2011年08月
2011年08月30日
【BSTBS】「グリーンの教え」小田禎彦さん(加賀屋代表取締役会長)
({接待ゴルフの極意はあるか?」の問いに)気分良くですね、喜びをもってですね、「いやあ楽しかった、いいゴルフになった」と、そういう気持ちになっていただけることに心がける、ということになりましょうか。
我々の(やっている)この旅館業といいますと、お客さまにですね、「一泊二食の宿泊をしていただく」という形は売っているわけですが、(本当に)売っているものは何だっていうと、「明日への活力注入業」なんですね。
美味しいもの食べて、お風呂入って、いいサービスを受けてですね、「ああ楽しかった。明日からまた職場帰って、まあストレスばかりだけど、これ頑張るぞ」と、そういう気持ちになっていただけることがですね、我々のミッションステートメントということになるんだろう、と思うんですね。
企業が商品を販売する目的は、「対象とするお客さまに~という気持ちになっていただくこと」に結集する。
商品は販売できたものの「対象とするお客さまに~という気持ちになっていただくこと」ができなければ、それは商品を販売する目的を果たしたことにはならない。
当然、”その”お客さまから授かったご縁は、これで終わりだ。
加賀屋が持続的に成功しているのは、「加賀屋の宿泊サービス」という商品を再購入くださったり、友人知人に勧めてくださる優良リピート顧客の創造率が高いからに違いない。
それは、多分に、商品販売の目的である「来館くださった”その”お客さまに明日から心機一転頑張る気持ちになっていただくこと」に経営者の小田禎彦会長以下スタッフが納得し、何より実現に努めておられるからに違いない。
(「全社員が携行している『加賀屋業務心得』の中に『クレーム0(ゼロ)を目指す』という項目があるが、そもそも加賀屋におけるお客さまからのクレームとは何か?」の問いに)やはり、「最高のアドバイス」と申し上げていいと思うんですね。
「良薬口に苦し」ですから、あまり聞きたくはありませんが、でもやっぱりお聞かせいただかないと、「お前ん所なんか、もう使ってやらないよ」ということに繋がっていくわけですね。
「これ、直してやれば、また使うよ」と(いうことにも繋がっていくわけです)。
リピーターが命です、我々(の仕事)は。
ご満足してお帰りになればですね、リピーターになりますし、ご不満でお帰りになれば、「あんな所(もう)行かないよ」ということが、どんどん広がるわけですから、やはり、そのクレームをいかに潰していくのか、まあこれにホント競争ですね。
「来館くださった”その”お客さまに明日から心機一転頑張る気持ちになっていただくこと」は、”その”お客さまと真摯にツーウェイコミュニケーション(対話)を重ねることからのみ達成できる、と小田さんはお考えなのではないか。
「お前ん所なんか、もう使ってやらないよ」と、クレームを仰るお客さまの台詞と心情を代弁なさったことから、そう直感した。
小田さんのお考えは、御意かつ同感だ。
(宿泊客)アンケートはですね、私ども一番力を入れているんですが、これをですね、分析しますと、やっぱり一番は、「お客さまの立場で(仕事を)考えないで、社員の段取り(を)優先する」というのがクレームで一番多い。
二番目は、やっぱり、「説明不足よりひと言多い」、「言い訳する」、これが二番目です。
三番目は、やっぱり、お客さまのニーズが多様化、個性化、高度化してですね、その感性をですね、どれだけ社員が高めていくのかっていう、この辺の難しいクレームというのがあります。
ですから、(年3回全社員が参加する)「クレーム0大会」というのをやりましてですね、失敗し易い所を社員同士が諌め合ってですね、何とかゼロに持っていこうと(しています)。
(その時に表彰する「クレーム大賞」とは、クレームそのものやクレームを受けた人を)つるし上げではなくてですね、みんなで、「こんな馬鹿な恥ずかしいクレームは(今後)貰わないようにしようぜ」ということで〔中略〕あんまり暗くなってもね、みんな反省している中で、(クレームを受けた人を)「お前何やっているんだ!」〔とつるし上げる)っていうのでは、(社員の)反感になりますから。
自分以外の人間が受けたクレームは、ややもすると、他人事で終わる。
しかし、クレームは「明日は我が身」であり、スタッフが受けたクレームは会社が受けたクレームだ。
スタッフ個人が受けたクレームを全スタッフで共有し、自分事として受けとめる機会を経営者が定期的に催すのは、スタッフにとっても、会社にとっても、「転ばぬ先の杖」の高費用対効果イベントになるに違いない。
★2011年8月20日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/green/bn71.html
2011年08月29日
【将棋】「小池重明実戦集―実録・伝説の真剣師」宮崎国夫さん
P37
小池(重明)と奨励会員達は金を賭けて真剣に将棋を指しているものの、とても仲がよくいっしょに酒を飲みに行ったり、麻雀を打ったり、と親密な交際をしていた。
「賭け将棋」という言葉を耳にしただけで、真剣、血なまぐさい殺伐とした勝負と思い込み目くじらを立てて「罪悪視」している者からすれば、ふだん将棋を指して金をやり取りしている者同士が盤を離れたら仲が良いなんで信じられないかもしれないが事実なのだ。
むしろ賭け将棋は仲が悪い者同士がやることのほうが少なく、仲が良い者、ライバル同士が小遣い銭を賭けて強くなるためにやる場合が多い。
「大阪将軍」の異名を持つ沖元ニ(アマ名人二回、読売アマ実力日本一)は真剣について次のように言う。
私はね、真剣という言葉おかしいと思う。
真剣というのは誤解を招く言葉や。
これまで真剣を取り扱った小説なんかの影響もあるかも知れんが、一般には、だまして金を取るというイメージがまだあるようや。
私は賭事は大嫌い。
いままで競輪、競馬とか、そういうたぐいの賭事はいっさいしたことはない。
将棋は賭事と思っていないからやるんや。
また我々のように上になってくると、特に大阪の人はなにがしか乗せないと将棋しないわけやね。
お互い罰則というわけ。
お金がいかんなら食事の奢り合いでもええんやないかな。
負けた方が勝った方に指導料払うぐらいの気持ちを持つことは必要やと思う。
無料(ただ)の将棋を勝っても負けても、ただ指しているだけという人よりはずっと将棋を大事に指すはずや。
お金をどうのこうのをいうよりは将棋を大事に指すということが一番必要なことで、上達の近道と私は思っている。
プロもおかしなことを言う。
アマには賭け将棋やったらだめといいながら、自分らは奨励会時代、強くなるためにほとんどの人がやっとるんや。
奨励会員が賭け将棋をやっているのを見て、やってはいかんと注意するプロはまずおらんのと違うかな。
つまりプロ棋士は一局百円とか千円で指しているのを見ても賭け事と思っていないはずや。
強くなるために、将棋を一生懸命指す手段をしてやっているので当然のことと思っているはずや。
今の世の中、千円、二千円は大したことない。
これを賭け将棋とは言わん。
そんなわずかなもんは賭けたうちに入らんと私は思っている。
「真剣」の本質は、刹那の金銭授受ではなく、「将棋を大事に(真剣に)指す」インセンティブである、という沖元ニ元アマ名人のお考えは、成る程かつ同感だ。
人が物事を大事に行なう、それも、毎回大事に行なうのは、容易ではない。
物事を、それも上達を希求する物事を、「大事に行なうといい理由」、ないし、「大事に行なわないといけない(困る)理由」を能動的に設けるのは、合理的かつ有効だ。
物事に長けている人は必ず、物事を大事に(真剣に)行い続けるインセンティブを設け、受容している。
P113
ニ局目は序盤早々互いに工夫して指し手争いをしたが定跡形に落ち着く。
このあと、定跡を知らない小池はまたも不利になる。
だが、ここからが小池の真骨頂だ。
次々と歩を自陣に打ちおろし「小池流」の我慢、辛抱の連続だ。
これに惑わされた大鷲(将人)は優勢を意識し過ぎて一気に決めにいけばよいところを、フルえたか、安全に、安全に、と指し回す。
必勝形なだけに、安全に手堅く勝ちたい、誰もが持つ実戦心理である。
ところが、誰にもある事だが、勝ちを読み切って安全勝ちを目指すなら、なんら問題はないが、なんとなく怖いから安全に指そう、これが危険で、どうやら大鷲は後者のパターンにはまったらしい。
安全勝ちと逆転負けは背中合わせである。
「安全勝ちと逆転負けは背中合わせである」という言葉が胸に残った。
たしかに、安全勝ちを希求する心情は、油断と緩手を生み、相手に逆転の機会を与える。
安全勝ちを希求する心情は、概して、優勢の安直な自覚から生まれる。
そもそも、優勢と劣勢は紙一重だ。
優勢の自覚には、慎重さと過小さが十二分に必要だ。
P386
小池、加部(康晴)戦終了後、数人で始まった打ち上げの会も一軒、二軒と梯子するうち、気が付くと小池さんと私(美馬和夫)の二人きりになっていた。
「アマチュアの強豪って、たいていの人が強くなるために仕事や家庭を何らかの形で犠牲にして、それでも得られるものは大したことないもんなあ」
今まではしゃいでいた小池さんが急に静かな口調で語りだした。
(中略)
びっくりするような顔で、ずっと何も言わず、話に耳を傾けていた私に、小池さんは少しトーンを上げてこう言った。
「オレが将棋を勝ちたいを思うのは、単に負けず嫌いだからじゃないよ。オレも将棋でかなりのものを犠牲にした男だからな。命を賭けるっていうと大袈裟かなあ。そう、勝つことのみが自分の存在価値を示すって感じだな・・・。言っている意味、分かるかな?」
小池重明さんが終生強かったのは、持ち前の異才に加え、終生言葉だけでなく真に、自らの身を削って、将棋だけを愛し続けたからかもしれない。
そして、だからこそ、小池さんは、多くのアマ、プロ棋士から、終生、その唯一無二の存在価値を是認され、愛され続けたのかもしれない。
小池さんは、人から愛されるために、自らの身を削って生きたのかもしれない。
そして、だからこそ、小池さんは、今なお、その破天荒かつ不世出な生き様が偲ばれるのかもしれない。
P432
〔自戦記:金子タカシ〕
例の「終盤に時間を残す」ため早めに決断してパッパッと指すという調子で▲6一飛と打った。
そして読み筋通りに(?)△7ニ銀▲7一銀と進んだ時、(小池)名人の手がすっと伸びて△同角。
「あっ」と叫んだが、もう後の祭りである。
それにしてもひどい一手パッタリであった。
よほどここで投げようかと思ったが、それだとあまりにも一手パッタリが目立つと思い最後まで指した。
第2図から問題の▲6一飛辺りの局面では残り時間は10分ほどで最後の詰めに時間を残そうとパッパッと指したのだが、この辺りの局面こそ時間を使い切っても寄せをじっくり読むところであり、局面のとらえ方が甘かったと反省する。
