2011年07月
2011年07月30日
【セミナー】「東京未来シナリオ2035/4つのシナリオと都市戦略提言」市川宏雄さん、竹中平蔵さん
【市川宏雄さん】
(社会変革の話になると)必ず「リーダーとトリガーが必要だ」という話が出てくるが、日本の歴史を紐解くと、それらは必ずしも必要ではない。
なぜなら、実際、リーダーとトリガーがこれまで何か変えたことが有るかと言うと、必ずしもイエスではないからだ。
たしかに、都市計画で言うと、過去、東京は何度か変わった。
しかし、その時、現象としてのトリガーはあったが、リーダーは原則居ない。
(中略)
日本は歴史上、リーダーが何かをやろうとしたことは、恐らく無かったのではないか。
例えば、江戸時代に明暦の大火が起き、徳川幕府が町を変えたが、それは大火があったからだ。
恐らく、何か(ネガティブな現象)が起きるということがあって、(それに対処すべく)止むを得ず(変革行動を実際に)やってきた。
つまり、ロジックとしてはネガティブかもしれないが、「他力本願の日本、東京」という歴史があるのではないか。
そして、これが東京の歴史だとすれば、これから先の未来も似たようなことになるのではないか。
【竹中平蔵さん】
(市川さんが仰ったことは)アルバート・ハーシュマンの言った有名な言葉で、「世の中を変えるのは、ボイスとイクジット(exit)である」と(いうことか)。
ボイスというのは、規制緩和しろという風に一市民が声をあげて色々やること。
しかし、このボイスがなかなか届かない。
そこで、次に何が起きるかというと、企業がそれに怒って、イクジット(exit)から出て行く。
日本を代表する企業が日本から出て行くことが明らかになれば、それが一つの動かし難い事実になって、それが大きな変革をもたらすことが期待できる(ということか)。
市川宏雄さん(森記念財団理事/明治大学専門職大学院長)が仰った「日本の変革は全て外発(⇔内発)で、この歴史的習性は不変である」との旨の言に、共感した。
なぜなら、公私共々、この歴史的習性にやられている(笑)からだ。
日本人の腰は、自分のお尻に火が点かないと、それも、煌々と点かないと、上がらない。
また、竹中平蔵さんが市川さんの言の咀嚼として引用した「世の中を変えるのは、ボイスとイクジットである」という言に、感動した。
なぜなら、先述の事項と相まって、「言い得て妙」だと直感したからだ。
世の経営者や夫は、デキる社員や奥さんに出ていかれて初めて、内省、自己変革に着手する。(笑)
★2011年7月26日六本木アカデミーヒルズ/タワーホールにて催行。
※市川さん、竹中さんの言はいずれも意訳
http://www.mori-m-foundation.or.jp/seminar/strategy/20110726/notice.shtml
http://www.ustream.tv/recorded/16251495
http://www.ustream.tv/channel/urbanstrategy
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2011年07月29日
【将棋】「Number2011年8月4日号/将棋界孤高の革命家・常識を打破して頂点に立った男」藤井猛さん
僕ね、直感がないんですよ。
第一感というヤツがね。
局面をひとめ見て、この一手、なんて浮かばない。
閃かないんです。
直感のある人が羨ましいです。
(中略)
そもそも頭の構造が将棋に向いていないんですよ。
(「藤井システム」は)最初はこの一局というときの必殺戦法として考えたんです。
四間飛車をやるなら大リーグボールが必要だと(笑)、
相手や先手後手に関係なく自分の力を出せる戦法が必要だと痛感したんです。
急所の一局では絶対勝たなきゃいけない。
将棋ほど負けるとこんなにムカつくゲームはないんです。
自分を全否定される。
藤井システムは、僕が苦しんで突き詰めて考えた結果、生まれた戦法なんです。
玉を囲わないなんて最初は本気で考えなかった。
でも、過去の定跡を全て調べてみても、都合よくいかない。
それで本気で考えてみたら、バカにしたもんじゃないなと。
羽生(善治)さんがスーパーコンピュータだとすれば、僕はフリーズばかりするオンボロパソコンです(笑)。
頭の回転が遅過ぎる。
本当は本能で指したい。
でも、ポンコツのエンジンでも高性能マシンに勝てるのが、将棋の面白いところ。
エリートじゃなかったから、将棋をつまらないと思ったことがないんです。
藤井猛九段には、有り難いことに、一度直接お話しさせていただいたことがある。
一番の趣旨は。将棋大好き少年のひろき君宛てにサインを書いていただくことだったが、羽生善治さんの強さの私見も伺えた。
冒頭の色紙の画像は、その時に頂戴したサインだ。
私は、本記事を読み、藤井さんが「心眼」を座右の銘になさっていることと、羽生さんの強さの理由としてプロ棋士の努力怠慢をお考えなことに、一層合点がいった気がした。
なぜ、藤井さんは、「心眼」を座右の銘、つまり、最重要心得になさっているのか。
藤井さんは、「エリート棋士」に勝つには、彼らが直感で最善手や有力手(戦法)を見つけるなら、自分は彼らの直感から直感であるが故にこぼれ落ちるそれらを心眼で見つけなければいけない、とお考えなのではないか。
だから、藤井さんは、「心眼」を座右の銘になさっているのではないか。
なぜ、藤井さんは、プロ棋士が努力を怠っているとお考えなのか。
藤井さんは、(自己評価的には)直感力が劣っている自分が戦法の創作者になれたり、タイトルに恵まれているのは、「エリート棋士」が幼くして会得した優れた直感力に胡坐をかき、平生「苦しんで突き詰めて考えていない」、「本気で考えていない」、つまり、”でき得る努力をしていない”からだ、とお考えなのではないか。
だから、藤井さんは、プロ棋士が努力を怠っているとお考えなのではないか。
藤井さんは、「エリート棋士」が有する(レベルの)直感を有していないことを心眼と不断の努力で逆手に取れたからこそ、将棋史に残る「藤井システム」を創作し得たのではないか。
だから、藤井さんは、(自己評価的には)自分よりも直感力が優れている若手棋士が流行戦法のカイゼンに終始しているさまが何とも勿体無く、我慢ならないのではないか。
2011年07月28日
【自動車販売】「チームの底力!」相澤賢二さん(ホンダカーズ中央神奈川代表取締役会長)
P96
そのとき、当社の手前にあった寿司屋の親父がぱっと手を挙げたのです。
この人がまた無愛想な上にすごみのある顔をした人で、こりゃ怒鳴られるなと覚悟しました。
そうしたら、
「皆さん、ホンダさんの店の前にゴミ一つ落ちているのを見たことがありますか?雑草一本生えているのを見ましたか?」
と言うのです。
このひと言で雰囲気はガラリと変わりました。
「そうだ、そうだ。ホンダさんは確かに毎日ちゃんと掃除をしている」と・・・。
あのときは本当に嬉しかったです。
見ている人はちゃんと見てくれている。掃除の力のすごさに気づいたわけです。
実際、商店街にとって車の販売店なんていうのは邪魔な存在でしかないんですよ。
深夜まで煌々と明かりがついていてまぶしいし、車の出入りも当然激しい。
当時は、だからこそ周りに迷惑をかけられない、店の前くらいはきれいにしておこうと思って掃除を始めたのです。
もっとも、実際に大変だったのはそれからですよ。
会合でそんなことを言われてしまったのだから、もう手は抜けません。
アスファルトから出てくる雑草も、根が張って抜けなくならないよう、背丈の小さいうちにピンセットで抜いていたくらいです。
雑草をピンセットで引き抜く自動車販売店経営者が、相澤賢二会長の他にどこに居るだろう。
経営者の、雑草をピンセットで引き抜く精緻さと根気が、社員を、そして、お客さまを感心感動させるに違いない。
P107
アンケートには面白い傾向がありまして、コメント欄にはかなりいろいろな不満点や注意点を書かれているのに、なぜか評価のところには「良い」「満足」に丸をつけてくださる方が意外と多いのです。
私はこういったハガキを受けとるたびに、お客様からの「末永くお付き合いよろしく」というメッセージに見えるのです。
これは自動車のような値段の高い商品に特に顕著なことだと思うのですが、買ったらそれで関係が終わり、ではないのです。
その後もメンテナンスがあったり、故障時の対応があったり、車検があったりといろいろお付き合いの場があるのですね。
だからお客様としても、少々の不満で「もう二度と来るか!」とはなりにくい。
前述したように、私は常々、「お客様は弱者である」と言っているのですが、まさにこのことです。
今後の付き合いもあるからと、あえて不満を抑えて下手に出てくださるお客様が多いのです。
だからこそ、私はお客様の評価に甘えてはいけないと思うのです。
前にも書いたように「満足」「良い」が普通で、「普通」なら不満だと思うべき。
あるいは、「大」という字をつけて「大満足」としてくださったり、「満足」に二重丸をつけてくださるお客様は、本当に大満足してくださっているというより、「これからもよろしくね」というメッセージだと捉えるべきだと思うのです。
そう考えると、自動車と同じく一過性ではなく長いお付き合いが前提となるような業界では、お客様の評価はワンランク割り引いて考えて、「期待の表れ」だと思ったほうがいいのかもしれませんね。
自動車の販売は、男女の結婚に似ている。
販売や結婚をゴールと考えるか、スタートと考えるかで、今の笑顔の解釈と、未来の笑顔の誕生が決まる。
2011年07月27日
【BSTBS】「グリーンの教え」須磨久善さん(心臓血管研究所・心臓外科医)
外科医っていうのは、基本的にはリーダーでなくてはいけないし、リーダーシップがないと務まらないんです。
僕の考えているリーダーシップっていうのは、行くべき目標、何のためにそこへ行かないといけないのかきちっと見据えて。
そして、そこへ行くために誰は何をしないといけない、それがどういう役割を担っているのか理解させる。
そして、最後は、自分で一度はそれをやってみせる。
成る程かつ的確。
やはり、真のリーダーは、絶えず自身を俯瞰している。
