、クシャミの音で起こされるとしても、他の誰かのキスより、彼のクシャミのほうがいい。
とは言え、その後、マリオンが実際、素敵な誰かのキスの代わりに、どうしようもない(?・笑)彼のクシャミで不快に起床すると、声を荒げ、時に殺意さえ抱くに違いない(笑)から、女は、否、恋愛は、本当にわからない。
恋愛は正に非常識と理不尽であり、然るに、辛くて愉しい。
「失恋を予感した時は自分から別れを切り出す」とのマリオンの考えは成る程であり、思考に富む。
失恋が辛いのは、これまで当然に得ていた強い愛を不意に喪失したこと以上に、それが消滅していく様に抗えなかったことに拠るのかもしれない。
失恋の契機は些細な喧嘩と相場が決まっているが、それは些細な日常、即ち、無防備な生き様にこそ人間の本性が顕れるからだ。
些細な喧嘩は恋愛の試練に違いないが、いい年の男女(笑)足るもの、相互理解と関係性向上の好機にしたいものだ。
2013年03月23日
2013年03月13日
【経営】「リピーターになる時期は予測できる」橋本陽輔さん
P101
では、なぜ「初回離脱客」は戻ってこないのでしょうか?
まずチラシや広告をつくる際、あなたの会社は、想定したお客様に向けて「最近、こんなお困りごとはないですか?」「こんな生活してみたくありませんか?」というような呼びかけをして、商品やサービスの情報を提供する、という方法を取ると思います。この場合の「情報」とは、お客さまにとっての「ベネフィット=利益(価値)」ですね。
お客様が、その広告を読み、「それって、私のことだ!」と”期待するベネフィット”が支払う代金よりも大きければ、あなたの会社のお客様となるわけです。ここまではよくあることだと思います。
ところが、あまりにもお客様側の期待値が高いと、買った瞬間は「すごく得をした」気持ちになるのですが、いざ使い始めてみると、「何これ?ちっとも効果ないじゃない」など、急減に後悔が始まることがよくあります。
この「購買後の使用評価」の段階で、事前に想定していた価値と実際に自分が使って得られた価値との落差が大きいと、商品やサービスに対して不満足を感じてしまうのです。そして、感情を害したことで、二度とその会社からは購入しないと誓った結果、8ヵ月後には「初回離脱客」になってしまいます。
こういうお客様は、「自分にこの商品は合わなかった」という以上に、「○○を購入してだまされた」と感じており、「だまされた」という怒りから、二度と戻ってこないのです。
これが「初回離脱客」の反応率がもっとも悪いという理由であり、いったん離脱してしまうと戻ってこない理由です。
一般的に勘違いしてしまいがちなのは、新規客(初回客)から代金を受け取った時点で「モノが売れた!」と思ってしまうことです。しかし、新規客の段階では、モノが売れたわけではありません。
たしかに代金は受け取ったかもしれませんが、お客様は、「この広告で謳っていることを、自分でも体験してみたい」という「事前の期待を買った」にすぎないのです。言わば、「空想の創造物」を購入したのです。
ここで、売り手と買い手の認識には大きなギャップがあることがわかります。
あなたにも通信販売で、”お取り寄せ品”を選ぶ際に、”口コミサイト”に寄せられた絶賛コメントやおいしそうな写真を見て、「これ食べてみたい!」と大きな期待を抱き、注文したことがあるのではないでしょうか。ところが実際に食べてみたら、特にほかのコメントにあった感動もなく、おいしさも今一つで、「全然、口コミの評価と違うじゃないか・・・もう買わないな」と感じた経験があるかもしれません。
このように新規客(初回客)は購入前に抱いた想像上の”おいしそうなイメージ”を購入したのであって、実際の商品を購入したわけではないのです。
しかし、会社側の視点で見ると、注文があったことは広告がうまくいって売れたことになってしまう。
ここの経営上、陥りがちなワナがあります。
じつは上記のようなケースは多く、「初回客」を集めるために広告宣伝費を使った結果、反対に、どんどん自社の信頼をなくしていくケースになります。
「新規客が購入するのは、モノではなく『空想の創造物』、即ち、『事前の期待』である。
だから、新規客は期待値が高く、満足し難い。
往々に『騙された!』と憤慨し、再購入意欲を喪失するのも無理からぬ話。
よって、企業は、新規客の顧客化が販売の、否、経営の要所であると(再)認識すると共に、顧客化を想定して期待値をマネージする必要がある」。
橋本陽輔さんのこのお考えは御意で、だから、テレビで取り上げられた行列店が間も無く閉店していたり、出遭って早々に結婚した夫婦が成田離婚していたりする訳だ。(笑)
とりわけ改めて考えさせられたのは、新規客の獲得を顧客化と勘違いすることの危うさだ。
たしかに、公私共々、新しい人との出遭いには独特の魅力や安堵があるが、出遭いを絆に昇華しなければ、費やしたコストと縁はそれまでだ。
私たちは、「一度寝たくらいで彼氏(or彼女)面しないで!」との異性からの名叱咤(?・笑)を、終生忘れてはいけない。
2013年03月05日
【人生】「志村流」志村けんさん
P117
巷の常識が、以前のように不変じゃなくなっているから、オツムの回転にも柔軟性をもたせないと、世間から取り残されてしまう。
それって、つくづく怖いことだと思う反面、「オレのことはほっといてくれよ」という気持ちにもなる。
世代と世代の間に溝がでーんとある、ということも、常に頭に入れておかないといけなくなってしまった。