またこの辺では棋勢の好転に、ひょっとしたら勝てるのでは、という邪念が入り腰が浮ついていた。
その意味でもじっくり腰を落とすところだった。
考えてみれば、相手が小池名人だから時間を意識して早指しになり棋勢の好転に邪念が入ったわけで、そのため一手パッタリが出たのだから順当な逆転負けともいえる。
しかしこのように強い人の「力」に負かされるのではなく、「力」に怯えて自分で転んでしまうのは一番良くないことであり、まだまだ精神的にも技術的にも修業未熟だと痛感した。
金子さんの二つのお考えが胸に残った。
一つは、「強い人の『力』に負かされるのではなく、『力』に怯えて自分で転んでしまう」というお考えだ。
過日、深浦康市九段が「可能なら、今後羽生善治さんとの対局は、全てインターネットでやりたい」と仰ったのは、正にこのことに対する危惧である。
これは、プロ、アマ関係ないのはもちろん、将棋にとどまらない。
弱者の宿命と言ってしまえばそれまでだが、強者の小池さんでさえ、対局前日及び当日飲酒を欠かさない(→正気さを適度に減らす、緊張を適度に解く)など、このことにでき得る対策を講じておられたことを忘れてはいけない。
もう一つは、「最終の詰めの局面に時間を潤沢に投じようと事前に考えるあまり、形勢を楽観してしまったことも手伝い、時間を投じるべき中盤の重要局面で時間を投じ損ねてしまった」というお考えだ。
たしかに、金子さんの事前のお考えは、小池さんの終盤の強さを封じる有効な作戦ではある。
しかし、この作戦が有効なのは、終盤に辿り着くまで形勢が互角か互角以上に保てた時であり、敗勢の時は全く無効である。
物事を進める上で事前の考えは重要かつ不可欠だが、それに引きずられる一方では成功はあり得ない。
2011年08月27日
【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」The Police”Message in a Bottle”〔解説〕村上秀一さん
俺は、一人のミュージシャンとして、やっぱり大ファンだよね。
ファンと思わせてくれる人、意外と少ないのよ、ここまでやってて段々もう古狸になってくると。
音楽の一つの魅力はね、例えば高校生の時に聞いた曲があったとしたら、それを例えば50(才)、60(才)で聞いても、そこに帰れるんだよね。
ワープしちゃうの。
これは音楽のマジックだと思うんですよ。
でも、ポリスなんていうのは、僕にとっては最たるものかな、その中で。
いっぱいありますけどね。
でも、やっぱり、「5つ挙げろ」と言われたら、中に絶対入ると思うね。
ポリスがすごいのはね、ポップなの、やっぱり。
だから、今の人が聞いても、初めて聞いた人、例えば、この「孤独のメッセージ(”Message in a Bottle”)」って聞いたら、俺たちとは違う風に聞こえるとは思うんだけど、すぐ食いつくと思うんだよね。
「かっこいい」って。
それでいいのよ。
これがポップ。
だから、能書き無くて、「ここで(ドラムの)スチュワートがどういう風にリズムを書いているのか?」とか関係無いんだよね、一般の人は。
そりゃ、俺らはもうニヤニヤ笑って聞いてるけど、でもやっぱりキャッチだよね、一瞬の。
「かっこいいじゃん、この曲!」って。
それを持っているのがポリスなのよ。
やっぱり、残るんじゃないかな。
その時代時代に、また違う人がキャッチして、違う解釈なり。
やっぱり、残る曲ですよね。
(残ると)思う。
村上“ポンタ”秀一さんが考える「音楽の一つの魅力」は、成る程だと思った。
私がYMOやヴァン・ヘイレンの曲を聞いている時(笑)懐古プラスアルファの心地良さを感じるのは、詰まる所、それらの曲にハマっていた若い時分の感性と心情を取り戻しているからに違いない。
村上さんが考える「音楽の一つの魅力」は、本や映画はもちろん、多くのコンテンツに当てはまる。
ワープは人間の根源欲求ゆえ、該当コンテンツは工夫でもっと売れるに違いない。
★2011年8月21日放映分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_09.html
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2011年08月26日
【BS朝日】「カーグラフィックTV/ルノーウィンドとゴルディーニそしてIQ GO」松任谷正隆さん
僕、田辺(憲一)さんとは違う意味で、MT(マニュアル・トランスミッション)を支持するんですよ。
人間は、色んなことを並行してある程度できる頭を持っているじゃないですか。
でも、僕、運転をする時は、運転に専念すべきだと思うんですよ。
MTって、運転を専念させるのを助長させると思うんですよ。
だから、集中できる。
ATは、逆に油断をさせる。
だから、その間に、たとえば電話とか、色んなことを考えちゃうとか、そういう何かこう運転とは逆のモーションが忍び寄って来易い。
そういう意味で僕は、「MTは安全だ」って言い切りたいですけどもね。
松任谷正隆さんのご主張は、尤もで正しい。
自動車は、人を楽に移動し得る反面、人を不意に殺傷し得る乗り物だ。
よって、自動車の運転は心身共々集中して行うべきで、それを促すMTはATより安全だ。
松任谷さんのご主張は、自動車の根本思想と根源価値に帰属する。
この類の主張は、本来自動車メーカーが、不断かつ先頭立って世に訴えるべきだ。
そして、現在と未来のドライバーを啓蒙すべきだ。
にも関わらず、自動車メーカーは、これを怠り、「エコ」や「ハイテク」ばかり喧伝している。
これは、本末転倒かつ誤りで、ドライバーの減少と劣化を促している。
日本の自動車不況の元凶は、自動車メーカーの主張怠慢にある。
★2011年8月17日放送分
http://www.bs-asahi.co.jp/cgtv/prg_20110817.html
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2011年08月25日
【将棋】「真剣師小池重明疾風三十一番勝負」団鬼六さん
P147
如才のなさ
小池(重明)は或る人には徹底して嫌われ、或る人には徹底して好かれるという特異な性格を持っていた。
小池の不可思議な魅力というものは、人間の純粋性と不純性を重ね合わせて持っていた事による。
あれ程、大胆に見えても小心な男はいなかった。
善意と悪意が共存していた。
勇気と臆病を同居させているようなところがあった。
小池は破綻と、挫折をくり返していたが、彼を蔑みながらも愛さずにおられぬ人が多かったのは、彼の好人物性にあるのではないかと思う。
男というものは、好人物を常に友人として持ちたがるものである。
(中略)
さっきまで前非を悔いて流していた涙がまるで嘘みたいで、反省しているのか、いないのか、訳がわからない。
小池にかつて迷惑をかけられた人々も、結局は小池に煙に巻かれた形になってしまうのだ。
とにかくこういう酒席などでは小池は一種の男芸者になりきり、一座を陽気にするコツをつかんでいた。
人々を面白がらせる座興的話術の才能を発揮するのだ。
それは彼の暗い生い立ちに起因しているようで、悲劇を喜劇に茶化す道化の役がうまいのである。
(中略)
これまで幾度となく小池に煮え湯を飲まされながら、性こりもなく小池を庇護したがる古沢(文雄)社長の気持ちは何だろうと、私には不思議に感じられる事がある。
古沢社長は、小池が異端のアマ強豪といわれる程の強烈な個性を持った将棋の天才である事を最も認識しているだろう一人であり、その異端の天才故に彼の持つ性格破綻ぶりもどこかで容認していたとしか思えない。
晩年に近い小池の破滅型人間性に私が次第に魅せられていったように、古沢社長は若年期からの小池の、もう救いようのない破滅性を愛さずにはいられない一人になっていたのかもしれない。
小池はしばらく小池社長のお抱え運転手をやっていた事もあった。
その頃の話を酒席で古沢社長に聞かされた事があった。
「取引先のお客からも小池は如才がないから好かれるんです。
それに小池は身体がでかいから、運転手兼用心棒みたいで心強いでしょうと、先方の客にいわれた事もあります。
知らない人から見ると小池は礼儀も心得ているし、話術も巧みだから頼もしい運転手に思われるんですが、僕から見るとろくでもない運転手でした。
(中略)
主人が商談中に白タクをやる運転手がこの世にいますかねえ。
僕はじっとしているのが嫌いなタチだからと吐(ぬ)かすのです。
呆れました」。
古沢社長は呆れた、驚いた、とかくり返していたが、そんな小池の野放図さをむしろ、楽しんでいるようなフシが感じられた。
小池重明さんが「或る人には徹底的に好かれた」のは、小池さんが「憎めない人」だったからではないか。
小池さんが「憎めない人」だったのは、将棋に関する異才と人間関係に関する如才無さを基盤に、団鬼六先生の仰る「好人物性」が評価されたからではないか。
小池さんの好人物性が評価されたのは、小池さんの破天荒かつ天真爛漫な生き様が阿呆らしくも格好良く感じられたからではないか。
人間の不純性を童子よろしく露にした挙句絶妙に茶化し、純粋性をプロ以上に将棋一本に結集、結実させた小池さんの生き様は、今なお、或る人の羨望と評価の対象になり得るのではないか。
2011年08月24日
【BSTBS】「スポーツ偉人列伝/津田恒美」紀藤真琴さん
相手バッターに対して、「真っ直ぐでいってやるよ。その真っ直ぐを打ち返してくれよ」っていう感覚とか、「お客さんはみんなオレのストレートを見に来てるんだ」っていう・・・。
なぜ、津田恒美さんは、直球主体の真っ向勝負に拘ったのか。
紀藤真琴さんのお話から一番に伺えた理由は、やはり、「直球主体の真っ向勝負を、プロ野球人である自分の最大の強み、矜持と認識していたから」だが、もしかすると、「お客さま第一主義者だったから」ではないか。
津田さんは、森村誠一さんと同様、「お客さまは自分の精神を買いに来ている」旨お考えだったのではないか。
そして、「自分の精神の唯一無二性を評価、期待して球場へ来てくださったお客さまは決して無碍にすべきでない」旨自分に言い聞かせておられたのではないか。
(体調不良が見て取れる津田さんに広島東洋カープのチームメンバーの)みんなが「病院へ行った方がいい」って勧めるんですけど、そこで出た言葉っていうのが、やっぱり今の選手にはちょっと聞かしてあげたいなっていう言葉だったんですよね。
「休むと、一軍から下ろされて、二軍になるから」っていう、こういう考え方なんですよ。
人が行動を起こすのはインセンティブ(誘引)の為せる業だが、インセンティブは大きく二種類ある。
一つは、「~をすると・・・が得られる」というポジティブなそれで、もう一つは、「~をしないと・・・を失う」というネガティブなそれだ。