★2011年7月2日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/green/bn64.html
2011年07月26日
【BSNHK】「華麗なる宮廷の妃たち『皇后ジョゼフィーヌ』」ナポレオンさん
私は、たしかに、あの女を愛していた。
尊敬はしていなかった。
嘘つきだったからな。
しかし、本当の女とは、あの女のことを言うのだ。
いい女は尊敬できないものだ。(笑)
いい女は、人生最高のモチベーションになるものの、不条理で、狂わされるからだ。
ナポレオンがジョゼフィーヌを「最高の女」と称していたのは知らなかったが、「尊敬はできない」の付言は禿同だ。(笑)
理由は何であれ、「本当の女」と称されたジョゼフィーヌは女冥利に尽き、称したナポレオンは男冥利に尽きたに違いない。
★2011年6月28日放映分
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=205-20110628-10-18780
2011年07月25日
【BSNHK】「ぼくはロックで大人になった 忌野清志郎が描いた500枚の絵画」
井上陽水、泉谷しげる、かつてのライバルは次々ヒット。
RCサクセションが前座を務めることもありました。
「当時は、お客さんが、(井上)陽水さんを待っているわけだから、RCサクセションは要らないっていうことで、「帰れ!」っていう風な、悪口っていうかそういうすごくやり難い状況があって、その中で彼らは、演奏した後に、「みなさんを喜ばせることがあります。次の曲で僕たちは終わりです」って言った時にシーンとなって、で、「そういうこというんだ」って思って、「喜ばせることがあります。次の曲で僕たちは終わりです」って言った言葉にすごく引っかかったっていう感じですね。
清志郎君は、全部素直じゃなかったから。
でも、それが実は素直なんだっていうことがわかった人たちは、好きだったんだよね。
「素直って、曲がっているんだよ」っていうことがわかる人は好きだった。
だから、時間がかかった。
だから、時間がかかったんだと思いますね、何を伝えるのも」。(音楽評論家/吉見祐子さん)
「みなさんを喜ばせることがあります。次の曲で僕たちは終わりです」。
清志郎流の自虐ネタだが、本望や安堵も含まれている気がした。
かくなるネタを糧に成功を収めた清志郎以下RCのメンバーに、改めて敬礼。(礼)
★2011年4月29日放映分
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/54045.html
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2011年07月24日
【BSフジ】「あの時、この曲」林哲司さん
【林哲司さん】
上田(正樹)さんが、あの個性的な声でですね、綺麗なバラードを歌ったらどうなるかっていうのは、ちょっと自分の中でやってみたくて、やっぱりその前に、ジョーコッカーが「You are so beautiful」という曲があって、それはやっぱり凄く綺麗な曲なんですけど、当時(その曲が収録されている)アルバムを買って、こういうアプローチもいいなぁっていうのがお手本としてありましたからね、まあ、自分も何かそういう方向でいきたい、みたいな所があって、で、綺麗なバラードを書いて、まあ殆ど、英語が乗るようなイメージで自分は(「悲しい色やね」の曲を)書いたつもりだったんでね。
【くり万太郎さん】
じゃ、曲が先ですね。
【林哲司さん】
曲が先ですね。
(中略)
【林哲司さん】
(出来てきた)詞を見せられないで、いきなり、まあ、自分がやっていましたスタジオの方にディレクターが来て、で、ウォークマンからですね、「こういう曲があがったから、ちょっと聞いてくれないか」っていうことで、聞かしてもらったんですよ。
【くり万太郎さん】
歌は入っている曲?
【林哲司さん】
仮歌が入ってまして。
で、聞いて、何となく「ああいい出だしだな」って思ってたんですけど、関西弁が出てきた瞬間、「泣いたらあかん」、その瞬間から、自分が思い描いていたバラードの瞬間というのは瓦解しまして・・・(笑)
【くり万太郎さん】
やっぱり、それは、関西弁っていうイメージじゃなかった?(笑)
【林哲司さん】
なかったですね。(笑)
殆どスマートなバラード書いたつもりでいましたから。
まさか、こういう詞がはまってくるとは思わなかったんで。
正直、「この曲ダメだな」って思いました。(笑)
(中略)
【林哲司さん】
これは、シングルカットされたっていう段階で、それは一抹の喜びはあるんですけど、まあヒットしないだろうなっていう気持ち。(笑)
【くり万太郎さん】
そうだったんですか。
【林哲司さん】
それくらいインパクト強かったですからね。(笑)
【くり万太郎さん】
関西弁がね。
よっぽど嫌だったんですね。(笑)
(中略)
【くり万太郎さん】
でも、それがヒットしたじゃないですか。
【林哲司さん】
ですから、逆にあの曲をシングルカットしたっていうスタッフの英断が素晴らしかったんじゃないかなと思うんですよね。
【くり万太郎さん】
それは、レコード会社側がってことですか?
【林哲司さん】
そう、レコード会社ですね。
で、ホントにこの曲が自分にとって意味合いのある、或いは、いい曲だっていう、いい曲というよりいい歌ですね、そういう風に思えたのが、渋谷の町を歩いててですね、僕らは凄くナルシチズムででしてね、出来上がっているものっていうのは、ホントに好きな曲は、もう20回も、30回も、スタジオから帰ってきて、聞いたりするんですよ。
で、また飽きちゃって次のものを追い求めるような所が自分はあるんですけど、で、この曲は(シングルカットされても)殆ど聞かずに、で、中古屋かどっかだと思うんですけど(この曲が)流れてきた時に、ふと足を立ちどめて、こう聞き入ったんですけど、その時ですね、いい曲だと思うようになったのは。
【くり万太郎さん】
(ということは、シングルが発売されて)かなり経ってから・・・
【林哲司さん】
かなり経ってからですね。
ヒットしてからだと思うんですけど。
で、自分自身がそこで教えられたのは、ホントにいいメロディーを書こうっていうことに集約してたんですけど、やっぱり歌っていう意味合いを考えて曲は書かなきゃいけないんだと。
それは、もちろん、僕たちが詞を書くわけじゃないんですけど、作曲家は作曲家なりに、最終的な詞はわかりませんけど、自分の一つのイメージの中で、詞がはまるっていうことも含めてね、言葉の整理、メロディーの整理をしたりとかですね・・・それが最終的に歌い手の人たちが息吹を入れることによって、一つの歌になっていくっていう構図が、もうあの曲を通して、強く自分の中で感じて、ただ、いいメロディーだけを書くっていうことではないんだぞっていうことが、なんか自分でわかったような気はしましたけど。
【くり万太郎さん】
この曲のヒットによって、それから先の林さんの曲作りみたいなことに多少・・・
【林哲司さん】
そうですね。
「曲を書く」っていうことではなくて、「歌を書く」っていう気持ちに変えなきゃダメなんじゃないかなっていう・・・
【くり万太郎さん】
大きいことですね。
【林哲司さん】
大きいことですね。
たしかに、依頼者(お客さま)が作曲家に直接請い、達成を希求するのは、「いい曲を書くこと」だ。
しかし、依頼者がレコード/CDの制作で一番に達成を希求するのは「いい歌(→売れる歌)を作ること」だ。
ゆえに、依頼者が作曲家に真に請い、達成を望んでいるのは、「いい曲を書くこと」ではなく、「いい歌を書くこと」であり、作曲家は「いい歌を書くこと」を一義に励まねばならない、ということだ。
私たちは、つい、この考えを忘れてしまう。
そして、自分に直接請われていること、しかも、当時の林哲司さんのように、「自分が考えるいい曲」を書くことに励んでしまうが、それはやはり誤りということだ。
ただ、林さんが、「自分が考えるいい曲」を書くことに励まれたのも、無理からぬことではある。
もとより「洋楽大好き(→歌詞よりも楽曲重視)少年」で、プロとして曲を作り始めるや否や、ビルボードの93位にランクインしたり、竹内まりやさんや松原みきさんに書いた曲がヒットするなど、早々に成功を体験なさっているからだ。
若くして培った価値観と成功体験は、諸刃の剣だ。
一つ意外なことがあった。
それは、「悲しい色やね」のシングルは林さんの予想外にヒットしたものの、林さんは最初の内「いい曲」だとお感じにならなかったことだ。
やはり、林さんからすれば、自分の価値観を損ねた成果物は、ビジネス的には成功しても個人的には評価の対象外、ということか。
また、プロフェッショナルの林さんからしても、「いい曲」と「売れる曲」は違う、ということか。
余談だが、本記事を書いている最中、林さんが曲を書かれた松原みきさんが逝去なさっていたのを知った。
すぐさま名曲「真夜中のドア」を聴いたが、やはり最高だ。
大変遅くなってしまったが、松原さんの冥福を祈念したい。(敬礼)
★2011年7月16日放映分
http://www.bsfuji.tv/top/pub/anotoki.html
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2011年07月23日
【NHK】「MJ presents 少女時代スペシャル アンコール特別版」少女時代
(「好きな言葉」について)
【ユリさん】
”天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない”
自分が一番好きで楽しめることが、何より大事だと思っています。
ステージで歌って踊るときも、常に幸せを感じようと心がけています。
人生を楽しもう、プラス思考に考えよう、いつもそう思うようにしています。
【ティファニーさん】
”今日は私の日だ”
本当は座右の銘は”一生懸命やれば成せる”ですが、いつも一生懸命やっていても、最近は気分が晴れないこともあって、私の日だと思えば気分もよくなりますし、自分が主人公になった気になれるので、”今日は私の日だ”と思うようにしているんです。
