2011年06月

2011年06月30日

【野球】「川相昌弘スモールベースボールを紐解く」川相昌弘さん

P89
藤田監督時代の92年に、.258だった打率が、長嶋監督に代わった翌93年には.290に上昇した。
そして、続く94年には、さらに.302にへと上がった。

自分の打撃技術も少しずつは成長していたのだろうが、やはり相手がストライクを欲しい場面で好球必打できることが大きかった。
あのイチロー(マリナーズ)だって、カウントを追い込まれたら、いい打率は残せないのだ。

一読後、孫子の兵法を直感した。
経験を重ね、「打つべき時」、「打てる(打ち易い)時」がわかってきた。
そして、技術の向上と相まって、「打てた」ということか。

やはり、勝負事には機(タイミング)というものがある。
私は、それをもっともっと、見極めなければいけない。


P154
「スモールベースボール」を直訳すると「小さな野球」ということになる。
が、僕はその言葉の意味を「小さな(積み重ねの)野球」と理解している。
一つひとつをピックアップすれば些細なことだが、それが積み重なれば巨大なものに生まれ変わる可能性がある。

ペナントレースを144試合も戦っていると、その小さな積み重ねが、最後には大きな差となる。

御意。
人は、良くも悪くも、蝉のように生涯が短くない。
生涯が短ければ、一発勝負を旨とする「ビッグベースボール」(?・笑)もアリだが、短くない以上、確率論を旨とする「スモールベースボール」の概念の方がアリだ。


P168
得意な分野、つまりいバッティングや走塁をさらに伸ばしていって、自信がつけば、守備も後からついてくる可能性がある。
僕は1989年にレギュラーを取ったとき、バッティングは捨てた
その代わりに、バッティングより得意な守備やバントはきっちり決めようと思った。
そうして試合に出ているうちに、苦手だったバッティングもそれなりに形になってきた。

「捨てた」という言葉から強烈な意志、覚悟を直感した。
当時、川相さんは自らに「背水の陣」を敷かれたのだ。
野球人としての後戻りができない強烈な覚悟が、川相さんに野球人としての更なる成長、成功をもたらしたのだ。
成長、成功の一番の源、エンジンは、やはり、強烈な覚悟だ。








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2011年06月29日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の3▲羽生善治名人△森内俊之九段〕驚異的な早指し」椎名龍一さん

森内がほとんど時間を使わず、1日目から局面はどんどん進んでいく。
同一進行となっている第4局の下地があることは分かるが、それにしても速い。
昼食休憩があけるとすぐに仕掛けの局面になり、本日終了図まであっという間に進んだ。
この△5六歩が森内の用意していた作戦。
この手で第4局(△3五桂)に別れを告げた。
「第4局でこの手を指そうか迷っていたので、本局で採用しました」と森内は言う。

ここまで、森内の考慮時間はわずかに30分。
名人戦で30分しか使わずに66手目まで進めたのは、おそらく早指しの記録だろう。
羽生は3時間近く使っているが、ここでも腰を据えて長考に入った。

なんと、△5六歩は、第4局でも想定していた準備手だったと。
もちろん、自信は相当あったに違いないが、なぜ、相手をストレートでカド番に追い込んでいる第4局で、実戦例の少ないこの手ではなく、実戦例の多い△3五桂を選ばれたのか。
なぜ、負けたらタイに持ち込まれる本局で、この手を選ばれたのか。
森内俊之新名人に訊いてみたい。
トッププロの心情は、非常に興味深いが、凡人には推し量れなさ過ぎる。(涙)



★2011年6月29日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 08:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

【BSフジ】「あの時、この曲」伊勢正三さん

【くり万太郎さん】
「なごり雪」っていうのは、伊勢正三さんが初めて作ったっていう曲で・・・

イルカ 12CD-1119A
イルカ
日本クラウン株式会社
2008-07-01


【伊勢正三さん】
そうです。
いわゆる作詞作曲っていうことでは、僕が初めて書いた曲です。

(中略)

【伊勢正三さん】
初めて作った曲なんで、あのやっぱり、すっごい「やったあ!」って思ったんですよ。
それは、自分でもはっきり覚えている、「すごくいいのができた」っていう。
レコーディングもうまくいって、(でも、他のメンバーの反応は)「まあいいんじゃない」みたいなムードなので、「もっとほめてよ!」っていう、正直言ってそういう気持ちはありました。(笑)

【くり万太郎さん】
曲と詞を両方作っていらっしゃいますけど、詞だと、誰かモデルが居たりなんかしないとできないみたいなところがあるんじゃないですか?

【伊勢正三さん】
あれは、とにかく、もうサビが最初にできちゃったんですよね。
浮かんできたっていうか。
もう、あのまんま、「今春が来て、君は綺麗になった。去年よりずっと綺麗になった」っていうこの一節がメロディ付きで。
僕はよくそれを、「降ってきた」って言うんですけど。

【くり万太郎さん】
っていうことは、そういう風に思ってる女性がたとえば居たとかっていうようなことは・・・

【伊勢正三さん】
いや、それは具体的にはまあ、あの、居たことにしましょう。(笑)

【くり万太郎さん】
そこが浮かんできたっていうのはすごいですね。

【伊勢正三さん】
そうですね。
つまり、それサビなわけですよ。
だから、そこに至るまで、AメロなりBメロなり、そういうものをどういうストーリーにもっていくかっていうのは、ものすごく考えた記憶があります。

【くり万太郎さん】
じゃ、結構時間はかかったんですか、曲作るのに。

【伊勢正三さん】
だから、いきなりサビができちゃって、AメロBメロまでは、四、五日から一週間かかった記憶があります。

「心を震わす代替の利かない最高のメッセージ」。
これがヒット曲のサビだ。
伊勢正三さんは、
大ヒット曲「なごり雪」のサビが生まれ出たさまを「降ってきた」と仰った。
棋は相手を必要とするゲームで、指し手はメッセージだ。
将棋における「心を震わす代替の利かない最高のメッセージ」「最善手」と称され、生まれ出るさまを郷田真隆九段は「いい手は右手が覚えている」と仰る
「心を震わす代替の利かない最高のメッセージ」が生まれ出るさまは、いかなるジャンル、フィールドであれ、心身に突如偶然宿る以外無いのかもしれない。

