2012年09月
2012年09月29日
【BS12】「GUITAR STORIES 情熱のスーパーギタリスト列伝」山本恭司さん
やっぱり、ギターって、自分の中のモノを全部出してくれるのよ。
それは、ある時、恥ずかしいぐらい出しちゃうんだけども、でも、それはとても素敵なことだと思うなぁ、と思って。
で、ギター上手くなるため、あと、いいギターを弾く為には何をしたらいい、どんな練習をしたらいいの?って言われるんだけど、僕はね、勿論最初の基本的なことは練習は必要だと思うよ。
でもね、結果を言えばね、「いい生き方」をする。
それだと思うよ。
結局、生き方が出るから。
でも、その生き方っていうのはね、「恵まれた生き方」っていう意味じゃないのよ。
たとえば、すごい苦労だらけの生き方でも、それは結果的には僕は、すごいプラスになるからね、負けなければ。
当然、人生は山も谷もあるわけだから、だから、谷に落ちて、僕だってもう結構最低の時期も何度か経験しているから、でもそこからまた「エイ!」って上る楽しみもあるわけよ。
まあ、浮き沈みというか、山とか谷を渡ってきたというか、その数が多い程、それが僕は「いい人生」だと思うし、そして、真面目に練習していれば、それが自ずと音に出る。
そして、その人生を感じ取ることで、聴いている人は「オオ!」って何か反応してくれる。
だから、みなさんもね、これからもギター一生離さないで、「いい人生」送ってくださいね。
人生は、凡そ思うようにならず、悪い時ばかりだ。
しかし、だからこそ、逃げず、岐路に決断したこと、並びに、その結果創造し得た経験、成果、自負は、決断に躊躇する私たちの多くに勇気や希望を与える。
ギターのフレーズであれ、将棋の指し手であれ、言葉であれ、人を感動させる自己表現は説得力に富んでいるが、それは、人生の決断の抽象だからだ。
自己表現の源は自分だ。
自分に無いモノ、自分が決断していないモノは、表現し得ない。
決断を躊躇すべき人生は有り得ない。
★2012年7月14日放送分
http://www.twellv.co.jp/event/guitar/lineup.html
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2012年09月23日
【観戦記】「第71期名人戦A級順位戦〔第12局の1▲渡辺明竜王△橋本崇載八段〕バカバカしい」上地隆蔵さん
橋本(崇載八段)は十分にタメを作って、魅せるように△4二飛と指した。
渡辺(明竜王)の表情に変化はない。
角道を通したままの四間飛車は現代振り飛車のパイオニア・藤井(猛)九段が今夏の王位戦七番勝負で用いて再び脚光を浴びている。
橋本はいう。
「王位戦での藤井さんの序盤戦術を、一手一手自分なりに検証してみて、感銘を受けた。
やっぱりこの人は天才だ、と。
もっとも自分は角交換型四間飛車をA級で一局は指そうと思っていた。
触発されて真似したわけではない。
むしろ大舞台で先に使われて、アチャーという感じ(笑い)。
自分は居飛車と振り飛車、両刀遣いというのが強み。
相手の出方に応じて、どちらでも対応できる。
そういう技を使った序盤を、アピールしたい」
続けて、橋本はこうも言った。
「今、プロの将棋は個性がない。
みんな同じ指し方。
流行を追えばそれなりに勝てるんでしょうけど、自分は意欲がわかない。
情報が勝負を決めるなんてバカバカしい。
見ているファンもつまらないと思う」
「最近、若手は横歩取りとゴキゲン中飛車ばかりだ。みんな同じ戦法ばかりやってて、何をしてるんだ」。
かつて遠山雄亮五段をこう叱った藤井猛九段は、「みんなと同じ指し方」を否定する橋本崇載八段に、称賛と同志の念をお覚えになるかもしれない。(笑)
それはそうと、なぜ、橋本さんが仰る様、棋士の多くはみな同じ指し方、戦法を採用するのか。
詰る所、「大負けする確率を最小化したいから」ではないか。
棋士の多くが今指している指し方、戦法は、彼らの間で今、「相応に指せる(=有力である)」、「結論が出ていない」と考えられているものだ。
たしかに、将棋に限らず、物事は大勢にならえば、大失敗する確率が低い。
しかし、物事を大勢にならうことには、大きなリスクが二つある。
一つは、根本思考(創造的思考)が停止するリスクだ。
物事を新規に創造できなくなることに加え、物事をゼロベースで思考できなくなる。
結果、低位のカイゼンしかできなくなる。
中長期的には、進化どころか、退化の可能性が高い。
もう一つは、アニマルスピリットが消失するリスクだ。
物事を成就する、勝負で勝利する最後の決め手はアニマルスピリットの強さだ。
大勢で群れている人間は草食人間であり、彼らのアニマルスピリットは知れている。
草食人間に微笑むほど、運命も勝利の女神もお人好しではない。
とりわけ勝負師は、天邪鬼と言われる位で丁度良いに違いない。
