2012年07月
2012年07月31日
【マラソン】「君ならできる」小出義雄さん
P116
修業している者に自主性は必要ない
「私は、練習は選手の自主性に任せている」と誇らしげにいう指導者がいる。
はたして、それは誇るべきことなのだろうか。
はっきり言わせてもらえば、「選手の自主性に任せる」ということは、「指導者の無責任」を自分から認めるようなものである。つまり、指導者はそれを逃げ道にしているに過ぎないのだ。
もちろん、世界中をくまなく探せば、自主性に任せても立派にやっていけるような逸材はきっといるだろう。だが、天才はごくわずかの例外であり、自主性だけで成功を収められる人は殆どいないはずだ。
「修業している者に自主性は必要ない」
ちょっと極端な言い方かもしれないが、それが私のモットーである。
確かに、高いモチベーションを抱き、自ら「やる気」を持って意欲的に取り組むことが、物事を成就するためには何よりもまず必要である。現に、いろいろな分野で成功を収めている人たちを見てみると、必ずといっていいほどに非常に強い自主性を持っている。
だが、自力の勝負だけで十分かというと、決してそんなことはない。彼らにはサポートしてくれる人が必ずいるのだ。まわりを固める人たちがいなければ、彼らの成功もおぼつかなかっただろう。
自分がやりたいときに、やりたいことだけをやる。そんな無計画さで、世界を相手に戦えるほどに強くなれるのなら、こんな楽なことはない。現実は甘いものではない。
真の実力者を目指そうと思ったら、それこそ世界中からあらゆる情報を集め、様々なブレーンやサポーターたちの協力を得たうえで、なおかつ死に物ぐるいの練習が必要なのだ。実力者と呼ばれる人たちは、ほとんど例外なくそのようにしている。
私が自主性を多少なりとも評価するとすれば、選手が「私の自主性に任せてください」と指導者に申し出た場合である。もっとも、その場合でも、一応「やる気」や「積極性」の表れとして評価するだけである。
たかだか八十年の人生の中で、修業できる時期はきわめて限られている。その限定された時間を、「自主性に任せてあげる」指導者のもとで、「自主性に任せていただきます」という形で過ごしてしまったら、実に不幸なことだと思う。
自主性というと、すぐに個人を尊重してくれるというふうに捉えがちだ。しかし、勝負の世界で個人を尊重するとは、その人が持っている能力を尊重することだ。
すなわち、自分の力だけでは引き出せないでいる可能性を、何とかして引き出してあげることである。自主性だけで能力を伸ばそうとしても、自ずと限界がある。
だからこそ、私は「修業している者に自主性は必要ない」というのだ。
指導者も選手も、「自主性」という言葉が持つ甘い幻惑に惑わされてはいけない。
「指導者が尊重すべきは、個人の自主性ではなく、能力である」。
小出監督のこのお考えは尤もだ。
たしかに、人間の思考、意思決定は、現在開花している能力を超えず、自主性の偏重は、成長のボトルネックになりかねない。
また、そもそも自主性は、成長過程人、勝負人にとって必要条件だ。
小出監督のこのお考えから、深く考えさせられたことがある。
それは、後にゴールドメダリストになる高橋尚子選手に対しても、当時小出監督はこの考えを貫かれたことだ。
ゴールドメダリストは天才に違いなく、高橋選手も天才に違いない。
小出監督のこのお考えは、「ごく僅かの例外」の天才にも通じるに違いない。
そして、名指導者とは、「ごく僅かの例外」にも自説の例外を認めない頑固者に違いない。
2012年07月30日
【評伝】「瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人」瀬島龍三さん
P184