しかし、「心を震わす代替の利かない最高のメッセージ」は、生まれ出るさまは偶然かもしれないが、成立させるには必然でなければならず、論理的裏づけが欠かせない。
伊勢さんは「降ってきた」サビに至るメロディ作りに一週間の熟考を要されたようだが、それは、
プロ棋士が「最善手」が宿っても実際に指すまで以降の指し手を十二分に読むのと同様、重要かつ不可欠なプロセスだったに違いない。
筒美京平さんが「音楽はアナログだが、考え方はデジタル」と評されるのを、一層納得した。

それと、イルカさんが歌った「なごり雪」が松任谷正隆さんのアレンジ(編曲)であるとは、今日まで知らなかった。
松任谷さんのアレンジャーとしての力量をを再認識すると共に、原曲を作った伊勢さんをして、「これはいい!」、「あの(印象的なピアノの)イントロを聞いた時、『なごり雪』は僕から旅立った」と思わせしめた松任谷さんに、敬意を表したい。(礼)


★2011年6月25日放映分
http://www.bsfuji.tv/top/pub/anotoki.html

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kimio_memo at 08:06|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月28日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の2▲羽生善治名人△森内俊之九段〕強情ですね」椎名龍一さん

地元・山形県酒田市出身で大盤解説役として来ていた新鋭の阿部健治郎四段が「矢倉になると思います」と予想した通り、本局は3度目の矢倉戦になった。
これで今シリーズの偶数局(羽生先手、森内後手)はすべて矢倉戦。
両対局者は勝負師の気質通り、どちらも頑固でもある。

本局の駒組みは第4局をなぞるように進んでいるが、森内の指し手が異様なまでに速い。
対する羽生は一手一手に少考。
盤上を読んでいるというより、森内の自信度を肌で感じようとしているように思える。

(中略)

本日終了図の局面で羽生の考慮中に1日目の昼食休憩に入った。
くしくも第4局と同じ局面での休憩入りだが、森内の消費時間はここまでわずかに24分である。

「速いですね。不気味なくらいに・・・」という阿久津七段に、「森内さんも強情ですね」と立会人の島九段が応えた。

森内俊之九段(※当時)は、過日、理研脳科学総合研究センターのセミナーに出席なさった折、「自分は物事を合理的に考える性質なので、実戦例があり、想定手(指すべき手)がほぼ確定している既知局面では、長考したりしない。思考を極力省力化する」旨仰っていた。
たしかに、森内さんが昼食休憩まで僅か24分しか消費なさらなかったのは、このコメントのお考えに基づいてのことだろう。
しかし、基づいていたのは、このコメントのお考えだけではないだろう。
カド番に追い込まれても「なお」というか「やはり」鬼のように食い下がってくる羽生善治名人(※当時)に対し、「私はまだ余裕がありますから、貴兄のお手並みをしかと拝見しますよ」と応え、羽生さんに自分の(精神的)優位性や余裕を誇示したいお考えにも基づいていたのではないか。
もちろん、トップオブ勝負師であられる森内さんご本人は、全くの無意識であっただろうが。(笑)
藤井猛九段の名大盤解説と「棋は対話」の言葉を思い出した。



★2011年6月28日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 07:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2011年06月27日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第6局の1▲羽生善治名人△森内俊之九段〕心の復興」椎名龍一さん

「来週からの名人戦を楽しみにしております」

東北地方に深い爪痕を残した東日本大震災から3ヶ月。
被災地を回っていた島朗九段が、津波で家を流されてしまったという将棋連盟気仙沼支部の支部長から聞いたのが冒頭の言葉だった。

「名人戦の勝負が、被災された将棋ファンの心の復興に少しでもお役に立てているのなら、本当にうれしいことだと思いました」と本局の立会も務める島九段は言う。

第6局は駒の産地で知られる山形県天童市。
温泉地の天道では被災者を受け入れ、福島県と宮城県から300人ほどが避難していたという。

前夜祭、羽生は「ここ天童には何十回来たか分かりません。カド番ではありますが、なじみのある場所で頑張りたい」と挨拶し、森内は「3連勝の後に2連敗し、5局目と6局目の対局場の方々から『来てくれてありがたかった』と言われて複雑な気持ちでいます」というおちゃめな挨拶で場を和ませた。

「来週からの名人戦を楽しみにしております」。
もし、私が気仙沼支部長さんなら、かくも言えなかったに違いない。
「『来てくれてありがたかった』と言われて複雑な気持ちでいます」。
もし、私が森内俊之名人なら、かくもおちゃめな挨拶はできなかったに違いない。
最上の将棋に人生を救われ、最上の将棋で人生を救う。
お二人の卓越した精神の逞しさと思いやりの深さに、心から敬意を表したい。(礼)


★2011年6月27日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2011年06月26日

【理研脳科学総合研究センターRIKEN Science Seminar】「IV特別編/将棋プロジェクトのすべて」森内俊之名人、渡辺明竜王

http://twilog.org/kimiohori/date-110625

森内俊之名人、渡辺明竜王のお話は、シンプルだが、いずれも深く、考えさせられるものだった。
とりわけ考えさせられた以下の二つのみ、再掲&コメントしたい。



「誰か」は間違いなく羽生善治さんだろう。(笑)
なぜ、羽生さんは、森内さんや渡辺さんが「既知局面ゆえ考えない」と判断する局面で長考なさるのか。
羽生さんは「長考は『最善手を見つけようとしている』というよりは、『迷っている』状態である」旨以前仰っていたが、「迷っている」のではないだろう。
誤りを怖れず推量すれば、やはり「ベタ読みしている」、正確に言えば、「プロなら第一感で除外してしまう手を鳥瞰的に、積極的に発見し、可能性を直感したものを深く読んでいる」のではないか。
実戦、それも多くはタイトル戦という極限の緊張感と思考力が求められる場に居ることを逆手に、「将棋の、自分の新たな可能性を発見、開拓している」のでは、「将棋の、自分の新たな可能性に対する限界感や絶望を能動的に防いでいる」のではないか。
そして、この徒労を怖れずリスクや不確実性に挑む習性、棋士大勢の逆を行く習性こそが、「比類無い棋風と実績を長きに渡り生み出している」のでは、「羽生さんが長らく羽生さん足り得ている源である」のではないか。



