2013年02月
2013年02月28日
2013年02月27日
2013年02月26日
【観戦記】「第71期名人戦A級順位戦〔第36局の5/6▲羽生善治王位△渡辺明竜王〕エアポケット/黙って見てて」上地隆蔵さん
〔5〕
迎えた本日終了図。
王手に対し、▲7七銀と強くブロックした場面だ。
羽生(善治王位)の読みは△7七同歩成ならその瞬間、後手玉が詰むーー。
渡辺(明竜王)も同様に考えた。
しかし結論を記すと、堂々と△7七同歩成で後手勝ち。
驚くことに後手玉は詰まない。
▲3四桂は△4一玉、▲2二竜は△3二飛。
きわどく逃れている。
絶対的な終盤力を誇る両雄に、不思議と同じエアポケットが生じていた。
〔6〕
△2三歩以下、熱戦はまもなく羽生の勝利で終わった。
終局後、感想戦を始める前に両者は大盤解説会場へ移動。
そこで解説の木村一基八段が問題の局面について問うた。
「▲7七銀に△同歩成だと?」
羽生も渡辺も、言葉に詰まった。
大盤を見つめたまま硬直した。
△7七同歩成で後手玉に詰みなし、つまり後手勝ちという事実を公衆の面前で初めて悟ったのだ。
さすがの両雄もショックを隠し切れない。
観客席から、笑いが起きた。
内心やるせない気持ちになった。
全力を注いで指した結果、そこに単純なミスがあった。
人間である以上、それは仕方がないことだ。
敗因は究明してもいい。
棋士は棋譜に責任を持つ。
しかしその失敗に対し、笑いはない。
あの場面は両対局者の気持ちをおもんばかって、ただ黙って見守って欲しかった。
ハハハでは、神経をすり減らして一局を全うした両対局者が救われない。
「戦後間も無い時、私は学生で、食べることもままならず、日雇いの仕事で糊口を凌いでいた。
将来が全く見えず、毎日の肉体労働で疲労が極限に達していたが、よく乗る列車でおかしなオジサンと出遭った。
彼は、私をよくイジった。
まだ中学生の私に、万民の共通話題であるワイ談を堂々とふった。
私は照れて赤くなったが、彼は『コイツ、わかってるねー』と周囲の大人共々ニンマリ笑った。
すると、疲労と絶望でいっぱいの車内が、一転明るくなった。
私は思った。
『笑い』は、食べ物と同様、要るモノなのだ、と。
そして、たとえ働いていなくても、人を笑わせられる人は、社会に居て良いのだ、と。
後年、私は彼をモデルに寅さんを作った」。
もうお気づきだと思うが、これは山田洋次監督の述懐だ。
「人はパンのみにて生きるに非ず」であるのは周知だが、「人は笑いが無ければ生きられない」というのは成る程だ。
人は、「おかしい」から「笑う」のか、はたまた、「笑う」から「おかしい」のか、は諸説あるが、山田監督の述懐もそうだが、たしかに私たちは、笑っている人を見ると、あくびと同様伝染る(うつる)。
そして、皆おかしく感じ、活力を、ひいては、希望を覚えるから不思議だ。
とはいえ、私たちが「笑う」のは「おかしい」時ばかりではないし、「笑う」ことで「おかしい」とばかり感じるわけではないから、益々不思議だ。
出先で見知らぬラーメン屋に立ち寄り、予想外の美味しさにふと笑うことがあれば、仕事で大失敗し、自分の愚かさにもはや笑うしかないこともある。
前置きが長くなったが、「将棋ファン足る者、全力を注いだもののエアポケットに入ってしまった(=錯覚してしまった)羽生善治三冠と渡辺明竜王を、ただ黙って見守るべきで、笑うなどもっての外ではなかったか」との上地隆蔵さんの思考、心情は、分からないでもない。
たしかに、両者は天才棋士かつ現代将棋の両雄であり、両者が深夜まで全力を注いだ、否、命を削った対局に、将棋ファンは心から感謝し、敬意を払うべきだ。
たとえ、結末が凡ミスの果てでいかに呆気無かろうと、決して愚弄してはならないし、さもなくば、両者も救われない。
しかし、だからといって、将棋ファンの笑いを「もっての外」と一蹴、呵責するのは、両者に、棋士に、気持ちを寄り添わせ過ぎではないか。
というのも、終電を見送ってまで大盤解説会場に残った彼らは、熱心な将棋ファンに他ならず、彼らの内、錯覚した羽生三冠と渡辺竜王を愚弄せんが為に笑った人は皆無に違いないからだ。
では、なぜ彼らは笑ったのか。
「あの場面」から推量すると、主因は二つだ。
一つは、大盤解説の木村一基八段のハナシが秀逸だったから、だ。