もう一人、瀬島龍三の配下にいた尾山太郎(当時、時事通信社解説委員)が文藝春秋(一九八五年四月号)に「国鉄労使”国賊”論」を発表し、「われわれは最早、財政面だけでなく、精神衛生の面からも国鉄の現状に耐えられなくなってきた。この辺が極道・国鉄の年貢の納め時というものだろう」と結んだ。
同じ月刊「現代」(一九八五年四月号)では、加藤寛が論説「国体解体すべし」を発表し、「国鉄を分割したあとでは、スト権を与えたにしても、全国ストはできないのだから影響力はほとんどない」と瀬島龍三の代弁してみせた。
瀬島龍三はすべてを見通していた。尾山太郎との対談(「現代」一九八一年十一月号)の中で「改革が実行段階に行く場合に一番大事なのは、マスメディアの動き、国民世論、国内の流れ、空気である」と瀬島は語っている。世論操作が見事になされ、国鉄解体に反対する声すら、テレビ、新聞から故意に消されていった。
「デキる人」とは、野球で例えれば三割バッターだ。
彼らは、バッティングの本質を正確に洞察し、それに適う独自のバッティングフォームを会得、更新している。
だから、彼らは、好不調の波や苦手投手&チームが少なく、シーズンを通じヒットが絶えない。
瀬島龍三さんの人物評は正に賛否両論だが、瀬島さんが三割バッターであられたのは間違いない。
社会改革の要件を「社会情勢に即した、マスメディアと二人三脚での世論&空気形成」と断じておられたのは、その証左として十分だ。
瀬島さんは、社会改革の本質を「国民の洗脳」と洞察なさっていたに違いない。
なぜ、瀬島さんは、三割バッターに成り得たのか。
一番の理由は天賦の才なのだろうが、かつて大本営作戦参謀として、敬愛する昭和天皇の名の下に、また、昭和天皇の名を汚すまいとして、作戦の立案と実行の責を全うしたご経験が、同等ないし同等以上の理由に成り得るのではないか。
瀬島さんは、伊藤忠商事で業務本部長を務めた時分、部下に以下三事項の遵守を命じ、「『問題の本質と解決の要件』の自問自答の徹底」を義務付けておられたようだが、それは、かつて自分が作戦参謀時分に取った杵柄であり、また、それこそが三割バッターへの最短路と信じて疑わなかったからではないか。
<1>報告書は必ず紙一枚にまとめる。
<2>結論を先に示す。
<3>要点は三点にまとめる。
2012年07月24日
【映画】「「お葬式」日記」伊丹十三さん
P286
【インタビュアー】
まずこの映画(「お葬式」)を作られたきっかけからお話しいただければと思います。
【伊丹さん】
ええ、これはね、もう百回は聞かれました(笑)。
やはりみんな、原因があって結果がある、というふうに単純化して考えたいらしいんですが、僕としては、むしろ自分のこれまでの人生のあれもこれもが、うまくこの映画に流れこんでるという感じが強いのでーー
(中略)
【インタビュアー】
この映画は、どこで輪切りにしても全部伊丹十三であるトーー
【伊丹さん】
そう。
ある意味でね。
ある意味で、この映画は僕の全人生の煮こごりのようなものではあるね。
【インタビュアー】
そういう、自分の人生の煮こごりのようなものを求めて、人は表現形式をまさぐる、そういう意味ではたしかに人生全部きっかけなんでしょうが、もう少し卑近な意味でのきっかけというのもあったわけでしょう?
【伊丹さん】
そりゃあります。
たとえば俳優というのは仕事に関していいますと、いくらいい仕事だけ選んで仕事しようと思っていても、そもそも選ぶべき仕事が充分にない状態じゃどうにもなんない。
現実には面白い脚本なんてものは一年に一本来るか来ないかですよね。
ですから、その、来るか来ないかの一本の他に、なんていいますか、脚本は駄目だけど、自分の役だけはなんとかできそうだ、というのを混ぜて、なんとか仕事を続けてゆく。
【インタビュアー】
じゃ、俳優というのは基本的には不平不満のかたまりみたいなものですか?