つまり、隣の席に座っているOLや男子社員が、自分と同じ感覚で行動し、仕事をしているかといえば、実はそうじゃないというところに、早く気づいたほうがいいってことだ。
たとえば、部下と同じ大福もちを食べているとする。
そんなとき、相手も自分と同じアンコ入りを食べていると思い込みがちだ。
でも、中身はクリームだったり、イチゴだったりする。
それでも「美味しいよね、この大福」という具合に、会話は噛みあってしまうから始末が悪い。
中身は別なものなのに。
実は、お互いの「普通」や「好み」が、すでに違っているかもしれないってことだ。
なぜ、年をとると、「大福もちはアンコ入り以外あり得ない」と思い込んでしまうのか。
主因は以下の三つではないか。
〔R1〕年をとると凡そ、他者への関心が薄れるから。
〔R2〕年をとると凡そ、「虫の目」が衰えるから。
〔R3〕年をとると凡そ、現状で事を足らせてしまうから。
「隣人は私よりも美味そうに大福もちを食べているが、もしかして、私のとは違う大福もちを食べているのではないか?」と他者に関心を寄せなければ、いかにアンコ入り以外の大福もちを食べている人が間近に居ようと、その正体を知り得ないのではないか。
そして、アンコ入り以外の大福もちがいかに多種多様存在しようと、それらを「所詮、大福もち」と鳥瞰、十把一絡げにし、隣人や広告の大福もちの中身に目が行かなければ、また、そもそも「大福もちはアンコ入りで十分!」と既存の大福もちで事を足らせてしまえば、存在していないのと同じではないか。
「無関心」と「『虫の目』の衰え」と「『足る』の知り過ぎ」は、思い込みの大敵ではないか。
P131
完璧なものを求めれば、それだけ準備に時間がかかるのはしょうがないことなんだよ。
完璧主義者は仕事が出来ない奴が多い、なんて話を聞いたことがあるけど、それは違うと思う。
完璧なものを求めて頑張ったって、百パーセントのものはできない。
せいぜい、いいところ八十点じゃないの。
最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない。
全くもって同感だ。
100点という達成困難かつ最高の目標を自ら掲げ、目指すからこそ、過去の延長線上には無いイノベーティブな発想と行動が、ひいては、その八掛けの80点という好バランスな成果と非常識な人的成長が初めて生まれるのだ。
ゆえに、80点という現実的かつ中庸な目標を掲げ、目指せば、過去の延長線上の瑣末な工夫が、ひいては、その八掛けの64点という月並みな成果が生まれるのが関の山で、人的成長などあり得ない(か、あっても知れている)。
非完璧主義者の一生は基本、堕落だ。
とはいえ、本事項は、多くの人が生まれた時から感覚的に理解している。
にも関わらず、多くの人が80点を目指す。
なぜか。
経験から推量すれば、主因は誤解だ。
「100点を目指すこと」を「100点を絶対とること」と誤解し、100点をとれなかった時の無念や惨めさを予め断っているのだ。
これは、「『美人にフラれること』や『美人と付き合えるだけの資質や能力の無さを思い知ること』を怖れて、『好きでもない不美人に言い寄ること』」に似ている(笑)が、先述した様に明らかな誤解だ。
「100点を目指すこと」は「最高の自己変革、自己成長に挑むこと」だ。
P153
オレだって、中学時代にビートルズのファンになって、マネしようと一生懸命ギターの練習をやったけど、結局あんまりうまく弾けなかった。
だから、ミュージシャンはやってない。
そういうことなんだよ。
マネして出来なきゃ、それは才能がない証拠。
悲しいけど、自分自身にケジメをつけることも大切だ。
才能がないことはお金に結びつかないから、早いとこその道は諦める。
これが正解。
マネの効用の第一は、自分の適性をふるいにかけることが出来るということだ。
お笑いに関して言えば、高校一年生の時、初めて見た米国の大物喜劇俳優ジェリー・ルイスの映画にすごく影響を受けた。
彼の表情や細かい動きをまずマネして、自分がどれだけうまくやれるか、ずいぶんと研究したな。
けっこううまくマネ出来たものだから、自信を持っちゃって、結局、その方面の世界に足を踏み入れることになった。
上手にマネが出来るということは、自信につながるんだよね。
自信は強い意思を生み、強い意志に支えられて、いい仕事が出来る。
「マネの効用の第一は、自分の適性をふるいにかけることが出来ること」との志村さんのお考えは、成る程だ。
たしかに、対象行動を、それも、とりわけ優れた対象行動をマネしてみれば、自分が本当にそれに向いているか否か、会得の速さでよく分かる。
しかし、「好きこそものの上手なれ」との言葉に従えば、マネの効用の第一は、自分が本当に対象行動が好きか否か、マネの熱心さでよく分かること、即ち、「自分の本気度をふるいにかけることが出来ること」ではないか。
本気度の卓越した高さは、適性、それも、技術的適性の些少の低さを補って余りあるに違いない。
そして、前述した「多くの人が100点ではなく80点を目指す」理由と相まって、なぜ、現場の営業マン、販売員の多くが所謂「トップセールス」のマネに不熱心か、分かった気がする。
彼らは、トップセールスの才能の無さを、詰る所、営業マンや販売員としての適正の無さを思い知りたくないことに加え、そもそも営業マンや販売員という仕事が本当には好きではなく、不本意なのだろう。
現場の営業マンや販売員が競合優位の源泉である企業の経営者は、営業や販売という仕事が本当に好きな人のみ採用し、彼らが好きなことに絶えず夢中になれる環境、仕組みを作る必要がある。