そもそも木村八段と藤井猛九段は、爆笑大盤解説の両雄である。(笑)
もう一つは、天才棋士の凡ミスに、凡人の自分と同様の人間性が垣間見れたから、だ。
かつて野球ファンが伝説の(笑)「宇野ヘディング事件」を見て笑い、宇野勝選手を好きになったり、自分に自信を持ったように、熱心な将棋ファンの彼らも両者には一層の親近感と敬愛を、そして、自分には自信と希望を覚えたのではないか。
それに、もし両者自身、大盤解説会の「あの場面」でファンからただ黙って見守られていたら、却って酷だったのではないか。
そして、居たたまれず、本当に救われなかったのではないか。
実際、状況は違うが、両者の好敵手の佐藤康光王将も、凡ミスに対するファンの沈黙、無視が応えた旨、自著のまえがきで述懐なさっている。
「将棋世界」誌に連載した自戦記は、私なりに力を入れて書いたのだが、連載中はあまり反応がよいとは言えなかった。前置きで述べたように、私たちの「笑い」は多種多様で不思議極まりないが、「あの場面」での将棋ファンの笑いは、現代将棋の両雄に対する「ドンマイ!」だったのではないか。
どうも私の自戦記は書くと難しくなってしまうようで、ファンの方から感想を聞いた覚えもほとんどない。
実際には詰みがない局面で「以下詰み」と間違ったことを書いても問い合わせがなかったくらいだから、よほど読まれていなかったのだろう。
活力と希望の好連鎖を可能にする、人類最高のバイラルマーケティングの「笑い」は、基本、善意で解釈したい。
★2013年2月21/22日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/feature/shougi/
2013年02月20日
2013年02月19日
【マーケティング】「「心の時代」にモノを売る方法」小阪裕司さん
P169
●「世界観」という基軸
では取り扱う商品やサービスの種類で行なう分類を「縦」とすれば、「横」の軸は何だろうか。
第4章ではこれに近い論点を「新基準の品揃え」とし、「感性」と呼ぶこともあれば、「ライフスタイル」「コト」「気分」と呼んでもいい、それを総称するなら「どんなことが嬉しいか」の基準だと言った。
ここではもうひとつ別の角度からそれをとらえよう。
その軸は「世界観」である。
ゆえに、このビジネスは「世界観を売る」というビジネスでもある。
この「世界観を売る」ことについては拙著で古くから述べてきたが、伝わり難い概念のようで説明が難しい。
作り手や売り手に自分なりの考え、哲学、大切にしているものがあるとしよう。寝具店で言えば、「当店の考える正しい眠りとは何か」「なぜ人は正しい眠りをとらなければならないか」「眠りに最適な環境とはどんなものか」といった考え、思想、信条、ポリシーだ。もっとシンプルに、「オレたちの思う愉しい暮らしって、こんな感じだぜ」というものでもいい。
世界観とは、それらを包み込むものだ。
それは、「どんなことが嬉しいか」の基準とどう違うのだろう。
当然のことだが根っこは同じである。
「どんなことが嬉しいか」をお客さんの側の受けとり方だとすれば、「世界観」とはこちら側の見方だ。あえて同じ表現を使えば、「どんなことを嬉しいと感じてもらいたいか」ということになる。
世界観を売るには、まず売る側がその世界を素晴らしいものだと感じていなければならない。
たとえば、朝日ウッドテック社は、「裸足の記憶」が人々にとって素晴らしいもので、できれば多くの方がそうするべきだという信念がある。
先の(東京都あきる野市の某)クリーニング店は、(映画のDVDに加え)ただなんとなく地元野菜を売っているのではなく、彼は地域に根ざしたローカルな生活を愉しむことが自分が考える心豊かな人生なのだと、だからそれをあなたも愉しんでみませんか、と言っているのである。
「世界観を売る」とは成る程だ。
たしかに、私たちがパソコンにMacを選んだり、イチローの試合を観に行くのは、スティーブ・ジョブズやイチローの世界観を肌理解したい、彼らと世界観を共有したいからであり、詰る所、愛すべき代替不能の世界観に身も心も染まりたいから、だ。
昨今、不調に喘いでいるブランドビジネスが少なくない。
ブランドビジネスは「世界観」を売るビジネスの最右翼であり、不調の根本原因は独自世界観の確立、伝播の怠慢、ルーチン化ではないか。