橋本さんが流行戦法に見向きもせず、棋士には不似合いな身なり(笑)を選好なさるのは、天邪鬼であり続けることの、勝負師であり続けることの決意と自律ではないか。
★2012年9月22日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/feature/shougi/
2012年09月14日
【BSNHK】「プレミアムシアター/雨(作:井上ひさしさん)」徳(演:市川亀治郎さん)
ちきしょう、目の前が暗くなってきた。
なんだって俺は、何もかも、自分が自分である証拠を、何もかも自分で消してしまったんだべな。
(と言って、倒れ死ぬ)
これは、失踪した紅花問屋の主人にすり替わり、多大な財産と美しい妻を手中に収めようと奮闘努力した主人公(=徳)の最期の台詞だが、何とも考えさせられる。
主人に成る為の各種の奮闘努力が、アイデンティティの消失を招き、却って仇になったわけだが、私たちも知らず知らずの内に同じことをしてはいないだろうか。
つまり、「成りたい他者」に成ろうと、「永劫在るべき自分」を見失い、独自の人生を放棄してはいないだろうか。
私たちが欲に目が眩むのは人間の業かつ性だが、欲に人生を売るのは本末転倒に違いない。
★2011年9月24日放送分
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20110925/p8
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2012年09月11日
2012年09月08日
2012年09月05日
【洋画】「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001)
2012年09月03日
【BSNHK】「BS歴史館/スーパーティーチャー・吉田松陰~松下村塾は幕末の白熱教室だった!?」齋藤孝さん
【ナレーション】
そして、(吉田)松蔭の死の20年後、初めて伝記を書き上げたのは一人の外国人でした。
「宝島」で有名なイギリスの作家、ロバート・L・スティーブンソンです。
スティーブンソンは、塾生から聞いた話に感動し、「人間」松蔭の姿を、飾らない言葉で綴っています。
「吉田は醜く、おかしな程、痘瘡の跡が残っていた。
衣服はぼろぼろであったし、見苦しいことがしばしばであった。
学問に対する情熱はすごぶる激しかったので、自然の眠りすら惜しんだ程であった」。
そして、こんな言葉で締めくくっています。
「一風変わった教師に対して、生徒は英雄らしさを認めようとしないものである。
しかし、歳月が経ち、吉田の薫陶の意味を益々深く理解し始めると、門弟たちは、この滑稽な教師を人類の中で最も高潔な人物として、追憶するようになった」。
【渡辺真理さん】
(今日出演くださっているゲストの)先生方も捉え難いと仰った吉田松陰。
この伝記をスティーブンソンが書いてるんですね。
(中略)
(吉田松陰の功績は)ウェスタン・スタンダードに近づけるような力にもなっていたという。
【大石学さん(東京学芸大学教授)】
はい。
近代化ですね。
【渡辺真理さん】
そして、伺いたいのが、ちょっと矛盾して聞こえるような、「(吉田松陰は)滑稽な教師で、その人物は人類の中で最も高潔だ」と言っていますけど。
【齋藤孝さん】
教師っていうのは、ある所では「(人から)滑稽だ」(と言われる)位じゃないとね、駄目かなと思うんですよね。
何でかっていうと、やっぱり、溢れるパワーが有るから教師な訳ですよね。
だから、過剰な部分、それはどうしても他の人から見れば、滑稽に見える。
何もかもがですね、最初から過剰な訳ですよね。
それがでも、他の人の魂に火をつけたというのがね・・・
「教師は、内なるパワーが溢れる余り、何もかも過剰で、滑稽に見られて然るべき」。
齋藤孝さんの説は尤もだ。
なぜか。
教師の、もっと言えば、リーダーの本分は、他者を気づきや行動を促すこと、即ち、触発すること、だからだ。
人が他者に触発されるのは、アイデアの内容ではなくインパクトであり、それは滑稽であるほど強い。
リーダーは、滑稽な位で丁度良い。
だから、滑稽に見られないリーダーは、リーダー失格だ。
リーダーに成るほどには内なるパワーが溢れていない、ということだ。
それでもリーダーに成りたければ、満ち溢れるまで、志と問題意識を高めるしかない。
内なるパワーの水位は、絶えず上下して然るべきだ。
★2012年8月30日放送分
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg.cgi?setup=/bs/detail/2417
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