2012年04月
2012年04月24日
【朝日】「降級の藤井九段 “新鉱脈”にかける」藤井猛さん
「ただ上を目指すより、落ちまいと土俵際で踏ん張る方が、使うエネルギーもプレッシャーもはるかにきつい」。
「落ちない」のは現状維持に過ぎず、何も新たに得られない。
しかも、「落ちた」ら、これまで得られていたモノが奪われる。
当時、藤井猛九段が対峙した可能性は、リターンの無い、奪われる一方のリスクだ。
藤井さんがきついとお感じになったのは、自然だ。
緻密(ちみつ)な研究を重ねて生まれたのが、藤井システムだった。常識をひっくり返す作業は「快感の一方で、大変な勇気が必要だった」と話す。
「常識をひっくり返す」のは不遜だ。
なぜなら、それは、「非常識を肯定する」のは勿論、「衆人を疑う」、「先人(の偉業)を否定する」、「顰蹙を買う」のに等しいからだ。
当時、藤井さんが大変な勇気を求められたのは、自然だ。
しかし、だからこそ、その果てに誕生した藤井システムは、正に大リーグボール1号と相成り、数年に渡り無敵足り得たのではないか。
そして、藤井さんが数多の棋士、ファンから一目置かれる、敬愛されるのは、実力者であられるのは勿論、「人と違うことをやる」という勝負の本質に忠実な勇者であられるからではないか。
「降級した今より、A級にいても、藤井システムが徹底的にたたかれたこの7、8年の方がつらかった」と言う。
昨年から、指す棋士の少ない戦法「角交換振り飛車」ばかり指している。「エースを育てるには実戦しかない」。昨年度は15勝20敗の成績だったが、「僕自身のミスによる逆転負けも多く、戦法自体は悪くない」と断言する。
「藤井システムがだめになって、むしろありがたいと思うようになった。今も勝ち続けていたら、進歩せずに終わっていた。それは恐ろしい」
B級2組に3年いる覚悟はある、という。「以前は、A級棋士がB級2組に落ちたら『墓場行き』と思った。でも本当に終わりかは、その人次第。いつか落ちるなら、また上がる機会をねらえる若いうちがいい。新しい鉱脈を見つけた今は、地球の裏側で、裕福ではないけど、初めて見る景色と新鮮な空気の中で生きている気分です」
将棋界では、「不調も三年続けば実力」と言われる。
藤井さんは二年連続降級だが、これは不調のてん末なのか。
その前に、そもそも不調とは何か。
私たちは、将棋に限らず、とかく「実力者が期待値以下の成功、成果に甘んじている様」を不調と理解するが、それで良いのか。
私の考えは「否」だ。
その理解は、「他者の勝手な早合点」であり、詰る所、「非凡に対する下衆の勘繰り」だ。
現に、過日の名人戦第一局での森内俊之名人の「鉄板流」完勝は、ここ半年勝利にありつけなかった、11連敗なる不調のてん末と到底理解できない。
森内さんの11連敗は、不調ではなく、勝つべき時に勝つ、即ち、名人戦で羽生善治二冠に勝つ非常識な準備だったのではないか。
不調とは、「やるべきこと」をやっているものの、成功、成果に恵まれてない様のことだ。
「やるべきこと」は人様々であり、また、「やるべきこと」をやっている否かは本人以外知り得ない、
つまり、不調の真の理解者は本人ないし歴史以外存在し得ず、藤井さんの連続降級が不調のてん末か否かは不明だ。
しかし、藤井さんは、不断の進歩、成長を志向し、遂に大リーグボール2号の鉱脈を発見なさった。
これをして、連続降級が、森内さんよろしく、不調ではなく、近い将来タイトルに復位する非常識な準備ないしプロセスだったと理解するのは、余りに藤井さん持ちだろうか。(笑)
ともあれ、かくして希望という「楽観の欠片」や「生甲斐のよすが」を自覚した藤井さんが、棋界の墓場へ行かれるのは、更に遠い未来になったに違いない。
★2012年4月17日付朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/shougi/news/TKY201204170303.html
2012年04月20日
【NHK】「あさイチ」役所広司さん
僕、「自分探し」って言葉、嫌いなんですよ。
だって、自分はちゃんとここに居るじゃないですか。
そうなのだ。
自分は「探す」ものではなく、「認める」ものなのだ。
「自分探し」は、今認められる自分を認めず、無いものねだりをしているだけだ。