P174
●「物語を売る」にまつわる誤解
世界観をお客さんに伝え・教えてお届けするには、今お話ししたように、商品やサービスを活用して具現化し、表現するアプローチがある。その場合、世界観がきちんと伝わるように、もてなしやしつらえまで整えることも必要だろう。
(中略)
そして、こうして世界観を売ろうとするとき、そこには作り手や売り手の物語が存在する。なぜ自分がこの世界観を持つに至ったのか。それを具現化していくのにどんな経緯があり、どんな仲間たちがいるのか。これまでのお客さんはこの世界観とどのように出会い、接してきたのか。そういう物語が当然ある。
同社(古町糀製造所)でも、それらは徹底的に語られており、糀との出合いや新潟への出店に至る経緯、糀というものの素晴らしさ、今商売に対して思うことなど、お客さんはHPや店頭での掲示物などを通じてこの物語に触れることができる。
ところで近年「物語を売る」という言葉が一人歩きしていて、これは非常に危険だと感じている。ストーリー、物語性さえ付け加えれば売れるのだと誤解を招くからである。
そういう短絡は本質を見誤るだろう。
物語が売れる最大の要因は、世界観を知って共感したお客さんがその世界の住人になることで精神的充足を得られるからである。
世界観を備えたビジネスの周りには必然的にたくさんの物語がある。だからいくらでも語ることができる。自分たちが信じる世界を語っているのだから、物語は必然的に付随する。
「物語があると売れる」と言われて、それをねつ造するとしよう。まことしやかに整えて発信しても、世界観の根っこがないから通用しないはずだ。一時的には通用しても、底が浅いからすぐにばれてしまう。設定の甘い小説のようなもので、実際お客さんがその世界に入った途端に「なんだ、中身がスカスカじゃないか」と失望される。このようなやり方は本末転倒だ。
物語という新しい販促要素があるわけではない。世界観が売られるとき、そこに必然的に物語が付随してくるのである。
「『物語さえ付け加えれば商品が売れる』のは誤解」というのは、完全同意だ。
先述の通り、お客さまが買うのはあくまで世界観であり、物語ではない。
物語とは、”その”世界観が誕生したてん末であり、更に言えば、”その”世界観が誕生しなければいけなかった理由だ。
そして、物語は、お客さまからすれば”その”世界観を買うべき理由に成り、売り手からすれば”その”世界観を売るトリガーに成る。
然るに、お客さまは物語に引かれるが、それは”その”世界観を買うべき理由に共感したに過ぎず、お客さまが真に引かれるのは、即ち、お客さまが買うのは、”その”世界観に違いない。
そもそも、「物語さえ付け加えれば商品が売れる」と考えるのは、順序と筋が違う。
先述の通り、物語は世界観が誕生したてん末であり、確固たる世界観を持つ商品は元より物語も持っている。
そして、商品を売るべく、お客さまに独自世界観を売ろうとするからこそ、物語は付け加えられて、否、積極的に伝えられて然るべきなのだ。
「物語至上主義」は、「プロジェクトX」の見過ぎで物語の意味を誤解している、或いは、独自世界観の確立を端折っている人の、底が浅い感情マーケティングに過ぎない。
2013年02月14日
2013年02月12日
【営業/マーケティング】「P&G 一流の経営者を生み続ける理由」ブラッド・ムーアさん(ホールマーク・ホール・オブ・フェイム・プロダクションズ社長)
P37
牧師の祖父と父を持つ(ブラッド・)ムーアは、物語好きの家庭で育ったが、P&Gではその話術を別の見地からみることになった。
テレビ視聴者に後味の悪くない、想像を膨らませるコーヒーの宣伝から、ムーアは家庭用品の広告で製品の利点を強調することの大切さを再認識した。
「例えば、ある製品が衣類から汚れを、皿から油汚れを取り除くとしましょう。
機能性ベネフィット(※)は、衣類や皿がきれいになることです。
しかし、エンド・ベネフィット(※)は、自分や家族のためにそれができて嬉しいことです」
彼は衣類用柔軟剤ダウニーの宣伝を称賛したが(彼自身はそれに関わっていないことを進んで認めている)、そこではカメラがスローモーションで、容器が積み重ねられたタオルに落ちるのを映していた。
なんて柔らかい!