いずれも時と場合により効果を発揮するが、誤解を恐れずに言えば、より強力なのは後者だ。
なぜなら、人は、「現状が良くなること」より、「現状が悪くなること」の方に敏感だからだ。
プロフェッショナルの津田さんが医師の診察を先延ばしなさったのは、ご本人としては自然かつ止むを得なかったのはないか。
ネガティブインセンティブの強力さを、改めて思い知った。
★2011年8月17日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/SPT1000800
http://ameblo.jp/ocean33611/entry-10815435111.html
2011年08月23日
【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第5局の6▲羽生善治王座△三浦弘行八段〕深夜の感想戦」上地隆蔵さん
終局時刻は日付が変わって午前0時46分。
その後感想戦はみっちりと行われた。
特に80手目周辺の終盤の局面が熱心に調べられた。
羽生(善治)は何度も「大変」や「難しい」という言葉を口にした。
謙遜ではなく、将棋の本質を熟知した羽生ならではの本心だろう。
三浦(弘行)は「こちらの攻めが細かったからずっと自信がなかった」とポツリ。
最後は互いに押し黙り、周囲の関係者も疲れた顔をし始めたところで、羽生が感想戦の終了を切り出した。
時計を見ると、午前2時半だった。
対局の開始時刻は午前10時であっただろうから、昼食と夕食の休憩は経ているものの、羽生善治ニ冠と三浦弘行八段は、終局時点で約15時間座り続けたわけだ。
で、感想戦が終了したのが2時半だったわけだから、羽生さんと三浦さんは、そこからさらに約2時間座り続けたわけだ。
言うまでもなく、羽生さんと三浦さんは、ただ座り続けておられたのではなく、ひたすら考えておられたわけだ。
羽生さんと三浦さんは、最後は互いに押し黙ってしまわれたようだが、終了をすぐに切り出せなかったところから、考える余地と力を残しておられたに違いない。
月並みな感想ではあるが、いかに生業とはいえ、かくも長時間考え続けられるプロ棋士の気力と体力、そして、納得への拘りには、驚愕と感心以外ない。
★2011年8月23日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年08月22日
【大和証券】「第5回大和証券杯ネット将棋最強戦決勝戦▲村山慈明五段△菅井竜也四段」深浦康市九段
(今決勝戦を戦っている)菅井竜也四段に羽生善治名人(※当時)は一回戦でボロ負けした。
一説ではというか私の私見では、羽生名人が勝てないのは、(大和杯は対局方法がインターネットゆえ)、「羽生睨み」が使えないからだ。(笑)
私は、可能なら、今後羽生名人との対局(方法)を、全てインターネットでやりたい。(笑)
深浦康市九段のこのお考えは、半分冗談半分本気に違いない。(笑)
「羽生睨み」だけでなく、最高実績保有者の羽生さんが発信する「圧力的」五感情報は、相当なものだろう。
将棋に関わらず、勝負事やビジネスでは、高実績保有者、格上者、即ち、所謂「強者」は、対面で真っ向勝負した方が有利である。
(今決勝戦を戦っている)村山慈明五段は生意気な顔をしている。(笑)
「(こんな生意気な顔をしているヤツ)小学校の時(同級生)に居たな」みたいな。(笑)
深浦九段は、村山五段に似た「生意気」な顔をした人に、幼い時分本当に相応の煮え湯を飲まされたに違いない。(笑)
「小学校の時」と時節を限定なさっているのが、何よりの証拠だ。(笑)
幼い時分に味わったネガティブな経験ほど、固着し、思い込みの元凶になり易い。
経験則的には、(タイトル戦に出場し、決勝戦まで勝ち上がったものの)決勝戦で負けてしまうと、何のためにここまで勝ってきたのか、もしかして相手の(勝利/優勝の)ためか、と思ってしまう。
これは、プロフェッショナルの偽らざる本音に違いない。
「all or nothing」の精神、矜持こそ、自らがプロフェッショナルであり続けるメインエンジンである。
しかし、これまで羽生さんから、この手の話を聞いたことが無い。
羽生さんはしばしば異次元で生きているように伺えるが、その一因はここにあるのかもしれない。
★2011年8月21日催行
※1:解説女性棋士は斎田晴子女流五段
※2:上記の深浦九段の言はいずれも意訳
http://www.daiwashogi.net/tournament/saikyo/5th/index.html
https://plus.google.com/104086542955423361492/posts/KFmq8G9vh3F
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2011年08月21日
【将棋】「真剣師小池重明の光と影」団鬼六さん、小池重明さん
P27
ふと、気づくと横浜から小池(重明)の葬儀に出席してくれた荒井治八郎さんの姿が見えなかった。
荒井さんは横浜西口将棋センターの常連で小池とは全く面識のない初老の紳士。
単に、小池のファンだとして葬儀に列席したわけだが、生きている小池に香典を送ってくれた人である。
『将棋ジャーナル』で病院の小池、余命、いくばくもなし、を発表し、病苦と生活苦にあえぐ小池に物好きな人あれば香典の先渡しを頼む、と半分ふざけて編集部に書かせたら真っ先にジャーナルに小池の香典を送ってくれた人だ。
(中略)
生きたまんまで香典を受取り、礼状を書いた男は前代未聞のような気がするのだが、小池の葬儀に出席し、僧侶の読経の最中、眼鏡を押さえていた荒井さんは後で私にその前代未聞の生者からの香典の礼状というものを内ポケットから出して見せてくれた。
この小池さんからの礼状は我が家の宝にするつもりなので差し上げられないが、あとでコピーしたものを送ります、といって荒井さんがあとで私に送ってくれた生者からの香典礼状のコピーは左の通りである。
前略、先日、団氏より荒井さんの御厚志を有難く頂戴致しました。
本当にありがとうございました。
埼玉に住んでおりましたが思うところあり、現在は茨城の石岡市に来ています。
出血は止まったものの肝臓の調子は悪く(肝硬変)現在も入院中です。
昔、秋葉原のラジオ会館や将棋連盟で行なった東日本正棋会の事が思い出されます。
病人の私が言うのはおかしな話ですが、将棋の必勝法は忍と愛情です。
これからも荒井さんのご活躍を楽しみにしております。
簡単ではございますが、本当にありがとうございました。
早々
荒井治八郎殿
小池重明
「将棋の必勝法は忍と愛情である」。
「新宿の殺し屋」との異名を持ち、プロ棋士とも互角以上に渡り合った小池重明さんは、そう洞察し、終生全うなさった。
だから、将棋ファンの荒井治八郎さんは、この一節が書かれた小池さんからの香典礼状を家宝になさったのではないか。
たしかに、小池さんが洞察し、終生全うなさったこの必勝法は、万事に当てはまるに違いない。
しかし、小池さんは、この必勝法を、将棋にのみ、誰よりも、もしやプロ棋士よりも、全うなさった。
将棋以外の物事に全うなさることは、見事なまでにつゆも無かった。
だからこそ、この必勝法は、将棋のそれとして、将棋ファンの荒井さんに最上の説得力を与えたのではないか。
アイデアの価値は、提唱者の全う度合いで決まる。
2011年08月20日
【インタビュー】〔「匿名でいい仕事」が基本〕山下達郎さん
新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」。でもそれはうそです。自分の信じることを貫いてブレークスルーしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない。やりたくないことをやらされて売れたって意味がない。そういった音楽的信念、矜持(きょうじ)を保つ強さがないとプロミュージシャンは長くやっていけないのです。
自分の表現手段である音楽活動以外は、あれもやらない、これもやらないと、やらない尽くしのネガティブプロモーションが、結果的に僕には一番合っていたのだと思います。テレビCMに出演して「RIDE ON TIME」が大ヒットしてブレークした時、少し顔を覚えられただけで、新幹線の駅売店の売り子さんが、「ああ、あなた、昨日テレビ出てた、出てた」と、こっちがどこの誰だろうと関係なく、ただの有名人として扱う(笑)。僕はそういうのが苦手だったので、以後は大きなメディア露出をなるべく避けて今に至っています。
夫婦でCMに出ないかと誘われたことがあります。2日間の拘束で相当なギャラでした。でもそんなことをしたら、自分の曲が書けなくなります。曲を書くのは大げさに言えば命を削る作業なので、できなくて苦しんでる時に頭に浮かぶでしょう、またCMに出ようかなって(笑)。曲を書く以外に生きる道はないところに、いつも自身を追い込んでいなければと思うのです。
冒頭の「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」の話は、達郎さんの体験談と教訓に違いない。
私は、「RIDE ON TIME」か「FOR YOU」かのいずれかがヒットした時に、達郎さんが何かのインタビューで以下の旨仰っていたのを覚えている。
今回「RIDE ON TIME」(or「FOR YOU」)が売れてわかったことがある。「売れることは、プロのミュージシャンとして居続けるプロセスであって、ゴールではない。
それは、ミュージシャンは売れないとダメだ、ということだ。
売れないと、制作側が要求する音楽を、制作者が要求する周期で創らなければいけない。
これでは、自分がやりたくない音楽をやらざるを得ない。
自分がやりたくない音楽をやっているミュージシャンは、ミュージシャンではない。>
ゴールは、終生、プロのミュージシャンとして居続けること、すなわち、自分が本当にやりたい音楽だけをやり続けることだ」。
今回のインタビューとは異なり「売れること」が全面に出ているが、達郎さんが仰っていること(仰りたいこと)は、この意味において等しい。
「自分が本当にやりたい音楽を、一切妥協せず、命を削ってやり続ける。
それに悪影響すること、悪影響しかねないことは、今がどれだけ助かろうが、今後どれだけ助かろうが、断固放棄する。
そして、売れ続ける。
これができるミュージシャンこそ、プロのミュージシャンである」。
これがプロのミュージシャン、いや、自他共に認める「音楽職人」の達郎さんの哲学なのだろう。
達郎さんの高潔かつ真実の哲学には、脱帽以外無い。
★2011年8月9日朝日求人ウェブ/仕事力「山下達郎が語る仕事-2」(↓)より
http://www.asakyu.com/column/?id=1031