よく「物事に正解は無い」と言うが、これは嘘だ。
物事に正解は有る。
しかし、それは、”その”時点では、人間にはわからない。
だから、「正解は無いものと考え、自分が出す解の精度をできるだけ高くしよう、自分が出した解を正解の如くしかと実行しよう」ということだ。

将棋は、使用する道具が限定的で、相手の情報、手の内も相互に知り得る「完全ゲーム」だ。
森内さんと渡辺さんも仰ったように、正解、つまり、「最善手」は間違いなく有る。
だが、両氏は、いずれもこう仰った。
「将棋は人間には難しい」と。
将棋には、オセロや五目並べとは比較にならない複雑なルールと着手可能性がある。
対局中、人間が最善手を知り得るのは不可能だ、ということだ。
だから、「『”この”手こそ最善手だ』と自分が決心、意思決定するための」、「『”この手”は最善手ではなくても指すべき手だ』と自分が決心、意思決定するための」何かが必要であり、渡辺さんはそれを「個性」と考えられている。

「正解の存在」という現実との決別には、経験値や習性の集まりである「個性」が有効である。
しかし、その有効性は限定的で、過剰依存は逆効果&危険である。
過剰依存の折は、捨てる必要がある。
渡辺さんの「個性論」は真理だと思う。



★2011年6月25日六本木アカデミーヒルズ40にて催行
http://www.riken.jp/r-world/event/2010/sci-seminar/index.html
http://twitter.com/kimiohori/status/84759929642168320



kimio_memo at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 講演/セミナー 

2011年06月25日

【TBS】「がっちりマンデー」平本清さん(株式会社21創業者/相談役)

【加藤浩次さん】
平本さんの立場に居るような方を次育てるっていうのは、なかなか難しくないですか?

【平本清さん】
もう、そりゃ、難しいということはハッキリわかっております。
だから、「育てる」ってことはもう不可能である、と。
「育っていく」んだ、と。
「育ってくる芽をつまないようにしよう」という気持ちになっています。

平本清さんが創業なさった株式会社21は、私の知る限りにおいて、「人間の心理」、「普遍の真理」、「企業の存続要件」を高次に網羅した、故くかつ最新、最高の経営、マネジメントが執行されている。
私は、「育てる」ではなく、「育ってくる芽をつまない」という平本さんの次世代経営者教育方針から、このことを確信した。



★2011年6月19日放映分
http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20110619/1.html

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kimio_memo at 06:29|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月24日

【NHK】「あさイチ」東山紀之さん

焼きそばパンを食べない。

「こんな大きな役を演っている中、あなた何(素朴なモノ)食べてるの!」
楽屋で食べていたところ、当時共演していた山岡久乃さんからこう指摘(叱責)されたことから、本伝説(笑)は生まれたとのこと。
しかも、山岡さんは、後日、本件を事務所にも申告なさったとのこと。
大御所にはなるには、口うるさい大御所にならうのが有効かつ早道ということか。
また、大御所になったら、次世代の大御所候補に口うるさく言うのが当然かつ不可欠ということか。
いずれにせよ、成る程である。


★2011年6月24日放映分
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/06/24/01.html



kimio_memo at 09:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

【フジ】「ボクらの時代」西田敏行さん

「演じてる」っていうことを感じさせない演じ方っていうのは、きっとあるんだと思うんですよね。
「演じてる」っていうことからは逃れることはできないわけですから、我々俳優は、表現者はね。

そっち(芝居を見た観客から「うまいですね」と言われるより「自然でしたね」って言われる)の方がいいですね。
オレの亡くなった劇団の先輩でしたけど、ある劇評に僕の芝居で「西田敏行という俳優は面白い」と書かれたんですね。
「上手い」とか「見事」だとかそういう風なのじゃなくて、「面白い」と書かれたんですよ。
そしたら、その先輩がその劇評を見て、「おまえ、これはお前の命題だ。『面白い』と思われる役者を目指せ。悲劇演ろうが、喜劇演ろうが、何演ろうが、『あいつ、何か、やってること面白いよな』っていう風に」と(おっしゃったんですよね)。

(中略)

人間だけじゃないですか、「笑う」っていう行為ができるのは。
「ははは」って声高に笑えるのは、人間だけの特権だと思うんですよね。

(中略)

「笑う」って何なんですかね。
どっかで、こう、何か、何かに対して批判とか、比喩とか、色んなものとかの、どっかで、こう、何か、スパイシーなもの、感情を入れていかないと、「笑い」を誘発はできないじゃないですか。
てことは、世の中を客観的に見てるとか、至近に見てるとか、今夢中になっているよりはどこか絶えず何かに対して全部余裕を持ってみつめてないと、何か笑いにつなげるような言葉とか思いとか動きとかっていうのは発せられないっていうかね、だから、笑いを引き起こす人たちっていうのは、相対的に冷めてるし、大人なんですよ。

人は幸福を望んでいる。
「面白い」という感情(変化)は幸福の十分条件だが、「上手い」は違う。
人が芝居を観るのは、幸福になりたいからだ。
芝居を観て「面白い」と感じるのは本望だが「上手い」と感じるのは本望ではない。
ゆえに、俳優として目指すべきは、「上手い」俳優ではなく、「面白い」俳優である、ということか。
いずれにせよ、売れる商品が「高機能/高性能」な商品ではなく、使って「面白い/楽しい」商品であることや、モテる男が「顔形がイイ」男ではなく、一緒に居て「面白い/楽しい」男であることが、よく再認識できた。

やはり、「大御所」と称される俳優は、人が望むものを、人の「ニーズ」を、人というものを、熟知している。
西田敏行さんに敬礼。(礼)



★2011年6月19日放映分
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/
http://bit.ly/jJAkxk



kimio_memo at 07:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2011年06月23日

【朝日新聞社】「第69期名人戦第七局▲森内俊之九段△羽生善治名人」木村一基八段

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経験上、タイトル戦で初戦から三連勝して角番に追い込むと、「相手はもう戦意を喪失しているに違いない」と想像してしまうものだが、そこで一局負けると、「相手はまだ狙っているのではないか」と思い、続いてもう一局負けると、「やっぱり(まだ狙っているの)か」と思い、さらに続いて(第六局を)負けると、かなりがっくりくる。