私が主人公の日なら、より幸せでニッコリできます。
【スヨンさん】
”こんなとき神様だったらどうするだろう”
生きていれば腹が立つことや、頭では理解できないことも多いですが、そんな時、愛に溢れている神様だったらどうするだろう?と考えます。
何事にも愛をもって行動し、対処すれば、結果はどうであれ、悔いは残らないと思うんです。
だからメンバーに対しても、常に愛を持って接するようにしています。
【ヒョヨンさん】
”立つ場所が変わらぬ山河の花となり、小川のように清らかで美しく、最高と最善を尽くす、勤勉、誠実、正直な人になれ”
座右の銘というには少し長すぎますが、わたしが言葉を覚え始めた時から、父がいつも言っていた言葉なんです。
父が私に言いたかったことが、この中に全て詰っていると思います。
”一生懸命やれ””悪いことはするな””健康であれ”この言葉を覚えているかどうか、必ず週に1度テストがありました。
【ソヒョンさん】
”最後の勝者は善人である”
自分のしたことは、どんなことであれ、必ず自身に返ってくるということを、たくさん実感し、学びました。
良いことをすれば、必ずいつか自分に返ってきますよね。
常にこの言葉を心がけながら行動するようにしています。
前回のノーマル(?)版に引き続き、感心感動した。
座右の銘の類を訊かれてここまで言えるのは、彼女たちが日々勤しんでいるのが、歌やダンスのスキルアップだけでなく、満足度の高い生き方についての思考であるからに違いない。
テヨンさん、ジェシカさん、スヨンさん、ユナさん、サニーさんなどメンバーの半数以上が「後悔しないよう」と付言なさっていたのが、その証左だ。
真にカッコいい人とは、彼女たちのように、「人生、いかに生きるべきか」と日々自問自答しながら今を懸命に生きている人のことだ。
★2011年7月16日放映分
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/83255.html
2011年07月22日
【野球】「王選手コーチ日誌 1962-1969 一本足打法誕生の極意」荒川博さん、王貞治さん
P103
練習の時に真の稽古をすることが必要。
(もっともっと命をかける稽古をしなければならない)
全くだ。
私たちは、「稽古のための稽古」や「命をかけていない稽古」を「真の稽古」と勘違いし、日々のらりくらりやっている。
P193
教えているうちに、やはり王には天才的なところがあると思った。
(1)まずうまくなる第1条件として、性格が素直である。
(2)体が人一倍頑健である。
(3)非常によいカンを持っている。センスがある。
(4)ほかの人よりリストの使い方が非常にうまい(腕がよく伸びる)
前記のように(1)(2)、これさえ備わっていれば、必ず三割打者になれる。
この(1)(2)に加えて(3)(4)があるのだから、日本一の打者になるのは当然だと思う。
本書の中で、荒川博さんは短期間で周期的に、王貞治さんの「性格の素直さ」を絶賛し、「性格の素直で無さ」を非難しておられた。
王さんも、荒川さんも、人間だ。
しかも、当時、王さんは20代、荒川さんは30代だ。
王さんもいつも素直で居たわけではなかったであろうし、荒川さんも王さんの素直をいつも正しく評価できたわけではなかっただろう。
しかし、大事なことは、「どれだけ平均的に素直で居られたか」と「どれだけ平均的に正しく評価できたか」だ。
結果、王さんは「平均的には」他の選手よりも格段に素直で、荒川さんは「平均的には」他のコーチよりも格段に王さんを素直と評価した。
人間の一生は蝉のそれと真逆で長く、大事なのは平均力だ。
P395
指導者といっても、相手がプロかアマチュアかで、指導の仕方も大きく違ってきます。
プロの場合は、指導者は厳しくていいと思います。選手も命がけなんだから、教えるほうも命がけでなければなりません。
プロの指導者に必要なのは、情熱と辛抱です。
私は「我慢」と「辛抱」は違うと思います。
我慢は自分に対してするものであるのに対し、辛抱は他人のためにするものです。
王君のために私は辛抱しました。
王君ですら、練習に身が入らぬことがありました。そんなときでも私は怒らないで、辛抱して彼が自分からやってくるのを待ちました。努力している人間にスランプはないと考えています。
だれにだって半月やそこらは打てない日が続くことがある。
それでも努力さえ怠らなければ、シーズンが終わった時には、ちゃんと3割を打っているというわけです。
「我慢」と「辛抱」の違いを初めて知った。
私は、指導者として、まだまだ「辛抱」が足りない。
■
本書は、「道は遠く大きく―王貞治と共に歩んだ“世界”への日々」の余勢で読了した。
「いかに超一流のプロフェッショナルであれ、短期間の内に好不調の波に遭う」。
「いかに超一流のプロフェッショナルが相手であれ、指導者は基本に忠実に同じことを言い続けねばならない」。
以上の二事項をとりわけ教示された。
2011年07月21日
【BSNHK】「極上美の響宴/小林秀雄 沈黙を強いる美」池田雅延さん
編集者として十年以上小林(秀雄)と身近に接してきた池田雅延さん。
小林(秀雄)から美の見方について直に教わりました。
「展覧会場へ行って、まず解説から見るでしょう。
それから絵を観るでしょう。
そして次へ行くでしょう。
ここで絵を観たと思っているわけですよ。
ところが、絵を観たことにはならないっていうのは、まず解説から読んだら、もう絵を観る目じゃなくなっちゃっているわけですよ。
つまり、頭の『解説を読んだ』という頭のフィルターをかけちゃっているわけですよ。
そのフィルターがかかった目で観たって、本人の目が観たわけじゃないわけで、解説者の頭がそれらしいものを、まあ一応認識させた、というのに過ぎないわけですよ。
だから、目というものは、一切の介在物無しに、自分の目で見るんだ。
事前の知識も要らない、と。
事前に本を読んでいくなんていらない、と。
いきなり観て、自分がハッとするか、ドキッとするか、嫌だなあと思うか、ムカッとするか、その自分に来るその価値、これが『絵を観た、観る』っていうことの最初のアクションなんだって」。
私たち現代人の多くは、美を美と感知する能力と習性を失っているのではないか。
だから、美に無頓着で、野原で綺麗な花を見つけても、それが菫だとわかると、忽ち視界から消去してしまうのではないか。
私たちは、今や、美を社会的踏絵と認知しているのではないか。
だから、美を感知して覚えた感動を言葉と論理で解釈したがり、絵の展覧会へ行くと、絵より先に解説を見てしまうのではないか。
邪推だが、小林さんの「美は、解釈ではなく、感知すべし」というご主張は、親友の中原中也さんの触発ではないか。
たしか、小林さんは、中原さんから「物を見たら、言葉にする前に、心で感じろ!」と事毎に説教されていたはずだ。
中原さんは夭折したが、彼の魂は小林さんに受け継がれ、今なおこうして生きている、ということか。
小林は、ルオーについて、結局、ごく短い文章を書いただけでした。
そして、亡くなるまで、一人書斎で、黙ってルオーの絵を見つめ続けました。
それは、また、人間愛を貫いた画家ルオーの魂と向き合うことでもありました。
「つまりね、(小林秀雄)先生のね、批評家としての一生のテーマは、『人生いかに生きるべきか』なんですよ。
『人生いかに生きるべきか』という終生の問いの中に、美との出会いと美との経験があるわけだから。
美というものを味わうに必要な視力も、聴力も、触覚も、味覚も、嗅覚もみんな授かっているんだから、それを100%フルに使いこなしてみて、出会える人生に出会って、そして、『自分はこういう風に生きたよ』というというところまで辿り着く努力を死ぬまで続けようじゃないかという、そういう位置づけなんですよ、先生にとっての美は」。
「後悔しない人生の必要条件は最善努力であり、最善努力の必要条件は全ての機会(チャンス)に全身全霊で臨むことで、美も例外ではない」、と解釈した。
感動した。
小林さんが、私と同様、「後悔しない人生の希求者」であったのを初めて知った。
小林さんを初めて身近に感じた。
★2011年7月11日放映分
http://www.nhk.or.jp/artbs/kyoen/content/index_07.html#page02
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2011年07月20日
【音楽】「小田和正ドキュメント1998-2011」小田和正さん
P101
それにしても、世にベスト・アルバムは数あれども、”自己ベスト”とはなんとも洒脱なタイトルである。
この言葉は小田の頭にふと浮かんだものなのだそうだ。
普通はだいたいカッコつけるんだよ。
”○○コレクション”とか英語にしてね。
でも、それはなんかつまんないなぁと思ってたんだよ。
この年にソルトレイクシティで冬季オリンピックがあって、”自己ベスト更新です”とかってアナウンスもよく聞こえてきたし、それも頭に残ってたかもしれないけど。
でも自己ベストってしたら可笑しくていいなぁって思って、試しにスタッフに話したら、みんなぶっ飛んだんだよ。
(中略)
(「自己ベスト」の)リリースが決定すると、企画好きでアイデアマンの小田の血が騒ぎ出す。
どうせ出すなら目立ったほうがいいと考える。
テレビ・スポットを制作することにした。
そして、誕生したのが、いまだに「語り草」になっている、あれである。
自転車に乗った小田がペダルを力強く漕ぎ坂道を登り、『自己ベスト』収録曲を次々に早口で捲くし立てるたの映像である。
15秒間のテレビ・スポットを作ろうということになった。
で、俺は走るのが好きだから、走るのはどうだろうって考えたんだ。
でもその前に、別のアイデアとしてアルバム収録曲を一気にぜんぶ”歌い倒す”みたいなのも面白いなぁっていう話もあったんだ。
(中略)
その撮影の次の日のこと。
「なんか面白くない。可笑しさがない」。
『自己ベスト』というタイトルを決定する原動力となったのが”可笑しさ”なら、ここでもそれにこだわった。
ただ立って歌うのではなく、自転車に乗ってみるのはどうだろう。
しかも、優雅にペダルを漕ぐのではなく、ツラいなかでそれをやってみる。