【伊丹さん】
そうなんです。
ただね、大の大人が来る日も来る日も、ああつまんない、なんでこんなにつまんない仕事しか来ないんだろう、面白い仕事さえ来りゃ、俺だってこんなもんじゃないんだが、なんて嘆いているのはあまりにみっともいいもんじゃない(笑)。
後悔しない人生を全うする要所は、不本意の果てに人生を潰えないことだ。
ついては、受動的ではなく、能動的な人生を選好しなければいけないし、仕事では、受注者ではなく、発注者を志向しなければいけない。
伊丹十三さんは、監督処女作品の「お葬式」を「人生の煮こごり」と表された。
たしかに、伊丹さんにとって本作品は、自他共に認める「人生の凝縮」に違いない。
しかし、伊丹さんは、本作品以前に、映画監督という仕事そのものが「人生の凝縮」であり、また、後悔しない人生を全うするための、人生最後の背水の陣だったのではないか。
P322
【インタビュアー】
では、最後に観客に対してメッセージをお願いします。
【伊丹さん】
はい。
まあ、われわれこうして映画を作ったわけですが、映画というものは半分しか作ることができないわけですね。
どんなに懸命に作っても、作り手に作れるのは半分までであって、残り半分は観客によって完成してもらうしかない。
実はこれ、サルトルが小説についていっていることなんですがね、つまり小説というものを作家は半分しか書くことはできないんだト。
残り半分を完成することは読者の配慮にゆだねるしかない。
では、どんな読者にあてて小説を書くのか、という問いに対しては、あらゆる人間がこの小説を読んだとしたら、というのが答えになろうし、では読者の何に対して書くのかというなら、それは読者の自由に対して書くのだト。
つまり保証済みの方法で、読者の鼻づらをとって引きまわし、自在に泣かせたり笑わせたりするために書くのではなく、読者の自由に対して書くのだ、というのですね。
われわれは映画を半分しか作れない。
そして、残りの半分の完成を観客の配慮にゆだねるため、観客の自由に対して映画を作る、ということです。
われわれの映画は、これからもさまざまな観客に出会い、各人の中でさまざまな形で完成されてゆくでしょう。
私としては、それぞれの出会いが幸せなものであることを祈るのみです。
伊丹さんのお考えは、同感だ。
たしかに、映画や小説に限らず、不特定多数を対象とする、否、自分と異なる他者を対象とする成果物、創造物、アイデアは、悉く半分しか作れず、残り半分は他者の「自由性」で完成してもらう以外無いに違いない。
そして、創造者、否、私たち全ての人間が励行すべきは、他者の「自由性」と抗うのではなく、それが自分のアイデアを見つけ、完成に加担した幸運に感謝し、高度完成を楽観する以外無いに違いない。
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2012年07月21日
【講演】「幸せになるための道」アルフォンス・デーケンさん(上智大学名誉教授)
「クソマジメ」(笑)じゃない人、ユーモアのある人は、自殺しない。
時計が示す時間、即ち、「客観的な時間」は誰にも等しいが、「主観的な時間」は誰にも等しくない。
だから、好きな人と過ごす時間は、長く感じない。
時間の意識は、主観的であるべきだ。
人間の真の強さは、他者を赦せること。
「神よ、私に変えられないことは、そのまま受け入れる平静さと、変えられることは、それをすぐに行う勇気と、そして、それを見分けるための知恵を、どうぞ、私にお与えください」。
(困難な状況下で、自分の生甲斐、希望を見い出すための祈りの言葉)
人間は生来功利主義だが、美はその克服に有効だ。
父は、毎晩、仕事を終えた後、私たち家族を笑わせてくれた。
ユーモアは、他者への思いやりだ。
「家族は皆繋がっており、一人の自殺は他に悲しみと不幸を与える」。
自殺の防止には、本事項の教育が有効だ。
恐縮だが、アルフォンス・デーケンさんは、絶対自殺なさらないに違いない。(笑)
なぜなら、「クソマジメ」(笑)ではつゆもなく、終始、ユーモアを振舞い、私たち聴衆を破顔させてくださったからだ。
ユーモアが他者への思いやりというのは言い得て妙だが、他者を積極的に思いやれる自我こそ、人間が自覚すべき存在意義の最たるに違いない。
★2012年7月19日amuにて催行
http://www.a-m-u.jp/event/2012/07/alfonsdeeken.html
※上記内容は全て意訳
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2012年07月20日