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2011年08月19日
【BSフジ】「その時、私は」森村誠一さん
絶対にね、物理的に不可能なような状態でもね、(原稿の)依頼があると逃しませんね。
昭和一桁、二桁初期の人は「飢えていた」んですよ。
それで、「作家になりたい」という、とにかく「作家にならなかったら生きている意味が無い」ぐらいに思い詰めた人たちが多かったですね。
(中略)
つまり、僕らにしてみると、小説の原稿の依頼というのはですね、「自分の精神を買いに来る」という風に考えているんですよ。
だから、「精神を買いに来てくれる」、こういうね、人、お客さんを絶対逃さないっていうね。
それから、もう一つは、「この美味しい依頼、仕事をですね、断ったら、誰が書くかな」って、すぐ思う。
で、「多分あいつが書く」と。(笑)
二つのことについて考えさせられた。
一つは、仕事の依頼は「自分の精神を買いに来る」のと同義、とのお考えについてだ。
たしかに、この世に、同じ精神は二つとない。
そして、いずれの精神も唯一無二だ。
その唯一無二の自分の精神を買いに来てくださった人を無碍にするのは、自分が唯一無二の精神を売らんがために数多の困難、リスク、不確実性を甘受して作家になったことと、自分が生業として唯一無二の精神を売っていることの矛盾であり、かつ、お客さまが自分の精神の唯一無二性を評価、期待くださったことへの無礼である。
森村さんは、きっとこうお考えなのだろう。
森村さんの自己矛盾と顧客への無礼に対する忌避感は、尤もに感じた。
もう一つは、仕事の依頼は自分が受けなくても(=断っても)他者が受けて事足りる、とのお考えについてだ。
たしかに、この考えは、一つ目の考えと矛盾する。
しかし、これが「仕事を依頼する(=商品を購入する)」ことの実際、ひいては、ビジネスの本質であり、逆らうのは不賢明である。
森村さんは、きっとこうもお考えなのだろう。
また、誤りを恐れず推量すれば、心のどこか片隅で、自分の精神の唯一無二性は知れている、とも。
森村さんのビジネス認識と自己過小評価も、尤もに感じた。
(「高層の死角」の舞台にホテルを選んだ理由について)新人が賞を望む時はですね、一番強い所を使うんですよ、大体、自分の一番強い所。
で、そういう意味では(私は新卒で就いた職場がホテルなので)、ホテルが一番強いですからね。
で、そこで勝負して。
で、その後は、自分の強い所は書かないようにするんですね。
むしろ、弱い所を書くようにしていく。
森村さんのお考えから、元イエローキャブ社長の野田義治さんが得意とする「巨乳マーケティング」を想起した。
「巨乳マーケティング」とは、まずは一番(唯一)の強みである巨乳のグラビア露出でブレークを狙い(一点突破を目指し)、実現の後は、服を着せ(=巨乳を封印し)、タレントや俳優といった「長く食える」仕事に路線変更する、というものだ。
森村さんのお考えは、これまた尤もに感じた。
(「これからチャレンジしたいことは?」の問いに)折角吉川英治文学賞を頂いた「悪道」というのが、なかなか自分にとっては、気に入っているテーマなんですよ。
特に、東北が舞台になりますでしょ。
今は、東北の被災者の方々というのは、「生存」ですね「生活」ではなくて、「生存」状態(にあると思うんですね)。
で、どうやって「生存」してこうかっていう時代にですね、小説っていうのはね、「生活」のために必要なんですよ。
小説とか文芸はじめ、音楽とか絵画とか、これはね、「生活」になってから必要になってくる。
で、「生存」状態でも求める人も居ますけど、少数派ですよね。
で、そういう「生存」状態の時は、(小説を世に出すのは)まだ早い。
だから、「生活」状態に被災者の方々が立ち直ってきた時のためにですね、今から書いておきたいなと思っているんですね。
自分がプロフェッショナルで居られる時代を正確に理解する。
そして、時代の輪廻を信じ、プロフェッショナルとしてやるべきことをやり続ける。
こう思考、行動し続ける森村さんが、約40年もの長きに渡り人気作家として君臨なさっているのは、やはり尤もに感じた。
★2011年7月16日放送分
http://www.bsfuji.tv/top/pub/sonotoki.html
2011年08月18日
【BSフジ】「その時、私は」小田禎彦さん(加賀屋代表取締役会長)
おもてなし(の本質)は、ホスピタリティと正確性という風に、究極はその二つということになるかと思うんですね。
やはり、「お客さまの立場に立って考えを表す」というこのおもてなしと、それから、やっぱりお釣り間違えちゃいけませんし、違ったインフォメーションしていはいけませんし、命に関わり、それから、人生に関わる、そういう正確性というもの、この二つが相まって、良いおもてなしということに私はなるんだろうと思うんですね。
ですから、この、やはり今、日本のおもてなしが世界で本当に他の国に無いもんだと、これをやっぱり売りとして、もっと世界へ挑戦していかなきゃならないっていうことを盛んに言われる時代になりました。
まあ、そういう中で、このおもてなしをですね、どういう風にもう一度、しっかりと規定概念というものを確立してですね、やっていかなきゃならない。
おもてなしを、私どもサービスという風な言い方でも言うかと思うんですけども、サービスとは、プロとして訓練された社員が、お給料を頂いて、お客さまのために正確にお役に立って、お客さまから感激と満足感を引き出すこと。
そして、そのおもてなしの原点には二つあって、一つは正確性、もう一つはホスピタリティ、相手の立場に立って思いやる心、この二つが相まって、いいおもてなし、サービスということになるんだと、まあこういう風に私どもの考えでは、規定をして、社員にですね、「このことが我々としては一番、考えとしては一番大事な言葉であるんだ」と、まあこんな風に今徹底をするように努力をしているんですが。
小田禎彦さん(加賀屋代表取締役会長)が、サービスの原点としてまず正確性を挙げられていたことに、強い共感を覚えた。
HUGEの新川義弘社長もよく仰っているが、サービスの必要条件は何より正確性、つまり、「やるべきプロセス(オペレーション)を余すことなくやり切ること」だ。
いわゆる「おもてなし」は、あくまでそれを全うしてからの話だ。
正確性をないがしろにして「おもてなし」に傾注するのは、サービスとして間違いだ。
注文いただいたのとは異なるメニューを出してしまったお客さまを、どう「おもてなし」できるものか。
また、小田さんが、サービスを言葉にして合理的に定義なさっていることにも、強い共感を覚えた。
お客さまにサービスを提供するには、何よりサービスの何たるかをサービスマンに正確に理解してもらうことが欠かせない。
他者に物事を正確に理解してもらうには、それも、多くの他者に同義で理解してもらうには、言葉にして合理的に定義することが有効かつ欠かせない。
合理的に定義されていないサービスを、どう全てのお客さまに同義で提供できるものか。
★2011年6月18日放送分
http://www.bsfuji.tv/top/pub/sonotoki.html
2011年08月17日
【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Ben E. King”Stand by me”
【ストリング・アレンジ担当/スタン・アップルバウムさん】
みんなの本音をこの歌詞が代弁してくれているんだと思う。
誰だって、そばに居てくれる人が欲しいからね。
それにシンプルなメロディとリズムが備わり、大ヒットしたんだと思う。
【ベン・イー・キングさん】
私は(当時)新婚で、ある夜、ベッドルームにいる時に、ギターをとって弾き始め、曲を書き始めた。
あっという間に書けたよ。
言葉が次々と流れるように出てきて、気がつくと、曲ができていた。
私が書いたのはある意味歌詞だけだったが、あの曲全体のコンセプトはできていた。
つまり、ほとんど変わっていない。
唯一変わったのはベースラインだよ。
ジェリーとマイクがプロデュースした時、そこを変えたんだ。
それ以外の部分は、私が頭の中で書いた通りの曲になった。
当時の私は新婚だった。
あれはスピーチみたいなものだね。
誰かに何かを伝えようとすると、言葉が自然に出てくる。
そして、気持ちを込めながら伝えるうちに、さらにいい言葉が出てくるんだ。
(「奥さんを想って書いたんですね?」の問いに)まあ、そんなところだね。
(中略)
この曲は人生のどんな状況にもフィットするんだ。
恋しているときにも、友だちに思いを伝えるときも、具合の悪い人がそばにいるときにもフィットする。
タイトルだけでも、この曲の持つ力が伝わってくる。
この曲が長く歌われてきた理由があるとしたら、それだと思う。
成功の可否は、机上(事前の思考)で決まる。
たしかに、可否を最終的に決めるのは「実行の有無と程度」である。
しかし、企画(テーマ/コンセプト)そのものがどうしようも無ければ、いかに高次に実行されても、成功はあり得ない。
”Stand by me(スタンド・バイ・ミー)”が、ベン・イー・キングさんの歌、ジョン・レノンさんの歌、ロブ・ライナー監督映画のいずれにおいても大ヒットしたのは、”Stand by me”という企画が優れていたことに他ならない。
出演:ウィル・ウィートン、リバー・フェニックス、リチャード・ドレイファス
監督:ロブ・ライナー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2014-12-19
スタン・アップルバウムさんとベン・イー・キングさんのインタビューコメントから、その具体が、「誰もが、どんな時でも、他者に傍に居て欲しいと思っている」という人間の根源的なニーズと普遍の真理であること、そして、それらが、新婚生活という身近な日常を真摯に送る中で洞察されたこと、がよくわかる。
私たちは、身近な日常を、もっともっと真摯に送らなければいけない。
★2011年8月14日放映分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_50.html
2011年08月16日
【追悼】「一視同仁の人」行方尚史さん
P201
団(鬼六)先生のまわりには、たくさんの人が集まる。
僕が鬼六御殿に行ったときは、ほとんど必ず誰かがおり、いろいろな人を見る機会に恵まれた。
先生は人や名前を格で判断せず、名人でも初段でも、良い人も悪い人も、だらしない人も、怪しい人も、誰にでも同じように接する。
まさに「一視同仁」を体現したような方だった。
垣根が低く、飾らない。
屈託がない。
偉ぶらない。
こだわらない。
そのうえ、やさしくて、ひとがいい。
失礼を承知で言えば、だまされやすいタイプにもみえた。