「しかし、本当の”エンド”ベネフィットは、幼女が駆けてきて祖父の膝に飛び乗ると、祖父が着ているセーターでその子をそっと包み込む、という場面にあります。
本当のベネフィットは、その”エンド”ベネフィット、つまり人間らしいベネフィットだとは、なんと強力なデモンストレーションでしょう。
最高の宣伝は、何より人の心を動かす”エンド”ベネフィットを伝えることにつきるのです」
※ベネフィット エンド・ベネフィット
製品が提供する機能的な便益がベネフィット。
エンド・ベネフィットは、その機能的な便益の先にあるものを指す。
通常、消費者の感情や気持ちを指す。
製品によって、エンド・ベネフィットが異なる。
ベネフィットは、製品独特のことが多いが、エンド・ベネフィットは、普遍的なもの。
「”エンド”ベネフィットが何かは、必ずしも明白ではありません」
とムーアは言う。
「この種の感情は、ブランドによっては拡大解釈になるものもあります。
しかし、感情に働きかけることは、必ずしも家族や親戚関係や心情をテーマにすることではありません。
例えば、個人的な努力や偉業への誇りは、きわめて感情的なものかもしれません。
ナイキやゲータレード、そのほか似たような製品を見てみるといい。
これらは真の機能的ベネフィットを持っていますが、同時に強力な感情に訴える価値も持っています。
例えば、アップルの製品を使うという誇り。
これは機能的ベネフィットでしょうか?
そうです。
しかし、細部まで凝った外装のデザイン、パッケージ、そしてその他のマーケティングの要素によって、アップル製品は熱狂的ファンにとってきわめて”カッコいい”ものになっています。
それは純粋に機能面だけでなく、アップル・ブランドの魅力という点でも重要です。
もしも人々とブランドを、機能と感情の両方でつなぐことができれば・・・これほど強力な宣伝、マーケティングはありません」
デキる営業マンは、セールストークではなくベネフィットトークを行う。
なぜなら、顧客が真に欲求し、喜んで対価を支払うのは、商品の「機能」ではなく「ベネフィット」だからだ。
ゆえに、元P&Gのブラッド・ムーアさんのお考えは完全同意だが、人の心を動かすエンド・ベネフィットを伝えることは、最高の宣伝であると同時に、最高の営業、マーケティングであると確信する。
宣伝マン、営業マン、マーケターは勿論、あらゆるビジネスマンは、自社の商品のエンド・ベネフィットが対象顧客の心にしかと届いているか否か、絶えず検証、自問自答しなければいけない。
そして、否の折は先ず、対象顧客への人間的関心の低下を恥じなければいけない。
2013年02月10日
2013年02月06日
【洋画】「誘う女/To Die For」(1995)
2013年02月03日
【演劇】「テイキング・サイド ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日」
〔ひと言感想〕
「事実は小説よりも奇」で、「地獄への道は善意で合理的に舗装されている」のを再認識しました。
私たちは、自らの善意を絶えず懐疑する必要があります。
★2013年2月3日天王洲銀河劇場にて催行
http://www.gingeki.jp/special/takingside/
「事実は小説よりも奇」で、「地獄への道は善意で合理的に舗装されている」のを再認識しました。
私たちは、自らの善意を絶えず懐疑する必要があります。
★2013年2月3日天王洲銀河劇場にて催行
http://www.gingeki.jp/special/takingside/