【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」The Rolling Stones”Jumpin' Jack Flash”〔解説〕ダニー・エクルストンさん(「MOJO」編集者)
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のフレーズがどうやって浮かんだか、僕が気に入っている話があるんだ。
それはミック(・ジャガー)がキース(・リチャーズ)のレッドランドの別宅に泊まっていた時のことだった。
二人が何をしていたかはわからないよ。
でも、一晩中起きて、倒れ込むように寝入る頃、外でけたたましい音がしたんだ。
飛び起きたミックが「何の音だ?」と聞くと、キースが「あれはうちの庭師のジャックだ」と。
「大きな長靴を履いて、奴が歩き回っているだ」とね。
「ジャンピン・ジャックだ!」と、その時ミックは言った。
少し大袈裟かもしれない。
でも、その出来事で、この曲のアイデアが浮かんだ、というんだ。
そして、実際にこの曲を作った、と。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が(ローリング・)ストーンズを目覚めさせたというこれ以上うまい喩えは無いよ。
だって、彼らがうとうとしていた時に、窓の外の男が大きな音を立てたというんだから。
バンバンバン、さあストーンズ、いい加減目を覚ませ、とでも言うようにね。
そして、彼らはその瞬間、正に目覚めたんだよ。
「ベガーズ・バンケット」から4枚の傑作アルバムを次々と発表していったんだから。
天才的な仕事ぶりだよね。
あの瞬間から、もうジェットコースターのような勢いで、彼らはその名の通り、転がり続けているんだ。
名曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が、ミック・ジャガーさんの「ジャンピン・ジャック」にまどろみを犯された経験から創られたという話は、破顔したが納得だ。
後世に残る名アイデアは、プロフェッショナルなら絶えず喉元まで来ていて然るべきだが、世に出るか否かは、結局神の気まぐれに違いない。
★2012年7月17日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_13.html
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2012年07月09日
2012年07月06日
【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Aretha Franklin”Amazing Grace”〔解説〕エリザベス・ナイトさん
【ナレーション】
ロンドンから北西へ凡そ60キロの所にある小さな町、オルニー。
「Amazing Grace/アメイジング・グレイス」は、今から凡そ250年前にこの地で誕生した。
この曲の歌詞を書いたのは、町で牧師を務めていたジョン・ニュートン。
彼は今も、地元ゆかりの偉人として、人々の尊敬を集めている。
奴隷船の船乗りとして奔放に生きていたジョン・ニュートンは、ある時大きな嵐に出会い、
船が難破しかけた時、必死で神に祈った所、奇跡的に嵐を逃れ、命を取り留めた。
神の存在に気づき、悔い改めた彼は、牧師となり、この地に赴き、人々に神の言葉を説いた。
ジョンは、賛美歌の為に多くの詞を書いたが、その一つが「アメイジング・グレイス」だった。
名曲を生み、後に奴隷貿易の廃止にも力を尽くしたジョン・ニュートン。
彼は一体どんな人物だったのか。
【エリザベス・ナイトさん/クーパー&ニュートン博物館】
ジョンがここに来たのは1764年で、「アメイジング・グレイス」を書いたのは1773年です。
そして、彼のここでの最後の説教は、1780年の1月だったと思います。
彼自身のことばによれば、彼は「この上ない悪人」でした。
神を冒涜し、汚い言葉を使い、結婚していたにもかかわらず、女遊びをしました。
聖書を否定することも度々で、破滅への道を歩いていました。
しかし、自分はその状態から「神の恵みによって救われた」と言っています。
嵐の中で命が助かった後、彼は人生をキリストに捧げたものの、奴隷商人の仕事は続けました。
それは当時、一つの貿易として受け入れられていたからです。
しかし、病に倒れ、彼はリヴァプールで港の役人になり、それを機に教会の集まりへ説法を聞きに行くようになりました。
人々に説く「コツ」を学ぶためです。
キリストに目覚めた後は、彼は女性と過ごしたり、神を冒涜したりする代わりに、すべての時間を勉強に費やしました。
ヘブライ語や聖書とそのメッセージをよりよく理解するために必要な勉強をしたのです。