僕のことも、とても温かく面倒を見てくださった。
とりわけ、プロ(四段)になる直前の十八歳から十九歳にかけて、食べるものにも事欠いていた時期は、足を向けて寝られないほどお世話になった。
僕は当時、パチンコと競馬に入れ込んで、仕送りを使い果たし、記録係(対局の棋譜を記す係)をやって得た金も手元から蒸発するように使っていた。
いよいよ困ったとき、頼みの綱が団先生だった。
「先生、明日うかがってもよろしいでしょうか」とお電話すると、ほぼ例外なく「来なさい」。
お邪魔すると奥様が美味しいカレーをふるまってくださり、お代わり自由。
おなかが落ち着いてから先生と一、二局将棋を指し、お小遣いをいただく。
あのころは毎月お邪魔していた。
先生は、自分以外のことに一体いくら使ったのか。
将棋ジャーナルは完全に持ち出しだっただろうし、食客も多かったし、さぞ大変だったと思う。
御殿に行くと、この間まであった刀がなくなっていることがあり、台所事情がどんどん苦しくなっていくのがわかった。
僕が御殿に通うようになって数年が経ち、プロになったころ、将棋ジャーナルは廃刊となり、先生は御殿を引き払って東京の西永福にお住まいを移された。
その後、僕が死の二週間前にばったりお会いした浜田山へ転居したのだった。
私は、昨年、団鬼六先生がツイッターをやっておられる(@Oniroku_Dan)のを知ると、すぐさま団先生をフォローした。
(※今確認したところ、なぜかアンフォローにおり、改めてフォローした)
すると、まもなくして、団先生から以下のDMを頂戴した。
これからもよろしゅうに… http://bit.ly/7Uqe9j私は、驚愕かつ感激し、以下返信した。
10/05/08(Sa) 15:20:20
堀と申します。ダイレクトメッセージに感謝感激です。私は、70年代後半兄の「映画の友」を盗み見して(笑)以来、団さんを敬愛しています。将棋は下手の横好きで、殆ど「羽生さんウォッチャー」です(笑)http://bit.ly/9y6GwS。私の方こそ、これからもよろしゅうです。私は、行方尚史八段のように団先生と実生活を共にする機会には与れなかったが、この体験と、葬儀でファン向けの焼香所を用意くださったことから、団先生が「一視同仁の人」であられたことを信じてやまない。
10/05/08(Sa) 17:54:07
堀 公夫(教授&羽生ヲタ)@kimiohoriおはようございます。ファン向け焼香所を催して頂ける http://bit.ly/jX5zy3 ので、昨晩団鬼六さんのお通夜に参列しました。団さんを知ったのは中学生の時で、兄の「EIGA NO TOMO」を盗み読みwしてでのことです。「一期は夢よ ただ狂え」との色紙に感動しました。
2011/05/16 06:55:41
団先生は、なぜ、終生「一視同仁の人」であられたのか。
団先生は、複雑な生い立ちとワイ本作家というお仕事がら、若くして「非一視同仁の人」に多々遭い、彼らから辛い思いや違和感を強くお覚えになったのではないか。
また、「『一期(=人の生涯)は夢』ゆえ、一視同仁に生きて然るべき、いや、一視同仁に生きないのは愚かである」とお考えになったのではないか。
終生「一視同仁の人」であられた団先生のご冥福を、改めて祈りたい。(敬礼)
2011年08月15日
【NHK】「虐待カウンセリング 作家柳美里・500日の記録」柳美里さん
なぜ、虐待は(親子間で)連鎖するのか。
虐待をする親は、子供の頃に、暴力や暴言、無視といった虐待を受けても、親から嫌われていると思いたくないため、「自分が悪い」と、怒りや悲しみの感情を抑え込みます。
その負の感情を溜め込んだまま親になると、知らず知らずの内に、それが子供に暴発。
虐待が連鎖するのです。
(中略)
「自分が育った家族という土壌と、そこと私が息子を育てる土壌というのが、地続きではないんだということがわかった。
地続きだと思ってしまえば地続きなのかもしれないですけど、地続きではないんだという風に立ち止って歩き直すということができたような気がしますね」。(柳美里さん)
この前の日、学習塾の入塾試験があり、息子は不合格でした。
これまでなら感情的になっていた柳さんですが、今回は落ち着いていられたと言います。
「以前だと、割と『あ、何とかしなければ』という風に〔・・・〕思ってたんですけど、それならそれで『いいんじゃないかな』っていう〔・・・〕とりあえず肯定した上で『じゃあ、どうするんだ』と考える余裕というか、気持ちの糊しろが生まれたような気がしますね」。(柳美里さん)
柳美里さんの祖父は、幼児の尊父を虐待した。
美里さんの祖母は、幼児で継子の母堂を虐待した。
尊父と母堂は、幼児の美里さんを虐待した。
そして、美里さんは、幼児の我が子を虐待した。
美里さんは、尊父と母堂の協力で、子供を虐待をする習性が、「地続きだった」、つまり、「親子間で連鎖していた」のを思い知った。
美里さんが「地続きではないのがわかった」と仰ったのは、「地続きだった」事実と原因を思い知って生まれた希望に違いない。
希望は、絶望の事実と原因を思い知ることで生まれる。
★2011年5月15日放送分
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110313.html
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2011年08月14日
【BSNHK】〔邦画を彩った女優たち「岸恵子 わたしのままに」〕岸恵子さん
横浜への空襲、12才。
この時の体験が、岸さんのその後の生き方の原点となりました。
「山下公園の階段を上がっていったら、階段に若い女の人が座って動かないんですよ。
防空頭巾がもう燃えているんですよ。
で、『こんな所に座っていたら大変です、逃げましょう!』ってゆすってあげたら、そのままぱあっと倒れてきて、それが鉛のように重たくて、亡くなっていたんですね、もうね。
そうこうしている内に、兵隊さん、腕章を巻いた、『子どもたちは全員防空壕だ!』って引きづられて、(防空壕に)放り込まれたんですけど、『私ここに居たら死ぬ!』と思ったんです、思い込んだんです。
で、私は、みんなが止めるのも聞かずに、そこを逃げ出して、階段を駆け上がる、もう地面熱いんですよ、飛び跳ねながら・・・」
自分の意思で防空壕から離れた岸さん。
その直後、爆風が防空壕を襲いました。
「私、今でもそう思うんですけど、日本の人っていうのは、何か上(の人)から言われると、すごく従順に従うじゃないですか。
『子どもは全てこの防空壕だ!』って言われたら、全部入るわけですよ。
で、その時に疑いを持たない。
みんなが、大人たちが、あたしを引きとめたけど、『もう大人のことは聞かない。12才、あたしは今日で子どもはやめた!』とその時に思いましたね」。
昭和26年、岸さんは自らの意思で女優の道を選びます。
そして、「君の名は」の大ヒットでスターダムを駆け上がります。
なぜ、岸恵子さんは、防空壕をお出になったのか。
理由の一つは、「尋常でない危険を直感したから」ではないか。
岸さんは、防空頭巾が燃え、動かなくなっている女性を見て、「防空壕はアテにならない」と直感なさったのではないか。
もう一つの理由は、「人生を、自分の考えで、能動的に生きたかったから」ではないか。
岸さんは、他者の考え、それも「疑わしい」他者の考えに盲従し、人生を受動的に生きることが、我慢ならなかった、生きることと思えなかった、のではないか。
私が岸さんを初めてお見かけしたのは、「赤い疑惑」だ。
パリのおばさまで、実は山口百恵さん演じる幸子の母の岸さんは、とても格好良かった。
岸さんの、人並み外れた直感力と、自分の人生を能動的に生きるさまは、子供の私にも伺い知れたに違いない。
★2011年4月20日放送分
http://cinema.pia.co.jp/com/0/749418/
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2011年08月13日
【人生】「座右の銘」森村誠一さん
P21
ボクサーは連戦連勝している間に弱くなる ーーモハメッド:アリ
(中略)
作家の本来は、いや、人生を生きるということは、下りのエスカレーターを全力で駆け上がっているようなものである。
足を止めれば、たちまち後方へ引き戻されてしまう。
それが上昇気流に乗ったグライダーのようにのんびり飛び回っている間に、自身の飛翔力を失っている。
「戦いは六分をもって勝ちとする」という武田信玄の言葉は、連戦連勝のボクサーに対する戒めのようにも聞こえる。
信玄にしては、六分とは謙虚な勝率であるが、勝負とはそういうものであろう。
P141
もしも私が神だったら、
私は青春を人生の終わりに
置いたであろう ーーアナトール・フランス
若いときには、気力、体力充実しているが、不安定であり、青春の輝きや、その貴重さも自覚していない。
人生の最も実り多かるべき時期を乱費、あるいは浪費してしまう者も少なくない。
青春の貴重さを充分認識した熟年時代に青春が置かれたら、決して浪費や乱費はしないであろう。
だが、それは青春ではない。
青春は無限の可能性に満ちた未知の狩人期であってこそ青春といえる。
無限の可能性とは、無限になにもないことも同居している。
すべてわかり尽くした上での青春は、神ではあっても人間ではない。
だからこそ、アナトール・フランスは「もしも私が神だったら」と条件をつけたのであろう。
P174
恥ずかしい --2003年10月13日、笹沢佐保遺言
(中略)
笹沢氏の葬儀に斎場まで遺族と一緒にお供したが、氏の遺骨は斎場に用意された最大サイズの骨壷にも入りきらないほど多かった。
骨壷からはみ出した遺骨が、四百冊達成を目前にして燃え尽きる無念を、訴えているように見えた。
最後の病床に見舞ったとき、笹沢氏が「恥ずかしい」と言ったのが耳によみがえった。
もしそれが恥ずかしければ、誇るべき恥ずかしさである。
(中略)
笹沢氏の生き方、死に方は、私に作家たる者、かく生き、かく死ぬべきであるという姿勢を示したようにおもえた。
(中略)
笹沢氏の「恥ずかしい」、また芭蕉の「夢は枯野」にも、発表しない作品の卵を積み残したまま逝かねばならない創作者の無念が込められている。
だが、創作者たる者、持てるすべてを出し切って積み残しがないということがあり得るだろうか。
生ある限り、意識ある限り、常に自分の可能性の限界を押し進めるようにして表現するのが、創作者の業ではあるまいか。
笹沢佐保氏はまさに創作者としての業を体現したような作家であった。
P184
美しい文章よりも
真実の文字を(書きたい) --松本清張
(中略)
作品の中で神と崇めていた清張の人間に触れた夏の日の屈辱は、終生、私の記憶に刻みつけられているが、同時に作品の権化としての姿勢を見たおもいがした。