画面の小田は必死だった。
でも、ただツラいだけの姿ではなく、ユーモアに溢れていた。
ツラくても、何とかそれを乗り越えようとする時、人の中に自然と生まれるのがポテンシャル・エネルギー。
その結果の説得力だ。
小田はそれこそが伝わるということを知っていた。
だからこそ、敢えてツラいことを選んだのかもしれない。
ただ、撮影は終わっているし、これから遠くへロケする時間的な余裕もない。
事務所の近所で試すことにした。
うまい具合に道路を渡った向かい側に、急な坂道があった。
緩くカーヴするその場所で、試しにやってみた。
自転車で登りながら収録曲のタイトルを早口で捲し立てる。
その姿を見守っていたスタッフは、大爆笑した。
「これだな」。
小田は確信する。
(中略)
数日後、スタッフが街で見かけた光景を報告する。
「小田さん、こないだ信号待ちしてたら、隣にいた高校生ぐらいの二人組があのテレビ・スポットの話をしてましたよ。”バカだなぁあのヒト”って」。
それを聞いた時、小田が満足げな表情になったのは言うまでもない。
「カッコいいと言われるより面白いと言われるほうが評価が高い」。
小田は常日頃から、そう思っているのだ。
「プロモーションは、対象商品と同一(線上)のコンセプトであってこそ有効、効果的である」。
「『面白さ』や『可笑しさ』は、『カッコ良さ』より高価値である」。
小田和正さんにおかれては、これらの理解と実行は自然かつ当然なわけだ。
やはり、大衆に長く支持、受容されている人は、大衆の気持ちを鷲づかみにする要所と術を熟知、励行している。
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2011年07月19日
【将棋/アプリ紹介】〔「i羽生将棋」アプリ・プロモーションイベント「教えて、羽生先生!iPhone/iPadで楽しむ将棋の色々〕羽生善治さん、遠山雄亮さん
(※実戦でゴキゲン中飛車を採用するのに波がある件から)
(特定の)戦法は、やってみて自信がなくなるとやめてしまうが、また関心を持つと、やってみたくなる。(羽生善治さん)
凡人の私は、特定のソリューションで一度痛い目を見ると、そのソリューションに自信を無くす(=そのソリューションの可能性を肯定評価できなくなる、信じられなくなる)と同時に、そのソリューションにダメ出しをしてしまう、そのソリューションを完全否定してしまう。
しかし、非凡の羽生さんは、痛い目を一度痛い目を見、そのソリューションに自信を無くしても、そのソリューションにダメ出しをしない、そのソリューションを完全否定しない、結果、何かを契機に関心や自信が改めて持てれば、そのソリューションを躊躇無く再活用なさる、という。
ソリューションとは「引き出し」だ。
引き出しは多い方がいい。
羽生さんが強い一因は引き出しの多さだが、それは、引き出しを一度の痛い目で完全否定しない思考習性の賜物なのかもしれない。
三手詰の詰将棋は、(準備体操の)ストレッチ(のようなもの)として(よく)やっている。
五手詰や七手詰(の詰将棋)は、三手詰の延長線だ。(羽生善治さん)
「難問は基本問題の構成(組み合わせや積み上げ)であり、基本問題を疎かにせず、解決を励行することが、難問解決力を維持、向上させる重要かつ不可欠な習慣に他ならない」ということか。
凡人の私が基本問題をナメがちで、この習慣を欠いているのは、「基本問題と難問は別物」と誤解しているということか。
(相手の玉を)詰ます時は迷わないが、(自分の玉が)逃げる時は迷う。(羽生善治さん)
禿同だが、完全には解釈できない。
「主観と客観の違い」ということか。
「上田初美女王」って言っても、「エリザベス女王」とは違います(笑)。(羽生善治さん)
羽生さんが笑顔でかくなる(オヤジ系のw)ギャグを仰るのを、初めて見た。
羽生さんは、とても自然で、楽しそうだった。
「そうですね」と一呼吸置いてからコメントを始める「棋士羽生善治」とは別人に感じた。
素顔の羽生さんを初めて見たような気がした。
嬉しさと安堵のようなものを感じた。
藤井猛九段から、 「最近、若手は横歩取りとゴキゲン中飛車ばかりだ。みんな同じ戦法ばかりやってて、何をしてるんだ」とお叱りを頂戴した(苦笑)。(遠山雄亮さん)
過日の名人戦大盤解説会でよくわかったことがある。
藤井猛九段は直言家だが、そこにはたしかに愛がある。
そして、それは、棋理を探究し、将棋の発展を切望する心眼に基づく愛である、ということだ。
私は、遠山雄亮五段のコメントを拝聴し、このことが一層よくわかった。
私は、藤井さんを敬愛して止まない。
★2011年7月16日Apple Store Ginzaにて催行。
※羽生さん、遠山さんの言はいずれも意訳
http://www.famitsu.com/news/201107/16046941.html
http://chama258.seesaa.net/article/215338247.html
http://kifu.exblog.jp/16287469/
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2011年07月17日
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第7局の7▲森内俊之九段△羽生善治名人〕両者の形勢判断」上地隆蔵さん
森内はこのあたり「自分のほうが悪い」と判断していた。
しかし控室では先手ペースという声が多かったですよ、と伝えると、森内は「大局観が悪いのかな・・・」。
見解の相違に首をかしげた。
一方、羽生も形勢に自信が持てなかった。
息長く指す△8ニ飛を(この図の局面で)選んだのは、そういう理由だった。
総合的に考えると、図の局面は先手に分があるのだろう。
森内は若い頃「石橋を叩いて、なおかつ渡らない」と言われたほどの慎重派で、形勢判断がカラめなのかもしれない。
一体何が、これらの真逆の形勢判断を生み出したのか。
たしかに、森内俊之九段(※当時)の「慎重な棋風」は一因に違いない。
しかし、それ以外の、または、それ以上の要因が、少なくとも二つあるのではないか。
一つは、「当事者と非当事者の違い」ではないか。
「客観では見えるものの、主観では見えない(見落としてしまう)」というのは、ままあるものだ。
また、「自己責任を背負っていないがために見えるものの、自己責任を背負っているがために見えない」というのも、ままあるものだ。
もう一つは、「リスク感知力の高低」ではないか。
経験値が高く、普遍の真理に精通しているトッププロほど、潜在リスクをいち早く感知するものだ。
凡人には顕在化されていないリスクも、非凡には顕在化されているものだ。
★2011年7月17日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月16日
【NHK教育】「NHK杯テレビ将棋トーナメント」豊川孝弘七段
(▲8四角に▲6六歩と△6ニの飛車を攻めても、次に▲6五歩と歩を取れないので、対戦者と自分の)二人で(自玉を)潰してますもんね。(笑)
よくね、丸山(忠久)さんに言われるんですよ。
「豊川さん、相手の攻め駒攻めちゃうからダメですよ」って。(笑)
こんなに笑顔が多い感想戦は初めて見た。(笑)
豊川孝弘七段が、自らの負けをおして「豊川孝弘ショー」を披露くださったお陰だ。
敗因を、自虐ネタで明快に抽象化しながら、しかと自認なさる。
「対戦者(※本局では小林裕士六段)よし」、「観戦者(ファン)よし」、「自分よし」の「三方よし」を正に地で行く豊川七段を、私は愛して止まない。(笑)
★2011年7月10日放映分
http://cgi2.nhk.or.jp/goshogi/kifu/sgs.cgi?d=20110710
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2011年07月15日
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第7局の5▲森内俊之九段△羽生善治名人〕2人の長考」上地隆蔵さん
注目の封じ手は▲5三桂左成だった。
▲8ニ歩を本命視していた控室の予想は外れた。
2時間近い大長考。
後日森内にその読み筋を尋ねてみた。
「▲5三桂左成と▲8ニ歩の比較でした。
(図で▲8ニ歩は以下△6五歩▲8一歩成△3三桂▲1五桂△1四金となり、そこで▲1六歩や▲2三歩が有力。
これもなかなかの変化でした。
どちらが良かったかは厳密には分かりませんが、やはり▲8ニ歩が自然だったと思います。
ただ基本的にどちらも自信はありませんでした。
最後は勘で決めました」
(後日取材と返答メールで構成)
森内俊之九段(※当時)は、当時▲8ニ歩を自然に感じ、最後は▲5三桂左成を「勘で決めた」、と。
名人位がかかった最終局の最大の分岐点で、自然さより勘を重視した、と。
やはり、プロフェッショナルが「獣道」で最後に頼りにするのは、自分の「勘ナビ」ということか。
★2011年7月15日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月14日
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第7局の4▲森内俊之九段△羽生善治名人〕新工夫の△3六歩」上地隆蔵さん
図の局面は、王将リーグ▲羽生ー深浦九段戦と同一。
深浦九段の指し手は△3三桂だったが、羽生は(本局では)△3六歩と手を変えた。
「王将リーグのときに△3六歩があるのではと考えていました」。
後日の羽生のメールだ。
盤上に出現しなくても、実戦の中で気づいた小さなことを後の対局で試す。
超多忙な羽生ならではの新手実践法で、おそらく他にも気づきの種はストックしているのだろう。
(中略)
森内もこの△3六歩は有力視していた。
「王将リーグの棋譜を見たとき、アレ、なんで深浦さんは△3六歩と垂らさなかったのかな?と。
先手の飛車を狭くしつつ、歩成を狙っていて幸便に見える」と森内は話す。
解説の中田宏八段は「ただしなけなしの1歩を使うのでそのあたりがどうか。現状は難しいが、個人的には先手を持ちたい」と意見を述べた。