三勝三敗の第七局まで行くと、やはり対局者としては、主導権が得易い先手を取りたいもの。
だから、(先手/後手を決める)振駒をする人は、責任重大かつプレッシャーがかかる。
後手番になった対局者から「お前のせいだ!」と言われかねず、「(先後の決定は)対局者同士じゃんけんで決めて欲しい」ものだろう。(笑)

「横歩取り(※戦法の名称)」は難しい。
本局も途中までは昨年の(第68期名人戦の)羽生ー三浦戦と同じだが、昨年の考えや結論は、今や全く通用しない。
ニ、三ヶ月指していないと、実戦で使えなくなる。
難しいのは解説も同様で、「オレは知らない」と言って堂々と解説できるのは藤井猛九段くらいだ。(笑)

後手番の羽生(善治)名人が採用した4一玉型は、歩が足りなくなる変化があることから、最近は「後手がやりにくい」と指されなくなっている。
それは羽生名人も十分わかっているはずで、その上で今回指してきたのだから、きっと相応の準備があったのだろう。

人となりと棋風は反比例するもので、羽生さんの最近の棋風は「キツい」、「攻撃的」だ。
まあ、攻めた方が楽しいからわからないでもないが。
かくいう私も、かつて受けてばかりで生活している時期があったが、それって楽しくないのだ。(笑)
「この手は谷川(浩司)先生みたいな手ですね」と言われるようになりたい。(笑)

過去の対局をちゃんと覚えていてそれに改良を加えてくる。
だから、羽生名人は強い。

このようにタイトル戦を死に物狂いで指した対局者は、(より一層)強くなって帰ってくる。
これは、他の棋士との実力差が益々広がることと同義で、同業者(の私)としては嫌なものだ。(笑)

もし、羽生名人が本局を落としたら、(60手目)ここでなぜ△8五飛車を選んだのか、△3ニ飛車は考えなかったかと対局後間違いなく訊かれると思うが、その際に問題になるのは「(△3ニ飛車の可能性を)誰が言ったか(=主張したか)」。
言ったのが私だと、「ふーん」で終わりかねない。(笑)

今年は朝日杯で羽生名人に勝ち、優勝することができたが、羽生さんを負かせるとは思っていなかった。
あの時は、時間に追われ、余裕が無く、そんな中あっという間に逆転した。
朝日杯は元々持ち時間が短い棋戦で、(私のように)集中力が無い人にはいい。(笑)

羽生名人は、持ち時間の長い将棋でも、短い将棋でも、戦い方や作戦が特段変わらない。
いつも相手の弱い所を突いてくる。
ここぞと選択肢が沢山有る局面で手を渡してくる。
相手は驚き、手を間違ってしまう。
これが「羽生調」だ。(笑)
私はその被害者だからよくわかる。(笑)
(94手目の)△3三銀は、時間が無い中、思考を端折った手。
考えてない、「勘」で指した手で、紛れを無くしている。

観客の殆どが羽生さんのファンだった(※挙手にて判明)ことも手伝ってであろう、木村一基八段のネタの多くは羽生さんに関するものだったが、それは、羽生さんがそれだけ同業者(笑)、それもプロ中のプロから「ベンチーマーキング」に加え、「信頼」、「尊敬」されているということではないか。
プロ中のプロから「信頼」、「尊敬」されてやまない羽生さんの捲土重来を期待したい。



★2011年6月22日催行分
http://twitpic.com/5feqej
※1:解説女性棋士は中村桃子女流一級
※2:上記の木村八段の言はいずれも意訳
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kimio_memo at 09:16|PermalinkComments(2) 将棋大盤解説会 

2011年06月22日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第5局の9▲森内俊之九段△羽生善治名人〕無機質な視線」甘竹潤ニさん

ヘエ~、ウーン・・・。
羽生の動きがますます大きくなった。
頭を抱えながらアーッとつぶやいたかと思えば、イヤッと小声で叫んだり。
声とともに表情まで豊かになっていくのだ。
終始、”静”を決め込む森内とはなにもかもが対照的だ。

ところが形勢は逆に森内にとって容易ならざるものになっていた。
銀桂交換の駒得ながら、先手は飛車が狭い。
次に△6四銀をみられて忙しい状況なのだ。

(森内が)▲7四歩と突く手はある。

(中略)

苦吟58分、森内は▲5五角。
この手を見て羽生が席を立つ。
やがて襖をあけて戻ってきた羽生はさっきまでの豊かな表情とは一変。
席に着くまで森内に対して無機質な視線を投げかけた。
自分に向けられた視線ではないのに、記者の背筋がゾクッとした。

(▲5五角の後の)△3三桂は昼食休憩をはさんで61分の長考。
ついで▲7四歩に△5六歩が絶妙のタイミングの利かし。

「形勢変化は一瞬であり、優勢(になりそうだ)と思しき時にこそ、次の一手を苦悩すべし」ということか。
「天才」の自覚のない天才の一挙手一投足には、翻訳機が必要だ。(笑)



★2011年6月22日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 07:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2011年06月21日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第5局の8▲森内俊之九段△羽生善治名人〕恐るべき大局観」甘竹潤ニさん

2六にまで猛牛のごとく突進してきた銀が、森内とそして控室の判断も狂わせることになった。
▲2七歩に△1五銀▲5五角△3三角を予想していた検討陣は「銀がこんな所にいっていいの?」と半信半疑。
ところが羽生がなかなか次の一手を指さないのを見て「もしかしたら・・・」。

その予想が的中した。
羽生は57分を費やして△3七銀成と銀桂交換に出たのだ。
駒得のうえに▲3七同銀と懸案だった壁銀が好形になった。
これで先手が悪いはずがないーー。
控室ではその見方が大半を占めた。
ところが△5三銀と上がって次に△6四銀をみられると先手は容易ではない。

森内「駒得して悪いとは思っていなかったので仕方ないですね。大局観が悪かったです」

森内も唖然とした、羽生の恐るべき大局観。
驚くことに、今日の終了図から先手がよくなる順は一度も発見されなかったのだ。

ふり返って▲2七歩がどうだったか。

(中略)