作家の平林たい子が韓国の雑誌のインタビューで、「松本といえば、人間ではなく、タイプライターです」と発言して物議を醸した(「文士のいる風景」)が、書く機械ではなく、「書く鬼」と表現すべきであった。
つまるところ、創作者たる者、可能性の限界をどこまで追求できるかという問題であろう。
生涯一作であろうと、作品の卵巣に積み残しがないように書き尽くそうと、いずれにしても創作者の一期一会の姿勢である。
P231
いまが一番若い
年齢にかかわらず、だれでもいまこの瞬間が一番若い。
生まれたばかりの赤ん坊でも、少年・少女でも、青春真っ盛りでも、現役バリバリでも、横町のご隠居でも、一分一秒も過去に戻れない以上、いま生きているこの瞬間が一番若いのである。
たとえ命旦夕に迫った老人でも、残り少ない余生の中で一番若いのである。
このように考えると、人生、一期一会、一分一秒といえども無駄には過ごせない。
人間、常にいまが若いことを心に刻んで、ただ一度限り、繰り返しのきかない貴重な試みである人生を大切に生きるべきである。
上記の内容にかぎらず、森村誠一さんの言は悉く、私の胸の深層に刺さった。
理由の一つは、人生を真に真剣に生きている人からのみ滲み出る、強烈な切迫感が伺えたからだ。
そして、もう一つは、作品の卵を積み残したまま逝くことの、耐え難い恐怖が伝染したからだ。
私の命は、24才の時に拾った命だ。
森村さんと異なり、生涯一作品に終わる可能性は大だが、卵を積み残すことがないよう、一番若い今を大切に生きたい。
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2011年08月12日
【BSTBS】「グリーンの教え」羽佐間正雄さん(オフィスカノン会長/元NHKアナウンサー)
(私は、ジャック・ニクラウスに)「あなたのような、世界のトップに立って、何年も何年もやるというのに、何が必要だったか?」って質問をしました。
(彼はこう答えた)「そりゃ、努力ですね」。
まあ、平凡と言えば平凡な答えだと一瞬思いました。
(そこで私はこう質問した)「二番目は何でしょう?」
(彼はこう答えた)「二番目は、そりゃ努力です」。
「じゃ、三番目は?」と言ったら、「三番目も努力です」。
「なるほど」と言って、大体は次(の話題)へ行っちゃうでしょうけど、ここで引っ込んだら、こちらもアナウンサーとしてのプロ意識を持っているわけですから、「これはイカン」と思って、「四番目は何です?」
(彼はこう答えた)「努力です」。
ここまで来て引いちゃイカンと思うから、「わかった」と。
「それでは、五番目は?」と言ったら、「そこまで努力をしたら、どんな人でも、そのことについて、自信のようなものが芽生えてくるはずです。それから始まる」と、こう言われた。
なぜ、ジャック・ニクラウスさんは、「自信」と言い切らず、「自信のようなもの」と表したのか。
当時(或いは今でも)ニクラウスさんは、「自信」の何たるかを正確に理解できている覚えが無かったのではないか。
私たち凡人が理解する「自信」は、ニクラウスさんにとって、「根拠に乏しい、刹那の自己肯定感」に過ぎなかったのではないか。
だから、私たちは、「自信」をすぐに失うのではないか。
★2011年7月16日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/green/bn66.html
2011年08月10日
【NHK】「向田邦子没後30年“阿修羅のごとく”(第一話/ゲスト解説)」いしだあゆみさん
(自分にとっての向田邦子さんの存在をひと言で言うと)「怖いお姉ちゃん」。
怖かったです。
怖い・・・そうですね、「怖い」ってことは「優しい」ですよね。
「あゆみちゃんね、『騒々しい』のと『元気』なのとは違うわよ。『暗い』っていうのと『静かな』っていうのは違うわよ」って。
違いますよね。
「暗いドラマ」、「静かなドラマ」、今みんな一緒になってますよね。
で、「元気」なんじゃなくて、「騒々しい」って。
それは向田さんがいつも仰ってましたね、「それは、あゆみちゃん、履き違えちゃ駄目」って。
「あゆみちゃんのは、『元気』じゃなくて『騒々しい』」って。
(今)時々、自己嫌悪に陥る時(が)あるんですよ、やっぱり。
「今日こんなこと言っちゃったな」とか、「こんなにはしゃぎ過ぎちゃったな」とか。
その時に、ふっと、そういう何かバイブル的なことが、スースーいっぱい出て来ますね。
(向田さん、その節は)ありがとうございました。
(年を重ねると、段々そのあたりの重みが)わかってくるんですよね。
でも、わかった頃には遅いんですよね。
(※対談相手は桜井洋子アナ)
そう、「(表面の)怖いお姉ちゃん」は「優しいお姉ちゃん」なのだ。
「(表面だけ)優しいお姉ちゃん」こそ、「怖いお姉ちゃん」なのだ。
表面や外面に惑わされず、絶えず本質を洞察しなければいけない。
wikipediaによれば、向田邦子さんは、亡き父と同じ、昭和四年のお生まれとのこと。
ただ、父は、向田さんとは異なり、終生、本質を洞察できなかった。
田嶋華子さんが仰った「命は長さではないと思う」の一節を思い出した。
★2011年7月17日放送分
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2011/110717.html
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2011年08月09日
【NHK】「爆笑問題のニッポンの教養/恋愛必勝法おしえます」望月明美さん(『ル・ジャルダン』オーナーママ)
銀座には「セクハラ対応方法(=お客さまに胸など体を触らそうになる時の対応方法)」っていうのがあるんですね。
(こうして)「やめてください、やめてください」って(体を触ろうとする手を単純に手で払われると、お客さまからすると)面白くないじゃないですか。
(そこで)私が銀座で(過去)ママから(どう対応したらいいか)習ってきたのはですね、まず一番に(自分の)お尻をこういう風に(お客さまの腰の真横に)寄せるんですね。
そして、オイタをする(お客さまの)手をここ(※自分の膝の上)に止めて、(その上に)こうして(自分の両方の手を重ね置いて)止めるんですね。
次に、お名前を連呼するんです。
(たとえば)「太田さん、そんなこと言って、ここじゃダメ、今じゃダメ、太田さん、太田さん」って。
お名前を連呼して、「ここじゃダメ、今じゃダメ」って(言うんですよ)、どうせダメなんですけど(笑)。
お客さまのイタズラを、本人の名前を連呼しながら「ここじゃダメ、今じゃダメ」と言って手を固定して抑止する、というのは成る程だ。
というのも、これは、お客さまの下心(=セックスの期待)とメンツは完全否定せず、イタズラ行為だけを物理的に否定しているからだ。
(下心とメンツを完全否定されたら、お客さまは二度と店に来ない、来れない)
しかも、下心の否定が部分否定なので、高確率でお客さまの下心は一層燃え上がり、売上増が見込める。(笑)
「一石二鳥」とは、正にこのことだ。(笑)
★2011年7月21日放送分
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20110721.html
2011年08月08日
【人生】「一期は夢よ、ただ狂え」団鬼六さん
P150
若い層にこれまでのワイ本の名作というのは何になるか、という質問を受けて、私は永井荷風作かもしれぬという「四畳半襖の下張」を推薦したが、読んだ彼らからは大して感じなかった、という答えが戻って来た。
こんなものに昂奮するなんて昔の人は随分単純だったのですね、というのである。
エロスの概念が昔と今とではすっかり変わっているのである。
矢鱈に長襦袢や蹴出しが出てくるので彼等の持っているエロスの情感は削がれたらしい。
当節のエロスマニアにとってはこの作品は名作だといっても陳腐以外何も感じられないのである。
ポルノ小説としては最低という奴もいた。
ポルノ小説とワイ本の差がわかっちゃいないのである。
現在、ポルノもワイ本も同等になっていて、どこまでがポルノでどこまでがワイ本になるのか、この差が全くなくなっているらしい。
文豪の描くいわゆる性文学というのは性を通じて人間を描こうとするものだが、ポルノ小説というのは人間を描くのではなく性のみに重点を置くもので、ワイ本というのは何が何でも男を勃起させようというものだ。
女を濡らさせるためのものもワイ本になる。
私がその昔、描いた「花と蛇」という長編小説はポルノ小説ではない。
あれはワイ本である。
これでもか、これでもか、といった風に男を勃起させるための官能描写だけの羅列であるからあれは完全なワイ本である。
だから、昔、ポルノ小説をお書きになっていた、のではなく、昔、ワイ本をお書きになっていたといわれると私は満足するのである。
根源的なエロスというものは昔のワイ本の中に残っているのだが、これが理解出来ないのはエロが大病に冒されているからだろう。
というより、エロスは倒錯時代に入ったと見るべきかもしれない。
団鬼六先生亡き後、誰が性文学とポルノ小説とワイ本の差異を説けよう。
エロスは、文学や将棋などと同様、文化である。
文化は、その意義や理念を説く人が絶えた時、意味不明の不用物と見なされ、消滅の一途を辿る。
今後、草食系の若者は一層増えるに違いない。
団先生のご冥福は祈念して止まないが、返す返すも口惜しい。
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2011年08月07日
【BSNHK】「北欧から世界へ ABBA 時代が求めたハーモニー」ベニー・アンダーソンさん
ここで、どのようにしてABBA(アバ)独特のサウンドが生み出されたのかを紹介しましょう。
「ビーチボーイズの曲は、小型ラジオで聴いても音が凄い。
僕たちも、そんな音を作りたくて、納得するまで時間をかけたんだ。
そんなことが出来たのは、ミキサーのマイケル・トレトウのおかげさ。
あきらめないで、新しいものを探していたよ」。(ベニー・アンダーソンさん)
「彼らは、スタジオに、どうしたいのかというアイデアもなく曲を持ってきて、演奏してみて試行錯誤をくりかえすんだ」。(マイケル・トレントウさん)
「こんな感じで始めた。
まずは、ドラム、ベース、ギターとピアノを重ねて・・・
(マイケル・トレントウさんがミキシングを始める)」。(ビョーン・ウルヴァースさん)
「人手が足りないので、ギターを2回録音した。
バンド全員をそんな風に録音したらどうなるか試したんだ。
スピードを変えて、少し不協和音ぎみにして重ねたら、うまくいった。
(マイケル・トレントウさんがそのようにミキシングする)
すごい音だ。
厚みのあるアバの音だ。
いい感じ!