未来は、今認められる自分を素直にしかと認めること以外、始まらない。
★2012年4月20日放映分
※上記内容は意訳。
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2012/04/20/01.html
【野球】「不滅/元巨人軍マネージャー回顧録」菊池幸男さん
P30
ジャイアンツ担当になった菊池(幸男)に、最初に声をかけてくれたのが「八時半の男」と呼ばれ、リリーフ投手の先駆けとなった宮田征典だった。菊池の姿を見つけた宮田が口を開いた。
「おお、坊や。また来たのか?」
何気ないひと言だったけれど、大スター軍団を前にして極度の緊張を強いられていた菊池は、このときの安堵感を終生記憶にとどめることになる。
選手たちとのコミュニケーションが深まっていくきっかけになったのが、毎日のスパイク磨きだった。初めはONだけだった。それが次第に柴田勲、土井正三、高田繁、森昌彦(祇晶)とレギュラー選手ほとんどを手がけるようになった。一人分を磨くのに、どんなに頑張っても十分はかかった。それが九人分ともなれば最低でも一時間半を要する。
ときにはスパイクの歯をつけかえたり、綻びている個所を補修したりすることもあった。それは実に根気を必要とする作業だった。それでも、菊池は一心不乱に働き続けた。
地道な作業を続けているうちに、次第に選手たちとの距離が縮まっていくのが実感できた。菊池の姿を見つけると、選手たちは口々に「おう、サンキュー!」とか、「いつもご苦労さま!」と声をかけてくれるようになった。こうした小さな喜びと、スター選手たちへの敬意と憧れを胸に、菊池は日々の仕事に没頭していった。
P44
そんな菊池が、入社二年目、わずか十九歳にして天下のジャイアンツと、そして国民的スター選手たちとコミュニケーションを取ることを求められた。
自分の性格に嘘をついてまで、無理やり明るく陽気に振る舞うことはできなかった。そこで菊池が心がけていたのが、「身体を動かす」ということだった。
ーーいくら考えても、大した答えは出ない。ならば、まずは身体を動かせーー
それは、幼い頃から、父:政見に言われていた言葉だった。父の教えを胸に、菊池は積極的にジャイアンツの練習に参加するように心がけた。グラウンドキーパーがトンボをかけていれば、自ら近づいていき作業の手伝いをした。打撃コーチがノックを始めれば、すぐにグラブを身につけ、その傍らでボールを手渡すように心がけた。
(中略)
仕事を続けていくうちに菊池が手にした確信がある。
ーー「品物」を売るのではなく、「自分」を売ろう!
それは、自分だけを売り出そうと、人をかき分けてでも「前に、前に」と出ていくことではない。むしろ、人の陰に隠れていたいタイプの菊池にとって、「自分もまた商品なのだ」という思いが、次第に強くなっていったのだった。
玉澤の作り出すグラブやバット、ユニフォームの品質には自信があった。でも、「商売」には必ずそこに人間が介在するのも確かだった。現代のようにインターネットを通じて、一度も対面せずに商取引が完結することなど考えられなかった。そこには必ず「売る人」と「買う人」の存在があり、両者のコミュニケーションが不可欠だった。
当時「売る人」だった菊池は、「買う人」である選手たちのニーズに、きめ細かく対応しようと努力を続けた。そうした「売る人」の努力と誠意が少しずつ選手たちの間にも伝わると、次第に選手たちからも「菊池クンに頼みたい」とか「玉澤にお願いしたい」という声が自然に上がってくるようになった。
こうしたことの積み重ねこそ、菊池が営業売り上げトップを独占する要因となった。
「身体を動かせば、商売につながる」、「”品物”を売るのではなく、”自分”を売る」、いずれも、現代の感覚からすれば、異質な考え方なのかもしれない。
ーーそれでも、
成果主義が優先される現代とは異なる職業美学が、この頃には確かにあったーー。
P61
結婚の報告をすると、まったく予想もしていなかった嬉しい出来事が起こった。
当時のジャイアンツ一軍マネージャー・山崎弘美の計らいで、選手たちを中心に奉加帳が作られた。チーム付きマネージャーでありながら、前監督の川上哲治の身の回りの世話もしていた山崎は、しばしば菊池に仕事の協力を仰いでいた。
(中略)
そうした日頃からの誠意に対して恩義を感じていたためか、山崎がリーダーシップを取る形で、ジャイアンツの首脳陣、ナイン、球団関係者の間で奉加帳が回されることとなった。