実戦は銀桂交換の駒得より、▲2七歩と打ったマイナスのほうが大きかった」とは久保王将の見解である。

森内俊之九段が▲3七同銀の局面を「(駒得ゆえ)悪いはずがない」とお考えになってしまったことが、本局の勝敗を決めたようだ。
「大局観」は勝敗や成否を決める最重要能力であると共に、先入観を払拭&動作抑制する能力に大きく依存している、ということか。



★2011年6月21日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 07:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2011年06月20日

【NHK】「MJ presents 少女時代スペシャル」少女時代

(少女時代は)どのメンバーも、中学高校時代に合宿生活を送りながら、厳しいレッスンを受け、その実力を磨いてきました。

「ダンスと歌は当たり前で、演技や言葉のレッスンも受けていました」。(ヒョヨンさん)

「少し辛かったことは、友達とあまり遊べなかったことですが、でもそれは、自分自身への投資期間で、そのお陰で今の少女時代があると思います」。(ジェシカさん)

「目先の辛さを将来への『投資』と解釈してきたからこそ、今の自分がある」。
こう人前で明言できる日本のアイドル、並びに、日本人がどれだけ居るだろう。
エンタメであれビジネスであれ、日本が韓国に追い越されるようになったのは、自然かつ当然だ。



★2011年6月9日放映分
http://www.nhk.or.jp/mj-blog/200/84691.html

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kimio_memo at 06:48|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月19日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」The Kinks”You really got me”

R&Bからデイブ(・デイヴィス)の言う「彼らの音楽」に至るまでには、ある象徴的な出来事があった。
それは、デイブのドロップアウト体験だ。

「13か14才の時、スーという女の子が大好きになった。
近くの学校に通う、僕より年下の子だった。
その頃から、学校に行くのが嫌になった。
近所にジョージという子がいて、その子の家は、昼間誰も人が居なかった。
だから僕は、朝、制服を着て「行ってきます」と家を出ると、学校に行くふりをして、ジョージに家に行っては、1日中ギターを弾いていた。
そこにスーも来てくれていた。
夏になると、僕らはケンウッド公園によく行った。
僕らのアルバム・ジャケットにもなっているあの公園だけど、
背の高い草が生い茂っていて、夏は一面、草で覆われていた。
なのに、あの年だけ草を刈りやがったんだ!
だから、いつものように公園の木の下で愛を確かめ合っていたら、見つかって補導されてしまった。
補導員は2人とも教育委員会のメンバーだったから、万事休す!
僕はズボンを下ろしたまま、捕まったんだ。
ずっと後に、レイ(・デイヴス)はこの事件をもとに『不良少年のメロディ』というアルバムを作った。
あれは、僕の物語なんだ。
『なんで僕の事件をネタにしてレイがアルバムを出すんだ?』
って思ったよ。
『あれっ?この曲知っているぞ!』って感じさ。(デイブ・デイヴィスさん/キンクスg)

ギター少年の悲劇は、その後も続く。
中学を退学となったデイブは、楽器の問屋で働く身に。
やがて、スーは妊娠。
若い恋人たちは結婚するつもりでいたが、将来を憂れいた親たちによって、二人は引き裂かれる。

「つまり、言いたかったのは、”You really got me”のあのギターサウンドは、僕が色々な苦悩を抱えている時に生まれたってこと。
10代半ばで恋をして仲を引き裂かれたために、僕の心は荒れ狂っていた。
だから、スーに対する激情をギターに託して表現した、
ぴったりの表現ができると確信したんだ。
関心を集め、愛されたかったんだ。
夢中だったスーに言ってもらいたかった。
『あの曲は最高だった」とか「あの演奏はすごかったわ!」ってね。(デイブ・デイヴィスさん/キンクスg)

ギターのデイブ・デイヴィスさんの不条理な失恋体験がキンクスに名曲”You really got me(ユー・リアリー・ガット・ミー)をもたらしたとは、想像だにしていなかった。
元カノのスーさんは、ラジオから”You really got me”が流れる度、さぞ喜んだに違いない。

「大ヒット」とは、大衆をポジティブに感動させたてん末だ。
しかし、それは往々にして、個人のネガティブな感動に依存している。



★2011年6月12日放映分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_53.html

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kimio_memo at 07:01|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月18日

【自戦記】「奨励会熱戦将棋/三段リーグ[第6譜▲門倉啓太三段△千田翔太三段]晴れて棋士に」門倉啓太さん

最終戦を終え、対局室を出たところで先輩棋士に「おめでとう」と言われ、昇段を知った。
隣の部屋で対局していた師匠にも会い、堅く握手していただいた。
夢の中のようだった。
(中略)
晴れて棋士になることができたが、これからが本番。
一歩一歩確実に前進していきたい。

門倉啓太三段の隣の部屋で師匠の石田和雄九段が対局なさっていたのは、全くの偶然ではないだろう。
「三手の読み」ができる人は、「喜ばせ上手」だ。

門倉三段は、長年、記録係としてNHK杯で活躍くださった。(感謝)
四段昇段を祝うと共に、対局者として活躍くださる日を心待ちにしたい。



★2011年6月17日付毎日新聞夕刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/

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kimio_memo at 10:48|PermalinkComments(0) 新聞将棋欄 

【TBSラジオ】「土曜朝イチエンタ。堀尾正明+pLUS!」羽生善治さん

http://twilog.org/kimiohori/date-110618

昔ビートルズが好きでいらしたこととオンチであられたこと(笑)を除き、殆ど既知の内容だったが、以下が印象に残った。



しっかり反省したら、「負け」をすぐに忘れる。
それも、他人よりも他人事に感じるレベルまできっぱり忘れる。
しかも、ネガティブに思考して然るべき加齢をポジティブに思考して、ということか。
「天才」の自覚のない天才はえてして、難しいことを、さも易しく言い、やっている。



★2011年6月18日放送分
http://www.tbs.co.jp/radio/horio/after/20110618.html

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kimio_memo at 07:04|PermalinkComments(0) ラジオ 