ボーカルは、同じような方法で、もっとピッチを変えて、明るく引き締まった音にして、元のボーカルと重ね合わせると、キラキラした効果が現れた。
彼女たちのハーモニーも重要だ」。(マイケル・トレントウさん)
「アバのユニークなサウンドは、私たちの声の違いにあるの。
出来るかぎり、それぞれの声を生かしたわ。
アグネタが高いソプラノで、私が少し低めのメゾ・ソプラノ。
ベニーとビョルンは、私たちの声質を知っていて、どの曲で誰がどんな風に歌ったらいいか完全に分かっていたの。
アグネタが(メインボーカルに)選ばれると、時々うらやましかったわ(笑)」。(アンニ・フリード・リングスタッドさん)
「音楽的な要素はそろい、スタジオでひとつになっていった。
最初はまあまあだけど、時間をかけていくと、突然スゴイものが現れるんだ。
魔法みたいにね。
こんな経験したことないよ。
後にも先にも、ビョルンとベニーと仕事しているときだけだね」。(マイケル・トレントウさん)
「最初はまあまあだけど、時間をかけていくと、突然スゴイものが現れた」とのミキサーのマイケル・トレントウさんのお気持ちは、おおよそ理解できる。
スゴイものは、えてして、持続的な努力の果てに、それも、諦めかけようとする瞬間に、突然現れるものだ。
それはそうと、この一連のコメントで一番刺さったのは、ベニー・アンダーソンさんのコメントだ。
なるほど、あのユニークなアバサウンドは、ベニーさんの、「(大衆が愛用する)小型ラジオを凄い音で鳴らさねば」というお考えから始まったわけだ。
「音楽を大衆に売るにはラジオというマスメディアを制するのが常道であり、それには、自分たちの曲が埋没せぬよう、他の数多の曲と差別化された、印象的な音で鳴らさねば」とのベニーさんのお考えは、賢明であるのは勿論、これこそ「凄い」という他ない。
また、本件は、商品開発とプロモーションが同時並行的に好進捗し、好結果をもたらした好例という他ない。
これらの最高の証左は、同じスウェーデン国民とはいえ、あのイングヴェイ・マルムスティーンをもインスパイアしたことに他ならない。(笑)
余談だが、本件から、ラウドネスがアメリカ進出時にリリースしたアルバム「LIGHTNING STRIKES(※日本版名「SHADOWS OF WAR)」を思い出した。
このアルバムは(当時)異常なまでにハイ上がりに(=高音が強調されて)ミキシングされているのだが、それもやはり「ラジオを凄い音で鳴らしたい」という考えから始まったと記憶している。
★2011年7月30日放送分
http://www.nhk.or.jp/hokuou/schedule/1107302030.html
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2011年08月06日
【NHK】「ある少女の選択 18歳“いのち”のメール」田嶋華子さん、野口明子さん
野口先生へ
(七才で亡くなった野口明子さんの娘さんが描いた絵の)アルバムを見ました。
すごくすごく感動しました。
私は花園の女の子(の絵)が好きです。
どれも目が優しく描かれています。
私も七才の時に心臓がギブアップしてしまい、治療もできなくなり、もう父と母とさよならするのかと思いました。
でも私は、たくさんの人の力を借りて、命をつなぐことができました。
野口先生、お辛かったでしょうね。
たくさん涙を流したでしょうね。
ずーっと元気でいてくださいね。
野口先生へ
私にとっての呼吸器は体の一部で、自然体になっています。
私も心臓移植して、ドイツ人の四才の子と生きている感覚なので、命とか、生きるということに私の責任感みたいなものがあります。
これからも、私の思いや気持ちを素直に表現したいと思います。
〔卒業文集〕
心臓病で生まれた私は、病院の先生に、「長くは生きられないでしょう」と言われました。
心臓移植後、母は「10年目指しましょう」と言われたそうです。
あれから呼吸器を装着したけど、私は10年生きられて、18才になりました。
これから私は、丁寧に生きることを目指していこうと思います。
野口先生へ
涙が出てしまいました。
またか・・・という思いでした。
私の今の心境は、早く腎生検が終わって退院して、また家で普通の生活に戻れることを願っています。
ふと、不安になってしまうこともあります。
野口先生へ
先生に心配かけたくなかったから、言わなくて済むのなら、どんなにいいかなと思っていました。
私の腎臓はとても悪い状態で、ギリギリで機能しているようです。
野口先生、この前私にメールで「ふわーっと大波を乗り越えましょうね」と下さりましたよね。
前田先生がふわーっと痛みも心も和らげてくれると思うから、おうちで診てもらうつもりです。
命は長さではないと思うのよ。
どう生きていくかが問題だと思う。
私は自分で決めたのだから。
ふわーっと過ごすことができると思うから。
野口先生、「助けて」って言ってしまう時もあるかもしれません。
私は頑張るけど、先生、傍に居てね。
野口先生へ
大好きな海の傍まで行けたことが、とても嬉しかったです。
両親と楽しい思い出をたくさん作ることができました。
自然の風を感じたり、蝉が鳴いていたり、とんぼも窓ガラスに来て、楽しかったです。
緑の匂い、空気、木の匂い、海の匂い、優しい人のいい匂いを、私は忘れません。
野口先生へ
今日、肺の出血で、朝から急に呼吸が苦しくなって、怖くて、苦しくて、辛かったです。
先生、体って何が起こるかわかりません。
野口先生も体調に気をつけてくださいね。
華子さん
あなたを見ていると、こんなにも体と精神が別々に働くことがあるのだなあと驚いています。
だって、あなたの精神活動は、健康な肉体を持っている人よりも、遥かに活発に、毅然として、凛として働いているのですもの。
頑張るとか頑張らない、諦めたとか諦めないを超えたもの、ただ華子さんらしく生きるという言葉がぴったりなのですね。
大きな自然の流れの中に身を任せて、ということなのでしょうね。
野口先生
神様が私に色々な病気を与えてくれたことは恨んだりしてないよ。
与えてくれたから、沢山のいい人たちと出会えたもの。
先生は私に「頑張れ」とは言わなかった。
「ふわーっと乗り越えましょうね」と言ってくれました。
心が繋がっているから大丈夫なんですよね。
今日も明日も、最後まで、ふわーっと楽しくです。
野口明子さんがメールで田嶋華子さんへ仰っていたのは、その通りだと思った。
たしかに、華子さんの体と心は、別々に働いていた。
華子さんの精神活動は、健康な肉体を持っている人よりも遥かに活発に、毅然として、凛として働いていた。
それは、野口さんが追記なさったように、「自分らしく、大きな自然の流れに身を任せて生きている」表れや恵みに違いないのだろうが、「人生の有限さを真摯かつ不断に認識し、丁寧に生きている」表れや恵みでもあるのではないか。
もしそうなら、私の体と心が同期して働いているのは、「自分らしくなく、大きな自然の流れに逆らって、人生の有限さを真摯かつ不断に認識せず、粗雑に生きている」表れや罰かもしれない。
「クローズアップ現代」に引き続き、感動した。
華子さんの冥福を改めて祈念すると共に、機会を見つけて、お父さまの喜八郎さんとお母さまの早苗さんの珈琲を賞味しにラッキー亀有2号店へ伺いたい。
★2011年7月22日放送分
http://www.nhk-g.co.jp/program/documentary/2011/052/index.html
2011年08月05日
【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第3局の1▲屋敷伸之九段△佐藤康光九段〕お帰りなさい」甘竹潤ニさん
屈辱の陥落から1年、佐藤康光が住み慣れたA級の舞台に戻ってきた。
最終日を待たずして陥落が決まった1年前。
ラス前の一戦に敗れた佐藤に、異例とも思える敗者への記者会見が始まったのだった。
「不調の原因は?」という容赦ない質問に佐藤が「実力ですから。ミスが多いから仕方ないです」と唇をかんだのを今でも覚えている。
資本主義の実力社会は、勝者や成功者に限らず、敗者や不成功者にも説明責任を求める。
精神の逞しさが無ければ、生き残れない。
★2011年8月5日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年08月04日
【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第2局の5・6▲渡辺明竜王△郷田真隆九段〕明日へつながる苦悶・現代棋士の悩み」関浩さん
〔第2局の5〕
郷田(真隆九段)は昨譜の3手を指すのに2時間半を費やした。
誤算に気づき、それを押しのけるべく、身を裂く思いで考えた。
だが、図の局面に至っては、修正不能の事実を受け入れたに違いない。
(中略)
その気になれば、本日終了図の局面から30手以上、先手玉を王手の連続で追い回せる。
しかし、それでも即詰めに討ち取るには至らない。
とうに前例を離れているはいるが、実をいうと即詰みがないことは、1年前から知られていた。
角換わりの同型定跡で戦われた昨年の棋聖戦代1局において、本日終了図の局面が「一変化図」として検討の俎上に上り、「不詰めで先手勝ち」とされている。
それを渡辺(明竜王)は知っていた。
郷田は知らなかったかもしれない。
あるいは知ってはいたが、暫定的な結論を信じていなかったとも考えられる。
いずれにせよ、本日終了図の局面を念頭に置いて、郷田ほど深刻に、濃密に苦悶した棋士はいない。
郷田は既定の結論の正しさを、自己の尊厳をかけて味わった。
無償で得た知識とは訳が違う。
〔第2局の6〕
投了後、「勝ちがないのですね」と落胆する郷田に対し、渡辺は「定跡ですから」と、ぽつりと答えた。
遠慮がちな口ぶりだったが、脳髄を振り絞って空虚となった郷田の五体には、無常に響いたのではないか。
郷田は情報戦に後れを取った。
だが郷田らしい無骨な戦いぶりに接し、また一つ、ゲーテの箴言(しんげん)が脳裏によみがえった。
「なんでも知らないことが必要なので、知っていることは役に立たない」
ともかくも、情報管理と創造性の狭間で揺れる現代棋士のあり方について、考えさせられる一局であった。
不肖の私にも考えさせられる一局であった。
本番ゆえ、既定の最適解を支持するか。
本番ゆえ、更なる最適解に挑戦するか。
本局をご覧になったであろう羽生善治さんは、どうお考えになっただろう。
★2011年8月3・4日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年08月02日
【フジ】「ボクらの時代」本谷有希子さん
【リリー・フランキーさん】
(7月の)10何日かに芥川賞の発表で、(本谷有希子さんが)もう一回落ちるじゃないですか。
で、(その後の7月)15日はもうホントに怖いって、みんなで話してたんです。
「その腹いせを全員の役者に当ててくるぞ」って。
(だから)ホントに(芥川賞)取ってもらいたいんですよ。
【本谷有希子さん】
リリーさんだって、「お前みたいなのは、一回目に取らなかったら、落ちるんだよ」って、この間言ってましたよね。(笑)
【リリー・フランキーさん】
ええ。
それは、芥川賞は、基本的に新人賞の性質を持っているものですから、やっぱり一回目にノミネートされた人が取り易いっていうのが、昨今の状況なので。
でも、あれなんですか、本谷さんみたいな、素直さを微塵も外に出さない人なのに、やっぱり(芥川賞は)欲しい?