そもそも「奉加帳」とは、神社や寺院に寄進する際に、「誰が何を寄進したか?」、あるいは「誰がいくら寄付したのか?」を書き連ねる帳面のことで、冠婚葬祭の際に用いられることがしばしばあった。
すぐに、上質の和紙を茶色い糸で綴じた一冊の帳面が用意された。その表紙には「奉加帳」と書かれてあり、さらに筆文字で次のように記されていた。
「祝 株式会社玉澤 菊池幸男君御結婚」
この帳面がジャイアンツのロッカー内で回覧されることとなった。
(中略)
そして、長嶋茂雄が、王貞治が、それぞれ「一、金壱万円也」と、菊池のために自らしたためている。川上哲治、長嶋、王のほかに正力亨オーナーの名前もある。
そこには、一軍のみならず、二軍選手の名前もあるし、ユニフォーム組だけではなく、フロント業務の者などジャイアンツ関係者だけでも七十名ほどの名前が書き込まれてあり、その他、玉澤関係者、私的な関係者を含めると、その数は百五十名以上になった。
(中略)
数日後、たまたま多摩川の練習場で菊池は長嶋と一緒になった。菊池の姿を見つけると長嶋は改めて言った。
「きっと、菊池クンは酒ばっかり呑んでいて、あんまり貯金もないんだろ?この前の奉加帳とは別に結婚祝いだ、取っておけよ」
そう言うと財布から五万円を取り出し、むき出しのまま菊池に手渡した。
「偶数だとわりきれて縁起がよくないから、こういうときは奇数のほうがいいんだよ」
長嶋の気配りに菊池は涙がこぼれそうになった。
(中略)
昭和五十年一月十七日ーー。
菊池幸男、前田万里子は東京・上野精養軒で結婚式を挙げた。
選手の中からは長嶋と王の両名だけを招待した。所用があったために長嶋は参加することはできなかったけれど、王は律儀に参加してくれた。
この日は、阪神タイガースのスター選手、田淵幸一の結婚式の日でもあった。王は菊池の結婚式だけではなく、田淵の結婚式にも招待されていた。そこで王は、最初に田淵の結婚式に出席した後に、そこを早々に切り上げて菊池の許を訪れたのだった。
(中略)
後日、王の取材を続けている番記者から、菊池は思わぬ話を聞いた。この日、王はその新聞記者に対してポツリとつぶやいたという。
「田淵君の結婚式もいいけれど、本当は裏方の人こそ、きちんと祝福してあげなきゃいけないんだよね・・・」
ミスター・タイガースとして売り出し中の田淵の結婚式には、黙っていても多くの人が訪れることだろう。けれども、普段自分が世話になっている菊池の結婚式ならば、何を置いてもそちらに出席する方が大切だ。それが王の考えだった。
この結婚式から三十五年以上が経過した今でも、王の考えは変わらない。王が述懐する。
「本来なら、菊池クンの結婚式に出るのが当たり前でね。だって、田淵君とは同じチームの仲間ではなく、あくまで敵同士なんだしね。ましてチームのために働いてくれている裏方さんこそ、日頃の苦労に対してみんなで祝ってあげなきゃいけないんですよ」
P101
ある日、玉澤退職の噂を聞きつけたジャイアンツの広報部長・紺野靖彦が菊池に連絡を寄こしてきた。
「もし、本当に玉澤を辞めるのなら、一度、うちの一軍総務担当の戸田久雄に相談してみたらどうだい?」
しばらくすると戸田からの連絡が来た。
「菊池クン、本当に玉澤を辞めるのかい?次の仕事のあてはあるの?」
「いいえ、まだ決まっていません」
「じゃあ、うちに来たらいいじゃないか!」
あまりにもとんとん拍子に話が進むので菊池は驚いた。
(中略)
ーーこうして急転直下、菊池のジャイアンツ入りが決まった。昭和五十七年十一月一日付で、菊池は(株)読売巨人軍の一員となった。玉澤退社から巨人軍入社まで、そこには「空白の一日」はなかった。
玉澤入社から十五年、そして、これから菊池とジャイアンツの関係は、さらに二十五年ほど、続くことになる。
ーーそれにしても、と菊池は思った。
玉澤入社以来の十五年間、何か困難に直面したときには、いつも誰かが救いの手を差しのべてくれた。改めて「自分はなんて幸運なのだろう」と思った。
しかし、あえて不遜な言い方をさせてもらうとするならば、いつも誰かが助けてくれたのは、自分がこれまで頑張ってきたことが認められた結果なのかもしれない、という確かな自信もあった。
ーーきちっと頑張れば、必ずどこかで誰かが見ていてくれる!