羽生善治さんが指した△3六歩は、羽生さんがよく仰る「情報高速道路(ハイウェイ)理論」だと、当時は既に完全な「獣道」ではなかったようだ。
羽生さんは、他の棋士よりも積極的に「獣道」を志向なさっているが、実際に「高速道路」から「獣道」へ降りるのは、とりわけトッププロ棋士との対局だと、相当難しそうだ。
★2011年7月14日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月13日
【インタビュー】「10年続けるつもりで、やりなさい」羽生善治さん
ただ、どうして将棋に熱中したかというと、他のゲームはしばらくやると、なんとなく「こういう風にやれば勝てる。」「こういうパターンでやればいいんじゃないか。」というのが、見えるとまでは言わないんですけども、なんとなく輪郭がわかってきたのに対して、将棋というのはまったくそれがわからなかったんです。そこに、とても惹きつけられていました。
この内容は以前「100年インタビュー」でも見聞しているが、久しぶりに改めて活字で読むと、すごい内容だ。
改めて感動した。
「要領がつかめないモノに、要領がつかめないモノほど、惹かれる、惹かれ続ける」。
私は、44年の人生に中で、この逆の習性の人を山ほど見かけたが、この習性を持つ人を殆ど見かけていない。
そして、自分自身、この習性を持っていると言えない。
なぜ、私たちは、この逆の習性を持っているのか。
なぜ、羽生善治さんは、この習性を今なお持ち得ているのか。
妄想の域は出ないが、「『成功の定義』の違い」に因るのではないか。
羽生さんが思考、希求する成功とは、「勝率100%の『絶対的な法則』を会得すること」なのではないか。
羽生さんからすれば、「眼前の相手に勝利すること」や「(それにより)社会的ないし経済的な報酬を得ること」は、希求し続ける過程でたまたま授かった副産物や、マラソンでの給水/給食の類に過ぎず、成功の範疇に入らないのではないか。
もちろん、「勝率100%の『絶対的な法則』」というのは、将棋に限らず殆どのモノが(人間が発見でき得)ない。
しかし、羽生さんは「それでいい」、「それだからこそいい」とお考えなのではないか。
不謹慎かつ不本意な妄想だが、もしコンピュータが将棋の「勝率100%の『絶対的な法則』」を発見してしまったら、羽生さんは誰より早く現役を引退なさるのではないか。
一方、羽生さん以外の棋士や私たちの多くが思考、希求する成功とは、やはり、「眼前の相手に勝利すること」や「高勝率で社会的ないし経済的な報酬を得ること」なのではないか。
「高勝率を上げる法則を見出すこと」には関心が高く、深く取り組むが、「勝率100%の『絶対的な法則』を会得すること」には関心が低く(←「そもそも発見不能ゆえ希求すべきでない」と思考している)、成功の範疇に含めていないのではないか。
以上の妄想が相応に正しいとすれば、羽生さんの勝利は、正に「無欲の勝利」だ。
勝利の女神がこれまで羽生さんに多々微笑んできたのは、そういうことなのか。
★「DANNAmethod/RELAY OF LIFE STOCK」より
http://www.winpeace.jp/project/relayoflifestock/habu/1.php
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2011年07月12日
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第7局の2▲森内俊之九段△羽生善治名人〕2人の心境」上地隆蔵さん
勝ったほうが名人という世紀の大一番を、両者はどのような心境で戦ったのか。
羽生は「自然体で臨むように心掛けていた」、森内は「悔いの残らない将棋を指したいと思っていた」と後日、その心境を明かした。
羽生善治さんは、当時も「平生の振る舞い」にいつもと同じように励まれ、真に自然体で臨まれていたに違いない。
羽生さんは今回名人位を失冠なさったが、それは羽生さんの解釈からすると、長い(棋士)人生における平生の一出来事なのかもしれない。
★2011年7月12日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
【将棋】「Number2011年7月7日号/天才棋士の意外な集中法・調子の上がらぬ朝にこそすべきことがある」羽生善治さん
取材を申し込んだのはそんなときだ。
「カド番ではさすがに難しいでしょう」という他の棋士の意見はもっともだったが、羽生自らこの日の取材を提案してきてくれたのだ。
(中略)
5日後に控える第五局は不利な後手番で、真の大一番である。
プレッシャーのかかる時期に、羽生はなぜ、取材を受けてくれたのだろう。
(中略)
「タイトル戦といえども、極力普段通りに、普通に過ごしながらやっているということですね。
将棋の世界はオフシーズンがないので、他の相手も、出来る範囲でやりくりしながらやらざるを得ないですしね、ええ」。
ーー名人戦で3連敗。
どう心の整理を?
「そうですね・・・まあでも、カド番はよくあることなんです(笑)。追い詰められた状況では、やっぱり、120%の力を出したいと思うわけじゃないですか。うん・・・でも、基本的に、それは無理なんですよね」。
ーー無理・・・?
「ええ。
そういう時は、普通にやることすら難しいわけですよ。
自分が出せるものは決まっているから、今まで通り、対局に全力を尽くすしかない。
でも、ずっと同じ集中力、高いテンションを保つのは、難しいんです。
1年の中でも、1日の中でも、波がある。
気分の浮き沈みは人為的に変えられるものじゃないので、それに合わせてやっていく。
(以下省略)
ーーということは、心はコントロールできない、と?
「どうにもならないところもあるんじゃないんですかねぇ・・・。
でも、逆に1日中、ずっと調子が悪いということも少ないと思いますよ。
(中略)
・・・長く続けていたらそういうときもあるから、まあ、そのときはそのときでどう立て直せるか。
(以下省略)
楽しげに笑うと、問わず語り続けた。
「諦めることも大事だと思ってるんです。
つまり、沢山こなしていく場合には、当然、調子の悪い日もあるんだと思っていたほうがいいような気がしています。
完璧さを求めちゃうと、却って立ち直りが難しい。
高いテンションを保とうとすればするほど、逆に下がっちゃう。
一番は、無理をしない。
無理をすると必ず後で反動が来るので、自然に出来ることをする。
ただこれは、あくまで長いスパンでやる競技の考え方です。
それこそ、オリンピックは4年に一度の人生の大勝負なので、絶対に無理しないとダメでしょうけど(笑)」
ーー羽生さんは、勝っても負けても、反省したらすぐに忘れるそうですね。
「きちんと自分なりに検証するということが大事だと思うんですけど、何て言うんでしょうかね、屁理屈でも何でもいいから、自分の中で消化できれば忘れられるんじゃないですかね。
例えば、単についていなかったとか、あの審判が悪いとか・・・」
ーー人のせいでも?
「いやいや、それでもいいんですよ。
自分なりに納得すれば、次に向かっていける・・・。
理由は何でもいいんですよ(笑)」
緊急の事態、極限の事態にあるべき心境は、自然だ。
この場合の「自然」とは「平生」と言ってもいい。
「自然な心境」とは「平生」のそれであり、即ち、「いつもと同じような心境」ということだ。
私たちの多くは、このことを頭ではわかっている。
しかし、実際に緊急の事態、極限の事態に陥ると、「いつもと同じような心境」で居られない。
なぜか。
羽生善治さんのお話から伺えたのは、最初から無理だと諦めている、無意識に却下(キャンセル)しているからではないか、ということだ。
羽生さんは、名人戦のカド番時という正しく緊急の事態、極限の事態に、取材対応という「平生の振る舞い」を普通になさった。
羽生さんのように「平生の振る舞い」にいつもと同じように励むことこそ、緊急の事態、極限の事態において「平生の心境」、「自然な心境」で居られる最も有効かつ自然な心得、活動なのかもしれない。
羽生さんが感想戦を他の棋士以上にしかと行われる一番の趣旨は、次局に改良を加えることだと考えてきたが、そうではないのかもしれない。
一番の趣旨は、本局をスッキリ忘れることなのかもしれない。
「敗因、悪手、緩手の原因を自分が納得できるまで見出すことで、本局のてん末に納得し、本局をスッキリ忘れる。
前局の消化不良こそ、『平生の振る舞い』、ひいては、『自然な心境』を阻む元凶になりかねない」。
羽生さんは、このようにお考えなのかもしれない。
2011年07月11日
【邦画】「男はつらいよ 第6作 純情篇」(1971)
【絹代(宮本信子さん)】
何で・・・何であんげん酷か男んとこば、帰らんといかんとね。
うちは、もうあんな男の顔も見たくもなか。
思い出したくもなか。
うち、父ちゃんと一緒に・・・
【千造(森繁久彌さん)】
(そんなことは)できんて。
明日の船で帰れ。
【絹代】
どうして・・・
どうして、そんげん惨かことを・・・
【千造】
絹代。
三年間も便り一つもよこさず、急に(実家に)戻ってきて、お父ちゃんが死んどったら、どげんする気やった?
おいは、そう長くは生きとらんぞ。
おいが死んだら、お前はもう帰るとこは無いようになる。
その時になって、お前が辛かことがあって、クニに帰りたいと思うても、もうそれはできんぞ。
【絹代】
でも、うち、もう、あんげん男とは・・・
【千造】
お前が好いて一緒になった男じゃろが。
そんならどこか一つくらい、良かとこのあっとじゃろ。
その良かとこを、お前がきちんと育ててやらんば。
その気持ちが無うて、どんな男と一緒になったって、おんなじたい。
おいの反対ば押し切って一緒になったんなら、そんぐらいの覚悟しとらんで、どげんすっか。
そんな意気地の無いことじゃ、父ちゃんは心配で、死ぬることもできん。
(寅さんに向かって)えらい娘が世話になりまして。
母親をこまい時に亡くしまして、目の届かんことも多くて。
しかし、あんたみたいな良か人に会えて、本当に良かった。
ま、ゆっくりしてください。
今、あの水イカの刺身作るけん。
どうかしましたか?