【本谷有希子さん】
いや、正直、一年前とかは言ってた、全然、「欲しい、欲しい」って。
段々腐ってくるんだよね。
段々、「欲しい」って言うことすらも、何か、何だろう、やっぱり五、六回落ちると、やっぱり人間一人潰せるなっていう気がしてきた。
たしか、角田光代さんが太宰治さんの「待つ」の書評として、「待つ」という心情態度がいかに人を疲弊、堕落させるかを述べておられた記憶がある。
本谷有希子さんが「腐ってきている」とか「人間一人潰された」とかいう印象を自身に抱かれたのは共感できるが、それは本谷さんが「待つ」ことを重ねたてん末なのだろうか。
※2011年7月17日放映分
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/
http://bit.ly/jJAkxk
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2011年08月01日
【邦画】「釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇」特典映像/対談「本木克英監督×宮沢りえさん」
【宮沢りえさん】
もちろん、(三國連太郎さんは)スーさん(を)、(西田敏行さんは)ハマさんというのを演じていらっしゃるわけだけれど、本質に流れるものっていうのは、どう演じていたってやっぱり変わらない、と私は思うんですよ。
一番「シュールだな、この人達が」って、シュールっていう言葉がすごく曖昧な感じがするけれど、「オトナのカッコ良さみたいなものがあるなあ、ある方達だなあ」というのをすごい感じて。
それは、何だろう、この映画の本質ともしかしてかするかもしれないけど、クールであることとか、少し斜に構えることとか、そういうことがカッコいいとか、大人になるとそういう風になっていく人も居るし、若い内から「そういうものがカッコいいんじゃなーいー」って言ってる人たちに観てもらいたいなと思ったのは、そうじゃない、ああやって健やかに時間が流れていても、その中にすごいブラックが入っていることを気づける人の方が私はカッコいいなあって、そういう大人の方がカッコいいんじゃないかなって・・・。
【本木克英監督】
三國さんも西田さんもそうなんですけれども、台本は読み込んでいらっしゃるんですけれども、あれだけ現場に来て、あの場で台詞が、まあ本筋は変わらないんですけどもね、色んなやりとりの中で変化していくじゃないですか、即興的に。
で、ああいうのも、僕なんか見ていて、りえさんがすごく柔軟にやってらしたけど、本当は・・・
【宮沢りえさん】
柔軟なだけがとりえですから(笑)。
【本木克英監督】
本当は「大変だな」とか、「嫌だな」とかなかったですか?
【宮沢りえさん】
私はなかったですね。
それは、あの二人がいくらどんどんどんどんアイデアを出していったところでも、それを客観的に見る目がきちんと、しっかりと何か持ってないと、いくらお二人、ベテランのお二人でもダメだと私は思うんだけれども、それをちゃんと、あの二人が監督のことすごく信頼していることがわかったし、その中で、ちゃんと、どんどん自由にやっているけれども、制限を持っているっていう緊張感の中で芝居するのが、本当に面白い反面怖い部分もあるけれども、面白さが面白い分だけ怖いし、怖い分だけ面白いっていう、そういう何か瞬間がすごくあったな、って。
【本木克英監督】
僕なんかすごく感心したのは、あれだけの、日本を代表する俳優さん二人ですから、大体どんな俳優さんでも女優さんでも、自分の部分は覚えてきて、それが一言でも変えられちゃうと、もうものすごく舞い上がってしまうんですけれども、という場面を僕はわりとよく見てきたんですけど、(宮沢りえさんは)全然、こうどういう風に台本を読んでね、いつ読んで、どんな風に集中していらっしゃるんだろなっていうのを、いつかお聞きしたかったんですけれども。
【宮沢りえさん】
台詞を覚えて、その役の役作りとか、座ったり、立ったりなんていうことは全く考えないで、その時にどういう気持ちでいるかっていうことだけは、(現場へ)行く前に感じて、台本には書いてなくても、「ここには多分自転車で来たんだろうな」とか、「自転車で来たから、ちょっと疲れているかな」とか、全然それはシーンの中には全く出てこないことだけれども、その前後、「きっとこの子は、この後寄り道をするかな」とか、そんなことはよく考えます。
【本木克英監督】
たとえば、今回やっていただいた木戸梢っていう「梢(こずえ)」っていう音を聞いた瞬間から、何かねえ、田舎の人っていうイメージがありますけど。(笑)
【宮沢りえさん】
役作りっていうのは、私はよくわからないですけど、現場に行くまで、宇部空港から(山口県の)萩まで行く間とか、道をずっと見ながら、地図を見たりとかしながら、(自分が演じる梢は)「ああ、こういう道をきっと小学校の頃通ったんだろうな」とか、やっぱり自分の体験には無いのが殆どだから、そういう部分を、やっぱり、「考える」んじゃなくて、「想像する」。
「初恋はいつ位かしら、この子は?」とか、そういう風にしていくと、それを本番中に考えるわけではないけど、そのことを一瞬どこかで思ってたっていうことが、何か自然に体が覚えていくエネルギーになるんじゃないかな、って。
(中略)
【本木克英監督】
最初にこの「釣りバカ(12)」のシーンで登場してもらったのが、萩の川沿いの道をね、(青島幸男と)二人で歩くっていう、僕の中でも何のイメージも無かったんですよ。
まあ、いい風景の所を選んでね、柳と川があって、まあ二人が何となく自転車引きながら歩いてくるっていうことだったんですけれども、まあその時にりえさんが最初におっしゃったのは、「ここは唯一おじちゃんに甘えられるシーンだから、自転車にまたがって、のんびり行きたい」っておっしゃったんで、ちょっとびっくりしまして。
びっくりしたというか、「ああ、やっぱり大女優というのは、こういうもんなんだな」って思って、「(このシーンは)どうすればいいんですか?」っていう風な俳優さんとかはすごく多いんですけれども、やっぱり一緒にこう「投げかけてくれる」っていうかね・・・。
【宮沢りえさん】
すごく、動きとかをハッキリ決められる監督もいらっしゃるから、そういう時には、もちろんその監督の意見を重視するけど、でも、自分ではこっちの方が心地いいっていう時は言いますけど。
本木監督は、あんまり言わないじゃないですか、動きとか、その気持ちだけ。
(本木監督が)一番多く使われていた言葉が、「自然に、本当に健やかに自然に居て欲しい」って言ってくれたので、それがすごく想像力を広げることができて。
【本木克英監督】
まあ大体姿勢としては、西田さんも、三國さんも、目一杯考えてらっしゃいますから、その二人をぶつけて、その中の一番いい瞬間をなるべく逃さないようにっていう風なことは考えてますね。
そこで動きが、まあ僕自身が動きを考えてても、それを超えるようなものが出ればそっちを使いたいっていうことなんで、ただそれの中にりえさんが入っても全く遜色が無いっていうか、更に盛り上げて頂いたので、本当に私としては助かったんですけれどもね。
宮沢りえさんのことはこれまでもずっと好きだったが、この対談を聞いて一層好きになった。
成果物の全体価値とそれを構成する自分の個別価値の両方を正確に理解し、創造へ向けできる努力を悉くやり切っておられるよう窺えたからだ。
やはり、名俳優は、そもそも一人の人間として優れている。