それが、このとき菊池が強く感じた思いだった。
P268
十年に及ぶマネージャー生活の中で、菊池は一度だけ真剣に「マネージャー辞任」を考えたことがあった。それは、九十七年の開幕直前のことだった。
(中略)
まずは長嶋に事情を報告することにした。菊池の話を聞いて、長嶋は短く言った。
「代表も、本社からいろいろ言われてイライラしているんだよ・・・」
菊池が黙っていると、長嶋が続けた。
「・・・そのパンチングボールに菊池クンがなっているんだ。わかってくれ」
常に現場に出ているために、本社で何が起きているのかは正確にはわからない。それでも、菊池にも読売新聞本社と読売巨人軍の間には、さまざまにうごめくそれぞれの思惑があることは十分理解していた。長嶋の言葉を受けて、菊池が口を開いた。
「それでも、もう私も疲れました・・・」
長嶋は、菊池の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「大丈夫、オレが必ずフォローするから。オレが菊池クンを守るから!何かあったら、オレに任せろ!絶対にちゃんとするから!」
幼い頃からの憧れの人ーー長嶋茂雄が、自分のためだけに言ってくれた言葉。
それは、萎えていた心にポッと灯りが点るような温かい言葉だった。自分のもっとも身近なところに、たった一人でももっとも心強い味方がいてくれる。それは、涙が出るほど嬉しく、そして勇気が湧いてくる言葉だった。
後に振り返ってみれば、このときこそマネージャー生活最大の危機だったのかもしれない。それでも、敬愛する長嶋からの言葉で、菊池は何とか自己を失うことなく、マネージャーという職務を最後までまっとうすることができた。
企業の人事業績評価法の一つに「成果主義」がある。
周知され結構な時間が経過したが、上手く機能している話を殆ど聞かない。
なぜ、成果主義は機能しないのか。
よく言われるのは「日本文化と馴染まないから」だが、本当にそうなのか。
答えは「否」だ。
本書を読むと、それが改めてよくわかる。
選手の活躍と巨人軍の勝利を一義とする、スポーツ用品メーカー営業菊池幸男さんの自社製品の営業を超えた不断の滅私奉公と最善努力。
菊池さんが結婚する折の巨人軍一軍マネージャー山崎弘美さんの奉加帳回覧、長嶋茂雄さんの個別祝儀、王貞治さんの結婚式参列。
菊池さんがスポーツ用品メーカーを退職する折の巨人軍広報部長紺野靖彦さんの入社斡旋。
菊池さんが巨人軍退社を考えた折の長嶋監督の「オレが守るから!」宣言。
これらは全て、成果主義の産物と奇跡に違いない。
たしかに、成果の本質は他者評価だ。
凡そ自己評価と相容れ難く、たとえ自分がいかに上手く料理しても、食べた人が「不味い」と言えばそれまでだ。
しかし、日本人であれ欧米人であれ、自分が成果相応に他者から評価されるのはフェアであり、望む所に違いない。
成果主義が機能しないのは、概して、成果の評価基準の定義が不適切だからだ。
評価基準が会社(上司/利害関係者)と社員(部下/担当者)との間でかい離し、会社評価と自己評価に齟齬を来たしているのだ。
菊池さんが用品営業として、また、マネージャーとしての自分の成果の第一評価基準を「選手の活躍に、巨人軍の勝利に貢献しているか?」と定義していなかったら、また、巨人軍のユニフォーム組、フロント組の全員が菊池さんの成果の第一評価基準を「選手の活躍に、巨人軍の勝利に貢献してくれているか?」と定義していなかったら、先述の行為は有り得なかったに違いない。
そして、もし、菊池さんが自分の成果の第一評価基準を「自社製品の販売ノルマを達成しているか?」と定義していたら、また、巨人軍のフロント組が菊池さんの成果の第一評価基準を「用品コストの低減を達成しているか?」と定義していたら、本書は上梓されなかったに違いない。
2012年04月13日
【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第44局の6▲佐藤康光九段△渡辺明竜王〕永遠のテーマ」上地隆蔵さん
「いやあ、リスクが高いから誰も指さないとは思っていたが・・・」
感想戦、佐藤(康光九段)は苦笑交じりにつぶやいた。
独創的な序盤の▲4八金は、実を結ばなかった。