ここは、とても貧しい町でした。
人口の3分の2がレース編みをし、残りは農業をし、人々は全く教養がありませんでした。
彼は、自分に与えられた物を人々に配って回りました。
その時、人々が編み物をしながらリズムをとるために、ちょっとした節(ふし)を唱えているのを聴いて、彼らに節を教えることを思いつきました。
自分の賛美歌を通して聖書を学んで欲しいと考えたのです。
当時の牧師が「地獄の責め苦」について語る代わりに、彼は「グレイス」について語ったのです。
もしかすると、それまで人々は「お前は罪人だ」とか、「こうしないと、お前は破滅に向かうだろう」などと言われることに飽き飽きしていたのでしょう。
そこにやってきたニュートンが、「神の恵みがあなたを救ってくれるでしょう。キリストの愛をただ受け入れるだけで 、神が救ってくれます」と言ったのです。
だから、これほどポピュラーな詞になったのかもしれません。
なぜ、ジョン・ニュートンさんが書いた「アメイジング・グレイス」は、約250年前、ロンドン郊外の小さな町の民衆の心を悉く引いたのか。
また、なぜ今尚、世界の民衆の心を引いて止まないのか。
エリザベス・ナイトさんのお話から直感したのは、「性善説の太陽説法だから」だ。
「お前はそもそもダメな奴で、・・・しないともっとダメになる」という、相手の資質と可能性を否定し、リスクヘッジ的に特定行動を強いる「性悪説の北風説法」より、「お前はそもそもやればデキるヤツで、・・・すればもっと良くなる!」という、相手の資質と可能性を肯定し、追加幸福的に特定行動を促す「性善説の太陽説法」の方が、私たち大衆の心を強くかつ持続的に引けるに違いない。
当時、ジョン・ニュートンさんが、本事項を心得て「アメイジング・グレイス」を書かれたのか否かは、不明だ。
しかし、人々に説く「コツ」を学ぶべくリヴァプールで説法をよく聞き、ターゲットの民衆が知力は無くても音感やリズム感が有るのに着目し、賛美歌を通して聖書の学びを勧めておられたのを鑑みるに、キリストの教えに限らずアイデアは、「いかに説教するか」より、「いかに受容されるか」が肝だと、数多の説教とその挫折の果てに痛感なさっていたのが窺える。
「性善説の太陽説法」が私たち大衆の心を強くかつ持続的に引く一番の理由は、私たちの自尊欲求を強烈に鼓舞することに違いないが、数多の挫折に信念を譲らなかった勇者だけが会得できることも、同等の大きな理由ではないか。
★2012年7月3日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_65.html
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2012年07月04日
【洋画】「氷の微笑2」(2006)
2012年07月02日
【自伝】「菊池武夫の本」菊池武夫さん
P139
私はデザインというものは、自分の中にあるイメージを具体的な形にすることである、と思っている。
そこに必要なのは、人に共鳴感を覚えさせ、それを欲する情熱を持ってもらう”結果”である。
そこにタイムラグがあってはならない。
さまざまな条件を押しのけてしまうエネルギーがそのデザインにあれば、人に伝わる可能性が大いにあることを私は信じている。
菊池武夫さんは、本書の中で幾度と無く「共鳴」という言葉を使われていた。
菊池さんの人生と哲学の主題に窺え、強く胸に刺さった。
「共鳴」とは何か。
念のため辞書で意味を確認したところ、成る程どうりで強く胸に刺さったわけだと得心した。
咀嚼すれば、「振動体の自らが、同様ないし同等の他の振動体の振動に影響され、自他共々振動を激化すること」であり、これは、今私たちが志向、成就すべき重要事項である「共創」と「共生」、ないし、私自身志向し、成就に励んでいる「キャタリスト(触媒」に、少なからず通底しているからだ。
菊池さんは「共鳴」のプロフェッショナルであり、不世出の名デザイナーに違いない。
私は、BEAMSの無藤和彦さんに出遭えた為、生憎、菊池さんがデザインなさったスーツを着たことは一度も無い。
しかし、機会に恵まれれば、是非試着し、胸に刺さった「共鳴」の正体を肌で理解したい。
2012年07月01日
【BSTBS)「みんな子どもだった/6月ゲスト秋元康さん第4話」秋元康さん
【長峰由紀アナ】
そういうのって、「基礎」みたいなものじゃないですか。
お父さんは「基礎は大事なんだぞ」って、子どもの頃ずっと(秋元さんに)言ってた(って仰ってましたよね)。
それは、今でも「ああ、そうだな」って思います?
【秋元康さん】
すごい思います。
【長峰アナ】
今だからこそ思います?