【車寅次郎(渥美清さん)】
全くだ。
おじさんの言う通りだよ。
帰れる所があると思うからいけねえんだよ。
失敗すりゃまたクニに帰りゃいいと思っているからよ。
俺は、いつまでたったって、一人前になれねえもんなあ、おじさん。
【千造】
クニはどこかね?
【車寅次郎】
クニかい。
クニは、東京は葛飾の柴又よ。
【千造】
ほう。
親御さんは居るのかね?
【車寅次郎】
もう死んだ。
でもなあ、親代わりにおいちゃんとおばちゃんが居るんだ。
それに妹が一人居るよ。
おじさんの娘と同じくらいの年頃だ。
【千造】
幸せかな、妹さんは。
【車寅次郎】
ああ、子どもが居るよ。
その亭主っていうのがね、俺みたいな遊び人とはまるで違うんだ。
まじめの上に「糞」っていう字がつく位の奴なんだよ。
印刷工場の職工やっているよ。
その印刷工場の裏手でもってね、俺のおいちゃんていうのが、ケチなダンゴ屋やってるんだ。
さくらがよ、あ、こりゃ、俺の妹だけどね、近所のアパートに住んでるんだ。
買い物の帰りなんか、子ども連れてね、ダンゴ屋へちょくちょく顔出してよ、くだらねえこと喋っている内に、陽が暮れらあな。
「どうだい、晩御飯食べておいきよ」
「いいよ、悪いから」
「何言ってるんだい、これからじゃ面倒だろ、ね。
さ、裏に亭主いるんだから、博呼んどいで」。
みんなが円く、賑やかに晩飯よ。
その時になると決まって出る噂が、この俺だ。
俺はもう二度と帰らねえよ。
いつでも帰れる所があると思うからいけねえんだ、うん。
(汽笛の音がする)
【千造】
風が出てきたな。
【車寅次郎】
おじさん、今の汽笛は何だい?
【千造】
ありゃ、渡し船の最終が、もうぼつぼつ出るっちゅう合図たい。
【車寅次郎】
さ、最後が出るか。
【千造】
どうしたの?
【車寅次郎】
いや、出るってよ。
【千造】
ションベンか?
【車寅次郎】
ションベンでない。
【千造】
便所ならこっちにある。
いや、表でやってよか。
【車寅次郎】
俺は帰らねえ。
どんなことがあったって、二度と帰りゃしねえよ。
帰る所があると思うからいけねえんだ。
でもよ、俺帰ると、おいちゃんやおばちゃんたち喜ぶしな。
さくらなんか、「お兄ちゃん、ばかね、どこ行ってきたの」なんて、涙いっぱいためてそう言うんだ。
それ考えると、やっぱり帰りたくなっちゃったなー。
でも、私は、二度と帰りませんよ。
でも、やっぱり帰るなあ、うん!
(席を立つ)
あばよ!
(家を出る)
おーい、その船待ってくれよ、おーい、待ってくれ!
【絹代】
あれえ。
うち、あの人にお金ば借りとったとよ。
【千造】
もう間に合わんわい。
あの人は、ちょっと体の悪かとね。
かわいそうに。
「帰れる所があると思うからいけない」が、「帰れる所があると思えるからいい」。
このジレンマと真理を、渥美清さんが、森繁久彌さんが、宮本信子さんが、山田洋次監督が、見事に教諭くださった。
私が、最後の肉親である実兄の家(実家)をおよそ月に一度訪れているのは、「帰れる所があると思えるからいい」のか?(笑)
帰郷した傷心の娘に「帰れ」と明言する千造のような親、上司は、最近てっきり見かけなくなった。
幸運なことに、亡き母とサラリーマン時代の三上司(Sさん、Sさん、Mさん)はそうだった。
自分の気持ちや希望を押し殺し、自分の評価や利益を放棄し、子どもや部下の利益と将来を最優先する。
先に逝く親や上司は、かくあるべきだ。
2011年07月10日
【邦画】「八日目の蝉」(原作:角田光代さん/監督:成島出さん/主演:井上真央さん、永作博美さん)
四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します。
不倫相手の男性宅から乳飲み子を連れ出し、四年間生活を共にした野々宮希和子(演:永作博美さん)は、裁判の最終弁論でこう述べた。
そして、この弁を聞いた乳飲み子の母の秋山恵津子(演:森口瑤子さん)は、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
私は男である。
しかも、妻は居るが、子どもは居ない。
なので、女性の多くが欲し、感じるという「子育ての喜び」というのは、正確には理解していない。
しかし、映画からうかがえた「子育ての喜び」には、違和感を抱いた。
理解はできたつもりだが、共感はできなかったし、共感してはいけない気がした。
なぜなら、それが、「母親として子どもに受容され、肯定評価され、懐かれること」だったからだ。
これは、あまりにも「母親目線」過ぎはしないか。
「子育ての喜び」とは、本来もっと「子ども目線」なものではないか。
たとえば、「子どもが以前よりも自律した個人へ成長した跡を確認できたこと」といったものであるべきではないか。
子どもが「子ども」と称される時期に最優先して果たすべきは、一人で健やかに社会生活が営めるだけの人的基盤を確立することであるはずであり、親が子どもに最優先して果たすべきは、それを確実に見届けることであるはずだ。
そして、もし、自分が親として受容されなくとも、肯定評価されなくとも、懐かれなくとも、子どもが一人の自律した人間として成長すれば、最大、最高の「子育ての喜び」を感じて然るべきだ。
だから、恵津子は、希和子が乳飲み子の我が子を四年間勝手に連れ出し、成長を見届ける機会を奪ったことは非難、憎悪して然るべきだが、乳飲み子を一人の自律した人間に近づけてくれたことは肯定評価、感謝して然るべきではないか。
私たちの多くは、「母性」という言葉で、「子育ての喜び」を勘違いしているのではないか。
昨今、DVをよく見聞きするのは、「子育ての喜び」のこうした誤解が一因ではないか。
子どもは、自分の欲望を満たす愛玩物やペットではなく、その真逆のものだ。
「自分の感情や利益を最優先する人」や「他者の喜びを自分の喜びに置換し難い人」は、親になるべきではない。
★2011年6月19日王子シネマにて鑑賞
http://www.youkame.com/index.html
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2011年07月09日
【講演】「『スティーブ・ジョブズ脅威のイノベーション』発売記念セミナー」カーマイン・ガロさん
スティーブ・ジョブズは、決して「コンピュータを作ること」に情熱(パッション)を持っていた、傾けていたのではなく、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を持っていた、傾けていたわけです。
スティーブ・ジョブズが「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を傾けていたのは、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができる」状態が、自ら掲げたビジョンだったからに違いない。
そして、ジョブズにとって、「(より使い易い)コンピュータを作ること」はそのビジョンを達成するツール、プロセス、手段に過ぎず、傾けた情熱は、ビジョン自体へ向けたものと比べると、質的(レイヤー的)に全然低かったに違いない。
なぜ、ジョブズは、依然、富と名声を得てもなお、肉体が老いさらばえてもなお、「人々がそれぞれのクリエイティブな能力を解放することができるようなツールを作る、そういうツールを提供すること」に情熱を傾けているのか。
それは、傾け続けるだけの情熱とクリエイティブ(能力)に恵まれていることに尽きるのであろうが、情熱を後押ししているモノが少なくとも三つあるのではないか。
一つ目。
それは、ビジョンには、ツールやプロセスとは異なり、ゴールがあり得ないからではないか。
もし、ジョブズの一番の起業理由が「(より便利な)コンピュータを作ること」だったり、掲げたビジョンが「便利なコンピュータが人々の間に行き渡っていること」であったら、とっくに悠々自適の生活を送っているのではないか。
二つ目。
それは、そのビジョンがジョブズにとって、「絶対にそうあるべき!」とか「何としてでもそうしたい!」と達成を切望する「真のビジョン」だったからではないか。
真のビジョンである以上、掲げた自分が達成を確認できない、未達だと思っている内は、たとえクリエイティブは枯渇しようと、情熱は枯渇せず、不断に湧き出るのではないか。
三つ目
それは、そのビジョンが社会にとって、「絶対にそうあるべき!」とか「何としてでもそうしたい!」と達成を切望する「真の社会のビジョン」になり得たから、つまり、「大義」へ昇華したからではないか。
そのビジョンの達成を切望しているのが自分だけではない、自分以外の多くの人がそのビジョンを肯定し、賛同し、ともすると自分以上に達成を切望している、つまり、自分が掲げたビジョンが「大義」へ昇華している以上、生きている限り、それを活かさない手はなく、情熱を絶やすことなどもってのほかであり、かつ、そもそも考えられないのではないか。
★2011年7月7日催行
http://www.ustream.tv/recorded/15846153
http://agilemedia.jp/blog/2011/07/post_295.html
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2011年07月08日
【NHK】「ディープ・ピープル/トップ・パティシエ」サントス・アントワーヌさん
いつもね、夏の近くになったら、やっぱり、甘さが控えめにする(なってしまう)んですよね。
冬は、これにすると、ホントにね、甘さが全然足りないですよね。
やっぱり、冬感じることと夏感じることは違うから。
特にね、クリスマスケーキあるじゃないですか。
大体皆が、6月、7月、8月になったら暇になってきて、クリスマスケーキを考えるんですよ。
それが問題が出てくるんですよね。
やっぱり、夏でも、ちょっとだけ甘いと、すごい甘く感じるんですよ。
だから、なかなか夏は、クリスマスケーキはちょっと作れないですよね。
だから、冬に、本当にもうバレンタインが終わってからすぐ、クリスマスケーキを考えておかないと、後が大変なんですよ。
やはり、「ビジネスマンが優先すべきは、自分の事情や満足ではなく、お客さまの満足に尽きる」ということなのだろう。
サントス・アントワーヌさんは、冒頭、「(母国の)フランスのお菓子を作りたいと思っていない(→日本人の食感にマッチしたお菓子を作りたい)んですよ」と仰っていたが、それは本心かつ事実に違いない。