2011年06月17日

【BSNHK】「近代中国に君臨した女たち/江青 マダム毛沢東の孤独と欲望」夏木マリさん

女優って二つのタイプがあると思うんですよ。
一つは、「役に近づいていく人」。
あとは、「自分に役を近づける人」。
で、あたしは後者なんだけど、何か与えられた戯曲で、与えられた演出で、何かやっている内に、「あたし、この台詞言いたくない」とかね、そういうの出てくるわけですよ、すごく傲慢なんだけど。
で、それを着々とやって成功する女優さんも居るんだけど、江青は後者で、「自分の方に役を近づける」とか、「自分のメッセージを言いたい」とか、そういうのは、(「人形の家(作:イプセン)」の)ノラを演った時の一個だけですよね、成功した演劇がね。
あの(役を演じた)時に、「ちょっと気持ちいいかも!」(って自分で思ったのではないか)。
共産党として何か褒められて、(新聞では)激評も出たし。
「人形の家」のキャラクター(ノラ)が彼女の資質にピッタリ当ったんだと思う。
(中略)
そういうのあるんですよ、一生の内一本位そういうの。
「これ、あたしかも!」みたいな役が(自分と)重なる時が」。

夏木さんがおっしゃっていた「女優の二つのタイプ」はなるほどだが、これは女優に限った話ではないだろう。
たとえば、この話を本質的に理解できれば、「やりたい仕事ではないから」と言って、入社早々会社を辞めたり、就職浪人をしたりするのがいかに不賢明であるかがわかるはずだ。

「人は人生という舞台を生きる役者である」と言われる。
そして、人はみな、「自分はどんな役を演じるべきか」、「自分はどんな役者になるべきか」悩む。
しかし、これらの悩みは、まず真摯に、立てる舞台に立ち、演じられる役を演じ切ってみれば、ほぼ解消しているはずだ。

それはそうと、夏木マリさんはいい。(笑)
おっしゃる言葉が、みなとても聞き応えがあり、納得させられる。
きっと、人生を本当に真剣に生きてこられたのだろう。
「顔がいいだけの女(優)」が多い中、夏木マリさんは大変貴重だ(→叶うものなら、一度食事をご一緒したいw)。



★2011年5月26日放映分
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110526-10-28014



kimio_memo at 06:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2011年06月16日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第5局の3▲森内俊之九段△羽生善治名人〕まったりした午前中」甘竹潤ニさん

内藤(國雄)九段がポツリと話し始めた。

「実は昔、私も8五飛を考えたことがあるんです。
今流行の<5二玉。5一金、6ニ銀型>は実際に指したこともあるんですよ」。

後日それを羽生に言うと、「そんな昔に・・・」と目を丸くしていた。
だが内藤九段は8五飛戦法を実戦で試すまでには至らなかったという。

「8五飛戦法は△7四歩から△7五歩が間に合うとは思わなかったんです。
それにどうしても△8五飛は”高飛車”というイメージが離れなかった。
だから8五飛が現れた時も私は2、3年で廃れると思っていました。
8四飛と比べて底が浅いんじゃないかと、ね。
でも、こうしてしっかりと根付いている。
将棋の奥深さと見る思いがします」

内藤國雄九段がおっしゃった「イメージ」は、「先入観」とも言えよう。
内藤九段の回顧談で改めて明らかになるのは、少なくとも二つある。

一つは、「先入観」は「好機の逸失を招く」ということだ。
しかし、「先入観」は経験則の一つで、人が生きている限り有る(無くならない)。
しかも、生きている時間に比例し、蓄積してしまう。
蓄積を抑制するには払拭が有効だが、生物メカニズム的に限りがあろう。
「先入観」に抗するには、蓄積を抑制するより、動作を抑制するのが賢明ということか。

もう一つは、「アイデアを実行する、具現化することは、本当に難しい」ということだ。
「先入観」の動作の抑制。
「慣れ親しんだ道」の誘惑を断ち切るだけの「精神の逞しさ」。
アイデアを実行、具現化するには、これらの会得が不可欠ということか。



★2011年6月16日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/

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kimio_memo at 07:30|PermalinkComments(0) 新聞将棋欄 

2011年06月15日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第5局の2▲森内俊之九段△羽生善治名人〕横歩取りの魅力」甘竹潤ニさん

星のうえでは森内の3勝1敗だが、羽生が先手番をひとつブレークされただけと考えれば羽生はもちろん、森内にとってもここが正念場である。
問題は羽生がどの戦型を選ぶか、だ。

「ゴキゲン中飛車が本命かと思っていました」とは本局の副立会人兼解説の久保利明王将だ。

(中略)

ところが注目の4手目は△8四歩。
予想ははずれ、横歩取りへ。
ちょっぴりガッカリの久保王将だったが、実は後手番を持って1局だけ横歩取りを指した経験がある。

「どんな戦法なのか、確かめてみたい気持ちもありました。
横歩取りの将棋なら僕は後手を持ってみたい。
玉を固めて軽さで勝負する感覚が振り飛車に通じるものがあるのです。
ただ横歩取りはどこが狙いなのかはっきりしない。
むずかしい戦法だと感じました」。

「達人にとって戦法(戦術)は、自分の強みや思考習性を表現する手段に過ぎず、temporaryだ」ということか。
であれば、現時点では振り飛車マスターの久保利明王将も、将来、横歩取りマスターになられるかもしれないし、だからこそ、「藤井システム」を創造した藤井猛九段は、この度「藤井矢倉」を創造なさったのかもしれない。
また、さらに言えば、だからこそ、羽生善治名人は、得意戦法をあえてお持ちにならないのかもしれない。



★2011年6月15日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 08:54|PermalinkComments(0) 新聞将棋欄 

【BSNHK】「アインシュタインの眼」神保彰さん

中村教授は、(神保彰さんがドラミングにおいて)全身が脱力を保てる理由として、重心の位置に注目しました。
体が大きく動いても、重心は殆ど動いていないのです。

「体幹(胴体)を静かに保って、で、重心を動かなくする、と。
そこに気を配るということが、リラックスした状態を保つ一つ秘訣になっているんだと思います」。(東京大学情報理工学系研究科/中村仁彦教授)

普通、人間は、左右の手足をバラバラに動かすと、重心が揺さぶられます。
神保さんの重心が動かない理由は、体幹の筋肉の使い方にありました。
脇腹の筋肉は赤く表示され、活発に筋力を使っていることがわかります。
そうすることで体幹を支え、重心の位置が動かないようにコントロールしていたのです。
神保さんは、常に背筋を伸ばし、体幹を安定させることを心がけているそうです。
中心を保ち、余計な力を使わない。
これが長年の経験で身につけた「疲れずに良い音を出す方法」だったのです。