【秋元さん】
もう、みんな凄いですよ。
あの、つまり、僕らの上の世代、(インタビュアーの)倉本(聰)さんとか(を代表とする)上の世代と僕らでは、多分、学力が10分の1違いますね。
それは、例えば、本を読むとか全ての。
で、また、僕らからまた下(の世代は)、また10分の1下がるんですよ。
これ、どうなっていくのかな。
【長峰アナ】
どうなっていくんですかね・・・
【秋元さん】
いや、これは、逆に先ず、本を読まないとか(がその原因として)大きいですよね。
自分が、10年後、20年後になった時に、経験の分、語れることは多くなっているかもしれないけども、それが「教養」になっているかっていうと、「教養」じゃなくて「雑学」だと思うんですよね。
だから、やっぱり、それは、今、日本がね、今この時期にもう一度教養を身に付けるための教育しないと、多分スカスカだと思いますよ。
「企業経営者が書いたビジネス本は、基本『社長の与太話』で、読むだけ時間と金が無駄だ」。
かつて勝間和代さんが何かのメディアでこの旨仰っていたが、私は言い得て妙に感じた。
なぜ、企業経営者のビジネス本は、基本「社長の与太話」なのか。
そして、なぜ、「社長の与太話」は、読むだけ時間と金が無駄なのか。
主因は、少なくとも二つある。
一つは、「経営者のビジネス本は、基本、趣旨が『企業の売り込み』(笑)、もとい、『ブランディング』だから」、だ。
今、顧客が求めているのが「モノ」ではなく「物語」であることも手伝って、本の内容は、所謂感動を狙った「プロジェクトX」調のそれに終始し易い。
当然、そんな話は、読み物としては面白いが、表層的で再現性に乏しい。
時間と金が無駄にしかならない「与太話」と言われれば、それまでだ。
もう一つは、番組の中で秋元康さんが仰った、「年齢や立場上、話のネタは事欠かないが、多くは『教養』ではなく『雑学』だから」、だ。
経営者も所詮人間であり、自分で修練、意識、努力しなければ、経験のてん末を論理的に咀嚼すること、即ち、抽象化することはできない。
抽象化されていない他者の経験を自分の人生に有効に活かすには、自分で抽象化し、普遍かつ汎用可能な「知見」や「知恵」に昇華する必要がある。
しかし、自分の経験のてん末と同様、他者のそれを抽象化することは、自分で修練、意識、努力しなければできないのは勿論、主体が自分ではなく他者であるだけに、誤る怖れが少なくない。
よって、年齢や立場にまかせて自分の経験談をいかに沢山、また、いかに熱く話そうと、自ら抽象化しない限り、他者からすると「教養」に成り辛く、基本、面白可笑しいだけの「与太話」、「雑学」を超えない。
こうして考えると、同様に番組の中で秋元さんが仰った、「世代が下がる毎、学力は10分の1に下がる」論」が頷ける。
そう。
先人は後進を絶えず「バカ化」しているのだ。
本や各種マスコンテンツを作る人は、凡そ社会のリーダーであり、世代的には先人だ。
リーダーや先人がコンテンツを通じて振る舞うのが「教養」ではなく「与太話」、「雑学」に終始すれば、フォロワーや後進は自然バカになる。
たしかに、先述したように、フォロワーや後進自身、「与太話」を求めている。
また、リーダーや先人自身、彼らのそうした欲求を叶えれば、凡そ経済的にも、社会的にも得をする。
正に両者、「願ったり、叶ったり」だ。
しかし、人は、ただでさえ「易きに流れる」生き物だ。
リーダーや先人が、本人が欲求していることを建前に、彼らに「教養」ではなく「与太話」や「雑学」ばかり与えるのは、余りに大人気無いのではないか。
今でもしばしば「女子供を相手に・・・」という表現が用いられるが、そのココロは「弱い者いじめは大人気無い」ということだ。
大の大人、先人たるもの、凡そ体力と知力で劣る彼らには、かくなる阿漕(あこぎ)は慎むべきではないか。
このように考えていくと、私が秋元さんのことを「デキる人」と心底思うし、敬服もするが、羽生善治さんのように、人として敬愛できないのも頷ける。
そう。
秋元さんは、阿漕を確信犯的に実行なさっているからだ。
恐縮だが、平生AKB48ビジネスで阿漕の限りを尽くすも、番組の中で日本国民の再教育の必要性を説かれた所など、その証左と言えるのではないか。
秋元さんが世紀末のトリックスターに窺える時が少なくないのは、私の嫉妬や年不相応の青さだけが理由ではない。
★2012年6月24日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/minnakodomo/archive/201206.html