しかし、リスクを恐れず、独力で新たな道を開拓しようとする佐藤の心意気は高く評価したい。
魅せて勝つーー。
相反するプロの競技者にとって永遠のテーマだが、佐藤には挑戦し続けてほしい。
佐藤康光九段(現:王将)にリスクを恐れず、独力で新たな道を開拓、挑戦し続けて欲しいのは同感だが、そもそもなぜ、将棋に限らず、「魅せて勝つ」のは相反の難事なのか。
私は、理由を三つ着想した。
一つ目は、「『魅せること』とは異なり、『勝つこと』、即ち、『特定時点で成功すること』は確率論だから」だ。
だから、落合博満中日監督(※当時)は、2007年の日本シリーズ第5戦で、9回表完全試合目前の山井大介投手を岩瀬仁紀投手へ交代したのではないか。
二つ目は、「持続的な成功の多くは、『やるべきこと』や『あるべきこと』、即ち、『一見地味で、当たり前で、何でもないこと』を欠かさなかった、間断しなかった帰趨だから」ではないか。
だから、「カンブリア宮殿」などの成功企業表層礼賛番組には、こぞって非老舗企業が出るのではないか。(苦笑)
最後の三つ目は、「ターゲット(顧客)の多くが低識見で、魅せられているのに気づき難いから」ではないか。
だから、今、落語は風前の灯となり、お笑い番組は雛壇芸人の一発芸で大騒ぎなのではないか。
★2012年4月13日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2012年04月04日
【夫婦】「夫婦は話し方しだいで9割うまくいく」高橋愛子さん
P6
甘やかしは、ひたすら自分がよく思われたくて相手を受け入れることですが、甘えるというのは、正直に自分を見せても、評価されることも批判されることもなく受け入れてもらえることです。
そんなふうに夫に、妻に、親に甘えられたらいいなと思いませんか。
「『(他者に)甘える』とは、他者に正直に自分を見せ、(先ず)一切の評価、批判無く受容されること」。
高橋愛子さんのこのお考えは成る程だが、そもそもなぜ、私たちは他者に甘えられないのか。
また、なぜ、他者が甘えるのを許さないのか。
一番の理由は、私たち人間の本質が利己だからではないか。
だから、本人からすると、自分の利己が露になるのが怖い、ないし、憚られるのではないか。
そして、他者からすると、他者の利己を優先するのが不愉快に、ないし、愚かに感じられるのではないか。
また、だからこそ、その目眩ましとして、偽善は無くならないのではないか。
偽善は強欲の術かつ産物であり、甘えは「無い物ねだり」ではないか。
2012年04月03日
【金融】「バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容」アダム・レボーさん
P38
(バーナード・)マドフに騙された投資家たちの中には、彼が犯罪すれすれのことをしているのでは、と疑う人たちもいた。
しかし、株式市場の状況がひどい場合でも利益を出し続ける魅力的な投資先は他になかった。
多くの個人投資家、機関投資家は口座に金が振り込まれている限り、いや、数字が書き込まれている限り、検証などしていなかった。
疑いを持った投資家たちがそれ以上踏み込めなかったのは、あるウォール街の証券会社の重役が語ったコトバである「不法の甘い香り」に幻惑されたからだ。
「何か怪しいことをしているのだろうが、儲かっているならそれでいいや」だった。
いつの世も、禁断の果実は非常に甘く、私たち人間を魅惑する。
そして、利己主義、刹那主義、現世利益主義が、その後始末を後世へ押し付ける。
P57
アーノルド・ロススティーンはその時代のバーナード・マドフともいうべき犯罪の天才であった。
彼は手際よく、企業経営のように、そして完璧に犯罪を実行する方法を熟知しており、巨万の富を得る機会を数多く手にした。
(中略)
ロススティーンは詐欺師というよりも密造酒業者であったが、知能犯という意味では、まさしくバーナード・マドフの大先輩だった。
リッチ・コーエンは、アメリカのユダヤ系ギャングたちの研究をまとめ、著書『ユダヤ系のならず者たち』として発表した。
その中で、次のように書いている。
「ロススティーンは、20世紀初頭の資本主義の特徴をきちんと理解していた。
その特徴とは、偽善、疎外、強欲である。