「ああやって筋肉の動きを見たら、どう見ても、足とか腕を使っているのに、実は腹筋とか、いわゆるお腹の腹斜筋(脇腹の筋肉)とかのを一番使っていたと。
それは、昔から意識されてきたってことなんですか?」。(古田敦也さん)

「そうですね、特に強く意識するようになったのは、最近のことなんですけど。
北京オリンピックの時に、アスリートの競技を見てまして、やっぱり、ワールドレコードを出す人の動きっていうのは、圧倒的にリラックスして見えるんですよね。
たとえば、北島康介選手の泳ぎであるとか、サインボルト選手の走りであるとか。
物凄くリラックスして、重心がブレないんですよね」。(神保彰さん)

「それはドラムでも同じだと」。(古田さん)

「ええ」。(神保さん)

「それは、オリンピックを見て気づかれたんですか?」(古田さん)

「『確信した』んですね」。(神保さん)

達人は美しい。
いずれのカテゴリーの達人も、そのたたずまい(姿勢)には力みが無く、見る者の美感を刺激する。

達人は賢い。
いずれのカテゴリーの達人も、更なる成長を希求し、他のカテゴリーの達人から不断に学んでいる。



★2011年6月11日放映分
http://www.nhk.or.jp/einstein/archive/index.html

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kimio_memo at 06:55|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月14日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第5局の1▲森内俊之九段△羽生善治名人〕ハイカラな街・宝塚」甘竹潤ニさん

羽生は第4局に勝った翌週、王位戦リーグで村山慈明五段に勝ってプレーオフに持ち込み、その一戦も制して挑戦者決定戦に進出した。
「6月には週3日対局があるらしいです」。
羽生は新幹線の車中でまるで他人事のように言って笑った。
6月からは棋聖戦の防衛戦も始まる。
棋聖戦も週3日対局も、名人戦の最中に行われる可能性があるんですけど・・・。

「不可避なハードワークは他人事と解釈し、心の安寧を担保する」ということか。
それとも、「対局はもはやハードワークではない(=心身がハードにならないツボを会得している)」ということか。
非凡者の思考&行動習性は、本当に不明だ。(苦笑)



★2011年6月14日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/

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kimio_memo at 06:27|PermalinkComments(0) 新聞将棋欄 

2011年06月13日

【NHK教育】「NHK杯テレビ将棋トーナメント」北島忠雄六段

屋敷さんの印象は、昨年度A級昇級も果たされて、非常に好調なので、大変厳しいクジをひいてしまったなという風に思っています。

(対戦相手の屋敷伸之九段は)格上の相手なので、思い切りぶつかっていって、自分の良いものを出せたらいいなと思いますし、上位の人となかなか対戦する機会がありませんので、自分自身の成長にもなるような将棋が指せたらいいなと思っています。

公の場で、これから戦う年下の実績者を「格上」と堂々称えること。
日本ではあまり見られない、日本人にはなかなかできないさまだ。
北島忠雄六段のこの素直さと潔さが、結果快心譜を生んだのだろう。
感心感動。



★2011年5月29日放映分
http://cgi2.nhk.or.jp/goshogi/kifu/sgs.cgi?d=20110529

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kimio_memo at 06:55|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月12日

【観戦記】「第69期名人戦七番勝負〔第4局の15▲羽生善治名人△森内俊之九段〕羽生、1勝を返す」関浩さん

終局直後の談話で、羽生が自らにからく形勢を見ていたことに一驚した。
開戦後の攻めの細さを嘆き、封じ手の周辺に問題を投げかけ、控室が「先手勝勢」と断じた▲6三歩成(第13譜)に至って、ようやく前途に光明を見出したという。

羽生善治さんが他のプロ棋士よりも形勢判断に辛いのは、他のプロ棋士には見えないもの(リスク)が見えるからだろう。
「問題を正確に認識できれば、解決したようなもの」という言葉を思い出した。



★2011年6月12日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 06:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

【NHK】「あさイチ」樋口可南子さん

【有働由美子アナ】
お肌だけどかじゃなくて、いつでも少女のようでもいらっしゃり、また少年のようでもいらっしゃり、何か精神的に気をつけていらっしゃることって・・・

【樋口可南子さん】
とにかく、本当にちっちゃいことでも面白がりたい・・・
それが、段々大きいことに、なんかこう、感度が良くなるっていうか、大きい面白い時が来た時に、いつもなんか面白いことに気をつけていると、その大きいことが来た時に、「へえ」って反応できる気がするんですよね。

非日常を見つける訓練を日常に課す。
それが、日常への埋没の防止と、自身の「幸福実感力」の向上につながるということか。
自分だけでなく周りのあらゆるヒト&モノにいつも興味津々&敏感な樋口可南子さんは、女性として、人として魅力があり過ぎる。(笑)



★2011年6月10日放映分
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/06/10/01.html

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kimio_memo at 06:09|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月10日

【TBS)「情熱大陸」伊集院静さん

小説は、人の人生を変えることはできないだろうね
そうですね、小説を読んだからって、実際変わるなんてことはあり得ないだろうから。
けれども、悲しみを背負って生きている人に、小説というのものは、もしかしたら、寄り添ってね、寄り添えるっていうね、何か、こんなに切ないことが誰しもあるんだなとか、こういう風にして悲しいのを和らげるんだなとかね、そういうのがあればいいけどね、なかなかね、そういう小説は書けませんよ。

ちょっと不得意なところをパッとすぐに敬遠しないで、覗いてみるってことが大切なんだね。
意外とそういうもんなんだね。
女の人が二人居て、こっちの方が顔立ちが好きなんだけど、好きじゃない方を選んでみると、大概うまくいく。
自分の好みって、殆ど間違いなんだから。

(※食事の別れ際、タクシーに乗る間際)風俗代は(持ち合わせてる)?