★2011年7月4日放映分
http://www.nhk.or.jp/deeppeople/log/case110704/index.html
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2011年07月07日
【野球】「道は遠く大きく―王貞治と共に歩んだ“世界”への日々」荒川博さん、王貞治さん
P52
だが、キャンプ中は、ついにこの一本足で打つことができなかった。いくら打たせようとしても足が上がらなかったのである。足を上げようとすると、バットを持った手を後ろへ引っ張ってしまう。足と手がアンバランスになって、足が上がらなかった。
朝晩のバット・スゥイングのときは、まあまあできても、いざボールが来ると、このようにバラバラになってしまい、結局、キャンプでは何も掴めないままオープン戦に突入することになった。
よほどのにちなって、王が、
「あの頃は、こんなことして打てるようになるのだろうかと思ったもんですよ」
と述懐したことがあったが、不安でならなかったのであろう。
それでも、ゲームでは二本足で打ちながら、朝晩の練習では、一本足のスゥイングを続けていた。
P75
よく他人(ひと)から、
”名人上手になるためには、どうしたらいいか”
と聞かれるが、うまくなった人というのは何か、といえば、やはり精神的には人間が素直でなくてはいけないと思っている。
どんなことがあっても素直たること。これであろう。
であるからして、もし、自分がこの先生に習おうと決めたならば、その先生に対しては、絶対に服従しなくてはいけない。私が王と当初約束したのも、この”絶対服従”であった。
王は非常に素直に、私のいうとおりについてきてくれたから、私も教えがいがあったといえる。
絶対服従であるから、当然師を選ぶにも時間もかかり、一生かかっても師はつかまらないかもしれない。ことに、ある程度の技術に達すると、絶対に相譲れないというのが人間である。
そういうときに、一生の師を選んでいれば、何ら迷うことなく素直に聞けるのであるが、そこが分岐点になる。
P108
同時に、改めて損得抜きで、私の修業しているものを、野球界のために残さねばならないと決意を新たにした。
私が酒を許可してから、王はつきあいもあり、ゲームが終わった後、銀座で飲むこともちょくちょくあった。
深夜まで飲んでいて、夜中の二時、三時になって突然私の家へやってきたこともしばしば。
「刀を振りにきました」
といっては、明け方まで刀の素振りをやったり、新聞紙を斬ったりしたものである。
(中略)
王は銀座で飲んでいても、ふと稽古をする気になると、私の家へ時間かまわずやってきた。私もまた、何時にこようが、喜んで迎えたものだ。
(中略)
野球界で合気道に通った者は数多くいる。しかし、みな解釈できずに途中でやめてしまっている。
もし王を直接合気道の道場へ送り込んで修業させたとしても、私が解釈してバッティングに結びつけたようにできたかどうか、これもわからない。万一できたとしても、相当な遠回りになっていたであろうことは十分に考えられる。
私が五年通った後、再び私と同じことを王がはじめたとすれば、私の五年間が無駄になる。
だから私は王には合気道も居合いも、稽古着は一度もつけさせず、トレーニング・パンツだけでやらせた。
私がやり、解釈し、それをわかりやすく教えたつもりである。
王は素直であったし、のみ込みも早かったから、やがては酒を飲んでいても、私の家へ稽古にやってくるようになったのである。
これが本当の意味での師弟の道ではないだろうか。
互いに信頼しあい、いついかなるときでも稽古の心を忘れない。
合気道はどこにいても呼吸さえしていれば稽古はできるのである。王もそれが理解できてきたのが、私にはうれしかった。
このように稽古に明け暮れていた頃の王は、時間さえあれば寝ていた。
三十八年まで王は車を持っておらず、私が送り迎えをしていたが、グラウンドで私が先に車で待っていると、王がやってきて後部座席に乗る。
ファンから、
「王さんのおかかえ運転手」
と間違えられることもあるくらいであったが、王はその後部座席でいつも寝てばかりいたのだった。
「世界の王」の王貞治さんも、最初から一本足でうまく打てたわけではなかった。
また、師匠である荒川博さんの指導を、最初から全面的に肯定していたわけでなく、違和感を抱いていた。
荒川さんは王さんを「素直で、のみ込みが早い」と称されているが、最初は違っていたのではないか。
王さんが荒川さんの指導を拒否せず続けた過程で、そうなっていったのではないか。
なぜ、王さんは、荒川さんの指導を、違和感を抱きながらも、拒否せず続けたのか。
直截的に一番効いているのは、やはり事前に交わした「三年間の絶対服従」の契りだろう。
物事を会得するには、師の言に、一定期間、四の五の言わず絶対服従するのが最上かつ不可欠だ。
しかし、最後の防波堤になったのは、指導者、人間としての荒川さんへの信頼だったのではないか。
自ら定義した指導者としての存在意義やミッションを果たすべく、昼夜の別なく、誰にどう思われようと、後進に最善を尽くす。
そして、後進の微かな成長を自らの大きな喜びとして受けとめる。
王さんは、荒川さんのこうした生き様から信頼を見出されたのではないか。
だから、荒川さんの指導を、違和感を抱きながらも、拒否せず続けたのではないか。
荒川さんは、ファンから「王さんのおかかえ運転手」と間違えられるのが、必ずしも嫌ではなかったのではないか。
自分の指導を真摯に受け入れ、疲れ果てて眠る王さんを運ぶ時間は、当時の荒川さんにとって、数少ない至福の時間だったに違いない。
荒川 博
双葉社
1977-09
2011年07月06日
【ニュース】「江頭2:50にモテ男・山路徹氏が恋愛指南」山路徹さん
VTRで山路氏は、番組スタッフの「おモテになるって噂を聞くんですけど」との質問に「そういう風に言ってくださる人は大勢いるんですけど、実際ぼくはそ ういう自覚はないです」と答える。そして、「ただ一つ言うならば、世の男たちは女性の声に耳を傾けない。しゃべらなくていいの。ひたすら聞くだけでいい。 聞くだけ」と続ける。
「相手の話をひたすら聞く。
自分は基本しゃべらない」。
これは、恋愛の真理であると同時に、ビジネス、とりわけ、営業の真理でもある。
なぜか。
人がモノを一番買いたくなるのは、そのモノが他のどのモノよりも好ましく思える時か、そのモノを売っている人が他の誰よりも好ましく思える時であり、その人が他の誰よりも好ましく思える時は、その人が、自分のために良い話をしてくれている時ではなく、自分の取るに足らない話に付き合ってくれている時だからだ。
相手の取るに足らない話に付き合わず、途中で遮ったり、自分ばかり話をしてしまうのは、結局のところ、相手よりも自分が大事だ(好ましい)と言っているのと同義で、相手から他の誰よりも好ましく思われるはずも、モノを一番買いたいと思われるはずもない。
そもそも、相手が自分に話をするのは、他の誰よりも好ましく思えるかもしれないと自分に期待を寄せているからで、その期待に先ずもって応じないのは、失礼かつ機会損失以外の何物でもない。
本事項は、人生の真理といってもいい。
「ただ一つ言うならば」と前置きして人生の真理をさらりと言える山路徹さんは、さぞおモテになるに違いない。
★2011年7月4日「リアルライブ」より
http://npn.co.jp/article/detail/82866731/
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【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の10〕」椎名龍一さん
図の▲6八銀打をみた森内は記録用紙の消費時間(7時間11分)と現在時刻(午後5時16分)を確認した。
(中略)
▲6八銀打を指した羽生は棋譜用紙を手にした。
いつもならさっと目を通し20~30秒ほどで記録係に返すことが多いのだが、このときは5分近く眺めていただろうか。
棋譜を支えている右手が震え、その上に乗っている用紙も小刻みに揺れている。
震える棋譜が羽生の胸中に共鳴している音叉(おんさ)のようにも思えた。
結局、森内は図の局面で夕食休憩の時間まで考えて休憩に入れた。
(中略)
午後6時から30分という短い休憩時間が終わると、森内はすぐに△9九角と王手した。
以下本譜の5手がバタバタと進む。
森内の指し手の速さ。
夕食休憩前に見せた棋譜用紙を持つ羽生の手の震え。
状況判断的には森内が寄せ切って勝ちそうに思えたが、本日終了図の香の打ち場所が本局の明暗を分けることになった。
▲6八銀打後、羽生善治さんの手は震えていたと。
5分もの間小刻みに揺れ続けていた棋譜用紙は、対戦者の森内俊之さんの視界に入ったに違いない。
この時の森内さんの心中は、いかばかりであったか。
★2011年7月6日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月05日
【ブログ】「突き抜けないブログ/定跡を創った棋士」羽生善治さん
(【勝又清和六段】)
「あなたの将棋にはいつも新しい手が出てきますね。家で研究しているんですか?」
(【山崎隆之七段】)
「いえ、逆に不勉強だからです。相手の研究にはまらないように手を変えているわけで。たいていその場の思いつきです。」
なぜ、羽生善治さんは強いのか。
将棋は、使用する道具が限定的で、相手の情報、手の内も相互に知り得る「完全ゲーム」だ。
ゆえに、本質的な正解は、「高確率で他の棋士が指さない有効手が指せるから」であるはずだ。
「他の棋士が指さない有効手」は二種類あるはずだ。
一つは、「候補手として思考はするものの、有効手になると確信でき得る以降の手順が見出せず、除外する手」。
もう一つは、「そもそも候補手として思考だにしない(≒候補手から直感的、無意識的に除外する)手」だ。
山崎隆之七段のインタビューコメントから直感したのだが、羽生さんは、後者を意識的に、積極的に志向(嗜好)なさっているのではないか。
もちろん、その正否は羽生さんにしかわからない。
しかし、羽生さんが後者を志向するのは合理的だ。
なぜなら、羽生さんは、研究に割けるリソースが他の棋士よりも圧倒的に少なく、「研究比べ」では他の棋士に基本勝てないからだ。