そしてロススティーンは、それらの特徴を利用することに長けていた」
偽善、疎外、強欲が特徴なのは、20世紀初頭の資本主義に限らない。
これらは私たち人間の性であり、資本主義はその増幅器に過ぎない。
P215
フィードバック・ループを違う言葉で言い換えるなら、「人々が持つ過度の幻想」ということになる。
人がどうしてリスクを取ることを躊躇しないかについてを研究した『騙されやすさの年代記』の著者スティーヴン・グリーンスパン教授は、社会からの圧力によって人間の行動は決定されると述べている。
つまり、人間が騙されやすいのは「人々が他の人たちに勧めている」からだというのだ。
グリーンスパン教授は次のように書いている。
「マドフのねずみ講の被害者たちは、個人投資家、機関投資家を問わず、何か失うことを極度に恐れていた。
私たちは誰か、素晴らしいものを持っている人たちの行動の真似をする傾向がある。
それは『裸の王様症候群』と呼ばれている。
私たちは他の人たちの行動を見て、何の疑問も持たずに真似る。
その結果、多くの人間が勝ち馬に乗る『バンドワゴン効果』が生まれる。
社会からの圧力が強くなればなるほど、人間は騙されやすくなる。
マドフの事件に関して言えば、そこには強欲さと恐怖感のコンビネーションが見られる。
ここで言う恐怖感とは、他の人々が金を儲けているのに、自分は大きなチャンスを逃していると感じることだ」
(中略)
ウォール街で活動するある投資銀行家は、次のように述べている。
「ウォール街には、何らかの不正が行なわれていると言うと、それを無邪気に否定する単純な人たちがいます。
しかし、多くの人たちは、不正が行なわれていることを知っています。
私が頼んでいる会計士たちの顧客にマドフの被害者が5人もいたそうです。
会計士たちはマドフ投資の会への投資をやめるように意見したのに、彼らは耳を貸しませんでした。
逆に、被害者たちは会計士たちとの契約を打ち切ると言い出しました。
マドフの前に、まずお前との契約をストップしてやる、と怒鳴ったそうですよ」
マドフのねずみ講の被害者たちは、内心、何かおかしいのでは、と疑念を持っていたが、その疑念を払拭するために、自分の友人や親族に対してマドフ投資の会に投資するよう勧誘した。
仲間を増やすことで、無意識のうちに、マドフは大丈夫だ、と安心しようとしたのだ。
前出の投資銀行家は次のように言っている。
「人間は自分がやっていることがいつか破綻する、もしくは全くあり得ないことが起きていると気づいた時、身を守るために変節者となるのです。
自分は間違っていないという安心感を得るために、悪いことだと思いながらも、身近な人をねずみ講に誘ったのです。
だから、被害が拡大してしまったのです」
私たち人間は、絶えず自分を騙している。
夢想や自己正当化は、望む人生を歩んでいない自分を好都合に騙し、刹那の慰めと安心を得る術だ。
しかも、その多くは、「自力」ではなく「他力」だ。
主犯者を他者にすげ替えれば、共犯者を作れば、他者に責任転嫁できる気が、自分の可能性を温存できる気がするからだ。
たしかに、望む人生を歩むことは難しい。
しかし、難しいからと断念、放棄し、さも望む人生を歩んでいるように自分を他力で騙すくらいなら、自力で騙すべきだ。
不幸な人生の主犯者は、共犯者を何人道連れにしようと、自分以外あり得ない。
2012年04月02日
2012年04月01日
【自伝】「具志堅用高 リングは僕の戦場だ」具志堅用高さん
P169
プロ入りを決意したとき、金平会長はいった。
「プロのボクシングはハングリーでなければならない。女の子、飲酒やタバコへの誘惑、ともすれば若い選手が走りがちなすべての楽しいことをのがれて、ハングリーでなければならない。大成の第一歩は我慢からはじまるのだ。無から有を作るには、この方法しかない」
ハングリーでなければ大成しないのは、プロボクサーに限らず、あらゆる仕事に通じるに違いない。
大成の必要条件は、持てる資質に気力、体力、創造力を一点集中し、かつ、諦めないことであり、それには、心身共々崖っぷちに立たされる必要があるからだ。
大成とは、「成功する以外生きる術が無い」との覚悟から自分を逃がさなかったことに対する、気まぐれな天の恵みに違いない。