(ギャンブルは)人生と何も似ていないけど、負けが必ずあるっていうところだけ似てるよ。
(※小島武夫)まず負けるところから始まるからね、ばくちは。
横綱の相撲と一緒で、「横綱に負けたんだからしようがない」みたいに思わせて、「次もまたやりましょう」って言われる奴が一番いい。

番組の中で伊集院静さんは、新刊本のサイン会で、10年ぶりに来てくれたファンに、「当時旭屋書店で遭ったのを覚えている」旨気さくに話しかけられていた。
先月「ぼくらの時代」で「もう友人を作らない」旨の宣言をしているとおっしゃっていたのは、「自分の限りある肉体とHDDを勘案すると、大事にし切れない人との縁は遠慮すべし」ということかもしれない。

伊集院さんの一挙手一投足からうかがえたのは、人生の流儀を、自分の頭で考え、自己責任のもと潔く全うなさっていること。
伊集院さんがモテるのは、当然かつ自然だと思う。



★2011年6月5日放映分
http://www.mbs.jp/jounetsu/2011/06_05.shtml

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kimio_memo at 07:05|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月09日

【毎日新聞社】「第69期名人戦第六局▲羽生善治名人△森内俊之九段」藤井猛九段

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(三連勝で忽ち角番に持ち込んだものの二連敗し羽生善治名人に猛追されている今、)森内俊之九段が、羽生名人の初手▲7六歩に対して△8四歩と、後手で『受ける』形になり易い矢倉含みで受けたのは)ちょっと勝負に甘いのではないか。
△3四歩なら話は違うが、これだと「相手をねじ伏せる」といった感じではない。

(64手目の)△2五桂に▲同歩と指したところでは、先手は銀と桂がさばけ、先手が有利(とされている)。
ここまでの手順は、先手にとって都合の良い定跡(のようなもの)。
野球でも、2ストライクを取ると、次はボールを投げる。
初戦から三連勝し、その後ボールを投げるのはいい。
しかし、今この第六局でまたボールを投げるのは、「自信がある」、「自分の方が強い」ということか。

森内九段は、過去、この戦形の先手番をやっている。
それで、今回、後手としてこの先手番を受けているというのは、「自分も過去やってみたんですが、私は攻め切れなかった。羽生さんはどう指しますか?」ということか。

対局現場の雰囲気は、形勢が互角とか後手をひいていると、「羽生もち」になってしまう。
挑戦者としては辛い。
羽生名人に挑戦する時は、互角とか後手番にはなりたくない。

渡辺

森内九段は、20代の若い頃、持ち時間の残りが20、30分になると、わざと使い切って、一分将棋にしていた。
わざと「自分を追い込んでいた」のだ。
「一分将棋での精度が、羽生名人の方が上回っている」と感じてのことだそうだ。

森内九段は、初戦で三連勝した後、流している。(笑)

初戦から三局までの羽生名人は悪かった。
しかし、今は違う。
羽生名人は、悪くなっても、すぐ復活する。

羽生名人のスケジュールは、ここのところ非常にハードだ。
羽生名人は忙しい方がいいのかもしれない。(笑)
この対局の後は、明日移動して、明後日(10日)には棋聖戦で柏に入る。
11日は対局し、翌日(12日)には仙台で講演をし、その翌日(13日)には王位戦挑戦者決定戦で私と指す。(笑)
その時、羽生名人はさぞ疲れているだろうが、私としては喜んでいられない。(笑)

森内九段は、30秒将棋の時、29秒まで指さないことが多い。
「9」と読み上げられてから、全力で物凄い反射神経で指してくる。
「9」まで一向に指さず、「もう投了かな」と思ったりする(笑)ので、驚く。
しかも、そんな時に限って良い手だったりする。

私が読む手と羽生名人が実際に指す手が当ってくるようでは、森内九段はもうダメ(負け)。(笑)

本局は、森内九段の作戦負け。

(私の「羽生名人はなぜ強いのか?」の問いに)努力ですよ努力。
我々(プロ)は努力しているようでいて、そうでもない。(笑)

「将棋は会話(棋は対話)」と言われるが藤井猛九段の解説はそれがとてもよくわかった。
さらに、藤井九段はA級在位が長いトッププロ棋士なので、トッププロ棋士が対局を通じて何を思い、何を考えているか、トッププロの心情や機微といったものがとても窺えた。

藤井九段は将棋大好き少年のひろき君宛てに色紙を書いてくださった。
言葉は「心眼」。
とても合点がいった。



★2011年6月8日催行
※1:解説女性棋士は古河彩子女流二段
※2:上記の藤井九段の言はいずれも意訳

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kimio_memo at 07:17|PermalinkComments(0) 将棋大盤解説会 

2011年06月08日

【BSTBS】「グリーンの教え」秦郷次郎さん(秦ブランドコンサルティング社長/元ルイ・ヴィトン・ジャパン社長)

次のショットを考えて、今のショットを打つ。

秦郷次郎さんがゴルフから学び、ルイ・ヴィトン・ジャパンの経営に活かされた言葉。
将棋で言う「三手の読み」と同義だろう。
ゴルフも経営も将棋も、「今やる(やりたいと感じた)こと」や「目先のやらねばいけこと」だけやっていてはダメなのだ。
禿同。



★2011年6月4日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/green/bn60.html

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kimio_memo at 05:49|PermalinkComments(0) テレビ 

2011年06月07日

【BSNHKプレミアム】「希代のヒットメーカー作曲家筒美京平」

いい音と売れる音は違う。

筒美さんは、お若い頃から、「売れること」を一義に思考&志向。
「売れる音」を創るために、世界の「売れる音」を不断かつ徹底的に研究。
洋楽のヒット曲のレコードを次々仕入れて、片っ端から「ちょい聴き(2~3秒だけ聴く)」を繰り返す。
レコード針はさぞ痛んだ&消耗しただろう。(笑)

一緒に仕事をなさった方が「筒美さんは、音楽はアナログだが、考え方はデジタル」と評論。
納得。

筒美さんは、青山学院の初等科から大学まで、クラシックピアノ、聖歌隊、軽音楽と音楽にどっぷり。
いわゆる「お坊ちゃん」であられたのは間違い無いだろう。
また、石原慎太郎さんや松本隆さんと同様、多方面に豪遊したのも間違い無いだろう。
やはり、大衆の心を動かすコンテンツを創るには、こうしたキャリア?が有効なのかもしれない。

近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」が伊集院静(伊達歩)さんとの共作だったのは知らなかった。
伊集院さんは、この曲の詞を30分で書き、2億円お稼ぎになられた模様。



★2011年5月29日放映分
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/83014.html


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kimio_memo at 06:35|PermalinkComments(0) テレビ