羽生さんが多用なさる比喩の一つに「情報高速道路(ハイウェイ)理論」があり、そこでは「研究(済)手」は「(既に情報共有され、思考無しにすっ飛ばして行ける)高速道路」であり、「非研究手」は「(高速道路を降りた後の、人がまだ通っていない)獣道」だ。
羽生さんが「高速道路」から積極的に降りる、即ち、「獣道」で局地戦を志向するのは、理に適っている。
では、なぜ、他の棋士は、羽生さんの如く、「他の棋士がそもそも候補手として思考だにしない有効手」を志向しない、志向できないのか。
「研究比べ」ではほぼ間違いなく羽生さんに勝てるがゆえに、あとは本事項さえ実践できれば、本来「鬼に金棒」であるはずだ。
「研究を積めば積むほど、非研究手を思考(着想)できなくなり、また、もし思考できたとしても、実戦で指せなくなる」といった「研究のジレンマ」は、一つの理由だろう。
「実績や加齢を重ねれば重ねるほど、『獣道』に降りる勇気や気概が奪われる」といった「経験値のジレンマ」も、一つの理由だろう。
しかし、二番目の理由は、少なくとも一番にはなり得ない。
なぜなら、羽生さんは、一番の実績者だからだ。
誤りを怖れず断言すれば、一番の理由は、「眼前の一局への勝利意欲を募らせれば募らすほど、『獣道』を回避したくなる」といった「勝利意欲のジレンマ」だ。
では、だとしたらなぜ、羽生さんは、この「勝利意欲のジレンマ」に陥らない、または、もし陥ってもさほど深く陥らずに済むのか。
羽生さんは、そもそも、「勝負の本質は、人と違うことをやること」と心底心得ておられるのではないか。
その上で、眼前の一局に勝利することよりも、将棋そのものをより究めること、自分が更に強くなることを、自分が将棋を指す一番の理由、自分が生きる一番の理由にし続けられる何かをお持ちなのではないか。
だから、実戦において、「これで負けても本望!」の覚悟で、「獣道」を積極的に志向できる、結果、高確率で他の棋士が指さない有効手が指せる、のではないか。
アントニオ猪木さんが多用なさる言葉の一つに、以下の一休宗純(一休禅師)のそれがある。
私は、羽生さんがこの言葉の実直かつ稀有な実践者、体現者に思えてならない。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せば、その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ、行けばわかるさ
★2011年7月2日付「突き抜けないブログ/定跡を創った棋士」(↓)より
http://d.hatena.ne.jp/katsumata321/20110702#1309617434
※読者の通りがかりさんから誤りを指摘頂き、2012年4月18日修正加筆。
https://twitter.com/kimiohori/status/192737773617295362
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の9▲羽生善治名人△森内俊之九段〕好手▲6八銀打」椎名龍一さん
双方の視線が自玉と敵玉の周辺を目まぐるしく駆け巡っている。オーバーヒート寸前の極限状態に置かれてもなお、自らの心身(リソース)をフル活用できる。
羽生(善治)は冷水の入ったグラスを頬に当て、紅潮した顔面を冷やしている。
オーバーヒート寸前ーー。
それでも頭脳をフル回転させなければならない局面だ。
これこそ、プロフェッショナルの欠くべからざる必要条件ということか。
★2011年7月5日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月04日
【邦画】「静かなる決闘」
うちの社長が、ここの若先生(=藤崎恭二/三船敏郎さん)を称して、何で言っているかご存知ですか?
医者の中には時としてああいう聖者が居るもんんだって。
聖者というと聖(ひじり)ですか。
そうです。
それはどうかな。
あいつはね、ただ自分より不幸な人間の傍で、希望を取り戻そうとしているだけです。
幸せだったら、案外俗物になっていたかもしれません。
不条理はいつの世にもある。
天災や病気をもたらす自然、目先のことや自己利益しか考えない馬鹿者のせいだ。
人間は、被った不条理を甘受し、終生闘う以外無い。
だが、不本意にも被った不条理をしかと甘受し、終生闘っている人は、不条理を自分と同様かそれ以上に被っている人に優しくすること、幸福や希望を与えることができる。
そして、それは、自分の幸福や希望、さらに、生きる目標(動機/理由)になる。
私たちが四ヶ月前に遭った東日本大震災は、不条理の極致だ。
私たちは、今、この映画を観るべきだ。
2011年07月03日
【展覧会】「CINQ Esquisse - 5人のエスキース展 -」石田恵理さん
私は、そもそも、人が、人を喜ばせることが好きなんですよ。
自分が喜ぶことよりも。
だから、似顔絵を描くんですよ。
石田恵理(@gyuuuutan)さんは、こう仰った。
そして、カメラ・ルシーダを使って、私の似顔絵(人物画)を描いてくださった。
「自分にとって何が幸せで、どうするとなれるのか」。
私は、初見の不肖オヤジの私(笑)に笑顔で明言くださった石田さんに感動した。
そして、石田さんが描いてくださった似顔絵を見て、幸せな気持ちになった。
石田さんは、現在、成安造形大学小田隆准教授(@studiocorvo)のゼミ生だ。
日本の未来は明るい。
★2011年7月2日(~3日)DESIGN-FESTA-GALLERY HARAJUKU GALLERY EAST102(東京・原宿)にて催行
http://seiancinq.blog.fc2.com/blog-entry-11.html
https://twitter.com/kimiohori/status/87287102366162944
2011年07月02日
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の6▲羽生善治名人△森内俊之九段〕受け切れるか」椎名龍一さん
▲1五角と(羽生に)香を取り返されたところで、森内は8筋の歩を突き捨てた(△8六歩)。
「歩を渡すのも嫌なんですけど、そろそろ突いておかないと永久に入らなくなってしまいそう」と森内。
後手(の森内)の狙いは桂を2枚持って△9五桂~△8七桂の攻めだ。
やはり、勝負はジレンマの決断である、ということか。
★2011年7月2日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/
2011年07月01日
【経営】「マイクロソフトで学んだこと、マイクロソフトだからできること。」樋口泰行さん
P68
マイクロソフトの経営に加わって驚いたことはたくさんあるが、もしかすると、これに最も驚いたかもしれない。
「ミッドイヤーレビュー」である。
マイクロソフトの決算期は6月。
つまり、新しい期は7月に始まるが、そのちょうど真ん中に位置する1月がミッドイヤー。
ミッドイヤーレビューは、その1月に米国本社の経営幹部と世界中の現地法人や事業部門との会議である。
これが半端なものではないのだ。
米国の幹部はCOOのケヴィン・ターナーを筆頭に40人ほどが顔を揃える。
それに対して、1回30人ほどのチームが、その国の政治状況も含めた経営環境を報告。
それにどんな戦略で向かうかを発表し、質疑を受け、侃々諤々のディスカッションを行う。
こう書くと「なんだ、普通の中間発表ではないか」と思われるかもしれないが、これが1国につき丸一日がかりなのだ。
どんなに短くても8時間、長引けば日付が変わり、10時間以上になることもある。
ちなみに、私が初めて参加した2008年度は12時間、2009年度は10時間、2010年度は10時間だった。
(中略)
そして、自分は経営者としてきちんと経営ができているか、レビューの場で丸裸にされることになる。
「この国のトップはこんなことも知らないのか」ということが、全幹部の前で明白になってしまいかねないのは、やはり震え上がるほどの緊張感となる。
また、資料をたぐって調べる時間は、その場ではほとんどない。
さらに英語が完璧にできるわけではないので、何を問われているのか、常に全神経を集中しておかなければいけない。
しかも、10時間近くにわたって、である。
自分に居心地の良い経営をしようにも、そうはいかない。
ただ、居心地の良い状態というのは、成長をしていないということでもある。
居心地の悪さこそ、改善につながったり、成長につながっていくのではないか。
それをマイクロソフトで改めて感じている。
「居心地の良い状態というのは、高確率で成長が果たせていない状態である。
居心地の悪い状態こそ、高確率で改善や成長が果たせている状態である」。
精神的苦痛は、成長の必要条件であると同時に、幸福の必要条件でもある。
マゾ的な意味でなく(笑)、禿同。
【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の5▲羽生善治名人△森内俊之九段〕圧力の高い気の空間」椎名龍一さん
図の局面は7年前に(本局では後手番の)森内が先手を持って指した実戦例が1局だけある。
定跡形として知られている格好だそうだが、それほど局数が多くない点からしてみると後手側がこの順を避ける傾向が強いようである。
(中略)
しかし森内が無茶で本戦法をぶつけるわけもなく必ず何かを用意しているはずという期待感も検討陣ににじんでいる。
(中略)
図から▲4六角とぶつけたのが7年前の森内の手だが、羽生は▲2四歩と突いた。
この手はわずかに4分の考慮。
昨譜の大長考中に読みを入れてきた羽生の工夫した順だった。
▲2四歩を見てここまでの考慮時間がわずかに32分という森内の手が止まった。
想定外の手を指されたのかもしれない。
1日目とは思えないほどに両対局者の上体の前傾姿勢が最終盤のように深くなっている。
双方の意思が絡み合って生まれた中盤の局面を挟んで両者の思考回路がさらに複雑に絡み合い、盤上にすさまじく圧力の高い気の空間ができている。
「両者の思考回路がさらに複雑に絡み合い、盤上にすさまじく圧力の高い気の空間ができいた」と。
北伐を断行した諸葛亮と司馬懿の間で行われた究極の頭脳戦、心理戦を想起した。
★2011年7月1日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/